悪役令嬢イザベラの見解
※イザベラ視点
腹わたで煮えくり返る、ダグラス・ゼパル・グランクヴィストへの念を一体どうしてくれよう。
出会いは随分と前の事だ。
幼少の、まだ言葉を充分に話すことも難しい頃、婚約者であったハイデリヒ王子に紹介を受けた。今も未来も王子であるハイデリヒだけを守る、護衛騎士だと。
凛々しく、男らしい顔立ちに驚いた。ミュラキスハルツ、もといレイバーバーグやアゴスティやユーラルディアにも、凛々しい顔立ちの男性は少ない。皆美しいと形容するのが正しいかのような線の細い美形、私はそれまで、人間とはそういうものだと思っていた。
グランクヴィスト、と名乗った騎士の家系の男は、私の前に跪いた。主君はハイデリヒであるだろうに、躊躇うことなく、まるで初めから私を捉えていたかのようなアンバーの瞳が私に向けられる。
頭を垂れると、さらりとしたダークブルーの髪が重力に従い額に落ちた。
『お初にお目にかかります。イザベラ嬢。我が主君の、最愛の姫君よ。私は貴女様のような、麗しい女性を今までに見たことがありません。どうか、その微笑みが失われぬよう、私に力添えをすることを許しては頂けませぬでしょうか』
遠回しに、告白されたのかと思った。
恋愛小説が好きな母に、このような、主君との間に芽生えるようなもどかしい話を、よく読み聞かせて貰っていたからだ。だから、そんな浅ましい勘違いをした。その時の私といえば、ただでさえ燃えるように赤い髪を持っているというのに、頬や耳まで真っ赤に染めていたのだ。
勿論、それをハイデリヒが快く思うわけがない。
わざとらしくハイデリヒが咳をしたのだが、ダグラスといえば止まることも無く、ニコリと笑みを携えて未だに私の前に跪いていたのだ。居た堪れなくなった私は、あたふたとハイデリヒに助けを求めた。どうしたらいいのかわからない。
『ダグラス、イザベラ嬢が困っている。もういいだろう』
『第一印象は肝心ですから。仰々しくなってしまい、すみません、イザベラ嬢』
『い、いえ……お気になさらないで』
姿勢を戻し、ハイデリヒの横に立ったダグラスに私はほっと息をついた。
――思い返せば、その日からずっと、ダグラス・ゼパル・グランクヴィストは不愉快な男だった。
事ある事に声をかけられ、時には強く説教を受けることだってあった。いくら婚約者の護衛騎士といえど、そこまで踏み込んでくるのか、というぐらいに、ダグラスはイザベラのやる事に口を出してくるのだ。
それに対して、いつも、ハイデリヒが良い顔をしない。まるで所有物を取られたような顔をするのだ。普段のハイデリヒは、終始貼り付けたような笑顔を浮かべているというのに、ダグラスと居る時は、年相応の表情をする。
とは言っても、どちらも三つ年上の男。
心情は悟らせないとばかりに、何かの裏の思惑がある筈なのに、本意がどこを向いているのか、それをひた隠しにしている。
イザベラはそれが気に食わなかった。
大事に扱われていることは理解出来た。ハイデリヒの配慮も、婚約者なりに、丁寧なものだった。
けれど自分にぐらいは、婚約者には隠さずとも良いのではないかと、ダグラスとハイデリヒの関係を見ていて思うのだ。そこにダグラスが居なければ、こんな焦燥を抱かずに済んだのだろう。ハイデリヒの素顔を、知ることもなかったのだろう。
決して踏み込ませないとばかりに目の前に立ちはだかるダグラスが、イザベラは嫌いだった。
人の目を惹くダークブルーの髪も。射抜かれるとどうしようもないぐらいに身体の芯まで震えるような、アンバーの瞳も。グランクヴィストの名に恥じぬ、正当なる長男、そしてハイデリヒの隣に立つべく努力を怠らぬその身体。そんな男が、ハイデリヒの前でハイデリヒよりも自分を丁重に扱う。
グランクヴィストは皆、剣術に長けている反面、魔術には疎く言葉が粗野な所がある。脳筋家系グランクヴィストと言われる中でも、ダグラスだけは、魔術の成績も、また人への対応も驚く程に良かった。
誰にでも優しく、また気さくで、爽やかな笑みを崩さない。時折、男らしく武で相手を制する時は、不敵な顔で色気を振り撒くのである。
イザベラがハイデリヒの婚約者である事、ダグラスがハイデリヒの護衛騎士であることから、イザベラの周りには人がいつも寄ってくる。ダグラスにお近づきになりたいと、その思惑にもへとへとになるぐらい、付き合わされた。
ロレーヌという敵が現れ、まるで自分の居場所を取られたように攻撃していた時も、ハイデリヒの護衛騎士であるダグラスは止めることはしなかった。昔は何かとイザベラのやる事に口を出していた癖に、今度は本当に危ない時にだけ声をかけるに留まった。明らかにわかる、よそよそしい優しさから来るその声が、煩わしくて仕方なかった。『婚約者の護衛騎士だと言うのなら、私の命令を聞きなさい』と突き放すように言った時だって、ダグラスは『私はイザベラ嬢の命令を聞く存在ではありません』と、人好きのする笑みで応えたのである。
