諜報員ナインツと親友
※ナインツ視点
ナインツ・サルド・ユーラルディアはミュラキスハルツの主要四公爵家の一つ、ユーラルディアの長男である。
ユーラルディアは代々諜報関係の仕事を担っていた。遺伝子で受け継がれるユーラルディアの魔法の特性が、隠密に行動するのに適したものだからだ。また、それに伴った暗器の開発、体術、諜報技術も一族の強みとして、ミュラキスハルツの王族、レイバーバーグから厚い信頼を受けている。
最も王族と近いと言われる公爵家であり、ナインツもまた、レイバーバーグの長男ハイデリヒと同じ年に生まれた為、親族の中でも特別レイバーバーグとの繋がりが濃かった。幼き頃から、悪友として、護衛として、皇太子とその側近として、ハイデリヒに忠誠を誓っていた。
同じくして王家に忠誠を誓っているのが、同年齢でグランクヴィストの長男であるダグラスである。王族としてハイデリヒが外に気軽に出られないということを踏まえると、ハイデリヒとは勿論だがそれ以上に、ナインツはダグラスと、仲が良かった。
昔から俺はハイデリヒ王子の婚約者のイザベラに懸想しています、と堂々と主君に言ってしまう、グランクヴィストの一族らしい真っ直ぐなダグラスは、ついこの間念願叶ってアゴスティのイザベラ嬢を手に入れたのである。
学に疎い、と言われるグランクヴィスト家。
今まで武だけを特化していた一族だけに、魔術の才能と勉学の才能を花開かせた、ダグラスの功績無しには、その一族を語れない。
ダグラスは諜報を担うナインツと同じぐらいの頭脳を持っていた。幼い頃から、厳しすぎるグランクヴィストの鍛錬の傍ら、地図を見て歴史書を見て、周辺や領地のやり取りを把握し、ハイデリヒに最新の情報を強請る。自ずと強請られたハイデリヒも家庭教師いらずでその頭脳を伸ばしていった。
そこで焦ったのがナインツである。
頭脳を売りにしているのに、ダグラスが己の領域まで足を伸ばしてしまえば、ユーラルディアのポテンシャルが活かされない。公爵家が拮抗しているのは、そういった武と文のバランスが取られているからである。
幼き頃のナインツは、そんな自分の領域以上に出張るダグラスに、掴みかかった。
『どういうつもりなんだ、ダグラス。僕は君に排他されようとしているのか?君の目的は、王族の掌握か?』
『何を言ってるのかわからんが、割り込んでくる俺が嫌なら、お前も割り込めばいいだろ』
『……は?』
『俺がお前に剣技を教えてやる。代金は、情報だ』
と、掴みかかられたことを気にも留めていなかったダグラスは、僕に提案をした。それ以来、剣の腕を上げた僕を介して、ユーラルディアの戦力も底上げされたし、ダグラスの発案した教育課程によって、グランクヴィストの頭も底上げされた。密かに敵対関係があった、グランクヴィストとユーラルディアが、ダグラスと僕の代で水面下に手を組んだのである。
ゆえに、公爵家同士で交流をする者はあまり居なかった中、グランクヴィストの家に僕が訪れようが、その逆だろうが、誰にも咎められることはなくなった。次世代を担う僕とダグラスの親密な関係は、ミュラキスハルツを揺るがすものではないという認識がなされたからだ。
だから、驚いたのである。
魔術具を専門に研究し、取り扱っているアゴスティの令嬢に、ダグラスが懸想をしているというのが。ユーラルディアの時のように、また利害関係を求めているのかと思ったが、ダグラスに聞くと全くそうではないことが判明した。
ダグラスは本気でイザベラ嬢に惚れていた。何処が好きなんだ、と聞けば、全てと答えるぐらいに、熱烈な愛を向けていた。
