3 彼女は軍旗を製作し、彼は少年に打ち明け話をする
「そう、いつもだよ」
訝しげな顔をする彼を見て、どう思ったのだろうか、彼女は肉付きの良い腕をむき出しに組むと、言葉を続ける。
「物好きだね。何処の誰とも知らない男を拾っては、世話してやっては、そいつが出ていくまで置いてやってる」
「黒髪… なんですか」
あたりさわりの無い発音を選んで、彼は問いかける。
「黒髪だね。よそ者って丸判りじゃないか。あんただってそうだろ。何処のもんか知らないが、黒髪黒目なんて、そう居るもんじゃない。縁起でもない」
そう言えば、目の前のこの女もまた、薄い色合いだった。
サッシャよりは濃いが、金色の髪に、薄い緑色の目。この惑星の最初の移民が、そういう人種だったのだろうか。
さすがにそこまで、彼は聞いてはいなかった。目を伏せて、まだかごに残っていた草を取り上げては積み上げる。
「そう長居するもんじゃないよ。あの子に少しでも済まないと思うのなら」
彼は顔を上げた。そして彼女をじっと見据えた。
中年女は、一瞬たじろいだ。そういう視線に慣れていないのか、頬を赤らめる。その様子を目にしながら、何故、と彼は短く訊ねた。
「…だ、だってそうじゃないか。ただでさえあの子は、両親を亡くして、弟一人を抱えて一生懸命なんだよ。だけどあの変なくせのせいで、里じゅうから妙な目で見られているんだ」
彼は眉を軽く寄せた。
「…あ、いや… あんたが悪いという訳じゃないよ。だけど」
「…ええ、なるべく早く、ですね」
そうだよ、と言うとそそくさと彼女はそこから立ち去った。
奇妙なくせ、か。
彼は女の言ったことを思い返す。確かに妙なくせだ。更にサッシャの思惑が判らなくなっていた。無論ただ親切であるから、とも考えられる。そう考える方が無難と言えば無難だ。
だが。
気配を感じて、彼はふっと振り向いた。
庭の柵に絡んだつる状の草が揺れていた。少しばかり位置をずらしてみると、ミッシャの姿が見えた。
少年は、入ろうかどうか、迷っているように見えた。おかしな子だな、と彼は思う。自分の家なのに。
「どうしたの? おいで」
彼はミッシャに呼びかけた。
少年は、少しばかり辺りを確かめるように見渡すと、彼のそばに寄ってきた。
だが、その姿を見て彼は少年がためらっていた理由が飲み込めた。
昨日手当したはずの、腕のファースト・エイドが取れていた。一度くっつきかけた傷が、また開いて生々しく、じくじくと湿り気を帯びている。
自分ではがすとは思いにくい。ひどく痛そうだ。
「…誰かにやられたのかい?」
少年はうつむく。小柄な身体が、ひどく頼りない。
サッシャの話では、もう十三にはなるということだが、とても十を越えているようには見えない。
彼はミッシャを柵に座らせると、また少し砂ぼこりで汚れかけている服を軽くはたいた。
いじめられているのだろうか、と彼は思った。
だが訊ねたところで、この声を失った少年は答えようとしない。
姉と何処となく似た、大きな青い目は、ぼんやりと空を眺めているだけだった。金色の巻き毛を、軽い風が揺らせていく。
…俺のせいだろうか。
先ほどの中年女の言葉が浮かび上がる。
*
「あなたのせいじゃあないわよ」
サッシャは間髪入れずに答えた。
「あなたであろうがなかろうが、あたしは道に落ちてたひとなら拾うわよ」
「だって君、それじゃ危険じゃないか?」
「あら、あなた危険なの?」
彼はぐっと言葉に詰まった。その様子を見て、彼女はあははは、と声を立てて笑った。
「ま、ね。危険だと思ったら、ミッシャが嫌がるわよ。あなたが落ちてた時には、あの子が何も嫌がらなかったから」
ああ、と彼はうなづいた。
日中ずっとあれから何やかやと動いていたせいか、回復したての身体は夜更けには気だるい。
昼間も特にすることが無かったから彼女に仕事を与えてもらったのだが、夜になると、更にすることはない。
夕飯までは、ミッシャにつき合って、この地方の新聞を読んでいたりもしたのだが、更に夜も更けて、子供が眠ってしまう時間になると、もうすることが無い。
子供と同じように眠ってしまえばいいのかもしれないが、何となく身体は気だるいくせに、目はさえていた。
彼女は、と言えば、祭壇の横に置いてあった布を持ち出しては、ややくすんだ白の糸で、刺繍を続けていた。
何の図案だろう。
彼はサッシャがきゅっきゅっ、と音でもしそうな程に強く刺し、糸を引っ張るその動きを見ながら、何気なく考えた。
専用の輪に通した幅広の大きな布は、その全体図を彼には容易に見せようとはしない。
やがてその視線に気付いたのだろうか、それまで顔も上げずに彼の言葉に返していた彼女は、手を止めた。
「…何じろじろ見てんのよ」
「いや、何の模様かなあと思って…」
「内緒。ここいらでは、できあがるまでの刺繍を見ようとするのは失礼にあたるのよ?」
