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4 彼の後悔と彼女の信念、そして彼女の軍旗

 少年は首を傾げる。


「悪いことをしたから、空から墜とされたんだ。裏切ったんだよ、仲間を。大切なひとを」


 そうだ。彼は思い出す。あの惑星。短い秋の中。


「もう、今の時間から数えれば、四十年くらい前なんだ」


 少年の両眉が上がる。だがそれは確かだった。刺繍をするサッシャとの話の中、見る新聞記事の中、彼抜きで過ぎていた時間は、確実に存在していた。


「レプリカの反乱を知ってる?」


 ミッシャは首を横に振った。だろうな、と彼は苦笑する。

 サッシャはそれでも多少は知っていた。だが彼女も、歴史の教科書程度のことしか知らない。

 そもそもこの惑星は、レプリカントどころか、メカニクル自体に縁が無い。居住するのに十分な気候を持ち、だがさほどに発展はしていない。むしろそれを拒もうとしている気配すらある。

 おそらく、最初の移民がそういう性質を持っていたのだろう。そしてその子孫達もまた、それをかたくななまでに守っている。

 よそ者も嫌う。時々窓の遠くを行き過ぎる里の者を見るごとに、それは彼の中で確信に変わっていた。極端に、一つの傾向を持った容姿しか、そこには無いのだ。

 彼には黒い髪が異端視されるのも判るような気がした。

 だが歴史の教科書程度のことでも、事実の確認には十分だった。そしてサッシャは結構しっかりと学んだことを覚えていた。

 レプリカント達は彼女が生まれる前に、既に全滅していた。跡形もなく。そして彼女にとって、それは遠い世界での、遠い出来事に過ぎない。


「本当に誰も?」


 彼はその時サッシャに訊ねた。すると彼女は首を傾げ、どうして? と訊問い返した。

 奇妙にその仕草は弟のするものと似通っていた。

 そして彼は思う。どうして、と聞かれても。


「俺はその頃、軍隊で、そのレプリカの反乱を鎮圧する側に居たんだ。少佐だった。俺の世代としては、結構いい昇進もしてたんだ。何故だと思う?」


 そう聞いてから、やや彼はしまった、と思った。聞いたところで、こんな場所では、少年はそれを詳しく説明するすべがないのだ。

 だから彼は、少年がためらっているうちに言葉を進めた。


「俺にはね、とってもいい先輩が居たんだよ」


 ミッシャは大きくうなづいた。


「俺よりずっと明るい色の髪をした、やっはり明るい奴だった。いや明るい、というよりは、明るくする術を知っていたというのかな。知り合ったのは、士官学校の時だった」


 明るい陽の光。ピアノの音が、記憶の中に流れる。


「何でも上手くこなす奴だった。訓練も、学科も、それ以外のことも…だから俺には縁の無い奴だと思っていた。歳も上だったし…」


 だけど、偶然が、起こった。


「きっかけは、祭りだったんだ。俺が弾けたピアノがきっかけで、奴と俺は知り合って、それからずっと、つきあいが続いていた。士官学校を卒業して、任地へ行った時も、色んな作戦の時も」


 少年はじっと聞き続けている。


「その頃はまだ、俺の居た軍は、今みたいに様々な惑星に攻撃を仕掛けるようなことはなかった。あくまで、あの軍は、成り行きで戦争に参加していただけだったんだ」


 そう。彼は自分の記憶にうなづく。あの時までは。


「そのまま、戦争が終わるまで、その惑星で同じ日々を繰り返すだけだと思っていた。それで構わないと思っていた。俺はその先輩… その時にはもう友人だったな。奴のおかげで、上手い立ち回りや、上手い生き残り方を覚えた。何とかついていける程度の才能はあったみたいだね。俺は奴と同じくらいには昇官できたよ。だから俺は結構その中では幸運だったんだと思うよ。そう思っていたんだ。だけど」


 だけど? と問い返すように、少年は首を傾げた。


「だけど、そうじゃなかった」


 青い瞳が、ややまぶしげに細められた。大気が、絡み付く。彼はふと腕に軽い寒気を覚えた。


「俺は、そう思いこもうとしていたんだ。自分は満足している、自分は幸運だ、それがいいんだ、それしかないんだから、と」


 だけど、違っていた。


「君も知っているんだろう? 俺の生まれた惑星を」


 少年はほんのわずか、ためらったが、細めた瞳のまま、ゆっくりとうなづいた。


「だけど俺だって好きでそこに生まれついた訳じゃない… 無論それは繰り言にすぎないんだけど… だけど、この戦争の最中、俺達の種族は、最高の兵士と言われた。確かにそうだよ。だけど、それは俺達が望んでそうなった訳ではない。あの惑星で、生きるために、そうなっていっただけなのに、他の惑星の連中は、それをまるで特別なことのように言う。うらやむ。だけどそれが何だっていうんだ?」


