2 青空の下、草刈り。
自分はどうやら、恐ろしく自信のある者に弱い。
彼は暖かいスープを口にしながら、確信していた。
この地方は、夏に差し掛かっているらしい。スープの中身の、野菜の青みがそれを物語っていた。
差し向かいで彼女はお茶を口にしていた。
彼女自身の食事は、弟が戻ってきてからということだった。香りの高い、赤みの強い茶を、大きなポットから何回も何回も、彼女はカップに注ぐ。そのたびに軽い刺激のある香りが鼻をついた。
そしてそういう彼女の行動や、食事、壁にかけられたタベストリなどを見るごとに、彼はここが「ハンオクのオクラナ」であることを確信するのだ。この惑星は、この地方は、あるものの特産地で有名だった。そうだ。彼は思い出す。
あのひとがそう言ったんだ。
「…何見てんの? サンド」
「あれは、君の…?」
彼は壁の一面に視線を向ける。そこには巨大なタペストリがあった。
天井の高い部屋の壁の一面を覆う、細かな刺繍の施された。
その壁に取り付けられた、小さな祭壇の乗せられた棚にも、似た様な織り方の布が数枚、きちんと畳まれている。
「ええそうよ。さすがに最近は、そんな時間もないけど」
「…じゃ今、君は」
「工場つとめよ。それでも教わったんだけどね、軍旗製作は。だけど手間ばかりかかるのに、単価が高いから、もう最近では注文が無いのよ。それにその昔はお得意様だったとこが敵に回っちゃね」
「敵?」
「…判ってないようね。天使種よ。アンジェラスの軍勢よ」
サッシャは眉を寄せ、露骨に嫌そうな表情になった。彼はその表情の変化に気付かないふりをして、スープを口に運んだ。
そうだ。軍旗製作でこの惑星は有名だった。あのひとはそう言ったんだ。
最高の材料と、職人芸があの惑星には揃っていると。
見たこともある。
船の外に貼る、巨大な工芸細工。繊細な模様と、大胆な意匠。そしてそのバランスをちょうど支えている、強靱な特殊繊維の土台。
その特殊繊維を織るための資源が最も豊富な惑星。それがハンオク星域の第二惑星オクラナだ、と彼は聞いていたのだ。
真空の宇宙、戦闘空間でその存在をアピールする際に使われるような代物だ。単価が大きいのは無理もない。注文が多い時には栄えるだろう。そのくらい、その昔は戦争も、盛んだった。
だが今は?
彼は疑問に思う。
「戦争の当初は、そのおかげてこの惑星は、なかなか栄えたらしいけどね。でも今じゃあそんなにそれを欲しがる所もないわ。二~三十年前に、アンジェラスの連中が、急に勢力を伸ばしてきた時に、大量の注文があって息を吹き返したけど…」
「けど?」
「十年前、連中が手の平を返したように敵に回ったから、もう何にも用はないのよ」
「じゃあ今では」
「何であなたがそんなことを知らないのよ、サンド」
サッシャはややにらむように彼を見据える。
「…忘れていると言ったら」
「馬鹿じゃない、と言うわよ」
でも確かに、それは言われても困るのだ。
「ねえサッシャ、本当に、俺は忘れているんだ。教えてくれないか? 今は、一体いつなの?」
ことん、と彼女は音をさせてカップを置いた。
「本当に、覚えてないの?」
「本当に」
嘘だ。
彼は同時に思う。
覚えていない訳ではない。だが、その間の状況についてはさっぱり判らない。
彼女の言うことを考え合わせていくと、考えられることは、一つしかない。
「共通星間歴569年。ついでに言うと、ここは、そのあなたの言うところの、旧ハンオク星域の惑星オクラナの、地域b-35」
「で今は、ココラヤ共和同盟?」
「そうよ。付近の星域が同盟を組んだんだわ。手の平を返した軍勢に対抗するために」
つまりはそれが、アンジェラスということか。
彼は目を伏せて、うなづいた。
「十年前?」
「そう。十年前に、いきなり連中は、ここを襲ってきたわ」
そして彼女は不意に顔を上げた。
「絨毯爆撃よ。奴らの無抵抗の同胞を殺したという言いがかりがついたの。その時に、あたしの両親も死んだわ」
彼は息を呑んだ。そんなことが。
「死んでしまったのよ。別に何もしないのに。ただそこに居たというだけで」
「…だけど仕方ない」
「仕方ないってね? ええ仕方ないわよ。運が悪かったとしか言いようがないのよ? でもね…」
彼女は大きく首を横に振った。
「…あなたにそんなこと言ったって仕方ないわよね。忘れているんなら。サンドリヨンなんだから。時間制限つきのお姫様、気にすることないわよ。仕方ないんだから」
「サッシャ…」
だけど。
彼女の表情は、決してそんな「仕方ない」と言っている顔ではなかった。
唇を堅く結び、目には何やら暗い翳りが見える。
ふと、戸口の方で音がした。彼女は立ち上がった。
「ミッシャだわ」
サッシャは一度台所へ向かった。
かけていた鍋に緩い火をかける。すすでもついたのか、前掛けで手をぬぐいながら、弟の帰ってきただろう戸口へと歩いて行った。
「あらあらあら」
優しい声音。彼はふとその声の方に視線を飛ばした。
「…ほら腕を出して。…痛い?」
ケガでもしているのだろうか。
彼はちら、と声のする方向に目をやる。サッシャと同じ金色の巻き毛が、視界に飛び込んだ。黒い、膝丈のズボンと白いシャツが、よく見ると奇妙に汚れている。遊び回ったのだろうか。そういう年頃に見える。
「ちょっとテーブルについてなさい。…キズ薬…」
サッシャは姉らしく、少年の背を優しく抱くと、ぽんぽんと軽く叩いた。ミッシャと呼ばれた弟は、姉の言う通り、黙ってうなづくと、彼の居るテーブルへと近づいてきた。
そして少年は、彼の姿を見て、目を見張った。大きな、透き通った青い瞳が、彼をじっと見据える。
彼は、一瞬戸惑った。
何を言い出すんだろう? 何と答えたらいいんだろう?
