13.霧中の兎④
当初、継承戦に参加していた皇族が二十名を超えていたのは間違いない。そして、その人数は皇統に連なる嫡流の総数であるはずだ。代々に渡って「ただ一人だけを残す」儀式を繰り返してきたこの国の皇族には、庶流というものが存在しえないからだ。
それから、辺境に落ち延びたマリーや、その傍らにあった俺やカタリナの与り知らない場所で、継承戦は着々と進行してしまって半数近くが死に絶えたらしい。
これはまったくの想像だが、それなりの要職に就いていただろう皇族が次々に死亡するなどと、皇都辺りはさぞ混乱しているに違いない。
《夜の者》なる異端の暗殺者を差し向けただろう皇族も、残り少なくなった皇族のうちの一人であるのは間違いないだろう。ただ、その辺の情報を収集するには、重ねて言うが、辺境暮らしであるところの俺やカタリナには不可能だ。
最新に近い情報を収集していたのは、主にミラベルだ。彼女の配下である水星天騎士団が手足となり駆け回り、耳となって生きた情報を掻き集めている。
その水星天騎士団の責任者であるらしい副団長のトビアス・ガルーザ卿は、教会の執務室に設置された古いマントルピースの前に仁王立ちしていた。
ヴォルフガングほどの巨体ではないが、老年にしては逞しい体つきをしている。そんな騎士が鎧を纏って厳めしい顔で立っているのだから、結構な迫力があった。
「我々とて、団員を襲われては黙ってはおられません。十名ほど選り抜きましょう。それでよろしいか、ルース卿」
「それで結構です。ただ、一言付け加えさせて頂きますが、わたくしは騎士ではありません。勘違いをなされませぬよう、お願いいたします」
そんな老騎士を相手に一歩も引かず、滑らかに言い切るカタリナも相当なものだ。協力要請の交渉に同席した俺とウィルフレッドは、ついぞ口を出す機会がなかった。形無しである。
カタリナの言葉を聞くや、ガルーザ卿は不意に相好を崩した。まるで孫でも見るかのような穏やかな表情を浮かべ、諭すような口調で言った。
「いけませんな。貴女がそのように騎士を率いれば、誰もがお父上の跡を継いだと見るでしょう。九天の名、決して軽くはありませぬ。故に、私もそのように受け取らせて頂く。ゆめ、お忘れなきよう」
どうにも迂遠な話だが、要するに「立場には責任が付き物」と言っているのだろう。
老婆心というか何というか。
ガルーザ卿は若輩の騎士に心得を説いているらしい。
「ご忠告、感謝いたしますわ」
ニコリと笑って返答するカタリナにも、老騎士の親切は正しく伝わったようだった。
教会に来るまでの間で、街の東部と北部はおおよそ調査済だ。安宿や空き民家に怪しげな集団が潜んでいるなどということはなく、それは昨日から独自に動いていた水星天騎士団の方でも確認済であるらしい。
これで南部に向かったヴォルフガング達も空振りならば、ほぼ間違いなく、敵は街の中にいない。残る可能性は街の外ということになる。
「さて、セントレア周辺の平原に野営が行われている形跡は見当たりませんな。他に考えられるとすれば、隣町のリンダース、西の丘陵地帯の奥にある森、或いは……」
「き、北の森ですねっ?」
街と周辺一帯の地図を指し示して話す老騎士の言葉を引き取ったハリエットが、まるで快哉のように言った。
内容は昨日の俺の受け売りなのだが、声には出さないでおく。
「左様。采配はルース卿にお任せするとしよう。如何なされる」
「そうですね……」
ここまでトントンと話を進めていたカタリナが、初めて言い淀んだ。
難しい判断だ。
今のところ、敵の居所についての手がかりは何もない。三つの候補、それぞれ確率はほぼ均等といったところに見えるだろうが、個別に探索していては日が暮れてしまう。