微笑みが失われぬよう、力添えを許してくれと言ったのは、誰なのだ。
私を、私の居場所を守ってくれるのは、ダグラスではないのか。
半ば諦めにも似た感情で、私はハイデリヒの婚約解消の申し出を受けた。修道院にでも送り飛ばせばいい。そうすれば、二度と目にかかること無く、私は心の安寧を得られる。
――そう思っていたというのに、ダグラス・ゼパル・グランクヴィストは、最後の最後で私に婚姻を申し込んだのだ。
本当に、本当に不愉快な男だ。
いつまで私に嫌がらせをするつもりなのか。いつまで、私をハイデリヒと、貴方に、関わらせるつもりなのだろう。婚約者という立場は酷く疲れる。ハイデリヒよりも人気のあるダグラスとなれば、真実を知る者が社交界への出席の禁止などの制約で全く居らぬとはいえ、もっと疲れることに違いない。私は、もう懲り懲りなのだ。このまま捨て置いて、どうかひっそりと暮らしたかった。誰に零せるわけもないそんな弱音を、私は、爛れそうになる喉に飲み込んだ。
「――いったい、どういうおつもりかしら?」
アゴスティの屋敷に訪れたダグラスは、騎士団の制服に身を包んでいた。
護衛騎士は白の軍服、国に常駐している騎士団の軍服は、グランクヴィストと同じダークブルーである。ハイデリヒの護衛騎士から、外れたのだろうか。あんなにも仲が良かったのに、一体何が起きているのだろうか。
脇に抱えたバスケットを、私の目の前の机の上に置いて、爽やかな笑顔でダグラスは言った。
「あまり食べられていないそうなので見舞いの品です。甘いものがお好きなのは存じておりますので、デザートにと少し添えさせて頂きました」
「そういう意味ではありませんわ、グランクヴィスト卿。回りくどい言い方をしても伝わらないかと思います。はっきりとお伝えすることを、お許しくださいませ」
「さて、なんの事でしょうか?」
不思議そうに小首を傾げる男に、内心で舌打ちをした。パシンと強く扇子を閉じて、冷えきった声色で私は口を開く。
「わたくしと婚約するなんて、何を企んでいるのかしら?昔から、あなたはいつも、本音を隠して来られた。含みのある視線を何度も向けられれば、気付かないわたくしではありませんわ」
「それは良かった。私の気持ちは伝わっていたのですね。隠すことが下手な性分ですので、少し期待していたのですが、ええ、イザベラ嬢のお考えの通りでございます。私は幼少の、あの日よりもずっと前から――貴女様だけを、お慕いしておりました」
「…………は?」
何を言っているのだ、この男は?
「この後に及んで、愉快には程通い冗談で白を切るおつもりかしら……?」
わなわなと唇が怒りから震える。人を小馬鹿にしているのだろうか。
「冗談?いいえ、神に誓って、私はイザベラ嬢だけを、お慕いしております。真紅の髪は、まるで燃え立つ――「帰って頂けるかしら?」……イザベラ嬢?」
並び立った歯の浮いたような台詞に、流石にもう我慢が出来なかった。不愉快にも程がある。話にならないではないか。主君の婚約者であった女に対して、女性を褒める文句が簡単に飛び出す様など、利用することに長けた証に他ならない。……これ程まで、ダグラスが最低な男だとは思いもしなかった。
「お帰り下さいませ、ダグラス・ゼパル・グランクヴィスト」
有無を言わさぬ笑みで、私はダグラスを追い返した。
ダグラスが屋敷を出て、ああもう、と唸り声を上げて私は椅子に品もなく座った。側仕えが冷たいハーブティーを持ってくる。荒ぶる心を抑える時に、ミュラキスハルツでよく飲まれるものだ。グビりとそれを飲み込んで、私は勢い良く口を開いた。
「本当に、腹立たしいわあの男!」
「聞こえてしまいますよ、イザベラ様」
「聞こえて結構よ、何を企んでいるのかしら、ああ、思惑を隠そうともしないあの顔を見た?私は侮られているのよ。三つも下の女だからと、褒め言葉を並べ立て誤魔化せると本気で思っているのよ!」
側仕えのメアリーがそうですねえ、と適当な相槌を打つ。私の愚痴には慣れている彼女は、素知らぬ顔でダグラスの持ってきたバスケットの中身を覗いている。
「メアリー!そんなもの捨ててきなさい!目障りよ!」
「ええ、見てくださいイザベラ様、このサンドウィッチ!プレーク鳥ですかね……見るからにジューシーで、火加減も素晴らしいです。サンドウィッチの定番といえば、堅いバゲットに栄養価の高いビオスタ牛ですけれど、希少なプレーク鳥は、あっさりとした口当たりながら、旨みは非常に強いものです。サンドウィッチの形状であるのに、ふわりとした朝食用のパン、挟まれているのは……ああ、これも素晴らしいです!千切りにされたグオジスの実!弾けるような酸味と、プレーク鳥に塗られた香辛料が混ざり合い、たまらないハーモニーですわ!添え物に季節の野菜のポタージュ、濃厚ながら、くどくない味に、グランクヴィスト卿のご配慮を感じます……」
