黒い鳥の存在を私はすぐに忘れた
二つの椅子にそれぞれ座る、お父様とお母様。
クレアにだけ笑う、お父様とお母様。
ここは見慣れた、記憶の中の謁見の間。
ここはきっと悪魔だろう。きっと悪い夢だろう。
と、さっきの私が何度仕向けた事か。
でもこれは事実なのだと痛感した。
ふらふらしていても、私を支えるレイチェルの手がある。
それが、妙に心強かった。
それでももやもやとする、心の形はなにひとつ変わらない。
すごく疲れた。
慣れつつあっても、嫌な耳鳴りもする。
『ダンスパーティー…行ってもらいますからね?』
つい先程のことのはずなのに、お母様の声が耳の中で再生されて、気持ち悪くなってしまった。
《私はお母様に必要とされていないのだろうか》
やはり、思わずにはいられない。
私は出来が悪いの?
一年やそっとでは巻き返せないくらいに?
胸が苦しいのか、クラクラして頭が回らないのか…。
《……どっちでもいいや》
私はもう、諦めかけているのだろうか。
気付けば目の前に、真っ暗な世界が広がっていた。
なぜだろう。後になっても思い出せないが、ルシはそれを変だと思わなかった。
レイチェルが心配そうに私を見る。
先を行く、クレア達の背をを見た。
楽しそうに、時折見える横顔は───笑っている。
《私の事は…?い、いいの?…よね。どうでもいい、そうよね?そうなのね?そうか、そうだったわね!》
心の中だけでも強がっているのが惨めに思えた。
前もこんな事を思った気がする。
いいや。今まで思い続けている事だ。
《そう…そうだったのよね》
自分の事が、よくわからない。
うまく、やっぱり言えない。
やはりどうしようもないままだった。
ただ速やかに私は、いや、レイチェルは遠回りをしてでも違う道を行き、私をベッドに座らせた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
浅い呼吸が聞こえる。
私の声だろうか。
レイチェルが私のドレスを、手早く着替えさせて、横になるよう促した。
「おやすみください、ルシ王女様」
「おやすみ、なさい……」
言い終えたかわからない。
すっとまぶたが落ちてきて、今度は薄暗くて寒いところへと運んでいった。
お父様とお母様。
そしてクレア。
その中に私はいない。
すっかりは覚えていないけどそんな夢を見た。
頰を撫でる手を感じて、きっとレイチェルだと期待してた。
「お母様?お父様?……」
返事はない。
少し経って、レイチェルですよ、と穏やかな聞こえてきた。
その時はちゃんと、夢から覚めていて。
体を起こすと、ルシ王女様顔色が悪いですから、レイチェルは制し、頬を何かがつたっていった。
そして視界をぼやかしていた物が無くなったのを、寂しがるくらいに、すんなりと目は開いた。
これからまた、クレア達と顔を合わせるのはいささか苦しい。
ダンスパーティーの話が憂鬱でならない。
心配事なら前からあったのに。
きわめつけには、
《また悪夢を見てしまった》
おまけに泣いてしまって、私はきっとひどい顔なのだろうな。
「お菓子を食べますか?」
「いえ、いいわ」
レイチェルは気を利かせてくれたようだ。
チョコレートクッキーの大皿をその手に乗せている。
だが食欲がないというのだろうか。初めてかもしれない感覚を意識したが、私らしくもなく、クッキーを手に取る気にはならない。
これには流石のレイチェルも、一層心配そうな顔をしている。
ピュー ピピロピピ……
鳥が遠くに鳴いている。
起きたのはやはり真夜中だったようだ。
前回の巻き戻りと…おんなじ。
それが悔しいのか、嬉しいのか…頭がクラクラとする。
「えっ…?」
レイチェルが、どうかなさいましたか、と顔を覗き込む。
だけどルシはビクともしない。レイチェルは思った。なにも聞こえていないかのようだ、と。
実際ルシはここでは、何も聞いていなかった。少し前に聞こえた、窓の先の暗闇に溶け込む鳥に想いを馳せていた。
《鳥の声?…前は聞こえてたっけ?》
理屈で考えるまでもなく、ルシはドレッサーの隣から風を吹き入れる窓へと駆け寄った。
ピュー ピピロロ ピピピロ?
