第6話
読んで頂きありがとうございます。
今回は、サイアスさん視点です。
「入れ替わりか・・・・」
ベットサイドのランプの灯を消し、横になると思わず言葉が漏れた。
医務室で覚醒してからのハナの様子を思い返す。
ジャックと共に部屋を訪れると、ハナは悲痛な声をあげてグラシア男爵の肩を掴んで激しく揺すっていた。突然自分の世界から、家族から切り離されてどれほど苦しく、不安だろうか。その表情は非常に切迫しており、見る者の胸を抉った。
男爵の肩を強く揺するハナの手に、自分の手を重ねて彼女の行動を制した。小さな手が、私の手の下で小刻みに震えており、不安や絶望が伝わって来る。彼女が、私の瞳を真っすぐに見つめてきたので、見つめ返すとその瞳の闇は深かった。この時なぜか、この暗闇を少しでも明るくしたい、光を届けたいと思った。
ジャックは、始めからハナを保護するつもりは無かったのだろう。私に保護を命じてきた。団長命令ではあるが、引き受けたくはなかった。屋敷に帰ってきても彼女の顔を見れば仕事をしている気分になってしまうし、保護と言っても監視だ。気が滅入る。
しかし、ジャックの屋敷には必要最低限の使用人しかいない。監視場所には適せず、また女性の世話など出来る者がいないのも充分に理解していたので引き受けざるを得なかった。
約束通り、ジャックには全ての緊急呼び出しに対応してもらおう。つい、口角が緩んだ。
登城には馬を使っていたが、今日はハナを連れ帰るため、馬は侍従のガルトに任せて馬車で帰宅することとなった。
ハナは目を閉じ、黙ったまま椅子にもたれかかっていた。私は、かける言葉も見つからず黙って車窓を眺めたが、周囲は闇に包まれており何も見えなかった。彼女は何を考えていたのだろう。ニホンのことか、これからのことか。
屋敷に着くと建物にとても驚いたようで城かと聞いてきた。
異世界では平民だと言っていたが、教育体制はこの世界より確立しているようで、大学生だと言っていた。
十年以上も教育を受けられる平民などこの世界にはいない。彼女の知識はどれほどのものなのだろうか。とても興味深い。
屋敷での彼女の生活は、執事のツイルと侍女頭のマリーネに頼むことにした。ツイルは騎士を多く輩出する家柄の出で、監視役としても十分に働いてくれるだろう。マリーネは私が幼少の頃から屋敷に勤めており、心根がとても優しい女性だ。ハナにも母親のように、優しく関わってくれるはずだ。ハナには、そういった人物が身近にいることが必要だと思った。
屋敷には、私の両親を慕って長く勤務してくれている者が多い。皆、穏やかで、勤勉で明るく、柔軟な対応ができる人柄なので、ハナを受け入れ、親身に関わってくれるだろう。
食事に現れたハナを見て驚いた。ローゼが少女の頃に着ていたドレスが似合っており、とても可愛らしかったのだ。あのカシャカシャと音を立てる黒の上下が、ドレスへと変化した効果はすごい。アリシア姫が、衣服を替えれば可愛く見えるだろうと言っていたが、あながち間違いではなかったわけだ。
事情聴取でアリシア姫と同年齢と聞いて驚いたが、こうして着飾れば幾分幼い感じはするが、年相応に見えなくもない。ドレスに映える艶やかな黒髪、大きな黒い瞳と健康的な象牙色の肌、薄桃色の頬と唇は社交界の令嬢たちと比較しても遜色ないと思えた。
食事の最中に泣き出したハナに対し、どうしてよいかわからなくなった。
自分の世界に帰りたいという強い想い。当たり前だ、私だって同じ立場になったら不安と恐怖でどうにかなってしまうだろう。元の場所に帰りたいと強く願って止まないはずだ。
彼女の気持ちを落ち着けようと、帰れることを期待させるような言葉を発してしまった。方法もわからず、可能性はゼロに近いのに・・・・。罪悪感を感じる。
食後自室に戻り、書類の整理をしていると、ツイルとマリーネが報告にやって来た。
「ハナさんはお休みになりました。お疲れのようですが、気持ちは概ね安定しているようで、泣いたり喚いたりすることもありませんでした」
マリーネが、僅かに眉根を寄せて話す。
「監視との命もあるので十分に注意して観察させて頂きましたが、今のところ怪しげな動きはありません。自室に入ったきり出てくる様子もありません。念のため不寝番を付けましょうか」
ツイルは、早速監視役を実施してくれているようだ。夜間に不審な動きをしたり、屋敷を出て行ってしまう可能性もあるため、不寝番は必要だろう。
「そうだな。とりあえず1週間でいい。彼女の部屋の前に不寝番を付けてくれ」
「サイアス様、ハナさんにそんなものは必要ないと思いますけど」
不寝番の話が出た頃から、マリーネは顔を顰めていた。
「話した時間は長くはありませんが、ハナさんは普通の素直なお嬢様だと思いますよ」
「そうかもしれないが、念のためだよ、マリーネ。おそらく数日もすれば、彼女はなんの害意もないただの女性だということがわかるだろうからね」
私の言葉にマリーネはほっとしたように微笑んだ。
「ハナさんって、とても面白いんですの」
マリーネは笑いながら、ハナに屋敷で生活する上での注意事項やこの世界での女性の習慣などについて説明した時のことを聞かせてくれた。
ハナのいたニホンは、この世界より便利で平和だと言っていた。ここでの生活はハナにとって不便だろうし、習慣も奇異なものなのだろう。
「一つ一つにとても驚かれて、こぼれんばかりに目を見開かれて、突拍子もない質問をなさるんですの。本当に違う世界からいらっしゃったのですね・・・・。お可哀想」
ハナは僅かな時間で、マリーネの心の中に居場所を得たようだ。
「サイアス様、彼女は見たこともない体術を使うとか」
どこから聞きつけたのか、ツイルの情報網は侮れない。つい苦笑いしてしまう。
「あぁ、流れるような動作で騎士の剣を落としていたな」
「それは、ぜひ見たいです。ハナさんが落ち着いたら教えてもらってもよいでしょうか」
ツイルが目を輝かせる。さすが、武門の出だ。
「それは構わないが・・・・ハナの許可をとってくれ。あまり、向こうの世界を思い出すようなことはしたくないかもしれなからな」
私の言葉にツイルもマリーネも頷いた。
おかしなものだ。異世界人など不審極まりないのに、彼女はこの2人の信頼を勝ち得えている。
そういう私もすでに、彼女はなんの力も悪意もないただの少女だと信じているのだが。
ハナが願い通り、ナナと入れ替わり自分の世界に帰ることができればいいが・・・・。
ナナはなぜハナに謝ったのだろう。
ナナはアリシア姫の毒殺未遂事件の際に、毒の入ったスープを運んだ侍女だ。彼女が毒を盛っていないことは証明されたが、事件を気に病んで自ら毒見役をかってでていた。しかし、最近では毒見に対し恐怖感を抱くようになって精神的に不安定だと聞いていた。姫や周囲の者が、毒見役から降りるように言っても聞かず続けていたらしい。毒見をしなくてはならない、だが食物を口にすることが怖いという状況では、不安定にもなるだろう。だが、それとハナとの入れ替わりにどういった関係があるのだろう。
いくら考えてもわからず、私はいつの間にか深い眠りに落ちていた。