中夜
「なんか、すみませんでした」
オレは素直に謝った。だから雪女さん……じゃなかった、もったいないオバケさん、あなたも素直に成仏してください。
「ふむ。以後、気をつけるのじゃぞ」
びっくりするくらい彼女は、あっさりと引き下がった。もっと何かお咎めがあるのかと思った。
彼女の周囲で舞っている粉雪のような発光物質がその光を弱めた。このままフェイドアウトして行くのだろうか……。
ちょっとウザいオバケさんだったが、さらっと帰すのは、それこそもったいないような気がした。
それでつい、要らんことを口走ってしまった。
あとから考えるとこれが運命の岐路だった。本当に、要らんことを口走ったものだ。
「ちなみにですけど、この施設、もうすぐ無くなりますよ」
「なにっ」
発光体が急に強く光りだした。わかりやす過ぎるって!
「それは、どういうことじゃ」
「そのままの意味です。この施設はあと半年で閉鎖になります。ずいぶん老朽化もしてますし、エネルギー効率もわるいですからね」
たっぷり10秒……いや20秒近くの沈黙があった。そして彼女は言った。
「マジで?」
食い付きかたがハンパじゃなかった。オレは心中ひそかにガッツポーズをした。その直後、彼女がリアルにガッツポーズをした。
「っしゃあ」
よろこび過ぎでしょ。オバケなのにガッツポーズ、て。
「……あのう、なにがそんなに嬉しいんです?」
「嬉しいに、きまっておる。これだけ非効率な館が廃止になると聞いては、の。ぶっちゃけ、おまえらにできる節約などタカがしれておる。……でかい、これはでかいぞ。大元を叩いたわけだからの!」
彼女のよろこびかたは、まるで整理事業が捗ったときの役人のようだった。オバケの世界にもノルマ的なものがあるのだろうか。
そりゃ、あるんでしょうよ、きっと。わざわざ現世にあらわれて注意勧告するくらいなんだから。
「と、とにかく、よかったですね……」
オレは引きつった笑顔で言った。もう帰ってほしかった。
「うむ、思わぬ吉報じゃった。ぜひ礼をさせてくれ」
「お礼ですって? とんでもない、べつにオレの手柄じゃありません」
「おまえ、ここの主じゃろ。だったら、おまえの手柄ではないか」
ぶっちゃけ、心が揺れた。オレが代理の責任者だとか、そういう事情はこの際関係なさそうだ。
彼女は純粋にオレに礼がしたいと言っている。それを素直に受け取ってもいいんじゃないか。ええんや、ないか?
「まあ……そういうことでしたら」
「じゃろ、じゃろ」
彼女は、いままでにないほどの美しい笑顔をみせた。もはやオレに断わる術はなかった。
「環の儀」
「わ……のぎ?」
「そう、環の儀。わっかの環じゃ。時間をこう、くるっと環のようにしての。過去のある点から周回することができる、そういう儀式がある」
わかっちゃうなー、これ。オレSFとか大好きだから。つまり彼女はループもののことを言っているのだろう。
「おなじ時間を何度も繰り返す、ってことですか」
「そう。ただし遡れる時間は5年または1年。5年なら1周のみ、1年なら5周できる」
「質問でーす」
「うむ、よいぞ」
「たとえば5年まえの世界に行くとするじゃないですか。そしたら、そこにもうひとりのオレがいるんじゃないですか? 過去の自分とかち合っちゃう、といいますか……」
「そんなものは、いない。おまえという存在はこの世にひとりじゃ」
「えっ、それじゃあ、5年まえの世界にオレはいなかったってこと?」
「そうではない。……こう考えればよい、おまえは5年間旅に出ていたと。5年ぶりに家に帰るというだけの話じゃ」
「でも、そこは過去の世界なんですよね?」
「うむ、そこがミソじゃな」
ファンタスティック。そうとしか言いようがないですわ。
会社の仮眠室に突如あらわれた雪女……じゃなくて、もったいないオバケ。彼女は何かよくわからない理由でオレに礼がしたいと言い出した。
そのプレゼントとは時間旅行的な、ループものの小説めいた、とても素敵な儀式であるらしかった。
では会話のつづきを、どうぞ。
「大事なのは、かならず歳は取るということ。5年を1周、または1年を5周することで、おまえは5歳老けることになる。周回した分だけ他人より長く生きているわけだからの」
「5年が限度ですね? それ以上老けることは、ないんですね?」
「5年が限度じゃ。浦島太郎のような結末にはならんから、安心せい」
言って彼女はかっかと笑った。
「この時間旅行を終えたあと5歳老けているということは、つまり、いまの年齢のまま過去へ戻るということですね?」
「そういうことじゃ。ちょっと老けたすがたを皆に晒すことになる。だから、ぎりぎり許容範囲で5年という設定になっておる」
信じられなかった。が、もし実現したらすごいぞ、これは。
「理屈は大体わかりました。で、出発はいつなんです?」
「まあ、おまえにもいろいろと準備があるだろうからの。出発は半年後じゃ。疑うわけではないが、この館の廃止を見届けたいという気持ちもある」
「そうですね。施設閉鎖の情報がガセだったら、不公平ですものね」
「ほかに質問はあるか」
「過去の世界に、ぜひ持って行きたいものがあります」
「何じゃ」
「現金です。可能ですか」
「可能じゃ。鞄いっぱいに詰めてくるがよい」
雪女……じゃなかった、もったいないオバケがすがたを消したあとも興奮冷めやらなかった。
当然彼女の存在を証明するものなど何も残っていない。夢を見ていたと言われても仕方がない。まあ、こんな夢誰にも話さないけどね!
彼女が話した「環の儀」とかいう時間旅行は魅力的だった。もし過去に戻れるなら、ぜひお金を持って行きたかった。
このお金は、もちろんオレがこの何年間かで貯めた金である。
それを過去へ持って行き、ぱあっと使う。で、貯金は貯金でできるのだ。すでに実証済みである。
ようするに、これはオレの5年間という寿命を切り売りする取り引きなのだ。
この時間旅行を終えたとき、オレは同期よりも5歳老けている。散財はその代償だ。見る人によってはバカげて映るかもしれない。
だがリアルに考えて、これから先の未来でいま以上の金を手にする機会など、まずないだろう。施設閉鎖により職も失うわけだし。
それだったら過去へ戻って、そこでワンチャン狙うべきだ。オレにはその術があり、実弾もある。
時間は粛々と流れて行った。
半年などあっと言う間だった……ふつうはそうなのだが、彼女との再会が待ち遠しく、やはりもどかしい部分もあった。
残務整理はべつに大変でもなかった。もともとオレらは期間と業務内容を限定されてこの施設に派遣されているだけである。
終了の日がきて、終了するだけだ。
2017年3月31日。
ついに業務終了の日がやってきた。オレら職員が持っている全館フリーパスのIDカードを返却したら、もう二度とこの施設に立ち入ることはできない。
聞いた話ではこの建物は取り壊しになるそうだ。ぶっちゃけ興味はない。
日中、彼女があらわれることはなかった。そういえば「朝は苦手じゃ」とか言ってたっけ。
もしかしたら太陽は苦手なのかもしれない。オバケだけにね!
そんなわけで、オレは例の荷物を用意して自宅アパートで待機することにした。彼女がオレの部屋をしっているとは思えなかったが、相手は幽霊だ、時空の隔たりくらい大したことないだろう。
いつの間にか眠ってしまったらしい。