 言葉の最後の方は、殆ど聞こえないくらいのつぶやきとなっていた。


「俺達は俺達で、同じ惑星の上でも、そこに住み着き、生まれた世代で、能力も、社会の中心に行くことも制限される。俺はそれでもいいところまで行ったのかもしれないけれど、そこまでだ。少佐なんていい方だ。これ以上どれだけ善戦したところで、中佐がいいところだ。大佐にはなれやしない。それに、俺は軍人にはなりたくはなかった」


 なりたかったのは。


「…だから俺は、あの時、ピアノの伴奏を頼まれたら、断ることができなかった」


 音楽? と少年は小さな手で彼の手のひらに書き付けた。


「そう。音楽。俺はどんな小さな役目でもいい。母星で音楽をやっていたかった。だけどそれは許されなかったんだ。それは俺達の世代ではもう、義務だった。好きなことで生きていくなんてことは、許されなかった。…それは、確かに、生きていくことにも精一杯な奴には、きっとはり倒したくなるような考えかもしれないけど…」


 あの人懐っこい目の、レプリカントは。


「それでも、俺は息苦しかった。士官学校でも、軍に入ってからも… 奴と一緒に居る時間以外は」


 友達? と少年は書き付ける。


「そう。最初は先輩だった。だけど、もうずっと、友達だった時間の方が長いんだ。長かった。奴と一緒に居る時間だけは、俺は自分の憂鬱に取りつかれることもなかった。錯覚かもしれないけれど、何もかも忘れられるような気がしていた。…でも錯覚だった」


 そう。錯覚だった。


「俺にそれを教えてくれたのは、その時の上官だった。新しくやってきた司令だった。俺達の惑星では、最も高い地位を占める世代のひとだった。そのひとは未来が見えた。そういう能力を持っていたんだ」


 嘘、と少年はつづった。嘘じゃないよ、と彼は答えた。


「そういう世代なんだ。そのひとは俺に、その未来の記憶を見せた。俺はそんな記憶を抱えているあのひとに、何でもしたいと思った。俺の姿が、その未来の中にあったから、俺はそのひとのために、自分の役割を果たそうとしたんだ。…そして俺はそのために、奴をも裏切った」


 少年は目を大きく広げた。


「レプリカの反乱に、手を貸した。あのひとの命令だった。俺は、奴を含めた自分の軍を、裏切ったんだ。捕らわれて、情報を流した。レプリカ側に優勢になるように。確かにそれは役に立った。それがなかったら、もっと長く生きていられる筈の連中が、たくさん死んだ」


 少年の息を呑む音が、妙に彼の耳に大きく聞こえた。


「…そしてあのひとは、俺の追撃のために、奴をかり出した」


 少年は、大きく首を横に振りながら、彼の右の袖を掴んだ。


「脱出するレプリカ達の船を見ながら、俺達は、剣を合わせたんだ。奴も本気だったし、俺も本気だった。ここで殺されてもいい、と本気で思っていた。そいつに殺されるなら、本望だと思っていた。実際、俺が、普通の惑星の生まれだったら、確実に死んでいるんだ」


 少年の瞳が、目の前にあった。どうしたんだろう。やけに哀しそうな顔をして。


「だけど俺は」


 こうやって、生きている。時間を、空間を、越えて。

 どうしたんだろう、と彼は少年の間近な表情を見ながら思う。何をそんなに泣きそうな顔をしているんだろう。彼はミッシャの肩を押さえると、少しだけ押し出すようにした。


「どうしたの。そんな顔して」


 少年は、大きく首を横に振る。どうしたものだろう、と言いたげに、眉を寄せると、つとその小さな手で彼の頬に触れた。そして、その手を開くと、彼の前に突き出した。

 その指が、濡れていた。

 彼はそれが何のことか、初めは判らなかった。少年は、彼を指して、大きく首を横に振る。彼の手を取って、自分自身の頬に触れさせた。


「え?」


 彼はその時やっと、自分が泣いていたことに気がついた。



「何かずいぶん懐いてるじゃないの、あの子」


 え、と彼はテーブルの上に広げた新聞から顔を上げた。


「ミッシャがね。…ああそろそろ糸を買い足さなくちゃ」


 彼女はそう言いつつも刺繍をする手は止めない。

 一体どんな図柄が、どのくらい出来ているのだろう。彼は思う。彼女のその作業への集中ぶりを見れば見るだけ、その興味は大きくなる。だが彼女も、そういう彼の気持ちに気付いてか気付かずか、かいま見せるような真似はしない。


「そう見える?」

「見えるわよ。あの子が懐くなんて珍しいわよ」

「そうかなあ。いい子じゃないか」

「いい子だわ。あたしから見てもね。だけどそう見ない連中だっているのよ。隣のおばさんは、見ていてはがゆいんだ、って言っていたわ」

「はがゆい」

「あの子が喋れないのは、どちらかというと、精神的なものよ。ほんの小さい時にひどかった爆撃が怖かったからなのよ。何か一つ、掛け金が外れれば、あの子は声を取り戻せる筈なのよ」

