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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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9.影①

 妙に存在感が希薄な黒ずくめの――恐らく男達は、無人の屋台の上で軽業のように飛び跳ねている。とんでもない身軽さだ。加えて、細い木材で組まれただけの屋台は、どう考えても体重と衝撃に耐えられる強度ではないだろう。

 いったい如何なる手段を用いているのか。

 

「シャァァァァ!」

 

 奇声と言う外ない、異様な気合の一声と共に、黒ずくめの一人が飛び掛ってきた。

 貫き手じみて五指が揃えられた右手が繰り出される。僅かに緑色の魔素の光が見え、それが魔力を用いた何かしらの体術であると物語っていた。

 命を奪い得る攻撃である。

 であれば、素手の相手であろうが加減は無用。

 瞬時に看破し、両の手で握る愛剣を下段から上方へ振り抜いた。斬線が夜闇を切り裂き、黒ずくめが繰り出した腕をも断ち切る。

 が、予期した結果は訪れなかった。

 予想に反し、黒ずくめの腕に衝突した長剣の刃は、甚大な衝撃と共に緋色の火花を散らして弾かれてしまったのだ。まるで刃を打ち合ったが如く、互いに弾き飛ばされて体勢を崩す。

 

 なんだこれは。

 異様な事態に面食らい、一瞬、思考が硬直する。

 

 現界(セフィロト)の騎士や魔術師は体表面に魔力障壁を纏っている。

 魔力を用いない攻撃が騎士や魔術師に通用しないのは、この魔力障壁が防御膜の役割を果たすからだ。だが、その防御能力は決して高いとは言えない。魔力の伴った攻撃であれば容易に貫通し得る程度のものでしかないのだ。

 魔素の通った剣を弾くなど、到底不可能だ。この結果は道理に合わない。

 

「シィィィッ!」

 

 肺の空気が噴出するかのような息を乗せ、黒ずくめが眼前で身を翻す。

 ターンからの蹴り。回し蹴りだ。そうと判断して甲冑の篭手で受けるべく左の拳で防御の構えを取る。しかし、漆黒の装束に包まれた脚が伸びたのは、横ではなく上だった。

 踵落とし――!

 

「ぜえええあ!」

 

 余裕がない。自然と口から絶叫が迸り、振り落ちてくる敵の脚目掛け、返した剣を右手だけで撃ち込む。

 強烈な金属音が響き渡り、空気が震えた。黒ずくめの脚が纏う魔素と、俺の愛剣が纏う魔素が激突して四散し、暗中に光彩が散らばる。星屑の舞う大気を切り裂き、またも身を翻した黒ずくめが今度こそ回し蹴りを放った。

 一撃を剣の腹で受け止め、有り余った衝撃を利用して跳び下がる。すかさず追いすがって来た敵の繰り出す手刀を剣で捌きながら、俺は舌を巻くしかない。

 この黒ずくめの格闘能力は、これまで目にしてきた敵の中でも群を抜いて巧みだ。剣を持った相手と徒手で渡り合おうなどという者自体が稀ではあるが、それにしたって異常が過ぎる。

 左右の手が繰り出す手刀のラッシュを剣で受け流しつつ、視線を素早く左右に振る。

 目の前の敵だけに集中していてはやられる。一対一の状況ではないのだ。二人目の黒ずくめが跳躍し、今まさに飛び掛ってくる寸前のところだった。

 

 劣る。

 

 飛び蹴りのような姿勢で浮いた二人目の実力を見切る。

 正面の黒装束よりも、数段劣る。

 それきり完全に無視し、正面の敵を捌きながら僅かに首を傾けるに留める。風のように飛来した蹴りに、被っていた鉄兜がひしゃげ、壊れて弾き飛ばされたが、俺は明瞭になった視界で空中を流れていく襲撃者の姿を捉えた。

 まずは一人。

 

「お……らぁッ!」

 

 ほんの一瞬。

 致命的な隙を晒した二人目の黒装束に向け、捻りと魔力とを加えた全力の掌打を叩き込んだ。防御を固めた騎士相手なら致命傷にはならない程度の攻撃力しかないだろうが、見るからに防御よりも回避寄りの装備をしている襲撃者達にとっては十二分の打撃になり得る。

 胴に掌打を受けた黒ずくめが、空中から掻き消えるような勢いで吹き飛んだ。

 そのまま立ち並ぶ屋台の列に突っ込んで、破壊。木材の破片を散らしながら十数メートルほどバウンドしていった。何か柔らかいものを潰した感触だけが残る左手を下げ、平行して相手をしていた一人目に意識を集中する。

 

 仲間を一人潰されたというのに呼吸が全く乱れていない。

 魔素による緑の軌跡を描いて繰り出される手刀の鋭さには、相変わらず一点の曇りもない。ありうべからざる、刃と打ち合う手足を巧みに操る技倆といい、この精神力といい、相当の難敵だ。

 他の相手をしているほどの余裕はないかもしれない。

 

「カタリナ!」

 