彼女はやや歌うように答えた。地の布の色は、黒だった。
彼の見える範囲では、縁どりは既に完成しているようだった。
緑色の、光沢のある糸で、やや細長い葉を組み合わせたような模様が連なっている。それが何連にもなっている図は、なかなか豪華なものだった。
奥のほうには、その緑の中に、時折赤い点が見える。実の様なものだろうか。彼女は何やらその真ん中で、白い、だけどただ白だけではなく、白の中にも色合いの差があるような、微妙なものを一針一針縫い込んでいた。
糸箱にはとりどりの色があったが、さすがに多いのは白の種類であり、その横に、ずいぶん使われてしまったような、同じような青のバリエーションが並んでいた。
「…でもあなたは知らないのよね」
「君は、何処まで知ってるんだ?」
「…って? あなたが何処の人かってこと?」
彼はああ、とうなづいた。彼女は顔を上げた。
「見れば判るじゃない。だから服を燃したのよ」
「だから、どうしてそれで」
「それはあたしの勝手でしょ。あなたの知る筋合いじゃあないわ。そういうこと聞くなら、もう何にも答えてあげない」
そう言って彼女は、ばさ、と布を一度大きくはためかせた。
その瞬間彼の目には、ふっ、と何か人の姿のようなものが見えたような気がした。
「判ったよ。聞かない。とにかく君は俺の命の恩人だからね」
「あたしはそんなものじゃないわ。恩人というならミッシャよ。ミッシャに言って。あなたの精一杯の誠意を。あの子はそういうものに餓えてるわ」
彼は眉をひそめる。
「いじめられている?」
「みたいね」
「だけどそれは…」
「あたしのせいよ。それは知ってるわ」
白い糸が、きゅ、と引っ張られる。
どうやらその話題も、彼女の作業を止めさせはしないようだった。何やら彼女には考えるところがあるらしい。
そしてそれは、外部の自分には、手を出せない部分なのだ。
「前に、ここで作られたらしい軍旗を見たことがあるよ」
「ふうん。どんなのだったの?」
「降りてきた船に付けられていた。真紅の地に、金の縁飾りがついていて、羽根の大きな鳥がモチーフになってた」
「鳥ならね、今でも大丈夫だわね」
「何か、大丈夫じゃない図柄ってあるのかい?」
「天使よね。羽根を持った、人間の図。別にそれはそれと関係ないとは思うのに、敵さんが敵さんだから、それを描くことは駄目ってことになっちゃったわ」
「なるほど。君はそういうのを見たことはあるの?」
彼女は顔を上げた。
「何を?」
「いや、昔作られたそういう図案を」
「ないわ」
素っ気なく、彼女は首を振った。
つけっぱなしにしてあるラジオが、ぶつぶつと音を立て始める。彼女は手を伸ばすと、少しだけヴォリュームを上げた。
「今日の放送の時間よ」
地方によっては、放送など殆ど無いところもある。電波状態の良くない惑星なら殊更だ。最もいい電波状態の時間だけ、それは流されるのだろう、と彼は思う。
ぶつぶつ、と抑揚の無い男性の声がニュースを読み上げる。語尾の跳ねる発音が、彼女と違ってどうも耳障りだった。
「それでもだんだんいい方向には向かっているみたいね」
さすがに彼女も手を止めて、ニュースの内容を確認していた。
「今度、とりあえずの協定を結ぶために、むこうさんから使者が来るらしいって。そうね、うちの惑星あたりに来るなら、将官まではいかないでしょ」
「むこうって」
「アンジェラスの軍よ。あなた帰る? その時にでも。ちょうどいいわよ?」
「…いや…」
彼は目を伏せた。
*
そんな風にして、平穏ないくらかの日々が過ぎて行った。
サッシャは毎日工場へと出かけていき、帰りは夕方である。十日に一日くらい、いつとは決まっていないが、休みはあるらしい。
ミッシャは学校へは行っていない。
行っていた時もあったようだが、どうにも肌に合わず、やがて行くのを止めてしまったのだという。
とはいえ、十三とという歳は、そう全体的に裕福ではない地域においては、学校へ行くより、働く少年少女も多い。だから学校に行かせていないということで、育てている姉に非難が来るということはなかった。
実際、時々姉の働く工場へ行っては、軽い仕事をもらっているらしい。
出かけても用がない時には、帰って家の中の細々としたことを働く姉のかわりに片づけているのだという。
どちらかというと、天気の悪い日の方が「用」はあるのだという。
雨降りの時にだけ必要な雑用、というものもあるらしかった。
少年は姉よりは早く、ずぶぬれになって帰ってくる。そして晴れた日には、仕事が無い。
そういう日に少年は、外へ遊びに出てはいるらしいのだが、…どうも様子がおかしいことに、彼は気付いていた。
いじめられている、ということに彼が気付くのは難しいことではなかった。時々身体につけられてくる小さな、だけどたくさんの傷がそれを証明している。
