次を待って
人は必ず死ぬらしい。
私は幽霊に近い。
でも生きている。
生き物には血が流れているらしい。
私にも赤い血が流れている。
そうすると、私はそれらの原理を無視して存在しているのだろうか。
タイムリミットが近づくにつれて、何もかもが面倒な事に思えてきた。
そう感じてしまう。
勉強は相変わらず、ずっとしている。
私はそれでいいと思っている。
悪夢にも慣れた。
あの夢をやり直せるのが清々しいと思える位、余裕ができた。
人生は一度きり。
この原理を無視して、私は存在している。
あのひとは、なぜ一年しか戻してくれなかったのだろうか。
空を眺めると、あのひとにどうしようもなく聞きたくなった。
《死界で聞こう》
だってもうすぐ私は死ぬ。
なんの手立てもなく。
どうして死ぬのかという、根拠はもちろんありはしない。
それでも死ぬはずなんだ。
「おはようございます!ルシ王女様」
「おはよう、レイチェル」
「今日は午後がお休みですが、どうしますか?」
「中庭へ行きましょう」
髪を結って、予習を終わらせて、授業が終わって、お菓子を食べる。
そして復習を終わらせて、中庭へ急ぐ。
全ての動きが慣れてきた。
本来の同じ日ではやりもしなかった行動の数々。
今日の私も、昨日の私もそれを為している。
そしておそらく同じ日に、私は死ぬ。
本を読んで、雑談をして、お菓子を食べて、女官長の所へ行って。
私は今を意味もなく生きている感覚に苛まれていた。
私以外、永遠に誰も知らないであろう空白の時間。
それを引き立たせるこれはきっと、今世の目的を達成した為に、気を引き締める必要がなくなったからだろう。
───遺言は残したのだ。
あとは勉強だけ。
横になると、疲れがどっと出た。
よく眠れた。
悪夢の代わりに、死界の出来事を思い返していた。
それからもう四カ月が経った。
タイムリミットはあと数日。
今日は、タイムリミットまで二日。
「おはようございます、ルシ王女様!」
「おはよう」
私は今世を惜しもうとしなかった。
それと同時に、レイチェルのように明るい抑揚もつけられなかった。
「今日は何かある日?」
「もちろんですよ。今日は、ダンスの練習とマリアンヌ先生の授業があります」
「ダンスは休みましょう」
「何をいうんですか⁉︎あと、三カ月ですよ!」
「さてと、予習をしましょうかね」
「会ったことないですけど、その御子息が可哀想です。名簿は出来上がってるんですから、そろそろダンスは始めるべきです」
ダンスは今世に必要ない。
《だって関係ないもん》
それまで生きられないんだから。
謁見のなくなった曜日には、ダンスと礼儀作法の授業が設けられた。
だがなんだかんだでダンスは、一度も習った事はない。
ダンスは執事と踊るだけで、ちっとも楽しくない。
ならやらなくてもいいではないか。
こういった思考だ。
いい加減心配してくれるレイチェルや女官長には申し訳ないとは思っているが、この心境はなんとも説明し難い。
「御機嫌ようマリアンヌ先生」
「御機嫌ようルシ王女様」
ドレスの裾を持って、お辞儀をする。
「どうですか?上達しましたか?」
「はい。とてもお上手になられました。さて、今日は前回に引き続き、食事のマナーについてやりましょうか」
「今日はいつも以上にたくさん予習してきましたから、期待してくださいね」
「ルシ王女様は、みるみる上達してくださるから教え甲斐がありますわ」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
記憶が正しければ、私が死ぬのは明日の朝。
マリアンヌ先生のこの授業が最後の勉強となる。
だが教わっている範囲は、全く違う。
本来の速度では長生きしても、終わらなかったような範囲だ。
きっとクレアが同い年になって習う、少し先くらいだと願いたい。
カモフラージュとして、先月から行なっていたように、マリアンヌ先生を王宮の門まで見送り、一礼する。
そして初めて、囁いてお礼を言う。
「さようなら。ありがとうございました」
レイチェルも付いて来たが、聞こえたかどうかはわからない。
部屋に着く途中、女官長を部屋に呼んだ。
恐らく最後の夜だ。
「ごめんなさいね、突然。なんだか話したくなっちゃって」
涙が出そうになる事は無かった。
また五日後にはきっと会う。
そんな考えだった。
《今世の前例通り、未来が変わるなら死亡日が変わってもおかしくない》
そんな考えも隅にあったが、私は気づかなかった。
「いいえ、大丈夫です。またお悩み事ですか?」
「ある意味そうね。誰かに勝ちたいのに勝てない時って、どうすればいいのかしら」
「私なら相手の思ってもみないような事で、徹底的に勝ちますかね」
奇想天外なの勝ち方は、レイチェルの性分なのだろうか。
「私はレイチェルとは違って相手と自分の競うべき所で勝ちたいですから、とにかく努力を続けますかね。相手が疲れてもやり続けて、差を広げる。といったように」
「なるほどね」
「女官長様の競うべき所ってなんですか?」
「私は料理かしら。レイチェルは?」
「私は…そうですね、お菓子作りでしょうか」
こんなふうに小難しい事を言っては、話がずれて世間話をして、あっという間に夜になった。
そしてゆっくりおそらく最期となる、今世の夜を眠った。
朝になって、目が覚める。
これが酷く難しい事だと思っていた。
しかし目が覚めると、勉強をしなければと手が動く。
「おはようございます!ルシ王女様」
「今日は何月?」
「九月ですよ?」
───タイムリミットまで二十四時間未満。
気付いた時には、空がなかった。
半透明のガラスのような城が見えた。
「お帰り」
ネロラーフィーの門番が言う。
その奥には、彼によく似た灰色の生き物が沢山いる。
私のように、服を着た人間がそれと話している。
ネロラーフィーの門番は私を、透明な円の中へ案内する。
そして私と彼は、一年前のあの日の祭儀場に戻った。
薄紫のドレスに、青いヒール。
「落ち着いた雰囲気になりましたね」
私が言うと、またもや元王族となったルシ王女は笑います。
「そうでしょう。ありがとう、面白かったわ」
「また三日すれば、一年戻れますがどうしますか?」
多くの人はここで挫折します。
見ない方が良かった過去を見てしまい、“ なるようになれ ”の生き方の方が良かったと気付くからです。
それを拒むのは余程鈍感な人か、本来に余程の未練ががある人。
「もちろん、戻るわよ」
数時間前までの行動を見て思ったように、元ルシ王女はやはり、後者だったようです。
「お菓子は美味しかったですか?」
「ええ、とっても。それにお友達もできたのよ!」
元ルシ王女は無邪気に笑います。
でも元ルシ王女。巻き戻るというのは、そのお友達との思い出も彼らからは消え去って、自分だけに残っているという事ですよ?