ずっとこんな年頃の子供など、見たことがない。士官学校から続く、軍隊生活。その中には、少女も少年も、存在しなかった。
あったのは、ただ…
数秒の緊張が、彼に走る。
だがそれはほんの束の間だった。ミッシャは、彼に不意に笑いかけたのだ。彼は途端に、全身から力が抜けるのが判った。そしてとりあえず、こう訊ねてみる。
「…君が、ミッシャ?」
少年は、黙ってうなづいた。年の頃は、十かそこらだろう、と彼には思われた。普通の基準なら。自分達ではないのだ。
「ミッシャ、こっちいらっしゃい」
サッシャが救急箱を持って入ってきた。
中からファースト・エイドを取り出して大きく弟の所々についている擦り傷に塗る。ミッシャは少しばかり顔をしかめたが、慣れているのか、すぐに平気な顔になった。
「もう大丈夫」
そしてまた、軽く抱きしめる。彼はその様子を見て、何となくくすぐったい感覚を覚えた。
そして弟は、軽く首を動かすと、彼の方を向き、不思議そうな顔をした。
「そう。目を覚ましたのよ。やっとね」
少年はにっこりと笑った。そして、小さな手を伸ばすと、彼の手を取って、ぎゅっと握った。その様子を見て、彼ははっとした。
「まさかこの子は」
「そう。口がきけないのよ。十年前から」
そしてとどめを刺すように、彼女はこう付け加えた。
「アンジェラスの軍勢の、絨毯爆撃の時からね」
*
別に何かする必要も無い、とサッシャは言ったが、さすがにそれは彼も困った。
「だって今まで二人でやってきたのよ。あなたがするような仕事なんて何もないわ」
サッシャは言う。だが、その言葉に甘えているのは心苦しかった。
そんな気持ちが顔に現れていたのか、仕方ないわね、と彼女は奥の物置から、草刈りの時に使う鎌やかごを持ち出した。
「別に庭なんて放っておいてもいいんだけど… 戦争中なんだし。いつ敵がやってくるか判らないのに、手入れなんて」
でもやってくれるなら嬉しい、と彼女は付け足して、彼に道具を手渡した。
さすがに彼は多少戸惑った。庭の手入れ、もしくは雑草刈り。そんなことは士官学校以来だった。もうずいぶん昔に思える。母星の、穏やかな気候の中。
だが、その彼女の行動自体は、彼にひどく疑問を起こさせる。
そもそも、サッシャが自分を助けて家に置いている理由が彼にはさっぱり判らないのだ。
彼女は気付いているはずなのだ。
傷ついた自分の服をはいだのなら。彼が天使種だと。
彼女たちの言う、アンジェラスの、敵軍の人間だと。
―――いや、人間とは言えないのだけど。
ざくざくと、鎌で長く伸びた雑草を刈りながら、彼は内心つぶやく。
単調な作業だった。
長く伸びた雑草を掴んで、なるべく根本から鎌で刈っていく。
刈った草は、とりあえずかごに入れ、適度にたまったら、一所に集めて盛り上げていく。
燃しては駄目よ、とサッシャは言ったから、その後のことは彼女にまかせよう。煙がまずいのかもしれない。
鎌でやり通せない部分は、手でそのまま、根こそぎ雑草を引き抜く。
土が堅くて草がちぎれてしまうような場合には、小さな鋤で、周りを軽くならして。
黙々と、彼は作業を続けていた。
だが黙ってそんなことを続けていると、次第に、頭の中には様々な記憶がよぎっていく。
最後の記憶は、青い空だった。
冬の近づく、冷たい惑星の秋の、綺麗な青い空だった。
自分は、その空を視界いっぱいに捉えながら、墜ちたのだ。
墜ちた。もしくは墜とされた。
長い前髪が煩い。後ろの髪は彼女が貸してくれたゴム紐でくくってあるが、そこからもれた前髪が、時々ぱらりと前に落ちてくる。
煩わしい。いっそこの手にした鎌で刈ってしまおうか、と思わなくもない。
とりあえずは、と彼はその長い前髪は、耳にはさんだりしてその時々をやり過ごす。
ふっとその髪をもてあそんでいた大きな手の感覚を思い出す。
髪をかき上げる手、そこから頬に降りてきた手、そして。
草のちぎれる時に放つ匂いが、初夏の太陽の下、むわりと広がる。
鼻をつく、青臭い匂い。水分が空へ昇っていく。湿気が次第に増していく。
「痛」
