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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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10.影②

 仮眠を取るには二十分程度が程よいとか、ついこの間現世に帰った際に何かのテレビ番組で見た気がする。正確に二十分を測る術さえあれば、試してみても良かったかもしれない。なんでも、すっきりと目が覚めるのだそうだ。

 

 などという割合どうでもよいことを考えながら、俺は薬品の匂いの中で目覚めた。爽快な目覚めとは程遠かったが、眠気の余韻は消えている。

 白いシーツを跳ね除けて起きる。どうやらまだ夜のようだった。

 手元の魔力灯に触れて明かりを点すと、くすんだ白い部屋に、簡素なベッドが並んでいるだけという、病室特有の清潔な殺風景が照らされた。

 ここはセントレアの診療所だ。

 病室には、今は俺ひとりしか居ない。つい最近まで水星天騎士団の負傷者で溢れていたが、その殆どが既に快復して教会周辺の野営地に移っている。

 

 ベッドから降りて自らの肩口を確かめる。黒ずくめの攻撃で抉られた肩の傷は、綺麗さっぱり消えていた。それどころか皇帝との戦いで負った両腕の負傷も、完全に回復している。俺自身の大雑把な治癒術と応急処置だけで済ませていたのだが、この診療所の女医は目ざとく見抜いて治療してくれたらしい。これで本職の医者ではないというのだから訳が分からない。

 

 今の季節、薄いカットソー一枚では心もとない。隣のベッドに置いてあった、先程まで身に着けていた甲冑一式のうち、比較的無事な黒い布地の上衣と胸当て(ブレストプレート)、左手用の篭手(ガントレット)だけを選んで身に着け、分厚い浅葱色のマントを羽織って徽章の彫られたブローチで留める。

 計らずも剣士らしい装いになってしまった。

 黒ずくめとの戦闘で再確認したのだが、全身甲冑一式の全てを身に着けると、やはり実戦的ではないように思う。軽装の方が俺の性に合っている。

 

 前髪を適当に撫で付けて寝癖を直しつつ、病室から廊下に出た。

 二階建て、正方形をした診療所の構造的に、廊下の窓からは病棟部分に囲われた中庭と、病棟部全周の窓が見渡せる。さして大きくもないので、夜闇の中に明かりの点いている部屋を見つけるのは簡単だった。

 

 処置室なのだろう。

 ふたつ並んだ処置台の周りに、いくつかの作業台が置かれている。書架も設置してあった。処置台の上には、黒装束を纏った人間が二人ほど寝かされていた。

 ただし、首から上は相変わらず見当たらない。

 長身の女医は白衣のポケットに両手を突っ込み、咥えタバコで死体を眺めていた。扉を開けて入ってきた俺の方を見ることもなく、ぶっきらぼうに言った。

 

「転移魔法だ」

 

 何を指しての発言か、数秒考える。

 死因か。

 

「首から上だけどこかに移されたってことか?」

「そ。刃物や破壊魔法にしては、断面が綺麗過ぎるのさ。細胞がまったく壊れてない。微かに残った魔素(マナ)の痕跡といい、転移魔法に間違いないね」

「そんなことできるのか?」

「転移魔法というか、空間操作系の魔術は使い手が少ない分、魔術師の間では頻繁に研究の対象になってたのさ。転移門(ポータル)が発明されたのも、その研究の成果だ」

 

 女医――ドネットは紫煙を吐き出しながら、苦い表情で言った。

 

「あれも開発初期の頃はよく事故が起こってたらしくてね。人間を転移させようとして半分(・・)だけ成功したり、転移させた人間が転移先の人間と混ざった(・・・・)り。公にはされちゃいないが、結構な人数が死んでるんだ」

「酷いな」

「ああ、酷い。ま、そのお陰で転移門は完成したし、転移魔法で怪我を負うとどうなるかって症例が結構残ってるんだがね。こいつらはまさにそれ。おおかた、被ってたっていうフードに転移魔法が付呪(エンチャント)されてたんじゃないか」

 

 転移門の開発初期と言えば、数百年単位で昔の話だ。

 この自称考古学者は熱心な医学生だったのではないかと思わないでもないが、彼女の過去に首を突っ込んでも仕方がない。

 ドネットは紐で結い上げていた髪を解き、バサバサと掻き毟って頭を振った。夜中だというのに死体の検分を押し付けられたにしては、思ったほど不機嫌そうでもない。ニヤリと笑って、言った。

 

「……で、どうするんだ坊や。こいつらはどう見ても堅気の人間じゃないぞ。とんでもない街の脅威だ。門番としては見過ごせないんじゃないかい?」

「忙しいから放って置こうかとも思ったんだが……わざわざ理由なんて付けなくても、さすがに放置できる相手じゃない。この街に居る騎士だけじゃ手に余る」

 

 そこで、バァン! と、勢いよく扉が開いた。

 

「聞き捨てならんな」

 

 闖入者は、診療所に入院している二名の九天の騎士の片割れ、毒刀使いの男だった。

 確か、渾名は毒蛇だ。本名は知らない。

 彼は包帯まみれのミイラじみた出で立ちだった。左足などはギプスを嵌めているような有様である。現界(セフィロト)の外科技術は回復魔法、つまりは治癒術に依存しているのだが、治癒術は外傷を塞ぐだけであって、例えば複雑な骨折や、鏃が体内に残ってしまっているような矢傷に対して使用すると、骨がずれたり異物が体内に取り残されたりと、深刻な後遺症が発生してしまう。