それを指摘すると、元ルシ王女は溜息をついて、悲しみ混じりに微笑みます。
「それは知っているわ。その上での判断よ」
そこまで言うと元ルシ王女は、何か思い出したように慌てて言います。
「私が死んだのは、家庭教師の所から帰る途中に、突然倒れたからのはず。記憶は曖昧だけど、レイチェルと女官長は何か死因を突き止めたりはしなかったかしら?」
ああその事ですね?
良いお友達を持ったようですね。きちんと手掛かりの記された紙が、棺桶に入っていましたよ。
「王族付きの食事係が毒を盛ったそうです」
「それはおかしいわ。私の食事も毒味係がいるもの」
「それについても書かれていました。その女官は皿に毒を盛ったそうです」
「なるほどね。死因はわかったわ。他には?」
面倒ですが、まあいいでしょう。
ただひとつ準備の必要な祭儀場は、既に目の前にできている事ですから、今後の三日間は時間を待つだけで、特にする事もありませんし。
まずルシ王女は十三歳で死にました。
解剖こそ行われませんでしたが、女官長やルシ第一王女付き最高侍女によって、毒殺と判明し、公表されました。犯人は彼女の妹、クレア王女一派という証拠も掴みました。
面白そうなので、追って調べた所、これについての話は半年以上の範囲にて、記録不在。死界では詳細まで判りませんでした。
そして前と同様、王様も王妃様もクレア王女も侍女も執事も泣きました。
ですがやはり、クレア王女派が強い中、ルシ王女派は邪魔ものだったので、その意図は微妙なところですね。
ただ例の最高侍女は、三日三晩ずっと泣いていたそうです。
一方女官長はクレア派に扮して、状況を探っていましたから、そういった話は出てきませんでしたね。
戦争が数ヶ月遅くなり、
《お菓子好きの笑い者》
としてのレッテルは免れましたが、富豪の公爵家子息との婚約に失敗したので、税が軽くなることは無く民は国に対して反発しました。
理由は極々一般的です。謙虚で自分達を守ってくれる、愛すべき王様、王妃様の為に納める税。
それが少しずつ重くなり、辛いと思い始めた頃に、税が幾分か軽くなるという噂。
そんな噂が蔓延した頃に、その中心人物の死亡。それに加えて、その死亡者は散々税をくってきた人間。これは精神的に痛いですから、頷ける内容ですよね。
一方クレア王女の地位は安定し、より良くなっています。
彼女は三ヶ月後のダンスパーティーで、敵国の皇子の元へ人質になることを公表したです。ちなみにこれらの噂も、もちろんクレア王女一派によって流されたものです。
ルシ王女様の悪い武勇伝は、ほとんど変わっていません。
甘いものが大好きで、棺桶にはチョコレートクッキーが沢山入れられています。
勉強も裁縫も王女としては微妙。美貌はお菓子によりできた、脂肪でよく見えません。
自然を愛することも、芸ができるわけでも、特技も何もありません。
それは噂になって、遠くの国にまで広がりました。
《出来損ないの王女、セルフィッシュ》
ルシ・フィッシュ・カインド第一王女様の、あだ名も健在なようです。《わがまま王女》
性格は治らなかったのですね。
まさかこれを全て言うわけではありませんが、差し障りの無い所はほとんどお話ししました。
すると元ルシ王女は、泣いておられました。
そしてまた目標ができたそうです。
「絶対に二人を守る」
死後にできるかどうかは別として、生きているうちには。
「できるといいですね」
そして三日目後。
また祭儀場にて、元ルシ王女は、ルシ王女となります。
二度目の巻き戻り。長生きできるといいですね。
「お気をつけて」
「もちろん。それでは」
ルシ王女は一礼します。
彼女も一昨日話していた通り、前回の内に成長したようで、お辞儀が上手くなっていました。
感心するとすぐ、祭儀場が発光して
───三度目に死んだ、ルシ王女が現れました。
 