ちら、とカタリナの目が俺を見て、すぐに離れた。ばつの悪そうな表情で明後日の方を向いてしまう。
どうもやり難い。
俺は少しだけ思案してから、地図を見ながら口を開いた。
「取り敢えず、隣町は捨てていいんじゃないか」
「その根拠は?」
間髪入れずに尋ねてきたサリッサに、すらすらと答える。
「隣町には地方領主お抱えの騎士団がいるし、まあ、この辺は田舎だからな……やっぱ人口は少ないんだ。よそ者は目立つ。そういうのは普通、避けると思うぜ」
祭りに沸いている今のセントレアなら人に紛れることも可能だが、隣町ではそうはいかない。可能性は低いだろう。
首肯する面々の中、俺は言葉を続けた。
「で、北と西の森のどちらかってなると、可能性が高いのは北だろう。西は丘陵地帯を挟んでるから少し距離がある。俺が拠点を選ぶなら、北の森だ」
根拠としてはやや弱いが、とだけ付け加えて俺は再び沈黙する。
ここで方策を決めるのは俺ではない。カタリナだ。
「では、北の森を本命として私達で押さえます。他も無視はできませんから……西の森はヴォルフガングさん達に。ガルーザ卿、隣町をお願いできますか」
言われ、老騎士は面食らって唸る。
「それでは……読み通りに北の森に異端者らが潜んでいれば、貴女がただけで戦うことになる。危険ではありませぬかな」
「問題ありません、ガルーザ卿。この名、軽くはないのでしょう?」
涼やかに言ってみせた少女に、老騎士は今度こそ破顔した。
「なるほど、確かに先代のご息女であられますな。いいでしょう。リンダースが空振りであれば我々も速やかに後詰に回ります」
「では、そのように」
サリッサ達を伴って退室していくカタリナを見送ってから、俺は老騎士に歩み寄った。たちまち厳めしい表情に立ち戻ったガルーザ卿が、がしゃりと鎧を鳴らして向き直る。
無視されたらどうしようかと思ったが、杞憂だったらしい。
「姫殿下に同行しているはずの貴殿が居るのは解せませぬな。いったいどのようなおつもりなのか、お聞かせ願いたいものだ」
「その辺は色々と事情があるんですよ。彼女らだけ守っていればいいって状況でもなくなってきてるもんで」
「承服はしかねますが、あえて問いもしませぬ。この老骨の分を超えた話になるでしょうからな。昨日、貴殿が我が騎士団の甲冑をくすねた上で天幕に紛れ込んでいたのも、ひとまずは不問としましょう」
さすがに副団長殿にはバレていたらしい。
引きつった笑みを浮かべる俺に、どうも人の悪い性格をしているらしいガルーザ卿は、しかし、険しい表情を一片も崩すことなく粛々と告げた。
「姫殿下からは、有事の際には騎士団の総力を以って貴殿に協力せよと仰せつかっております。あの方は……貴殿をこの水星天騎士団の長として据えるおつもりのようだ」
「な、なに……!?」
俺は絶句するしかない。
どこの馬の骨とも知れない田舎門番を、いきなり騎士団長に指名するなどという話が通るはずがないし、誰も納得しないだろう。
だが、やりかねない。あの年齢にして立場と力とを築き上げてきたミラベルなら、その程度の危うい綱渡り程度は何度もやってきたはずだ。
事ある毎に様々なアプローチで俺を抱き込もうとしていたのは、そんな意図もあったのだろう。そんな大仰な企てをせずとも、俺は彼女の味方なのだが――
固まる俺に、老騎士は幾分か――呆れのようなものを滲ませる声で言った。
「もし騎士として叙任されれば、貴殿も貴族として見なされる。更に功を上げれば爵位を認められる目もある。そうなれば、姫殿下とも甚だの身分違いという話ではなくなりましょう」
ん?
