11.偽り③
診療所の一室。
極低温の眼差しを前に、俺は蛇に睨まれた蛙のような心境で突っ立っていた。
なぜか滅茶苦茶怒っているらしいカタリナは、ちょっと記憶にないくらい威圧的なオーラを放ちながら腕組みをしている。その傍ら、相変わらず療養中の身である九天の騎士の長、ジャン・ルース氏も、ベッドの上で珍しく狼狽した様子を見せていた。
髭面は一見すると固く口許を引き結んで締まった表情に見えるのだが、目線は落ち着きなく彷徨っているし、時折「ぬぅ」だの「むぅ」だのという微かな唸り声を発している。作務衣に酷似した東洋風の衣装の袖から伸びた太い腕も、組んだり離れたりと落ち着きがない。
実の娘を恐れ過ぎではと感じないでもないが、そういえばこの男は娘に風穴を開けられた経験があるのだった、と思い至って僅かに同情する。
「色々と腑に落ちん事もあるが……委細、承知した。サリッサは気の毒だったな」
俺とサリッサが過去に遡るまでの事のあらましを全て聞いた上で、ジャンの第一声はそれだった。反駁は一切ない。いささか飲み込みが良過ぎる気もする。
「いえ。お気遣い感謝いたします」
小さくなってしまった黒髪の少女は、今は態度まで小さかった。突っ立つ俺の更に後ろに控え、槍を床に置いて片膝をついている。見た目が子供でなければ幾分かは騎士らしい仕草なのだろうが、見た目が子供なので道徳的に問題があるような光景に思えてならない。
澱みなく返事をしたきり、サリッサは顔も上げずに無言を通した。部下の堅い様子にジャンは一瞬だけ渋面を浮かべたが、すぐに俺の方を向いて口を開いた。
「貴様が神話に伝えられた《剣の福音》だという噂は、以前より騎士達の間で広まっていた。出所はミラベルだろう。水星天の騎士達は国教会寄りの者が多く、信心深い。敬虔な神の信徒であり、主でもあるミラベルの言葉に加え、貴様が南平原で見せた人外の業もある。それなりの人数が信じ始めているようだ」
「あんたは現実主義者だ。まさか信じちゃいないだろう」
「俺は何でも構わんのさ。真実であろうが、そうでなかろうが。貴様や皇帝の正体が何であれ、どのような力を持つ化生であれ、重要な事ではない。人の世と皇国に仇なすか否か。それさえ分かっていればいい」
徹底している。
ある意味では皇国そのものが、成り立ちの瞬間から異邦の怪物の手になるものなのだと知っても、きっとこの男は同じ言葉を言うに違いない。
「数多の勇士が奴の命を狙ったが、誰ひとりとして生きては戻らなかった。その奴の喉元にまで刃が届き得るのであれば、貴様の素性など些末なことだ」
「そうかね」
「必要なら協力もしよう。もっとも、今の俺にできることはあまりないが……こんな時間に押し掛けて、まさか何の用向きもないということはあるまい」
口許に皮肉げな笑みを浮かべ、ジャンは湯飲みの薬茶を啜る。
どう話すか僅かに考えてから、俺はやはり単刀直入に話を切り出すことにした。
「夜の者とやらについて教えてくれ」
「……っ!」
背後のサリッサが反応する気配がした。
しかし、ジャンは僅かも表情を変えず、聞き返す。
「なにが知りたい」
「人数構成や戦闘法が分かれば最上だが、別になんでもいい。あんたが知ってる事を全て教えてくれ」
ふむ、と目を閉じ、初老の騎士は両腕を袖の中で組んだ。
思案は長くなかった。
「夜の者とは何度か戦ったが、俺も多くは知らん。人数は恐らく十に満たんだろう。既に戦ったのなら知っているだろうが、奴らは武器らしい武器を用いない。暗器の他は拳や術を得手とする。暗殺を生業とするのなら、見て分かるような武器を持つわけにもいかんのだろうな」
「素手に剣が弾かれた。あれはいったい何だ。魔法か」
「あの技は魔手と呼ばれているらしい。貴様も剣に魔素を通して纏わせるだろう。奴らは同じことを己の肉体で行っている。肉体そのものを血の通った武器とするのだ。奴らしか持たぬ、無二の技だ」
あの黒ずくめの手刀は、鋼の甲冑を易々と貫いてみせた。
体術で二段は俺を上回るジャンだが、あれと同じ真似は彼にもできないのだろう。
「奴らは皇国の騎士とは対極に位置し、敵対する者であり続けながら数百年の歴史を持っている。これが、どういう意味か分かるか」
「……かの者達が騎士よりも強いということでしょうか」
押し黙っていたカタリナが初めて口を開いた。
相応の貫禄を漂わせる初老の騎士は、娘の言葉に曖昧に頷いた。
「相性が悪いと言うべきかも知れんな。剣も鎧も通じん。並の騎士では太刀打ちできんのが道理だ。無論、正面から戦えば数や魔術で押すこともできるだろうが、あれらはこの数百年、騎士に決して尻尾を掴ませなかった。小競り合いではあちらに分がある」
「過去に九天が交戦したのはどういう状況だったんだ?」