 視界の端で三人目の黒装束と対峙した、鳶色のインバネスを纏った少女に声を張る。しかし、予想していたような戦闘は発生していない。

 指先で眼鏡のブリッジを押さえた仕草のカタリナに対し、黒装束は呆けた様に突っ立っているだけだった。月光を反射して白く光るレンズが、脱力して棒立ちしている襲撃者をただ見据えている。

 

 《叡智の福音》の現象攻撃、《忘却の川(レーテー)》。

 視線を合わせている限りにおいて相手の知性を完全に消去する、恐るべき権能だ。

 知性とは、蓄積された知識から発生する。すなわち記憶そのものだ。知識を司る叡智の福音は、その一切を対象者から奪い去る。

 それは、廃人にすると言い換えてもいい。

 このセントレアに設置されていた大魔法、忘却(オブリビオン)は、このえげつない現象攻撃の効果を限定的に再現したものだ。

 救いは、あくまで知識を奪うのみであって、物理的に加害する力ではないということだけだ。つまり、効果が可逆的なものである――視線を外しさえすれば、正常な状態に戻すことができる。

 

 やはり会得していた。遺物(アーティファクト)もなしに。

 無言で戦慄する俺に、指で眼鏡を押し上げつつ、カタリナが平坦な声で言った。

 

「手伝おうにも今はちょっと目が離せませんので。そちらは平気ですわね?」

 

 本当に一人受け持ってもらえるとは思わなかった。

 不謹慎ながらも心配して損をしたような気分になりつつ、剣と手刀の応酬を続ける正面の黒ずくめに声をかける。

 

「……だそうだ。まだ続けるか」

 

 応答はない。

 一際力の篭った手刀の一撃を弾き返すと、黒ずくめが初めて攻撃の手を止めた。

 黒布のフードとマスクで覆われた顔の、唯一露わになっている鋭い双眸が、更に細まって俺を見た。

 寒気を覚えずにはいられない。

 まるで金属で出来ているかのような無機質な目に、何の感情も見当たらなかったからだ。正負を問わず。

 明確に殺し合いをしている相手に向けて、何の感情も差し向けないなどということが果たして有り得るのだろうか。

 人間とは言い難い存在――往還者や、竜種。外典福音ですら、正常とは言えなくとも感情を持っている。機械ではないのだから当たり前だ。

 だが、この黒装束は。

 

「輝き爆ぜろ」

 

 隠された口元が動き、錆びた鉄屑を擦り合わせたような、不快で不明瞭な声音が意味のある言葉を紡いだ。

 あまりにも短いその言葉が魔術の詠唱であると気付いたのは、直前までに覗き込んだ黒装束の異常な精神性――この敵には対話の余地が一切ないという確信のお陰だった。

 

閃光魔弾(フラッシュバン)

 

 端的な詠唱の後、白光が炸裂した。

 咄嗟に目を閉じていなければ、まんまと目くらましにかかっていただろう。

 光によって惑乱させるこの魔法は、戦闘面で高い実用性を有するにもかかわらず、メジャーな魔術ではない。こういった搦め手は姑息であるとする、騎士的な価値観によるものなのだろう。

 やはり、騎士ではないのか。

 閃光が満ちる中、推測しつつ長剣を振りかぶって踏み込む。

 閉じた目で見るのではなく、気配を薙ぎ払った。しかし、振るった長剣は空を切り、驚愕する俺の耳に第二の詠唱が届いた。

 

「恵みを妨げられし黒。縫い止めよ、縛り付けよ」

 

 失策を悟る。

 黒ずくめが放った魔法の狙いは目くらましなどではなかった。

 続く魔法の詠唱の時間を稼ぎつつ、夜闇に沈んだこの場所においては絶対に存在しないものを作り出すための布石。

 

影縫いの束縛バインドオブシャドウステッチ

 

 影だ。

 両目を開いた俺は、黒ずくめの放った閃光によって作り出された自分の影を見た。

 同様に発生した黒ずくめの影から、影で編まれた無数の鎖が飛び出して俺の影を貫き、絡み付く。

 闇属性に分類される拘束系(バインド)の魔法。

 全身から力が失われ、身動きが取れなくなる――その直前、瞬時の判断で長剣で突きを繰り出して魔素の刃を飛ばした。

 剣技、衝角(ラム)

 不可視の剣尖が宙を漂う閃光魔弾による光源を撃ち抜き、四散させる。光源の消失に伴って影も夜闇に飲み込まれ、拘束魔法の効力も消失した。

 そして仄白い魔素が飛散する中、俺が繰り出した渾身の斬撃と、黒装束の鋭い貫き手が激突する。余波で互いに弾かれ、仰け反った姿勢のままで再び斬り結ぶ。

 

 まったくもって恐ろしい。

 剣を使う相手であれば、労せず打ち勝てる自信がある。剣の福音を持つ俺は、人の手で繰り出される全ての剣技が読めるからだ。

 剣以外の戦技についても、常人の数百倍に及ぶだろう無駄に長い戦闘経験からある程度の見切りが可能ではある。しかし、この黒ずくめの千変万化する格闘の前では、その見切りは殆ど役に立たない。徒手でここまで戦える人間と遭遇したのは初めてだからだ。