「だけどそれが、できない?」

「そう」


 ぱさ、と彼女は布の向きを変えた。彼は軽く身を乗り出す。


「見ようとするのは無礼だって言ったでしょ」

「だけど俺はここの人間じゃないよ」

「出来たら見せてあげるわよ。出来ないうちに見てはいけないの。そうなっているのよ。刺繍は思いを込めてするものよ。願いごとが叶わなくなってしまうじゃないの」


 願い事、と彼はその言葉を繰り返した。


「そう」

「願をかけてるんだ…それはじゃ、聞いてはいけないよね」

「ちょっとならいいのよ。聞きたい?」


 彼はうなづいた。


「会いたいひとがいるのよ。ずっと」

「会いたいひと」

「そう。会いたいひと。会えるかどうかなんて、さっぱり判らないけど…」


 会いたいひと。   


「あなたには、会いたいひとはいないの?」


 サッシャは訊ねる。彼は自分の手のひらに視線を移す。


「いないの?」

「居るよ。だけど俺は、そいつにひどいことをしてしまった」

「ひどいこと?」

「裏切った。だから会えない。今生きているかも判らない」


 だってもう時間が飛んでいる。

 確かに自分達は、ある一定の年齢からはその時間を止めて長く生きることができる。

 だが戦争の最中だ。奴は軍人だ。果たして無事なんだろうか。彼は再び自分の手のひらを見る。


「でも会いたいんでしょ?」


 サッシャは重ねて問う。

 彼はうつむく。

 会いたいよ、と両の手を握りしめる。

 そう、とても会いたい。だけどもし会えたとして、自分に何が言えるのだろう。


「あのねサンド」


 彼女は手を止めた。


「あたしだってそうよ。あのひとが、生きてるかどうかなんて判らない。あのひとが、あたし達を覚えているかだって判らない。だけど、会いたいと思っている間は、会えるかもしれないのよ」


 ぎゅ、と両の手を握りしめる。彼はゆっくりと彼女の方へ顔を上げた。


「会って、どうするの?」

「そんなのは、会ってから考えるわ」

「だって」

「その時、あなたのそのひとは、もうあなたのことを許しているかもしれないじゃないの」

「そんな訳は…」

「そんなこと、誰が決めるのよ。あなたの相手があなたを許さない、なんてあなたが勝手に決めてるんじゃない」


 彼はやや目を細めた。サッシャは再び手を動かし始めた。


「あたしはあなたが何でここにいるかなんて知らないわよ、サンド。あなたがその相手に何をしたかなんて、全然知らない。別に知りたくもないわ。だけど、あなたがそんな判りもしない未来のことを一人でうだうだと思い悩んでいるのは嫌よ」

「サッシャ…」

「見てて、鬱陶しいわよ。会いたいなら会えるようにすればいいのよ。待つなら待てばいいのよ。それで会って、そのひとがあなたを許していないというなら、その時許しを乞えばいいじゃないの。何を悩みたいの、あなたは」


 頭の後ろから、冷たい水を投げかけられたような気が、した。


「今は戦争中なのよ。そんなことで思い煩っている時間なんて、ないのよ。明日死ぬかもしれないのよ?いきなりの爆撃ってのは、確かにあるのよ?」

「だけど…」

「あなたが天使種だからそんなことはないって? 馬鹿じゃないの。いきなり惑星破壊弾が打ち込まれたら、そんなことが何だっていうのよ。誰だって、死ぬのよ。天使種だって、死ぬのよ。死ぬことだって、あるのよ」


 きっぱりと、彼女は言った。

 そして彼の中にはそれ以上、彼女に反論する言葉の持ち合わせがなかった。しばらく二人の間に沈黙が続いた。それを破ったのは、彼女の方だった。時計を見ると、つと立ち上がった。


「…ああもうこんな時間… ラジオを聞かなくちゃ」


 彼女は軽く頭を振ると、金の巻き毛を揺らせた。その拍子に、彼にはふと布が動いたように見えた。彼女はラジオのヴォリュームを上げる。雑音が多いわ、と彼女はつぶやいた。


「…それでは次のニュース」


 男性の声が、途切れ途切れに聞こえてくる。


「…が決定しました… 管区第53防衛ライン配属の大佐…」


 本当にひどい雑音だ、と彼は思う。彼女は何やら数本飛びだしたアンテナを≠チちに向けこっちに向け、とあちこち動かしている。そのたびに多少の音質は変わるが、この日の雑音は手強かった。強烈なものが一つ入り込んでいる。

 彼にはそんな彼女の姿が何となく奇妙に思えた。いつもだったら、雑音が入っても、こんなに必死になって良い感度のところを求めようとはしない。


「…んもう、肝心なところを…」


 ふと、そんなつぶやきが聞こえた時、ずるり、と布が床にすべり落ちた。彼は思わずそれを拾おうとして、テーブルの下に潜り込んだ。

 次の瞬間、布を取ろうとした彼の手は、凍り付いた。

 彼女はそれに気付かないのか、必死でアンテナを動かしている。

 白い羽根が、見えた。

 そして彼の視界に飛び込んだのはそれだけではなかった。

 黒い髪。美しい、氷のような、その顔。


「…司令…」 

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