近づいてきたルシに応えるように、鳥の声が帰ってきた。ルシは鳥を外に探した。
レイチェルもルシに倣って窓から外を見たが、月と暗い空。そして城の城壁が見えるばかりで、特に何も。考えてみれば、鳥が止まれるような気もなかったはずだ。
バサッ
二人が探すのを無駄だと遮るように、飛び立つ羽音がした。それも案外大きな鳥だったようで、予想外に堂々とした音だった。
飛び立った鳥を探そうとしたルシは、何やら一層黒い鳥が、丁度半円を描いたのを見た。
「あっ!」
「なんですか?」
個体の姿を見守っていたルシだが、その形の後には、何も見えず、少ししてからは諦めるしかなかった。
「今の見てた?」
「いえ。」
「半円の、黒…い?…!」
《半円?なんかあったような…?あっ!思いついた!》
そしてルシは、一か八かで図書館から持ってきた本で埋まった本棚へと向かった。
そして背表紙を見て、表紙を見てを繰り返した。
《半円…半円》
マークとして半円の書かれた本。昨日読んだ気がする。あるいは、レイチェルが読んでいたのを見た気がする。
「何をお探しですか?」
「半円のマークの書かれた本よ。見つけたら、片っ端から机へ運んでちょうだい」
見つかったのは、合計九冊。
表紙の枠が半円を取り込んでいるものと、題名を囲うものが半円をのもの。そして背表紙の柄に半円があるもの、文字を豪華に見せる飾り文字の中に半円のあるもの。
「レイチェル、この九冊を重点的に読んでいくわよ」
「九冊というと。他はいいのですか?」
「今のところはね。今までに借りてきた内、読みきれたものは私とレイチェルを合わせて、半分くらいの五十冊にも満たないわ。なのに情報の量はとても多い。これでは来年に間に合わないわ」
「な、なるほど」
レイチェルは、それで何故この九冊なの?、というと顔をしたが、勘だなんて言ったら説得力に欠けて、かっこ悪いので無視をすることにした。
「そ…」
「それじゃあ早速読んで、紙にまとめていきましょう」
「そ…」
「紙は私の勉強用ノートを取り寄せて使う事にするわ。そのあたりは頼んだわよ」
「はい…」
レイチェルがいい人でよかった。
レイチェルの中でルシが、余計なことは言わない方がいいように思われた。一方でルシは、レイチェルがなにかを言おうとしていた事、そしてそれを遮ってしまっていたこと自体、気がついていないのだった。
「それじゃあ、私は少し寝るわね」
心なしか声が張っている。そう思うとすぐに私は寝ていた。
私としてはあり得ない事に、睡眠前のクッキーを食べなかった事、チョコレートクッキーを食べきれなかった事、涙がすっかり乾ききっていた事など、色々な事が起こっていた。
そしてそれにルシは気付かない。レイチェルも、ルシ王女が落ち着いてよかった、くらいにしか思えない。それを思い出すのは、ある意味少し前で、ある意味少し先の話だ。
「おはよう、レイチェル」
「目覚めのいい朝です」
朝から笑顔になっていた。
計画通り、まとめるべき本はぐっと抑えられた。
なぜだったか忘れたが、
《これにしようっ!》
と思っていた事だけは確実だ。
「レイチェル、チョコレートクッキーと本を頂戴!」
「はいっ。ルシ王女様は随分と張り切っていますね」
「当然よ。峠を越したんだもの」
なんの、とはレイチェルも聞かなかった。
きっと昨日の謁見の間での事あたりだろうと、察しがついたのだろう。
「そうでした、紙を持ってきますね」
レイチェルは数分外に出て、戻ってきた。
「どうぞ」
レイチェルは二冊の紙とペン差し出して、とても明るく笑った。
それでは早速始めましょうか。
片方をレイチェルに手渡し、片方を胸に寄せた。
「これはレイチェルの分よ」
「ありがとうございます」
「おおげさねっ」
ポンッとレイチェルの肩を押して、席に着いた。紙と本を広げると、チョコレートクッキーを左手に一枚だけ取って。
《なぜだろう。すごく心が軽い。いい意味で気持ち悪いくらい》
そうこうする内に、アーモンド先生の勉強の時間が近づいてきていた。
「ご機嫌ようロイ・アーモンド先生!」
今日はちゃんと間に合った。
レイチェルもマリアンヌ先生のお説教に懲りたようで、何度もこまめに時間を確認していたのだ。
