星の落ちた夜
ある夜のこと。
ぽっかりと浮かぶ雲の陰で――細い月の弦からぽろりとこぼれ落ちるように、ちいさいちいさい、けれどひときわ元気に輝く星の子が生まれました。
月も星も雲も、星の子の誕生を祝って輝きます。
それから優しく星の子に空の理を教えました。
月も星も一晩かけて、ゆっくり空を一周するのだと。
星の子はもっともっと空中を飛び回りたくてウズウズしていましたが、母である月に見守られておとなしく――落ち着きなくキョロキョロしてはいましたが――空を一回りしました。
さて、次の夜は新月の夜でした。
月明かりのない夜、藍色の空は銀の砂をまいたように数え切れない星々だけのものになります。
数え切れないほどの星々の中でもひときわ元気に輝く星の子は、ゆっくり一晩かけて空を一周するなんてじれったくて仕方ありません。ついにはぴょんっと自分の居場所を飛び出して、ぐるぐると空を走ったり跳ねたり大はしゃぎをはじめました。ペガサス座に注意されてもオリオン座に怒られてもおかまいなしです。
「こらっ! お主は星の宿命をなんと心得るか!!」
「へへ~ん、知らないよ~だっ!」
じっと動かない北極星がぴしゃりと叱りつけても、星の子はぴょいとこぐま座を飛び越えて逃げようとして――うっかり、空から落ちてしまいました。
星の子はぽちゃんと海に落ちました。
空の上では自由に跳んだり走ったりできたのに、海の中ではぶくぶくと泡を作りながら沈んでいくことしかできません。そして海底でぴかぴか光りながら、しくしくしくしく泣きました。
海底でぴかぴか光る星の子を、なにかおかしなものがきたぞと様子を見にきたのはくいしんぼうのカニでした。
「おいおい、どうしてそんなに泣いているんだい?」
「お空から落ちちゃったの」
「そんならあの岩の上にのぼっちゃどうだい?」
カニはそのハサミで海の上に突き出した岩の上を指しました。
なるほど網目のように光る波の上に突き出した岩のすぐ近くに仲間の星達が輝いています。けれど星の子は動けないので、またしくしく泣き出しました。
星の子の涙をカニがつまみ上げてみると、それはちいさな星の形をした砂でした。さらさらと流れ落ちる星の砂はそれはそれはおいしそうです。
「この涙を食べてもいいんなら、おいらが連れてってやるよ」
星の子が頷くと、カニはむしゃむしゃと星の砂をハサミでつかんでは食べ、つかんでは食べました。
「うまい、うまい。ずっとここで泣いてたっていいんだぜ?」
「いやだ、お空にかえりたいよ」
星の子はまた、さらさらと涙を流しました。
「ははははは、ちゃんと送るさ。星は空にいるもんだからな」
ずっと食べても飽きないほど星の涙はおいしかったのですが、食いしん坊のカニも満腹にはかないません。
満腹になったカニは約束どおり、星の子を岩場の上に連れて行ってくれました。
星の子は海から突き出た岩の上で精一杯手を伸ばしてみましたが、空は遠くて届きませんでした。星の子はまた、さらさらと涙を流して泣きました。
「おいらはここまでしか行けないからなぁ」
カニが困っていると、岩場でぴかぴか光っている星の子を見つけた船乗りの子がやってきました。
「どうして泣いているの?」
「お空に帰りたいの」
「そう。それならあの山の上に連れていってあげる」
なるほど船乗りの子が指さす山の上は、ほかの場所より空がずっと近くにありました。けれど山の麓には暗い森が広がっていて、星の子の光りは少しだけ弱々しくなりました。
「この砂をちょっとだけちょうだい。そしたら真っ暗な森もこわくないから」
船乗りの子はほんのり光る星の砂をビンに詰めるとコルクのふたをして、うっとりと見つめました。それはホタルのように優しくて美しい光でした。
ひとしきり眺めてからほぅとため息をついた船乗りの子はビンを腰にくくりつけ、怖がる星の子を両手で大事に抱えて森に向かいました。
