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1 彼にシンデレラの名をつけた女の子

「反応が… あります」


 黒髪の麗人は、その声にちらと視線を動かした。


「…予想されるポイントは…」


 数字がつらつらとコンソールに向かう士官の口から読み上げられる。

「実体化する… 予想される時間の時差は、共通時間でプラスマイナス15時間、というところです」

「その場合の個体の生存条件は?」

「…個体の性質にもよりますが…」

「貴官には既にそのデータは回した筈だが? タニエル大佐」

「は」


 タニエル大佐と呼ばれた士官は、彼の現在の唯一の上官に立ち上がって非礼をわびる。

 だがそれはほんの数秒にも足らない時間であった。すぐに彼は目を軽く閉じ、ある種の情報を頭の中で整理し統合した上で、目の前のコンソールに、指と、それに連動したスキャニングカーソルを走らせる。彼の上官は、そんな儀礼的な部分に無駄な時間を使うのを好まない。

 そして彼の上官は、無言でその作業を見つめている。

 視線が重い。椅子の柔らかなクッションを突き抜けて、その視線が背中を焼くような感触がある。

 一分と経たないうちに、大佐自身と彼の愛用のコンビュータは、連動して彼等なりの答えを見つけだした。椅子がくるりと回る。


「…総司令閣下のご命令により走査した個体ですが、出現することは確実と思われます。ただその地が地でありますから…」


 彼は言いごもる。そこにすかさず、彼の上官は言葉を投げる。


「続けろ」 


 彼の上官は、下の世代が上の世代に持つ躊躇など全く認めないとでも言うように、短く次の言葉をうながす。大佐は何となく胸のあたりに圧迫感を覚えつつ、自分達の出した結果を再び口にする。


「外見的・性質的に見ても、その指定される個体が、閣下の要求される結果を生み出すことは確実かと思われます」

「では貴官は何をすればいいのか判っているな」

「はい」


 よかろう、と言葉を放ると、総司令はつと席を立った。長い黒髪をなびかせて、靴の音も高らかに、鮮やかとも言える印象を残して立ち去って行く。

 とたんに大佐の背中から胸から、視線の圧迫感は消えていく。だが扉が閉まるまで、彼にまとわりつく存在の圧迫感は消えなかった。

 無論それは完全に消える訳ではない。たかが第五世代の自分にとって、あの偉大なる第一世代の総司令は、大きすぎる存在だった。できることなら放っておいてもらいたいくらいだった。だが。

 思わずコンソールにつっぷせると、彼の愛機の人工知能がその行動の変化に気付いたのか、柔らかな色でシグナルを送ってくる。彼は顔を上げると、自分の相棒に軽く笑ってみせる。

 本当なら本星で、過去の資料を、自分の能力とこの相棒と一緒にまとめることだけに没頭していたかった。それが一番自分に向いているように思えていた。

 だが―――

 短い髪をくしゃくしゃとかき回しながら、彼は総司令の特定し、走査させた個体のデータを相棒の画面に映し出させる。可哀想に、と彼は思う。

 その対象は、自分より二世代下と聞いている。まだ若い。

 可哀想に、と彼は再び思う。自分がほんの短い時間、居るだけでこれだけの圧迫感を覚えるというのに、一体何を見込まれてしまったというのだろう。

 そして彼はそのデータの整理を始める。

 蒔いた種を刈り取るために。



「…ったく、おせっかいにも程がある!」


 中年女の声だ、と彼は思った。その中には語尾にやや舌打ちを混ぜたようななまりがあった。

 何処の方言だったろう?まどろみの中で、彼は記憶をたどる。だが考えはまとまらない。当然だ。頭はまだ睡眠を欲しがっている。


「だけどおばさん、ケガしている人を放っておけはしないじゃない!」


 やはり語尾に特徴のある声が、もう一つ彼の耳に飛び込んでくる。もう一人よりは格段に若い、大人になりかけた少女の声。そしてふう、とため息をついて、中年らしい女は、いきなり声のトーンを下げた。


「…あんたらしいっていや、とってもあんたらしいんだけどねえ…」

「ごめんねおばさん。だけど」


 声はかなり近づいていた。しゃっ、という音がして、まぶたの裏が急に明るくなる。部屋を仕切っていたのか、窓に掛かっていたのか判らないが、カーテンの開く音。だがまだ重くてまぶたは開こうとはしない。