イザベラ嬢には、繊細な魔力使いに長けたアゴスティの名に相応しく、四属性の魔術の素養がある。
魔術の属性は全部で五つあり、ミュラキスハルツの王族であるレイバーバーグ家は全てに素養があり、公爵家のユーラルディアが特別なスキルを持った上で二属性、グランクヴィストが武に長けた上で一か二属性、これらを踏まえると、いかにアゴスティ家が魔術に長けた公爵家であるかがわかる。
基本的に、魔術とは遺伝で引き継がれており、王族、並びに公爵家に関わりのある者が全属性に近い素養と、豊富な魔力を持っているとされている。
中でもイザベラ嬢は、魔力の量も多いと聞いていた。
物心がついた時には既に王族であるハイデリヒの婚約者であった彼女は、努力を怠ることをしなかったし、誰からも不満が起きないぐらいに優秀な成績を収めていたのだ。
戯れ言だと思っていたダグラスの想いは、年数を重ね、イザベラ嬢が高圧的な女性になり、女王のような傲慢な性格に魅力が少し掠れ始めた時でさえ、変わることは無かった。
婚約者という立場なら、魔術に対して勤勉なさまを崩さないだろうし、その後釜にありつこうとしているのかと、薄らと思っていたのが、確か十の歳の時だったか。
世間話の中で、ダグラスは女に襲われたと言った。
成人し、結婚するまでは童貞と処女という組み合わせになるのが、一夫一妻を尊ばれるミュラキスハルツのセオリーだ。それなのに、まさかこんなに身近に暗黙の了解を破るやつが居たとはと驚いたものである。
流石にハイデリヒの前で赤裸々な物言いはしなかったが、僕と二人で話した時のダグラスといえば『脳内でイザベラに置き換えた』だった。呆れて物も言えなかった。
その後も、ミュラキスハルツでは珍しい部類であるグランクヴィスト特有の男らしい顔立ちと、才覚に秀でた名声と、鍛え上げられた男でも格好良いと思うような体と、愛嬌のある笑みで、ダグラスは実質、国内で一番モテていたようで、何度もまた襲われたという話を聞いた。
少し羨ましい気持ちを抱き、その上で、イザベラ嬢に置き換えたらの妄想にずっと付き合わされていた僕は、あの日のダグラスの言葉が戯れ言ではないと、何の裏もなく、ただただダグラスはイザベラ嬢が好きなのだと思い知った。
親友だろうと疑ってかかれ、がユーラルディアの信条である筈なのに、それ以来、ことダグラスにおいては、それが全く適用されなくなった。
その、信用できるダグラスが。
嘘をつくことを知らぬような男が、今現在目の前で、僕に嘘をついていた。
「休暇の時に見舞いの品を渡したら、気に入ったらしくてな。以来、俺が作った飯を好んでくれているようで、仕事に行く前に差し入れに行くんだ。材料は気にしなくていいといったのに、持っていったバスケットにはいつも材料やら、素材やらが詰まってる。味の批評も詳しく述べてくれる。義理堅いところも、たまらなく可愛いんだが、何より可愛いのはシャイなところだな。一言二言交わすと扇でこう、口元を隠す。数秒見つめ合った後に、それではお仕事、行ってらっしゃいませ、と言われるんだが……ホントたまらんな!?いずれは、お帰りなさいませ、とか言われるわけだ、想像したら張り切っちまって、騎士団の鍛錬場の案山子が毎日倒れる倒れる。婚約してから一年で結婚の式を挙げて一緒に住むわけだが、もう心臓が持つ気がしない……助けてくれナインツ」
……嘘、というよりは酷い勘違いだが。
どこから突っ込めばいいのだろうか。
僕はこめかみに指を当てる。
「ダグラス。落ち着いて聞け、抜刀は無しだ」
「? ああ、そりゃ家なのに剣は抜かねえだろう。どうしたんだ?」