「ちょっと何食べてるのよ!?」
モグモグとサンドウィッチを食べ始めた側仕えに目が点になる。そういえば、メアリーはおいしいものに目がないのだった……と内心で後悔しつつ、捨てろと仰ったものですから私の口に捨てておりますと笑顔を向けてくるメアリーに、私はため息をついた。
「あなたがそこまで言うならよほど美味しいのかしら……」
「僭越ながら、このメアリー、今までに食べた食事の中で一番……いえ、イザベラ様に是非ともこちらは食して頂きたいのです」
「毒の可能性を、と聞きたかったのですけれど」
「これが毒なら本望でございます……!」
ある意味、一番の毒ですかね!と両手を握りキラキラとした笑顔で言うものだから、私は肩から力を抜いた。
「……寄越しなさい。一口でいいわ、もしも、また顔を出して来た時に、返事ができないのは落ち度になってしまうもの」
メアリーはささっと側仕えらしくカトラリーを持ち出して、一口分のサンドウィッチを皿に乗せた。椅子に座り直した私は、ぱくりとそれを口に入れる。
……確かに、メアリーが絶賛するぐらいには、美味しいわ。
私があまり食事を口にしていないということを踏まえて、これを用意したのだというダグラスの心遣いは、まさしく紳士たる行いだ。食欲をそそる香りと、重くはない食材、胃に非常に優しく、また私の好みを捉えている。
歯の浮くような、安い台詞を並べ立てた浅はかな思惑を持った男とは……到底思えない。
「デザートはアップルベリーのゼリーですね!キラキラと輝く真っ赤な色彩…まるでイザベラ様の髪のようです」
「……この場にグランクヴィスト卿が居たら、言いそうな台詞ね」
メアリーが目を輝かせて取り出したゼリーは、氷結の魔道具に入っていたようだ。決して安いものではないというのに、わざわざ、こんなものまで用意をしているなんて。
「よほど、酷い企みでもあるのかしら」
呟いた言葉を遮るように、メアリーがコトリとゼリーを並べ立て置いた。この側仕えは、最早毒味をする気もないらしい。
「毒味してくださらないの?」
「グランクヴィスト卿からですもの。何を警戒する必要があるのでしょうか?さあ、お食べになってください」
「あの男だからこそ、よ……ちょっと……メア……ああもう、わかったから押し付けないでくれるかしら!?」
いいから食えとカトラリーを突き出され、私は嫌々それを手に取った。
二層になっているゼリーは沢山の果実が入った上の層の方が割合が多い。ゴロゴロと他にもルービットやミンティアが散りばめられている。香りを楽しんで、口の中を潤す癒しの食感だ。そしてその下の層をすくうと、アップルベリーを濃縮した鮮烈な赤色――がじんわりと口に広がる。
「……………………好きよこれ」
「お伝えしておきます」
「伝えなくて結構よ!?今のは戯れ言ですから忘れなさい」
慌ててパクパクとゼリーを食べるのだが、その美味しさに打ち震えてしまう。甘みの具合も、酸味も、全てが私の好みである。
「なんて良い料理人を雇っているのかしら……」
婚約の約束通り、結婚すればこの料理人の料理が毎日のように食べれる。それだけは、少しばかり婚約に対して快く思ってしまいそうになるぐらいには、ダグラスの見舞いの品にしてやられてしまった。
「貰ったままでは、借りを作ることになるわ。素材を用意しなさい、メアリー」
「畏まりましたイザベラ様」
全てを食べ終わり、メアリーに用意させた魔術具の素材をポイポイとバスケットに放り込んでいく。あの男の成績が優秀とはいえ、魔術具の名門アゴスティの英知の詰まったこの素材を使いこなせるかしら?という意趣返しを含めている。
ダグラスから差し出されたサンドウィッチの食材も、安くはない代物だ。借りを作ったままになるのは、忍びないのである。
……それにきっと、こういった事を、あの男は望んでいるのではないかしら。
魔道具に特化したアゴスティの知恵が無ければ、これらの素材を使いこなすことはできないだろうが、私を手に入れればそれも難しくはない。
アゴスティの名前か、血統か――その、目的はわからない。不愉快なあの態度も、無論気に食わない。けれど、借りを作ったままというのは、私の信条が許さないのだ。
何を考えているのか知らないが、憤っていても仕方の無いことだ。
私は素材の詰まったバスケットを、そっと撫でる。
「……必ず、婚約という借りは返しますわ。わたくしのプライドを傷つけた貴方様に置かれましては、どうかその思惑が、達成できぬよう、このイザベラ力の限り助力させて頂きます」
全力を捧げ排除してやろうではないか。ダグラス・ゼパル・グランクヴィスト。
幼き頃に生まれた私の信頼を、裏切った罪は重くってよ。
ダグラスの斜め上を行くチョロ胃イザベラ嬢