第10話
読んで頂きありがとうございます。
今回の話は、サイアスさんの視点で進みます。
ハナが屋敷に来て1週間。屋敷に帰るのが恐ろしくもあり、少し楽しみでもある状況が続いている。
2日目には得体のしれないトンジルを食べさせられ、3日目には楽しそうに空手をする彼女にホッとし、4日目には厩で寝ているのを部屋まで運んだ。
「サイアス様、昼間ハナさんに乗馬を教えたところ、牝馬のエリンを気にいったようで、友好を深めたいから、厩の飼い葉の上で眠ると言い張っているのです」
屋敷に戻るとツイルが溜め息をついて私を出迎えた。ツイルの表情には疲労が見て取れる。ハナが何かを強く主張することなど、今までなかったのだが、なにがそうさせているのか。ツイルと共に厩に向かった。
エリンの馬房の前には牧草が積み重なり、シーツが敷かれた上に寝転んでいる人影が見えた。声を掛けようと一歩足を踏み出した所でハナの声が聞えた。
「馬は私の世界と一緒だね。こうしてるとここが異世界だなんて思えないよ。日本だったらいいのに・・・・早く帰りたい」
ハナの元気な様子を見て安心していたが、私は彼女の何を見ていたのだろう。そう簡単に新たな環境に慣れるわけがないのだ。気持ちも未だ不安定なのだろう。私とツイルは馬番に彼女を見守るよう言いつけ、厩を後にした。
夜更けに厩を訪れるとハナは飼い葉の中で眠り込んでいた。目元から頬には涙の伝った痕がみられる。そっと抱き上げ毛布でくるみ、部屋に連れていく。途中でツイルが代わると言ってきたが、なぜかハナのぬくもりを手放すのが惜しくてそのまま部屋に運んだ。
5日目。ハナと少し話をしようと早めに帰宅すると、彼女は庭師とともに春に向けて球根の植え替えをしている最中だった。手も顔も泥だらけにしながら作業に没頭している。使用人と共に働くことはしなくていいと言ってあるのだが、ハナには身分という概念が薄いらしい。それにしても、いつの間に庭師と仲良くなったのだろう。「カッセルさん」「ハナ嬢ちゃん」と呼び合っている。少し気難しいカッセルをどう説得して、作業を一緒にするようになったのだろう。
ハナは私の姿に気づくと、慌てて立ち上がり「おかえりなさいませ」と笑顔を浮かべた。頬の泥を拭ってやると驚いて飛ぶように後ずさる。なんだか小さな動物のようで面白い。
6日目。この日は特に大変だった。
帰宅すると庭園の噴水の台座がずれてきており、修理の必要があるとのことでツイルと共に噴水に向かうことになった。台座がずれるような強風や地震などなかったが。何が原因なのか。
噴水に近づくにつれ歌のようなものが聞える。不審者か。ツイルと共に身構え近づくと、なんとハナが下着姿で水浴びをしていた。
「・・・ツイル・・・。タオルを・・・」
「はい」
ツイルはため息をついて屋敷に向かった。
「ハナ、何をしているんだ」
「うわっ、サイアス様!」
私を見て棒立ちになったハナの肢体が思わず目に入る。水に濡れた髪や普段であれば身体の線を隠すような下着は、水を含んで彼女の身体にピタリと張り付いていた。凹凸が少ない少女のような体型だと思っていたハナの意外な曲線に驚く。
「マリーネに、この世界の女性の習慣について聞いていなかったのか」
「聞いてます。でも、裸じゃなければいいかなと思って」
「下着姿は裸と一緒だ!」
「このくらい水着で水浴びしているようなものなのに・・・・」
ハナは口を尖らせる。ミズギとはなんだろう。
「とにかく出なさい。もう秋の終わりだ。寒いだろう」
私の言葉にハナは噴水から出て近づいてくる。いや、ちょっと待て、どこを見れば。いやいや、顔を見ればいいんだ、顔を。
背後にツイルの気配がしたので、私は黙って手を伸ばしタオルを受け取った。はっ、このままではツイルにまでハナの身体が見えてしまう。ダメだ。ダメだ。
「ツイル、後ろを」
「はい」