 攻めに転じなければ敗北もある。

 

 覚悟を決め、槍の如き軌道で突き込まれた五指を、敢えて躱すことなく鎧の肩当てで受ける。鋼鉄の装甲がいとも容易く貫かれ、身を抉られる激痛が走った。

 奥歯を噛み締め、根性だけで痛みに耐える。

 僅かに発生した間隙を縫い、貫き手を繰り出した左腕を引き抜こうとする黒ずくめの胴を目掛けて長剣の刃を叩き込んだ。

 

 仕組みは分からないが、奴の手足は刃を弾く。

 黒ずくめは、すかさず滑り込ませた右の掌で俺の長剣を防いだ。金属音を響かせ、愛剣の刃はこれまで同様に阻まれる。

 それどころか、黒ずくめは刀身を掴んでさえみせた。剣を封じ、勝利を確信した左腕が再び貫き手を形作ろうとして、止まる。

 

 

 その直後、黒い手袋に包まれた右の五指が、音もなく切断された。

 

 

 胴の一部すらも裂かれ、鮮血が散った。

 痛みによるものとは思えない、機械的な正確さで黒ずくめが飛び下がる。そして、不気味なほどの静けさで、指が失われた自らの掌を見た。

 俺は大きく息を吐き、抉られた肩当ての装甲を放り捨てながら長剣を構え直す。

 

 この結果は、俺が放った《剣の福音》の現象攻撃によるものだ。

 最長で剣の切っ先から一メートルの間合いならば、俺の権能はあらゆる存在を切り裂く。

 

 実際のところ、俺は黒ずくめを殺害するつもりで現象攻撃を敢行した。

 剣を止めた右手ごと、真横に両断する意図で放ったのだ。にもかかわらず黒ずくめが生存しているのは、奴の驚異的な速さの回避行動に因る。

 これは推測だが、奴は現在に至るまでの攻防で俺の思考をある程度把握していたのだ。相討ち覚悟で剣を撃ち込んだ俺の意図を読み取り、防がれて当然の攻撃の裏に隠された真の攻撃を見越したのだ。

 剣を掴んだ直後、奴が左腕で貫き手を放ち切っていれば、俺の意図通り、黒ずくめは上下に両断されて地面に転がっていただろう。しかし、黒ずくめは攻撃せず、瞬間的な判断で表面的な優位を捨てて回避を試みた。

 

 バケモノじみている。本当に人間なのか。

 

 抉られた肩の痛みと、黒ずくめの異様なまでの戦いぶりに頬が引き攣った。

 一度見せてしまった現象攻撃の間合いに、黒ずくめをもう一度捉えるのは困難を極めるだろう。そんな易しい敵ではない。

 どう戦うか思考を巡らせようとした瞬間、黒ずくめが動いた。

 首を持ち上げ、痛みなど感じていないかのような、金属めいた目で俺を見た。布越しの唇がゆっくりと動き、はっきりとした言葉を発した。

 

 

(おう)の一族……次は殺す」

 

 

 そのまま滑るように後退り、黒ずくめは深い闇だけが広がる裏路地へ消えた。

 

 退けたようだった。

 緊張の糸が切れ、俺は詰めていた息を吐き出して荒い呼吸を繰り返した。

 皇の一族という言い回しから察するに、やはり継承戦に関わる刺客なのだろう。水星天の騎士ヘッケルを襲ったのも奴か。

 

 だが、腑に落ちない。なぜ俺とカタリナを襲ったのだろうか。

 マリーやミラベルを直接狙った方が理に適っている。奴の技倆ならば、十分な実力を備えたミラベルでさえ暗殺できるかもしれない。なのに、傍目には一護衛に過ぎない俺達をわざわざ襲う理由がどこにある。

 

「アキト!」

 

 考えながら黒ずくめが消えた裏路地を見つめていた俺は、カタリナの声で我に返った。振り返って見れば、カタリナの現象攻撃に囚われていた別の黒装束が倒れ伏しているところだった。

 慌ててカタリナの元に駆け寄るが、石畳の上に倒れた黒装束は、脈を計るまでもなく絶命しているのが明らかだった。

 

 なにせ、首から上がどこにもない。

 

 はっとして屋台の残骸の方へ目をやると、そちらに倒れている黒装束も同じの有様だった。俺は痛む肩口を抑えながら、酸鼻を極めるふたつの死体から視線を外した。

 秘密の保持だ。恐らく衣服に何らかの魔法が付呪(エンチャント)されていたのだろう。ここまで徹底した、冷酷なやり口を見るのは何百年ぶりだろうか。

 本職の暗殺者だ。

 

「……くそ、どうなってるんだ」

 

 口元を覆ってよろめくカタリナを支えながら、

 俺は、再び目の前に広がりつつある不条理に向かって毒づくくらいしかできなかった。

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