「初めに、確認だ。会話はいつも、本当に一言二言だけなのか?」
「ああ」
「よし、次に、お前が飯を作ってることを伝えたか?」
「さあ、覚えてないな」
「なんで一言二言なのに覚えてないんだ」
「もう三ヶ月も経ってんだぞ? 覚えてるわけねえだろ」
「そうだよ三ヶ月経ってるんだ、ダグラス、いいか、婚約者で三ヶ月毎日会っているのに、一言二言しか交わさないのはおかしいんだよ」
ユーラルディアには、アゴスティの家の情報も上がっている。その話によると、どうやらイザベラ嬢は、ダグラスが帰る度にピリピリとした空気を纏っているらしい。
僕の言葉に、ダグラスは口をへの字に曲げた。
「おかしいのか?」
「そりゃあな、普通なら、手ぐらい繋いでるし、休暇の時に遊びに行ったりするんだよ」
「遊びになら行ったぞ」
ふふん、とダグラスは得意気に笑ってみせた。
「剣技を教えてくれと頼まれたんだ。先月から、休暇の時は剣技の練習相手になってる」
僕ははあ、とため息をつく。
「それは遊びじゃない、稽古だ。利用されてるだけじゃないのか。ユーラルディアの情報によると、お前はまだ相当、嫌われてるぞ」
「…………本気で言ってるのか?」
「……おいおいだから立ち上がるな、剣を取りに行こうとするな単細胞!嘘を言うわけがないだろうが!」
途端に低い声で酔いなど知らぬとばかりに踵を返しそうになったダグラスの腕を掴んで止める。こういう所は、グランクヴィスト特有だろうか。感情の起伏がよく体に出る。
慌てて止めた僕を、ダグラスは獣のようなアンバーの瞳でじろりと睨みながら、腰を落ち着けた。
「お前の、事は信用してるが……今わかってる分を教えてくれ」
「……そうだな。イザベラ嬢は、まずお前が差し入れを作っている事を知らない。よほど良い料理人が居ると思っているようだな。それと、お前に渡している魔術具の素材が飯になって返ってくる事があって、たいそう驚いてるらしい。なんなら、希少な素材をよくもまあ…!と憤りも感じているとの報告が上がってる」
「……なるほどな」
「それから朝の会話についてだが、シャイなわけではなく、話したくないそうだ。会話が不愉快らしい。主な要因としては、お前の歯の浮いたような台詞に虫唾が走るとの事だ」
「唯一の婚約者に対して歯の浮いた台詞も言えないのか?」
「今までお前はハイデリヒの護衛騎士だったからな。向こうは、昔からお前が懸想してた、なんて話は信用していないみたいだ」
「はあ……」
「あと」
「まだあるのか?」
「剣技の話だが、これにはたいそう真面目に取り組んでいるらしい。今は専ら剣技に力を入れているみたいだな。お前の居ない時間は延々と素振りをしているそうだ。最初の頃は豆も知らぬような手だったのが、今は振る度に風を切る音が鳴るそうだ。使っているのはレイピアだが、一通りの剣は振れるように心掛けている、と……イザベラ嬢は相当な熱の入れようで、他にも剣技の師範を雇っているらしいぞ」
「なんだと?俺以外にか?」
「お前はレイピア使えるのか?」
「なんでも使える、槍でも、斧でも。包丁でも構わない。グランクヴィストは皆そうだ」
「へえ、そりゃ怖い……まあ取り敢えず、お前にレイピアの指導は頼んでないみたいだな。メインで使う剣なのに、お前に指導を頼まず別の流派に、って、お前、何したんだ?命でも狙われてるのか?」
ミュラキスハルツは武器の取り扱いの殆どがグランクヴィストの流派だが、一応他の流派も存在している。中級の詠唱を含めた魔法をメインに取り扱う流派や、グランクヴィストが使う身体強化の魔法を用いない流派など、それぞれで特記するようなスキルも確か存在していた筈だ。