なのに姉はそれを知っていながら何かする訳でもない。
そして少年も、判っているのに、外へ出かけて、おそらくはこの地の同年代の少年少女と遊んでいるのだ。
彼にはよく判らなかった。
*
その日もまたよく晴れていた。サッシャは工場へ朝から出かけていたし、ミッシャもまた、晴れた日は早くから外へと出かけていた。行き先を書いても行かないので、彼は少年が何処へ行くのか、見当もつかなかった。
太陽が中天に差し掛かる頃、彼は相変わらずすることを探しながら、家の周囲を散策していた。
彼女の家は、どちらかというと、この里の外れの方にあたるらしい。
そう大きくはない家の中には、大きな窓が幾つかあったが、隣の家の屋根のくすんだピンク色が遠くに見える側とは反対側の窓からは、草原を挟んで林のようなものが見えていた。
じゃあこれだけはやっておいてくれると助かるわ、とサッシャに言われたことをやってしまっていた彼は、そちら側へ行くぶんなら、里の人間の目を引くこともないだろう、と足を伸ばしてみることにした。
だが草原とはいえ、その生え方は尋常ではない。
さわさわと吹く風に、ゆるやかになびくと言えば聞こえはいいが、その草が、腰くらいあるものだったとしたら、それはさながら、草の海と言ってもいい。
足下も見えない。ブーツを履いていないことがふと不安になる程だった。それを心配している自分に、一瞬後には苦笑を返したのだが。
それでも海には果てがあったようで。
やがて、土地が高くなってきたのか、生えている草の種類が変わってきたのか、林に近づくにつれ、草は低いものにと変わってきた。
草の海から上がってきた彼の視界に入ったのは、草とは異なった緑だった。草とは別の芳しい香りを放つ、林だった。
彼はその辺りの木々を見渡してみる。彼の母星、彼が渡ってきた惑星では見たことの無いような、高い、だけど柔らかな形でもって空へ枝を伸ばしている。
どちらかというと…
彼はぼんやりとその木々の先が指す空を眺めていた。やはり、ずいぶんと青かった。
ふと彼は、右肩のあたりに何かしらむずかゆい様な感覚を覚えた。
何だろう?
振り向くと、実にささやかな小径が、そこにはできていた。
小径と言っても、作られたものではない。人が、何度も同じ所を通ったために、自然に草が分けられ、木々の間に絡む蔦が除けられていった… それだけのもののように見えた。
再び何やら、右肩にうずくものがある。何だろう、と彼は思った。
得体の知れないものが身体の奥から何かを告げる。そんな時にはとりあえず思考を停止して、それに従うことにしていた。
少なくとも俺にとって危険なものではないはずだ。
小径をしばらく進んでいくと、いきなり視界が開けた。彼は驚いて、しばらくその光景に目を見張った。
林は、思った程深いものではなかった。
いや、そうではない。開けた場所の向こうには、まだ別の林がある。そこだけが、忽然と開けているのだ。
あちこちに、大木が転がっている。それは人の力で切り倒した、というよりは、何か巨大なものが落ちたかぶつかったかして、なぎ倒されたようにも見える。
何故か、その辺り一帯の地面が、白く固く乾いていて、草一つ生えていない。彼はかがみこみ、地面に手を触れた。
指でつまみ上げたら、土はさらさらとこぼれた。土というより、砂に近いものだ。
またふっと肩に気配を感じる。彼は顔を上げた。
少年が、こちらを見つめていた。
「…ミッシャ」
少年は、倒れた木の一つに腰掛けていた。彼はゆっくりとミッシャのそばに近づいた。
「座っても、いいかな」
ミッシャはうなづいた。巻き毛が揺れる。彼は少年の横にかけると、両手をついて空を見上げた。
静かだった。
遠くに飛ぶ鳥の、時々鳴く声や、風に揺れる木々の、互いに微かに触れ合う音だけが、緩やかに彼の周りを回る大気に乗って絡もうとしてくる。
高い場所にあるだろう雲が、ゆっくりと流れていく。
「綺麗だよね」
何気なく彼はつぶやいた。
「何処でも、空は青いんだ」
少年は軽く首を傾げた。
「ここに来る前のところがね、やっぱり空が綺麗だったんだ。あまりごみごみしたところのない所で…」
言いかけて、彼は苦笑する。
「こんな話、しても仕方がないな。つまらないことだよ」
ミッシャは首を横に振った。空の色を映したような青い目がじっと彼を見つめている。つまらないことじゃない、と言いたげに。
「つまらなくない?」
少年は大きくうなづいた。そしてぎゅ、と彼の右の袖を掴む。
「そうだね… 少しだけ、じゃ、聞いてくれる?」
掴んだ手に力が込められた。彼は目を軽く伏せた。こんなことをこの子に話してどうするのだろう、という気がしない訳でもない。実際言ったところで、何かなるという訳でもない。
だが。
「俺は、墜ちたんだ。空から」