 なので、傷を塞ぐだけでは処置が終わらないような負傷者は彼のように長期的な治療が必要になる。これが所謂、重傷者である。

 

「怪我人は寝てろよ」

「五月蝿いぞ門番。貴様の指図は受けん」

 

 毒刀使いは顔をしかめながらも、処置台に向かって歩き出した。

 松葉杖を突きながらも結構な勢いで足を引き摺って歩く様子からは、なかなかの元気を感じる。やはりこの世界の騎士は頑丈に出来ている。

 

「我々、九天の騎士が逗留する街で……このような外道どもの跋扈を許すなどと、本来ではあってはならぬことだ。なんと口惜しい。この身が万全でさえあれば……」

「外道? こいつらを知ってるのか?」

「無論。こやつ等は殺しのみを生業とする一党(ギルド)の者よ。一党の名は《夜の者(ホミナスノクターナ)》。金さえ積まれれば貴族であろうと平民であろうと、男であろうと女であろうと誰でも殺す。ゆえに、皇国の騎士とは長く敵対関係にある」

 

 吐き捨てるように言い、毒刀使いは死体の傍に立った。

 何をするかと思えば、懐から取り出した銀貨をふたつの死体の胸にそれぞれ二枚ずつ置いた。冥銭だろうか。死者の目蓋に硬貨を置き、死後に渡るとされる川の渡り賃とする古い風習だ。

 

「何度煮え湯を飲まされたか分からん。まったく忌々しい」

 

 九天と夜の者とやらの間にどんな因縁があるのかは分からないが、苦い口調でそう言いながらも弔いを行うのはいったいどういう心境なのだろう。

 

「門番、貴様は引っ込んでおれ。奴らには我々が対処する」

「おいおい、アンタにはまだ退院は許可できないよ」

 

 来た時と同じように足を引き摺って去っていく毒刀使いに、ドネットが険しい声色で言う。言っても無駄だろう、と俺が考えた通り、毒刀使いは去り際に自らの足に装着されていたギプスを踏み壊した。

 

「退院だ」

 

 ばたん、と閉じた扉を見つめ、女医は苦く笑った。

 

「まったく、なんて無茶な男だ……坊やはどうする」

「俺は優良患者だからもう少しここに居るよ。まだしばらく部屋を借りる」

「そりゃ構わんが……マリーはどうした。傍に居なくて平気なのか」

「……ああ。ちゃんと守ってるよ」

 

 現在(・・)の俺が。

 内心で付け加えて処置室を後にする。暗い廊下を歩きながら、俺は葛藤していた。

 詰め所、あるいは教会に向かうべきか。

 だが、マリーにもミラベルにも危険はない筈だ。再三、何度も何度も論理的な結論を導き出して自分を納得させようとしてきたが、愚かな心配を抑える事ができそうにない。

 

 あの黒ずくめは危険だ。

 

 あの目は、命を殺める事を何とも思っていない人間の目だ。俺は、あの目と同じ光を宿した目を、遥か昔に見た事がある。

 鏡で、見た事があるのだ。

 

「落ち着けよ……大丈夫だ」

 

 ひとりごちて顔を上げる。

 すると、遠くから足音が近付いてきた。音から察するに小走りで、歩幅が狭い。体格は子供程度だろう、と判断して肩の力を抜く。敵ではない。いや、あの敵であればそもそも足音を立てるなど有り得ないだろう。第一、奴もあの負傷では今夜はもう動くまい。

 大きく息を吐き、足音の方角を見た。

 廊下の曲がり角から滑るようにして現れた小さな人影は、俺の姿を見るや否や物凄い勢いでダッシュしてきた。暗闇に見える黒髪と、歯を食いしばったような表情を浮かべた白い顔は、見紛いようがない。

 

「サリッ……」

 

 そのまま激突して組み付かれ、吹っ飛ばされた。

 押し倒されたような姿勢で廊下を数メートル滑り、止まる。

 ただ唖然とする俺に、俺を組み敷いた――いや、体格的には俺の上に乗っかったような形のサリッサが、凄まじい声量で叫んだ。

 

「この、馬鹿ッ!」

 

 鼓膜がイカれかねないボリュームだ。

 至近に顔を寄せたサリッサは、怒りによってか顔を真っ赤にしていた。

 

「無茶ばっかりしないでよ! 教えてもらった病室にも居ないし!」

「あ、ああ……悪かった。気を付けるよ」

 

 カタリナに話を聞いて飛んできたのだろう。

 こんなに心配されるとは思わなかった。ようやく息を吸うことに成功した俺は、率直な謝罪の言葉を口にするのがせいぜいだった。

 他になかったとはいえ、相討ち覚悟などという戦法をとってしまったのは反省すべきなのだ。体に掛かる体重と柔い感触を感じながら、どうしたものかと首だけを動かす。

 

 いつから居たのだろうか。

 

 動かした視線の先に黙って佇むカタリナの姿を見付け、俺は息を呑んだ。赤毛の少女が、何だかこう、眼鏡の奥で蔑みの混じったような目をしていたからだ。

 控えめに言って、とても怖い。

 

 もう訳が分からん。

 無言で床板に頭を落とし、俺は溜息をついて瞑目した。

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