「命?……ナインツの話で推測するなら、俺の歯の浮いたような台詞が不愉快なので排除したい、と、そういう事なんじゃあないのか?」
ダグラスの言葉に瞠目する。まさか自分からそう言うとは思わず、言葉に詰まると、ダグラスは状況の整理だ、と酒の瓶を傾けた。
「俺はてっきり、飯を俺が作ってるのは伝わってると思ってたんだ。イザベラ嬢に」
「……それはどうしてだ?」
「イザベラの側仕えのメアリーという女性が、俺に詳しく作り方を聞いてくるんだ。イザベラ嬢が席を外した時だとかに、興味津々といった顔でな。だからメアリーは、俺が作っていることを、必ず知っている」
「…………もしかすると」
「ん?」
「メアリーは、協力的なのかもしれないな。お前に。一見、お前は相当良い男だからな。別に悪い所はそうそう無いし、恐らく、歯の浮いた台詞がイザベラ嬢の機嫌を損ねて、イザベラ嬢にだけ毛嫌いされているんだろう」
「でも、婚約者ってのはそういうもんだろう?」
「間違っちゃいないが、イザベラ嬢はお前に対して、何か抱く想いがあるんだろうな。初対面ならまだしも、昔からお前はイザベラ嬢にことある事に声をかけてただろ」
そう言いながら、グラスを手に取る。カラン、と鳴った氷の音に、グラスを回した。
「気にかけて貰えると思うやつもいれば、それが迷惑だと思うやつも、居るってことか」
「そうだ。まあでも、側仕えか協力的なのは良かったな。恐らくその側仕えも、あえて作ったのがお前だと伝えてはいないんだろう」
「ああ、感謝しなければな。俺も口を滑らせないように気をつけよう。それから、ナインツ。素材の件だが、うちで魔術師を雇ってる事は、まだ漏れてないな?」
「そうだな。あの天才を囲ってるお前が、良い素材を逃すわけがないから、まあ余りで料理に回してるんだと思っていたが、それは継続して隠しておくか?」
「その方向で頼む。いくらあいつが才能に溢れていても、忌み子は反感の要因になりやすい。伝えるのは式を上げて、彼女が家に入ってからにするさ」
「騙し討ちのような手だな」
「仕方ないだろう、そればかりは両方とも、手放せないんだ。想い人を手に入れて終わりなんて、甲斐性がないにも程がある」
「まったく、ロマンチストのような言葉だな」
クック、と笑いながらグラスに口を受ける。喉を流れる果実酒が心地よかった。
ダグラスも一杯煽ると、楽しげな笑みを浮かべ、命か、とポツリと呟く。
「最愛の人に狙われるのも、悪くは無いな」
「……お前もしかしてマゾか?」
「違う。どちらかと言えばサドだ俺は。……例えば、彼女が俺をどうこうする為に力を付けたとしても、結果的に、それは彼女自身のの為になる。俺はそれの手助けをするだけだ。女性に強請られて、嫌な男はいない」
「その言い回しが不快なんじゃあないのか?騎士の道に反してはいないが、なまじ顔がウケやすいだけに、確かに、長年の目を通しても少しばかり軽薄に見える」
「おいおい、それだとまるで、俺が節操無しみたいじゃねえか」
「そう聞こえてしまうものは、どうしもうもないだろう」
「それはそうだが…………しかし、面白くねえなあ。師範は俺だけでいいだろうに」
「彼女にも思うところがあるんだろう?様々な視点から学ぶ姿勢は、君は嫌いじゃない筈だ」
ダグラスは頬付をついて、気だるげにバルコニーに視線を向ける。
「ああ、そうだとも。だからこれは、男の醜い、嫉妬だ」
呟くダグラスの表情に、にいつもの爽やかな笑顔は思い起こすことが出来ず、バルコニーから漂う夜風に、僕はそっと目を、細めた。
「しかし君のように一途な恋を、僕もしてみたいものだ」