ルシ王女様、御来客
とある時代の、とある国。
そこに彼女は産まれました。
王女として産まれた彼女は、賢く強い王様にも聡く美しい王妃様にも祝福されて誕生し、平和な国で幸せに暮らしていました。
五歳までは、ね。
ルシ王女は本日亡くなられました。
十三歳でした。
医者によると、原因不明だそうですが、他殺だとすれば犯人は決まっています。彼女の妹、クレア王女一派です。
王様も王妃様もクレア王女も侍女も執事も泣きました。
悲しくて?ああ、一部はそうでしょう。
ですが、ルシ王女ははっきり言って邪魔ものだったのですから微妙なところですね。
戦時中で経済が苦しい中で、なりふり構わずお菓子を食べる少女。国の笑い者です。
民はあまり悲しみませんでした。
理由は簡単。謙虚で自分達を守ってくれる、愛すべき王様、王妃様の為に納める税の大半が、ルシ王女のお菓子に変わっていると言われたら、そうなってもおかしくないと思いますよ。
一方クレア王女は、それの反対に君臨しています。
なぜなら彼女は終戦の為に、敵国の元へ人質になることさえかって出たのです。ちなみにこれらの噂も、もちろんクレア王女一派によって流されたものです。
ルシ王女はわがままでした。
第一子として生まれたので、王様も王妃様も甘やかしておられました。
甘いものが大好きで、棺桶にはいくつかのお菓子が入れられています。
勉強も裁縫も王女としては微妙。美貌はお菓子によりできた、脂肪でよく見えません。
自然を愛することも、芸ができるわけでも、特技も何もありません。
それは噂になって、遠くの国にまで広がりました。
《出来損ないの王女、セルフィッシュ》
セルフィッシュが何か?
ルシ・フィッシュ・カインド第一王女様の、あだ名です。わがまま王女。
さてと、彼女は今日、私の所に来るそうです。
嬉しいか?
返答に困りますが、迷惑ですね。
ただ元々が高貴な人ですから…
「ごめんください」
この甲高い声、落ち着きのないノックの仕方。
ルシ王女が来たようです。
「誰もいないの?ごめんくださーい!」
「めんどくさい…」
わ、私は何も言ってませんよ。
「いますよ。少し待っていてください」
「早くして頂戴ね。私、待つのが嫌いなの」
ドアを開けます。
「御機嫌よう」
黒髪の綺麗な少女が立っています。
私は一瞬固まります。
「…ようこそ。残念だが私はあいにく、気分が優れないんだ」
少女、元ルシ王女は笑っているようですが、あくまでも社交辞令というように、目は全く笑っていません。
薄紫に囲まれた深い紫色の瞳。揺れない意志を強調する瞳、私はこれに目を奪われました。
これが王族の血か、と。
「まあ、ここには侍女はいないの⁉︎」
「普通の家はそんなものだよ」
「知らないわよ。私は王女だもの」
やっぱり、ただの社交辞令だったようです。
部屋に入ってすぐに猫被りをやめるというのは、堂々としているというか、これは王女じゃないというか、政略結婚が失敗するわけだというか。
まあ王族だと、確信してしまったことに損をした気分です。
椅子を引いて、自分も座ろうとすると叫ばれました。
「まあ!お菓子は用意してくれないの?」
「死者は何も食べなくていいんだ」
「そんな困るわ!」
「この暮らしに慣れるんだ」
「無理よっ」
ルシ王女はそっぽを向きます。
やりにくい。
とてもやりにくい。
私は死者の願いを一度だけ叶えるひと《神》。
私は聞くだけのはずなのに…。
「願いは?」
「はい?私は死界の門番に、ここへ来いと言われただけで」
「…ネロラーフィーの門番め…」
「なんとおっしゃったの?」
元ルシ王女は興味津々な表情で私を見つめます。
嫌な予感しかしません。
ネロラーフィーは、私にいたずらばかりする面倒な奴で、関わりたくない…!