「…も少し、あたしのしたいようにさせて。お願い」

「まあね、あんたがそれで、本当にいいならいいんだよ、サッシャ」


 サッシャと呼ばれた若い女性は、なかなかその言葉には答えない。


「でも、長くは置けないよ。判ってるね? 見て判るだろ?」

「判っています」


 そして部屋から一人、出て行く気配があった。どうやら若い方が残ったらしい、と彼は思う。そんな気配だ。

 まぶただけではなく、背中が腕が脚が、ひどく暖かく、重い、と彼は感じていた。どうやらずっと眠っていたらしい。いつからなのか、どのくらいの時間、そうしていたのか、さっぱり見当がつかない。

 そしてここが何処なのか、さっぱり見当がつかない。

 ふと、サッシャと呼ばれていた若い女の気配がひらりと動いた。部屋を横切り、近づいてくる。彼の傍らまで来る。のぞき込んでくる。空気の動く気配、温度の微妙な変化が、彼にそう伝えている。


「…まだ起きないのかしら」


 つぶやく声。確かに何処かのなまりが感じられる。一体何処だったんだろう。昔、母星の士官学校で、学んだ気がする。特徴のある、ある星域の。


「起きればいいのに…」


 確かに記憶にある。起きて確かめてみなくてはならない。だけど、まぶたが重い。背中が暖かすぎて、なかなかシーツから離れられない。無防備すぎるにも程があるが、気持ちいいものには変わりはない。

 だが、次の瞬間、心地よいまどろみは、その終止符を無理矢理に打たされた。


「いい加減起きなさいよっ!」


 そのサッシャの声がはじけるのと同時に、彼は両肩を強く掴まれるのを感じた。

 鍛えられた身体は、反射的に動いた。それまで貼り付いたようだった背中は、飛び上がるようにシーツから離れ、肩を掴むそう大きくもない手を思わず掴んでいた。

 そして重かったはずのまぶたの下に沈んでいた瞳は。


「…やっぱり」


 薄青の瞳が、大きく見開かれて彼を見据えていた。


 やっぱり? 


 彼は声の出所を確かめる。だがそれは一つしかなかった。サッシャと呼ばれていた若い娘の口から、それは漏れていた。離して、と手を振り切ろうとした時、淡い金色の髪が、結われながらも落ち着かない様子で、ぽろりと一房こぼれた。


「…痛いじゃないの」

「あ… ごめん」


 青い瞳が、彼を強くにらみつける。その強い光につい彼は気圧され、思わず手を離していた。彼女は握られていた手をさすりながら、ふうん、と首を軽く回すと、彼をあらためてまじまじと見つめた。


「あなた思ったより、元気そうじゃないの。拾った時には今にも死にそうだったのに。死んでるかと思ったわよ」

「君が、助けてくれたのか?」


 ううん、と彼女は首を振った。巻き毛がまた一つこぼれる。


「拾ったのはあたしよ。だけど見つけたのはあたしじゃないわ。ミッシャよ。弟よ」


 そしてさすり終わった手に、彼女は仕上げとばかりにふっと手首に息を吹きかけた。


「あたしの弟はね、とぉってもカンがいいの。だから、あなたが外の草っぱらに転がってるのに、いちはやく気付いたのよ。でもねさすがに引きずってくるのは苦労したわ。重いんだもん。この非力な女にちょっとは礼の一つも言ってもらいたいわね」

「…ありがとう」

「やだ、何かすごくおざなり」


 彼女は肩をすくめる。そうは言われたところで。彼は少しばかり困って、長い前髪をかき上げた。ふと、その拍子に、長い、後ろの髪が縛られていないことにも気付く。


「…じゃあどう言ったらいいのかな?」

「そういうのは、自分で考えるものよ」


 尤もではある。

 だが彼にはなかなかその一言が見つからなかった。やれやれ、という顔をして、彼女は前掛けを結んだ腰に手を当てた。


「ま、いつだっていいわ。も少し落ち着いたら、言ってちょうだい。あたしじゃなく、弟にね」

「君の弟は、今出かけているのかい?」

「まあね。ちょっとね。それよりあなた、もう起きられるんなら、起きて食事した方がいいわよ。最もすぐにばくばく食べちゃ駄目よ。あなたずいぶん長く眠っていたんだから」


 一気にまくしたてると、彼女は部屋の隅の棚の扉を大きく開け放つと、中から地味な色合いの服を取り出し、彼に放った。そういえば、と彼はその時自分が、それまで着慣れていた軍服ではなく、ゆるやかな夜着であることに気付いた。

 彼女は、そんな彼の当惑に気付いたのか、彼女はごそごそと棚の中をかき回しながら、彼に言葉を放る。


「あんたの服は、ぼろぼろだったから、燃したわよ」

「燃した?」

「あんた馬鹿? ここを何処だと思ってるの?」


 何処?