ハナの姿が目に入らないように背を向けたツイルに、つい安堵のため息が漏れる。どうしてこんなに焦っているんだろう。ツイルじゃないか。ハナの下着姿など多少見えても、なんとも思わないはずだろうに。
私の前に立ったハナをタオルで包む。
「理由は。こんな寒いのに水浴びもないだろう」
「寒くはないです。めいっぱい走った後に入ったから・・・・」
「そうではなくて、水浴びの理由だ」
「・・・・この世界ではお湯に入るのが大変だってことに気づいたんです。何人もの人の手がかかって。それを毎日なんて言えなくて・・・。それで、いい考えかなって思ったんだけど。ハッ、クシュ。なんか寒い」
ハナが震え始めた。使用人の手間など考えなくても・・・・。彼らにとってはそれが仕事なのだから。私はため息をつき、黙ってハナを抱き上げた。
「うわっ、あの降ろして下さい。歩けます」
ハナがバタバタと手足を動かす。
「屋敷内を水浸しにする気か」
「う、すみません。クシュ」
話している間もハナの身体は小刻みに震えていた。
「ツイル、お湯を」
「はい」
ツイルはため息をついて、屋敷に走って行った。
「余計に手間をかけさせただろう。今度からはこんな浅慮せずに使用人たちに頼みなさい」
「ふぁい。フッ、クシュ」
ハナの身柄を浴室に控えていたマリーネに渡す。明かりの下で見るハナの顔色はとても悪かった。彼女はお湯で温まった後は食事も摂らずに寝てしまったと報告を受けた。
翌日、案の定ハナは熱を出した。
登城しセインに事の次第を話して往診を頼んだ。
「ほんと、ハナちゃんって面白いね」
「面白いなんてものではない。毎日、気が休まる時がない」
「そんなこと言って、あんまり迷惑そうじゃないよ。サイアス君って、表情少なくて何考えてるかわからないって感じだったけど、ハナちゃんと関わるようになって表情豊かになったね。毎日楽しそうな雰囲気醸し出してるよ」
「やめてくれ・・・」
ため息をついて医務室を後にした。
「どうだ、あの異世界人は」
執務室に着くとジャックが聞いてくる。ジャックには連日ハナのことを報告しているが、報告を受ける度に彼は大声で笑う。
「今回はひでぇな。手に余るようだったら、王城で引き取ってもらうか」
ジャックの言葉にドキリとする。なぜだ? ハナのいない屋敷は静かで面倒事なんてないのだろうが。
「いえ、彼女はやっと屋敷の者たちに慣れてきたところです。ここで環境を変えてしまうのもかわいそうですし、屋敷の者たちも寂しがるでしょう」
まだ1週間だ。環境を頻繁に変えることは彼女にとって適切とは思えない。そう考えて返事をする。
「ふーん、屋敷の者がねぇ。まぁ、お前がそれでいいってなら、いいだろう」
なぜか、ジャックがニヤリと笑って言った。
屋敷に戻りハナの様子を聞くと、熱は下がってきているが、まだベットの中とのことだった。マリーネと共に部屋を訪れると、ハナは寝息をたてて眠っていた。顔がまだ少し赤く、頬に触れると熱く感じた。
「ハナ・・・・。君が寝ていると張り合いがないな」
私は呟いて、彼女の髪をそっと撫でた。セインの言う通り元気なハナがいないと楽しくない。一人で摂る夕食も味気ない。
私が自室に戻った後、
「ねぇ、ツイル。サイアス様ってハナさんに・・・・」
「えぇ、惹かれているでしょうね。だいぶ、緩んだ表情をするようになりましたからね」
「緩んだ・・・・。そうとも言うけど。甘くて優しい顔を向けるわよね」
「独占欲もあるようですよ」
「えっ」
「一昨日はハナを運ぶのにご自分ひとりで対応したし、昨日はハナの水浸しの身体を私に見られるのを嫌がっているようでした」
「まぁ」
「サイアス様はまだ自覚はされていないようですが、今後が楽しみです」
「ツイル、人が悪いわよ。ハナさんだったら、サイアス様の心を動かすことができるのかしら。でも、身分とかハナさんの帰りたいって気持ちとか問題は多いわね」
ツイルとマリーネがこんな話をしていることをだいぶ後で知った。




