胸が痛いので大人しくしておきます
注意:一部、読みにくいかもしれませんがご了承ください
謁見の間で、冷たい感覚が胸を貫いた。
政略結婚について指示を出された時、自分は居なくなるべき存在なのかと思った。
夕食で、クレアと話した時、レイチェルと話す方が楽しいと思った。
《血の繋がりが何?》
《優劣がなんなの?》
昨日ベッドで横になって、なかなか寝付けなかった。
考える事は面白くなかった。
歴史書を読んで、やっと眠くなった。
そして明日が来る事を望んだ。
そうすれば何か考えが変わっていると願った。
宗教じみているかもしれない。
疑問を投げかけても、誰が答えてくれるわけでもないのだから、それでもいいと思った。
とにかく平常心を保てる気がしなかったから、眠った。
《私は大丈夫。十分頑張った》
ルシは大丈夫と言って欲しかっただけなのに。
涙がこぼれた。
二つの椅子が見える。
そこにお父様とお母様が座っている。
ここは恐らく謁見の間。
酷く心が揺さぶられていた。
嫌な耳鳴りがする。
《私はお母様に必要とされていないのだろうか》
何を根拠にするでもなく、そんな不安がよぎる。
勉強も頑張った。一週間じゃ短すぎるだけなの?
それとも私が本当に…本当に出来が悪いだけなの?
とても怖い。
身体は落ち着いているのに、胸が苦しい。
レイチェルが心配そうに私を見る。
お母様の顔を少し見る。
…目は合わない。
クレアの事をずっと笑ってみている。
《私の事は…?いいの?どうでもいいの?そうなの?そうなの。そうか、そうなのね!》
何が起きているのかわからない。
とても言い表せない。
複雑というのだろうか。ただただどうしようもなく、落ち着く事が出来なかった。
私はその場から立ち去った。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
どうしよう、息が吸えない。
廊下を走っていると衛兵達ともすれ違う。
頰にひんやりしたものを感じた。
肩を揺すられる感触を感じた。
「お母様?お父様?……」
返事はない。
目が開くと、知っている顔だった。
「ああ、レイチェル」
全てが夢だと気付くと、溢れた涙が止まらなかった。
始めはレイチェルを完全な信頼していたわけじゃない。でも、この一週間で心を許していた。
慰めて欲しかったのか、何かわからない。
言葉と涙が止まらなかった。
しばらくして、レイチェルに支えられて部屋の机の前まで移動する。
補充してあるお菓子を食べ、私がいろんな事を話している間、レイチェルはずっと話を聞いていてくれた。
やっと頭が落ち着いてくると、レイチェルがお菓子を焼いて来ると言って部屋を出た。
外をみると、月が出ていた。
起きたのは真夜中だったようだ。
視線を戻そうとすると、ドレッサーに映る自分が見えた。
《誰だこの娘は。》
…私だった。
《とても醜い》
《かわいそう》
《わがまま》
《妹の下》
心が次々に囁く。
苦しい。
とても苦しい。
息が吸えない。
…ああ。私は駄目なんだ。
《出来損ない》
そうだ!ずっとわかっていたじゃないかっ‼︎
「あーあ」
ほとんど無になった心が私の体の中に漂っている。
手に持っていたクッキーを、私の両手が次々と割っていく。
そして机に被さるように倒れた。
レイチェルが駆けつける。
「ルシ王女様?ルシ王女様!」
声が聞こえる。
《これでもいい。それでもいい。またいつか勝つ。クレアに必ず。》
朦朧とする意識の中、決心は新たに固まった。
私の心は苦しさで、きつく締まった。
気付いた時には朝だった。
また巻き戻っただけかと思った。
「おはようございます、ルシ王女様!ご機嫌いかがですか?」
レイチェルの声だ。
「おはよう。頭が痛いわ」
「それならお菓子は食べませんね」
レイチェルは部屋のお菓子を指差す。
「いいえ、食べるわ」
移動すると、チョコレートクッキーがあった。
食べるとやっぱり美味しかった。茶色い渦巻き型。
やっぱり、巻き戻って八日目なのかと悟った。
「今日はアーモンド先生だけ?」
「はい。頭の具合はどうですか?」
「えっ?」
すっかり忘れていた。
「治ったみたいね」
笑って応える。
続ければ、大丈夫。きっと絶対に。
これほど曖昧な言葉は無いだろうと思った。
だけど、本当に平気な気がした。
髪を梳かして、朝食を食べて、余った時間で本を読む。
新しい私の朝の過ごし方が終わると、勉強だ。
「ご機嫌ようアーモンド先生!今日は何ですか?」
「地理についてです」
「あ、暗記ものですね」
「はい」
丸一日勉強。
それが終わると、レイチェルと中庭まで急いだ。
おとといと同じ荷物。
「ルシ王女様。私思ったんですが、ルシ王女様は予習、復習が抜けている気がします」
「何?それは」
「勉強の方法です」
「ああ、勉強」
「お嫌でしたら言ってください」
前置きを終えると、レイチェルは言葉をつぐ。
「あの予習は授業の前に、範囲を少しやっておくんです。復習は授業でやった所を思い出しながらやり直すんです」
「なるほど」
「どうですか?知り合いがやっていたのを聞いたんです。効率的だと思うんですが」
「そうね」
部屋に帰るとさっそく、復習を始めてみた。
予習・復習は、国では一般的では無い。
だからこそか、新鮮味があってやる気になった。
そこから約八ヶ月程経った五月。
───タイムリミットまで四ヶ月弱。
私はヘトヘトだった。
今世八日目はまだ良かったのだ。
でもそこからは、あの日の悪夢をほとんど毎日見るようになった。