俺は顔を上げ、いつの間にか険しい表情から、ほとほと困り果てたといった表情へと変貌している老騎士のいかつい顔を見上げた。
「ちょっと待て、あんた何の話をしてる」
「……皇国の呪われた歴史の中においても、勝ち残った嫡子以外が婚姻を結んだ例が、まあ、ないわけではない。かの始祖帝を打倒しえたのなら尚のこと現実味を帯びる。姫殿下はそのようにお考えなのです」
俺は、大層あほみたいな顔をしていることだろう。
順序がおかしい。皇帝を倒すために俺を抱き込むのは、まあ、かなりどうかと思うが合理的ではある。しかし、皇帝を倒したら俺と結婚できるかもしれない、というのは色々とおかしい。本末転倒ではないか。どうしてそうなる。
「あの子は何を考えてるんだ、まったく」
「この老骨には、これ以上申し上げる言葉はありませぬ」
ガルーザ卿自身、納得とは程遠いのだろう。深い溜息と共に目を伏せた。
彼もミラベルには手を焼いていると見える。その様子は、未明に見たジャン・ルースの渋面をどこか思い起こさせるものだった。
彼を責めても何も始まらない。俺は思考を切り替え――問題を先送りにしたとも言うが――老騎士に問いを発した。
「じゃあ現状、水星天騎士団には騎士団長がいないのか」
「対外的には姫殿下自らが名を連ねておりますが、形だけですな。騎士達は若く実戦経験に乏しい者か、私のように引退寸前の者ばかり。務められる者はおりませなんだ」
「そうでもないと思うが」
俺は水星天騎士団との戦いを思い出しながら呟いた。
確かに錬度にバラつきがあったように思うが、なかなかに手強い騎士も居たように思う。もしかすると、あれが古参の騎士だったのだろうか。
「しかし……率直に申し上げるが、私は貴殿も適格だとは思いませぬ。信用もしていない。姫殿下の意向を無下にするわけにもいかぬというだけのこと。勘違いをなされるな」
「逆に、そうでなきゃあんたの正気を疑うところだ、ガルーザ卿。俺もあんたらの上に立とうなんて思わないよ。そんな資格は俺にはない」
俺には、騎士になる資格などない。
己の力で戦ってきたわけでもない人間が、名誉の為に心血を注いで自らを鍛え上げている「騎士」という人種に値するなどと、断じて認めるわけにはいかない。欲がどうという以前の問題、これはポリシーだ。
しかし。
俺一人で何もかもができるわけでもないのもまた、厳然たる事実なのだ。もし、まだ俺が僅かにでもそう思っていたのなら、それは傲慢と言う他ない。
山積した問題を解消することに比べれば、俺のちっぽけなこだわりなど、そこらに転がっている麦屑の方が枕の中身になるだけまだ価値がある。
一呼吸置き、俺は老騎士の双眸を真っ直ぐに見据え、言った。
「だけど、もし……あんたの中に、俺に対して恨み以外の何かが僅かにでもあるなら……ひとつだけ手を貸して欲しいことがある」
「……伺いましょう」
ミラベルに協力を命じられているガルーザ卿には応じる義務がある。
しかし、俺は命令ではなく頼みごととして言葉を口にした。
「人手を借りたい。できるだけ大人数……可能なら騎士団全員をアズルの街に移動させてほしい。明後日の晩までにだ」
騎士の太い眉が上がり、強い意志の力を湛えた目が俺を見下ろした。
移動と言えば簡単に聞こえるが、ただ移動するにしたって時間と費用はかかるものだ。ましてや騎士団全員ともなると、二つ返事ですぐ始められるような話ではない。
俺がそう理解した上で言っているのだと、老騎士は見抜いたようだった。却下も抗弁もせず、ただ一言だけを言った。
「何の為に」
「人命救助だ。明後日の晩、ドーリアがアズルを襲撃する」
「なんだと!?」
唸り、身を乗り出そうとした老騎士を掌を上げて制し、俺は騎士に背を向けて歩き出した。時間が押している。いつまでもカタリナ達を待たせているわけにもいかない。
「まず目の前の敵を何とかしよう。話はそれからだ。準備だけは進めておいてくれ」
「よもや偽りではありますまいな……! 冗談では済みませぬぞ……!」
「その時は俺を斬れ。抵抗はしないと約束する」
背に掛かった言葉に端的に答え、ドアノブに手をかけた俺は、今思い出したかのような演技をしながら、言葉を失って呆然とした様子のガルーザ卿を振り返った。
「ああ、そういえば昨日、ヘッケル氏の天幕に誰か来なかったか。俺の前か後で……例えば、そうだな。九天の誰かとか」
「……いえ、我が騎士団の者を除けば、貴殿の後に来たコールマン医師だけだったかと……それが何か?」
「そうか。ありがとう」
礼を言い、執務室を後にする。
後ろ手でドアを閉じた俺は、壁にもたれ掛かって木床を見下ろしながら、どうしようもないほどの怒りが自身の中に生じつつあるのを自覚した。
誰に対しての怒りなのか、何に対しての怒りなのか。分からないまま、俺は木床を蹴って前へと歩き出した。