ふと左手の人差し指に痛みが走る。視線を移すと、緑の中に、赤い色が鮮やかだった。鎌の先が、草を掴んでいた指をかすめたらしい。
彼は指の傷に唇を当てる。吸い出した血は、何やらひどく冷ややかな味がする。
そして、彼が唇を離した時には、その傷は既に埋まっていた。
これくらいだったら、あと一分もあれば、綺麗な新しい皮膚がきっちりとその上にかかるだろう。
そしてその様子を見るごとに、彼は自分が何者であるのかを、改めて実感する。
そうだよ。
切り付けられてもすぐにその傷は埋まる。
腕の一本や二本折られたところで、すぐに治ってしまう。
殺しても死なない、と噂される、「最強の兵士」の種族。―――天使種。
そうだ、俺は墜とされたんだ。
傷が埋まっても、残る微かな痛みに、彼は今更の様に認識する。
「墜ちる」という言葉は、彼等の種族に特有の意味を持っていた。
とはいえ、彼等は、その意味を「判って」いた訳ではない。それを実際に経験する者は、種族の中でも殆ど存在しないのだ。彼はそう聞いていた。
アンジェラス星域に住む「天使種」は、そう呼ばれるだけあって、他惑星の住民とは異なった特殊能力を多々備えていた。
例えば恐るべき治癒力、例えば不老不死、
例えばテレパシイ。
個人の差はあれど、そんな能力を何かしら備えた種族。
だがその能力の正体は、その星域に住む彼等にしか判らないものだった。
複合生命体。
移民した人間達は、その地で生き残るために、その地に古くから存在した位相の違う生命体と折り合った。結合したのだ。
位相の差が、彼等に特殊な能力をもたらした。その能力は、世代を経るにつれ、弱まっている。世代を経るにつれ、彼等は、異種生命体が「共存」している形から、「融合」している形へと変化していたのだ。
つまりは、人間からどんどん遠のいている訳だよな。
彼は内心つぶやく。それはその事実を告げられた時からの彼の口癖のようなものだった。そしてそこには、必ず自嘲の色を含めて。
ふう、と彼は一息ついて、立ち上がった。
額と言わず首すじと言わず、初夏の太陽の下、汗がだらだらと流れる。
見上げると、やはり空は青かった。ただそれは、あの惑星で見たもののように、冷たくはなかった。
一体あれからあの惑星はどうなったんだろう。
あのレプリカント達は。長い髪の、人懐っこい目をした奇妙な奴は。
後でサッシャに聞かなくては。彼女は知っているだろう。それは過去だから。
そう、過去なのだ。
彼は飛び込む光に、目を細める。まぶしい。くらくらする。
過去なのだ。それも、かなりの時間が経っている。
信じたくはなかった。だが、あの食事の後、彼女の話をつらつらと聞くうちに、彼の中で、それは確実となった。
自分は、あの惑星で墜とされ、時間と空間を越えて、この地へ、この時間へと飛ばされたのだ。
おそらくは、あの時点から、数十年は経っている。
アンジェラスの軍勢は、彼が「墜ちた」時点では、まだ他の惑星に侵攻しようとはしていなかった。
その光景は、少なくとも、現実の風景の中にはなかった。
あったのは。
彼はかがみこんで、刈った草を手に抱える。草の匂いがむっと鼻をつく。
このへんにまとめといて、とサッシャに言われた場所に草を積み上げていたら、彼女と似た形の前掛けをした中年女性の姿が庭の柵ごしに目に飛び込んできた。
「…おやあんた、もう大丈夫なのかい?」
語尾の跳ねる、イントネーション。あああの時彼女と話していた相手か、と彼は気付く。
ええ、と曖昧に彼はうなづいた。言葉自体は星間共通語を使っていたとしても、そのイントネーションは、各地で異なってくる。
ここの者と思われる必要はないが、少なくともアンジェラスの人間であることを知られることは避けなくてはならない、と彼は思った。
距離を置かねば。だがそう思った瞬間、彼女はぐっと身を乗り出して、彼の顔をのぞきこんできた。
「おややっぱり黒い目だ」
「…え?」
「サッシャの好みってのは判らないね。何だって黒いのなんて、いつもいつも拾うんだろう?」
「いつも?」
彼は短く問いかけた。すると彼女は大きくうなづいた。