第7話
「ハナさん。朝のお支度の時間ですよ」
マリーネさんが、ノックの音と共に部屋に入ってきてカーテンを開ける。
日差しが眩しくて布団の中に潜り込むと、マリーネさんがクスクスと笑っているのが聞えた。
「まだ、お眠りになられるのなら、このまま退出いたしますけど」
お腹は空いてない。なにもする気が起きない。身体だるい。
「うん、ごめんなさい。お腹空いてません。身体もだるいし」
「そうですか・・・・。では、サイアス様にそのようにお伝えしますね」
「お願いします」
マリーネさんが出て行った後、ベットから出てサイドテーブルに置いてあった水差しから、コップに水を注いで一気飲みする。美味しい。合宿で行った高原の自然水を思い出した。
窓から外を眺めると、遠くに雪を被った山脈が見えた。山脈からこのお屋敷までどのくらいあるのだろう。森をはさんでかなりの距離がありそうだ。街やお城は見えない。方角が違うのかな。
屋敷の外に視線を移すと、きれいに手入れされた庭園が目に入って来た。植木の形は整えられて均等に並び、小さな花をつけた低木を囲んでいる。
季節は秋なのだろう、屋敷を囲む木々の葉が赤く色づいている。人工的な植物の配列に植物園を思い出した。植物園の中の大きなお屋敷、遠くには森や山脈か・・・・。建物が隙間なく並んだ住宅街や、車の行き交う街の喧騒を思い出して溜め息が漏れた。
そっとカーテンを引いて、ベットに戻り横になった。
なにも考えたくない・・・・。
帰れるとは思ってるけど、外を見ると現実に落胆せざるを得なくなる。自分の世界と違った景色を突きつけられて平静でいられるわけがないよ。
早くも昨夜の意志が揺らいでいた。
何時頃だろう。ノックの音で目覚めると、マリーネさんが洗面器とタオルを持って入って来た。
「ハナさん! セイン・セオドア様がいらしゃいました」
「セインさん? 王城の医師だよね」
「えぇ、ハナさんの体調が良くないようだからと、サイアス様に言われて往診に来て下さったようです」
マリーネさんは、私に洗面を促し、手際よくドレスに着替えさせながら話す。
「体調は悪くないんだ。気持ちの問題・・・・」
呟く私の背に手を添えて、マリーネさんは応接室まで案内してくれた。
「やぁ、ハナちゃん。調子が良くないって? どこか痛いの? 気分悪い?」
セインさんは、相変わらずキラキラしい容貌で長い脚を組み、ゆったりとソファに座っていた。
「調子は悪くないです。気持ちの問題」
「まぁ、そんなことだと思ったよ。サイアス君が深刻な顔して『朝食を摂らないんだ。看に行ってくれ』って言うんだよ。突然環境が代わっちゃった女の子が、朝からガツガツ食べるわけないじゃない。ねぇ」
セインさんは苦笑している。本当だよ。どれだけ私の食い意地が張っていると思っているんだ。サイアスさんは。
「じゃ、庭で遅い朝食にしようか。マリーネ、準備できるかな」
「かしこまりました」
マリーネさんは、朝食の準備をすべく、急ぎ足で厨房の方に行ってしまった。ご飯なんて食べる気しないんだけど。
暫くセインさんと話していると、マリーネさんがバスケットを持ってきた。中には丸いパンに具材をはさんだサンドイッチと、果物が入っている。水筒もある。ピクニックみたいだ。どこにいくんだろう。僅かに心が弾む。
「さぁ、行こうか」
セインさんの言葉に頷いて、私たちは部屋を後にした。
「ラインシート家の庭園はね。王都でも指折りの名園なんだよ。伯爵が戻るとよく夜会が開かれて、華やかだよ」
セインさんの言葉に周囲を見渡しながら歩く。確かにいろんな植え込みや垣根が整備されてて、春になればたくさんの花が咲いて綺麗だろうな。夜会か、映画でしかみたことないよ。ほんと、遠いところにきたんだな。私。
噴水のある小さな広場に着くと、セインさんは敷物を広げてバスケットを開けた。