「ご機嫌ようルシ王女。今日はいつも以上に元気がおありのようですね」
「ええ!今日はなんだかとても気分がいいの。ところで先生、今日は何のお勉強をするの?」
「地理についてです」
「あ、暗記ものですね」
「はい」
元気の勢いは急停止して、前回と変わらず丸一日お勉強。
それも今日は全く苦ではなかった。やっている分野がただの復習というのもそうだが、それにしても進み方がこないだに比べて尋常じゃなかった。
そして午後の休みは、読書と写し書。
いわば資料まとめ。
《私が死なないための》
例の半円の九冊を分けてまとめる。
カロライズがその気になるまでの暇つぶしというのももあるが、そのあたりは内緒だ。大して重要ではない。全てはこれが終わってからだ。
「もう夜ですね」
「そうね」
「もうそろそろ寝ましょうか」
そうこうして私はなんとか一冊と数章を読み終わり、レイチェルは開いていた紙にキリまで書いて、閉じた。
やけに早いので話を聞くと、レイチェルは既に読み終わっていた本が三冊混じっていたらしく、結果九冊全て読み切って、早くも資料まとめに専念していたらしい。と、ルシは後で知った。
「ええ」
《私だって、頑張るんだ。私の為に苦労させてばかりではいけない》
と眠る直前、決意を新たにしたルシであった。
「おやすみ、レイチェル」
「おやすみなさい、ルシ王女様」
翌日。
昨日のはしゃぎようはなんだったのやら、とても落ち着いた朝を迎えた。
レイチェルの迎えに起こされるまでもなく目が覚めた。
どうしよう。
《そうだ、九冊を読み切ってしまおう。そしてレイチェルに追いつけるようになろう!》
今の読書の速さは遅い。
ならば遅いは遅いなりに、地道に読んでいこう。
そうしてレイチェルも参戦し、朝の時間は終わり、勉強も終わり、やがて一日が終わった。
ずっと集中していたからだろうか。
巻き戻り二回目の九日目は、やけに空っぽな、あっけない一日だった。そして十日目もさして変わらず一日が過ぎた。
「おはよう、レイチェル」
「おはようございます、ルシ王女様」
うんー!と伸びをして、最後から二冊目を読み終わる。
《あと少しだ》
これで私も資料の作成に移れる、と思った。
なんだかとても楽しみだ。
そんな光景が、巻き戻り二回目の二十五日目だったりする。
スピードは相変わらず遅いが、それにはきちんと理由がある。
なんだかんだで眠かったり、
チョコレートクッキーを届けに来てくれたついでに、つい、女官長と話し込んでしまったり、
予想外に復習の勉強が早く進んで、復習の予習が追いつかなかったりしているのだ。
そのおかげでレイチェルに聞いてみれば、当の資料の作成も、既に半分は終わっているらしい。昨日聞くと、今四冊目の最終章です、と明るい声が帰ってきた。
「レイチェル、ようやく八冊目が読み終わったわ。レイチェルはどのくらい進んだ?」
「今、五冊目の第一章です。あと少しですね。今日中に読み終わりますか?」
「そうだといいのだけど、多分無理ね」
《レイチェル流石だ、早い》
なのに私は九日目以降、早起きする事が出来ずいる。
《それさえなんとかなれば、少しは追いつけるのかな?》
思いつつ、疲れ切ってそれどころではない私は、案の定すっかり疲れた顔で、九冊の本の山から目を外した。
そうだった。そろそろ目処をつけなければ。
前々から考えていた事なのだが、ごちゃごちゃ過ぎて考える事がありすぎるので、少し整理しようと思ったのだ。
紙の最後のページを開いて、こう書き記した。
[資料を書き終える。
ダンスの練習に参加する。
カロライズと接触する。
勉強を当面しなくてもいい位まで進める。
以上]
まだまだ簡易的だが、とりあえずはこの方針で行こう。
なんだか、初めてあのひとに会った日を思い出す。
そういえばあのひとは、私の事をどう見ているのだろう。少しは《わがまま王女》からマシになってきただろうか。
《あっ!そういえば。性格も直さなければ!》
そして一番最後に書き加えた。
[性格!!!]
と。
こうして巻き戻り二十五日目もあっさり終わってしまった。
黒い鳥の正体は、後々出てきます。