「まさか覚えてないなんて、ものすごぉく古典的な言い訳をするんじゃないでしょうね?」

「…いや…」


 何だろう。何かひっかかっている。語尾の跳ねる音。


「…ハンオク空域の… 確か、惑星オクラナ…」

「いつの呼び方してんのよ。ハンオクのオクラナ、なんて。あんたそんな格好して実は一皮むいたらじーさんだっていうんじゃないでしょうね?」

「違うのかい?」

「間違ってはいないわよ。四十年前だったらね」


 素っ気なくサッシャは言った。だが彼はそれを聞いた瞬間、一気に自分の血が引く音を聞いたような気がした。


「それとも、よっぽどあんたの母星では、そんな昔の教科書しか使っていなかった?今はココラヤ共和同盟よ」

「…いや…」


 彼は再び、髪をかき回していた。そしてずるずるとそのまま頬に手をやる。あの頃はまだ、そんな同盟軍など、存在していなかった。それは確実だ。自分の記憶が確かなら。

 だとしたら。彼はゆっくりと手を外し、渡された服を手に取った。彼女はそんな彼を見ながら、ふうん、という顔をする。


「…あらためて見ると、あなた綺麗よね」

「は?」


 彼は思わず問い返した。


「思った通り。黒い髪に黒い目が映えてとっても綺麗」

「…それはどうも」

「何よ、素っ気ないわね」


 そうは言われても。彼は軽く眉根を寄せる。「格好いい」ではなく、「綺麗」と女の子に言われるというのは、なかなか複雑なものなのだ。

 そして複雑と言えば。


「…ちょっと出ててくれないかな?」


 彼は軽い微笑みを浮かべると、できるだけ穏やかな声でサッシャに問いかけた。


「何で」

「…着替えたいんだ」

「何を今更。あなたを着替えさせたのはあたしよ。別に見たって減るもんじゃあるまいし…」  


 彼は思わず頭を抱えた。そういう問題ではない。でもまあいいか、と彼女は棚の中から厚手のサンダルを出して、ベッドの脇に置いた。新しくはないが、ざっくりとした、履き心地のよさそうなものだった。


「あなたの足のサイズまでは判らないからね。靴も燃してしまったし。髪を束ねるゴムか紐は欲しい?向こうの部屋に居るから。スープでも用意しておくわよ…えーと」


 矢継ぎ早にまくし立てていた彼女はそこではたと言葉に詰まった。唇に人差し指を当てると、軽くうなづく。


「聞き忘れていたわ。あなた何って名?」

「名? …え…」


 そう言えば、まだ聞かれていなかったな、と彼は悠長に思い出す。


「忘れていたなんて、言うもんじゃないわよ。本当に忘れている? もしも忘れているならあたしがあたしの好きな名をつけるわよ? いい?」


 いいも何も。だが彼はそのまくし立てる調子にすっかり呑まれて思わずうなづいていた。


「よし。それじゃ、あなたはサンドよ」

「サンド?」

「サンド・リヨン。あたしはそう呼びたいのよ」

「サンドリヨン(シンデレラ)?それじゃあんまりだ」

「何があんまりよ」


 サッシャは腰に手を当てる。


「時間制限のある綺麗さんは、誰だってサンドリヨンなのよ。何か文句ある?」

「だって君、それは女性のことじゃないか!」

「そんなことないわよ。あたしは昔、かーさんからそう聞いたわよ。男でも女でも綺麗さんならいいのよ。だいたい拾われた名前も言いたくない奴が文句言うんじゃないわよっ!」


 スープが冷めないうちに来なさいよ、と言い残して彼女は扉を閉めた。

 そして彼は、ばさ、と手にした服の袖がひざに落ちるまで、閉ざされた扉をぽかんとした顔のまま見つめていた。

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