わけもわからず勉強を続けた。
《だからだ》
ああ、なるほど。
やっと今、合点がいった。
予習・復習のおかげで、着々と勉強は進んでいった。
ダンスのレッスンは休み、部屋で教科書を読んでいた。
ダンスのレッスンを休んだ理由は他にもある。
今世に必要ないから。
そして疲れるから。
強いて言うなら、稽古場が遠いから。
アーモンド先生とマリアンヌ先生の授業は受け、知識も礼儀作法も上達しているはずだ。
礼儀作法はお母様の優雅な仕草を思い出して、やっていた。
時折中庭に出向いては、レイチェルと本を読んでいた。
お菓子は食べ続けた。
毎日、部屋から少し行った女官長の元へ行っては、お菓子をもらってきた。
いろんな事を知った。
人生に楽しいを求めなかった。
楽しいはご褒美であると、考えを改めた。
《人生の巻き戻しがきく》
これはどれほど、私に生きる事に明るさを与えてくれただろうか。
毎日、朝起きては、星を見ては、空に向かいあのひとの姿を思い出していた。
さてと、今日は珍しく悪夢を見なかった。
本当に不思議としか言いようがなかった。
「おはようございます、ルシ王女様っ」
「レイチェル!私、今日はゆっくり眠れたわ!」
「本当ですか?」
「ええ!」
「今日はお祝いですね」
今世八日目から、夜中に目が覚める事はなかった。
体調不良もなかったし、
しかし、熟睡する事はできずにいた。
上機嫌で教科書を広げ、レイチェルに髪を梳かしてもらい、お菓子を食べる。
「何をもらいますか?」
「誰がくれるの?」
半ば笑いながら聞く。
「やっぱりいろんな人ですよね」
「例えば?」
「私も差し上げますよ」
「まあ嬉しい」
レイチェルが励ましてくれてると思うと、幾分か嬉しかった。
「クレア王女様も渡すのでしょうかね?」
「えっ?」
「どうしました?」
「レイチェル、何の話?」
「プレゼントです。ルシ王女様の」
「今日は何の日?」
「ルシ王女様のお誕生日ですが?」
「えっ?えー!」
全然気付かなかったし、できれば来ては欲しくなかった。
あれから週に一度の夕食も、お母様方が忙しいそうで打ち切られた。
つまり四人で顔を合わせていないのだ。ただの一度も。
「レイチェル、髪を高く結って。ドレスはそうね、深緑は…暗い。青系は…昨日着た。でも暗いのがいいわ」
「薄紫はどうですか?」
ドレスアップが終わると丁度、女官長が呼びに来た。
「ルシ王女様。謁見の間にいらしてください」
何故?何故謁見の間?
ごくごく普通と思われる理由で、気分が悪くなった。
「わかったわ」
私の病状を知る女官長が付き添って、道を進む。
「ルシ王女様。ささやかですが私からも贈り物があります」
「ありがとう、女官長。…あのね、この儀式が終わったら部屋に来てくれない?」
「はい。承知しました」
マリアンヌ先生に教わった歩き方をし、我が物顔で道を進む。
なぜなら今日は私の誕生日だから。と。
謁見の間に着くと、いくつかの小包が並んであった。
記憶にある小包の数より、二つ多い。
恐らく、サブウェイ公爵家と女官長からだ。
お父様とお母様が既に席に着き、私はお辞儀をする。
「お父様、お母様。本日もご機嫌麗しゅう」
一番鍛えたお辞儀。
当然だというように見せつけたつもりだが、どうだろうか。
お母様の表情は変わらない。少しだけ微笑んだ顔を動かさない。
「…第一王女、ルシ・フィッシュ・カインドが成長した事を嬉しく思う」
お父様の言葉で一通りの社交辞令が終わり、プレゼントが渡されて式が終わる。
今までと何も変わらない誕生日。
クレアが居なかった頃は、もう少し笑いがあったのに。
そう思っても意味がない。
知っているからこそ、何もせず型通りに行動して、ただ微笑む。
考えてはいけない。
自分が惨めになるだけだ。
部屋に小包を運ぶ作業を、女官達はそそくさと行っていく。
中を開くと、絹だったり、宝石だったりが入っている。
そしてサブウェイ公爵からは高級そうなドレスだった。
なるほどとつじつまが合う。今国には、お金が無いのかもしれない。
一方で女官長は地図をくれたようだ。
手書きのようで、黄ばんでいる。とても大切なものに思えた。
「女官長サフィナ・キャングレフでございます」
「入って頂戴」
貰ったものを片付け、地図だけを机に置く。
「見てくださったようですね」
「ええ。地図かしら?」
「はい。王宮の地図です」
「王宮の地図はとても貴重なもので、もう王様しか持っていないはずでは?」
「もうひとつあるのよ、レイチェル。これが、ここで生き抜く上で誰にとっても恐らく大切になると思い、持って参りました」
女官長の眼はどこか寂しそうで、真剣だった。
「ありがとう」
そう言って、ドレッサーの鍵のついた引き出しにしまう。
「あのね、女官長、レイチェル。今日一日お菓子を我慢するから、変な事を言ってもいいかしら」
二人はかおを見合わせて、頷く。
「はい。どうぞ」
「どうぞ」
「私がもしも死んだら、死因を探って欲しいの。お願い。復讐をして欲しいとかじゃなくてただ、死んだ理由を知りたいの。そして記した紙を棺桶に入れて頂戴」
迷信じみた話だが、あのひと曰く、それでわかるはずだ。来世は必ず生きなければ。
「頼めないかしら?」
「もしも、ですがいいですよ。出来ることはします。ですが解剖は…」
「それは頑張りますが、保障はできません。が、もちろんやりますよ、ルシ王女様の頼みですから。ですがルシ王女様、まずはお命を大切に」
「ありがとう。本当に」
これでなんとかなりそうな気がした。