「異端者狩りのさなかだ」
異端者狩り。耳に馴染みのない単語だ。
ウッドランドの国教は一神教を下敷きにした教義を持っている。それらは長い歴史の中で独自の変容を遂げてはいるが、概ね異界の一神教と同じものだ。
異端という言葉のニュアンスも現世のそれに近いだろう、と勝手に解釈しておく。
「夜の者らは国教とは異なる神を信仰している。ミラベルに付き従っていた我々の主だった任務のひとつが、異端者を取り締まる異端審問だった。夜の者はそういった者達の守護者でもある」
「……なるほどな。合点がいったよ」
ミラベルが頭抜けた戦力を保有できた理由は、彼女が国教会で異端審問を請け負う立場だったからだ。夜の者と戦ってみた限り、異端者側も侮りがたい力を持っている。十分に対抗するには、皇国側も九天の騎士や外典福音といった、ある種のイレギュラーを持ってくるしかない。
もしかすると、この対立構造の図は一般常識に近いのかもしれない。九天の騎士は民衆の間でも結構な有名人らしいので、市井でもこのあたりの事情はある程度認識されているだろう。まったく、平和な辺境に留まっていると世相にはとんと疎くなっていけない。
「しかし、その異端者の連中が体制側のゴタゴタ……継承戦に首を突っ込んでるのは不自然じゃないか? 金を積まれたからって皇族に協力するものか?」
「筆頭が今仰ったでしょ。ミラベル……あと、九天の騎士も、異端者には相当恨まれてるのよ。こっちを潰すって点で利害が一致してれば、有り得ない話じゃないと思うわ」
俺の疑問に、無言で控えていたサリッサが答える。
そのあたりの感覚は俺には分かり難い。異端者とやらがどの程度まで柔軟な対応をするのか、彼らの価値観はいまひとつ計りかねる。
とん、と湯飲みを側机に置いたジャンが、声色を堅くして言った。
「九天の騎士が今後採るべき方針は未だ定まってはいない。が、相手が異端者であれば、騎士達も動くことに異存はないだろう。カタリナ、以後はお前に九天の指揮を任せる。一癖ある者達だが、力にはなるだろう」
「お、お父様!?」
父の言葉に、カタリナは目を丸くして振り返った。
見守る俺に驚きはない。五日前、いや、四日前に既に聞いた。
ジャン・ルースは、騎士として再起不能なのだ。
これから誰かが九天を率いるとするなら、順当なのは次席のクリストファだろう。しかし、彼はそういった役割を受け入れる人間ではないように思える。彼をよく知らない俺でも即答できる。であれば、騎士としても遜色のない実力を持ち、パン屋としても彼らを率いているカタリナが妥当な人選だろう。
「サリッサ、すまんが娘の補佐を頼みたい。皆を集め、今の話を伝えるのだ」
「はっ」
命令ではなく、頼みか。
父に背中を押されて戸惑いながら退室するカタリナと、一礼してその手を引いていったサリッサを見送り、やけに広くなった病室を見回した俺は、苦笑して肩をすくめた。
「随分と重い荷物を渡すもんだな」
精一杯の皮肉だったのだが、ジャンは自嘲めいた笑みを髭面に浮かべるだけだった。
「あれは変わった。遠ざけて正解だったなどと言えば……親としても人としても失格なのだろうが……そのことがあれを育てたのだろう。俺では、ああはいかん」
やはり父親という人種は好きになれそうにない。
どんな形であれ、子供は親の傍が良いに決まっている。或いは、俺がそう思い込みたいだけなのかもしれないが――いや、これ以上は考えるだけ虚しい。他人事と自分のことを混同するのも、褒められた話じゃない。
さっぱりと忘れ、俺は笑みを消して最後の疑念を口にする。
ふたりの少女が都合よく席を外してくれた今、阻むものは何もなかった。
「ジャン、夜の者がカタリナを狙った……その理由を教えてくれ」
その瞬間、明確に空気が変わった。
初老の騎士は瞠目し、ベッドの上から首だけを動かして俺を見据えた。
何かを見定めるような、値踏みをするかのような目だった。この男にしては稀有な、驚きや恐れが見えた。
その反応だけで、俺はおおよその見当をつけてしまう。つけてしまった。
悪寒が背筋を伝い、唇が戦慄いた。
強張った右手を固く握り締め、俺は、何かを言おうとした。
「あ…………あんた……あんたは、なんてことを……!」
口を衝いて出た言葉は、俺自身でも元がどんな形をしていたのか分からない。
胸中にあるのが怒りなのか、諦観なのか、それすら俺には分からなくなっていた。目の前の男が、恐らくは皇帝と戦う為に執ったのだろう手段の是非も、その意味も、まるで理解したくなかった。
苦悩に満ちた騎士の目が俺から外れ、空が白みつつある窓外の景色を向き、それきり動かなくなった。
そして、長い、長い沈黙だけが病室を満たした。
それが返答だった。