暗い森は星の子とその涙がほんのり明るく道を照らします。船乗りの子は時々夜空を見上げながら、くねくねと曲がりくねった道も分かれ道もずんずん歩いて山の頂上を目指します。まるで空に森の地図でも描いてあるかのようでした。星の子は不思議に思って聞きました。
「お空に地図があるの?」
「うん、おとうさんが教えてくれたの。あそこにヒシャクがあるでしょう? あれの先にあるあのお星さまは動かないから目印にするんだよ」
船乗りの子が指したのは、星の子を叱った北極星でした。
星の子はなんだか、なんだかとても、帰りたいような帰りたくないような気持ちになって、弱々しく光るだけになりました。
道を照らすには足りなくなってしまいましたが、森の出口はもうすぐそこに見えていました。船乗りの子は星の子を撫でて歩きます。
森を抜けると星明かりで道がはっきり見えました。
船乗りの子は星の子を落とさないように大事に抱え、息を切らせて残りの道を走り抜けました。
そうしてたどり着いた山のてっぺんはほかのどこよりも空が近くて、手が届きそうなほどでした。
「おーい、おぉーい、星の子がかえってきたよぉー」
船乗りの子は大声で星に呼びかけながら両手で星の子を掲げ、背伸びをしました。
けれど空には届きません。
もうちょっと、あとほんのちょっとなのですが、空に届かないのです。
星の子はもう一度ぐるりと見回してみましたが、やっぱりここより高い場所などありませんでした。
一粒の星の砂がぽろりと落ちました。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
星の子は泣きました。
ごめんなさい、と言って泣きました。
泣いて砂がこぼれるたびに、星の子の光は弱く小さくなっていきます。
「泣かないで」
「消えてしまうよ」
船乗りの子はいくつも優しい言葉をかけましたが、星の子の光は今にも消えてしまいそうなほどでした。
さらり。
ふいに空から音が降ってきて、船乗りの子は空を見上げました。
さらさら さらさら。
なんとまぁ、空から雨粒のように星々の涙が降り注いでいました。
あっというまに足下にぼんやり光る砂の溜まりができました。
それから、溜まりは少しずつ砂山になりました。
さらさら さらさら
星の子は泣くのも忘れて、砂山が大きくなっていくのをみつめていました。
「みんな、きみがいないから泣いてるんだね」
船乗りの子は優しく光る砂山を見つめて呟きました。
星の子は、おそるおそる手を伸ばしました。
さらさらした砂が一粒、手の上に転がりました。
見上げれば、一番泣いているのは北極星のようでした。
「ごめんなさい」
と、星の子はもう一度言いました。
船乗りの子は星々の涙の山に上って、もう一度星の子を両手で掲げて背伸びをしました。星の子も船乗りの子の手のひらの上で精一杯に背伸びをしました。
指先は時々空に触れました。
けれどもう少しだけ、届かないのです。
星の子がしょんぼりした、そのときでした。
ふわりと、風が吹きました。
「やあやあ、迷子か?」
星々の涙が流星雨のように降りそそぐ中を飛んできたのはカササギでした。
「帰れないの」
星の子はむずがって言いました。
「帰らなくちゃいけないのに」
目をぱちくりさせたカササギは、
「じゃあオイラが送ってやるぜ」
と言って、星の子を空に乗せました。
カササギは夜空をさらさらと流れる流星雨の中を飛びました。
星の子がちらりとみれば、地上では船乗りの子が手を振っているのが見えました。海岸ではカニも砂を食べ食べハサミを振っていました。
空に帰った星の子は、それからはちゃんと自分のいるべき場所にいて、通るべき時間に正しい道を歩くようになりました。
そして今では立派な星になり、大事な役目をまっとうしているのですって。
・ お し ま い ・