「ラインシート家の料理長の腕はいいからね。何を食べても美味しいんだ。いいよねー、ラインシート家。庭は広くて綺麗だし、料理は美味しいし。ぼくも住みたいよ」
セインさんが私に紙に包んだサンドイッチを差し出す。受け取るけど、食は進まない。
「ハナちゃん、今は色々考えても仕方ないよ」
「・・・・」
「君ってすごく強いし、強気な言葉も出るって聞いたよ。ニールの件ね」
あっ、それは。つい顔が赤くなる。自分が怒り易い性格だっていうのは充分わかってるんだよね。ニールの件は反省しているんだ。いくらなんでも、気にしている部分を指摘するんじゃなかった。
「ニールさんは、大丈夫なんでしょうか」
「あぁ、団長がとりなして。今は普通に勤務することができてるよ」
それを聞いて、ホッとする。
「ハナちゃん、こんな異常な事態に強く居続けろって言うつもりはないけど・・・・。君は芯の強い子だと思う。違うかな? いつになるかわからないけど、帰れるまで、ここで長期旅行でもしていると思って、開き直って暮らしていくってのはどうだろう」
セインさんは話しながら、サンドイッチを手に優しい笑顔で、私に水筒を渡してくれる。
鳥が甲高い声で鳴いている。風が吹いて、木々がざわめいた。
「この国は広いし、面白いよ。監視の眼が緩くなったら国内を旅したらいいよ。ラインシート家の暮らしが苦痛だと思うなら、街におりて暮らしてもいいんじゃないかな。自由にのびのびと君らしく暮らしていけばいい」
「私らしく?」
「そう、くずぐす悩むのは本当は好きじゃないんじゃない」
セインさんは、私の顔をみてクスリと笑った。
そうだった。私は難しいことを考えたり、いつまでもくよくよ悩むのなんて好きじゃない。セインさんの言う通りだ、開き直りも大切だ。この国にたった一人だ、異世界に一人だって孤独に感じてたけど、言葉の通じる人たちがいるじゃないか。監視対象としてだけど、私のことを考えてくれる人がいるじゃないか。やめた、やめた。セインさんの言う通り自由に私らしく生きて行こう。そうだ旅行だ! 長期旅行!
「あぁ、お腹空いた」
私がガブリとサンドイッチにかぶりつくと、セインさんがクスッと笑ったのが聞えた。
「ありがとう、セインさん」
「ハナちゃんには、笑顔が似合うね」
セインさんがニッコリ微笑む。セインさんは中性的で、あまり男性を感じない。なんだかなんでも話せるお姉さんができたみたいで嬉しくなった。
「でも、セインさん。異世界人なんて、怪しいじゃないですか。どうして生かしておくの?」
私はサンドイッチをもぐもぐと食べながら聞いた。
「何百年か前の、異世界人がこの国に貢献してくれたからね。自国の知識をこの国に活かしてくれたんだよよ。それ以来、異世界人は保護して国に有益な情報や知識を持っていないか見極めるんだ」
「私、何の知識も持ってないよ」
「まぁ、そんなに役立ってくれる異世界人は稀だよ。保護期間内に害意のない人物だと分かれば、この国の国民として普通に生きていくことが可能だよ。実際、そういう異世界人もいたらしい。勿論、そんないい異世界人ばかりじゃなかったけどね。中には反抗的な異世界人もいて・・・・彼らの末路は悲惨だったね」
「うーっ」
セインさんの話に鳥肌が立った。私は平凡な人間だ、知識なんてないし、この国に貢献なんてできないよ。でも害意はないから街で暮らすことは可能かな。
「ハナちゃんには体術があるでしょ」
「あぁ、そっか。空手という特技があった」
思わず声に出た。小学2年生の頃に始めて約12年。まぁ、それなりに人に教えることもできるだろう。
「いい考えでしょ」
セインさんがニッと笑った。
「はいっ!」
私もニッと笑って返した。
「じゃあ、十分元気だってサイアス君に伝えておくね」
「ありがとうございます」
セインさんは食事を終えると王城に帰って行った。
私は彼を見送った後、マリーネさんにお屋敷の中を案内してもらうことにした。