ああ、ルシ王女が返答を待っていますね。
「個人的な事です」
私は素っ気なく答えました。
「なんだつまらないの。それより、願いって?」
「それですか。私はあなたの願いをほぼなんでも叶えられます」
「お菓子を一生食べ続けたい」
「あなたの一生は終わっています」
「来世は王様になりたい」
「転生については私は無理です」
「えーー」
「『えー』も何も、無理なものは無理です」
ルシ王女はむっつりします。
気付いたのですが、私は彼女を前にいつのまにか収縮しているようです。
なんとかしなくては。と頭が警報を鳴らしています。
仕方ないですね、面倒ですが丁度先程考えていた、ルシ王女の死後数週間について教えて差し上げましょう。
「嘘でしょ!」
「本当ですよ」
機嫌を損ねてしまいましたか…。
まあ事実だし、彼女はそれでそれはそうだと割り切れる程賢くもないですし。まあ仕方ないないといえばそうなのですが。
「なんでみんな私に注目しないの!」
「はいっ?」
元ルシ王女はいきなり椅子から立ち上がります。
やめてください。
机や椅子が壊れてしまいますよ。
私の心の叫びなど気にも止めず、元ルシ王女は続けます。
「何やそれ!棺桶にお菓子は少ししかなかったたの!」
「そこですか?」
「いいえ、それだけじゃないわ。なんでクレアがそんな凄くなっちゃってるわけ?私だって凄いのに!」
「それは仕方がないことじゃ…?」
「確かに私は勉強もできないし、花も嫌いだし、人間も嫌いだし、特技も…ない。…だ、だけど!私はお菓子ならいくらでも食べれるわよ!」
「大食い大会に出られそうですね」
おっと危ない。
危うく後ずさってしまうところでした。
元ルシ王女は力無く座ります。
王女なのにまさかここまでできないとは。しかもそれを認めているようです。
ああ椅子よ、ありがとう。元王族の機嫌を損ねると、最悪、家が壊れてしまうんだ。
数年前の記憶が呼び起こされる前に、元ルシ王女が話し始めます。
「大食い大会?なにそれ、面白そうだわ」
「えっ?あなたの国にもあったはずですよ?」
「私、お祭りは毎回出ていたのよ。だけど見た事ないわ」
「おかしいですね、かなり流行していたはず。庶民に戻ればできると思ったのですが…」
「庶民⁉︎ああ、なるほどね。私庶民のする事には興味ないの」
「あ、ああ」
「待って!」
「は、はい?」
元ルシ王女は、右手で机を叩きます。
ああ、机が…。
私の心の声など気にも止めず、元ルシ王女は続けます。
「庶民に戻る?つまり、あなたは私の人生を変えられるの?」
「んー、少し語弊がありますね。時間を巻き戻すという事です。前世の世界の中だけで。とはいえ、それがここではたった一瞬くらいの事で時空に大した影響を与えないので、私も願いの一種として受け入れているんですよ」
「乗った!」
「はい?」
「私の時間を巻き戻して。王女ルシ・フィッシュ・カインドとして天寿を全うするから。一回、いえ、数十回と!」
「え?いや、は?」
どうやら、自分が幸せになれる確率がどれくらいか、彼女は心得ているようです。
ほんのちょっとだけ安心しました。
まあ、三十回までならいいでしょうか。
「わかりました、契約成立です」
私達は握手をします。
その華奢な手に、初めて王女と自覚しました。
やはり仕事はしないのですね。
笑ってしまいたくなります。
時間を巻き戻す。という願いを叶えるには、三日ほど時間がかかりますが、ルシ王女はそれを承諾しました。
約束から一日目。
私が仕事をする三日間の間、元ルシ王女は、今やルシ王女へ戻った時に備えた計画を練るそうで、滞在用の部屋に籠っていました。
宦官が王族用に用意した部屋は、私の家よりもさぞ心地がいい事でしょう。
「…いいな…」
心にも無い言葉を呟き、私は足を早めます。
いやあ、この仕事の依頼は何度目でしょうか。
白布で囲まれた祭儀場に荷物を運び終えると、慣れた手つきで作業を進めます。
もう何千回とこの作業をし、何万回とこの作業を見た気がします。
白銀の床に魔法陣を絵の具で描き、そこに魔力を溶かす。
ああ、なんて幻想的なのでしょう。
「仕事はどうだい、順調かい?」
しゃがれた声に振り返ると…ネロラーフィーの門番が居ました。
「もう何度もやっているからね。そっちは仕事を抜け出したんじゃないのか?」
「そんな訳あるか。やめさせられちまうよ。ただ今日は、例の王女に恨みを持った戦死者が多いもんでね。他の奴らが気分が悪そうだと、交代してくれたんだよ」
「そうか…」
私達は死界のひと。
だから私事を挟んではいけない決まりなのですが、顔にでるのも隠すのは、やはり、不可能な訳で。
「戦争か。まさか王女がここへ来るとは思わなかったしな」
「最前線には出ない、女の王族だもんな」
ネロラーフィーの門番は時々、ここへ来ては世間話をして去ります。
私はその間も作業を続けていますが、ネロラーフィーの門番は構いません。だから私は面倒だと思ってしまうのも事実なのですが、なんだかんだで楽しいのです。
「戦争がなくなると思うか?」
「俺は知らないよ。だが人には死なないで欲しい」
「なんで?」
「それは…仕事が増えるからだ」
ネロラーフィーの門番は茶色の猫のような顔を、横に広げて笑います。私もつられて微笑みます。
その内に魔法陣が出来上がりました。
「終わったよ」
後は乾くのを待つだけです。
三日後。
準備の整った祭儀場に、私とルシ王女、死界の宦官、そして死界入りに携わったネロラーフィーの門番などが集まります。
どうなる事やらと私は、のちのルシ王女を見送ります。
「どうぞご無事で」
代表して宦官は言います。
「皆の者ありがとう。またすぐ帰ってくるから」
死んでもなお、ルシ王女は王族のように振る舞います。
それに本当にすぐ帰ってくることは、ここの誰もが知っているのですよ?ルシ王女。
「健闘を祈ります。是非長寿を全うしてください」
「ええ、それじゃあ」
ルシ王女は笑顔でお辞儀をします。
すると次の瞬間消えて、
────また現れました。