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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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7.霧中の兎②

 特定の料理さえ除けば、カタリナ・ルースという少女は基本的に小食だ。サラダと、芋と白身魚のフライを少量つまむだけで食事を済ませてしまう程度には。

 一方の俺も、お世辞にも食欲があるとは言えない状態だった。殆ど義務のように揚げ芋を租借し、薄い林檎酒で喉奥に流し込む。味はよく分からない。

 

 収穫祭ということもあって、街で唯一の酒場の喧騒も最高潮に達していた。

 そこかしこで出来上がった連中が歌などを口ずさんでいるし、踊り出す者も居るくらいだ。上等というほどでもないが、高めの酒や肉なども振舞われている。

 そんな周囲の賑やかさがどこか羨ましくもあり、他に居場所もないというのもあり。酒場で飯を食おうと思ったのだが、気分は一向に晴れなかった。

 ついでに疑問も晴れない。

 

「まったく……お葬式じゃないんだから。なにか明るい話とかないわけ?」

 

 苦笑いで言うサリッサも、時折勝手に俺の林檎酒に口を付ける程度で何も食べてはいない。相変わらず食欲がないらしい。

 白木のテーブルに並んだ僅かな料理を機械的に平らげた後、俺は口を開いた。

 

「そうだな。明るい話かどうかは分からないが、とっかかりは掴んだ……気がする」

「あら、散歩の甲斐がありましたわね」

 

 食後の紅茶を楽しんでいるカタリナが顔を上げた。酒場だぞ、という突っ込みは飲み込んで話を続ける。

 

「昼間にあちこち散策して色々と見聞きした上、不本意ながら干渉もしてしまったわけだが……別に宇宙は爆発していないし、急に記憶が書き換わったりなんかもしてない……と思う。今のところは」

 

 見聞きした事柄自体には触れず、俺は本題だけを口にする。

 

「裏を返せば、ある程度は過去に干渉してしまっても問題ないってことだ。そう仮定するとして、ある程度ってのをどう線引きするかだが……」

「いささか飛躍が過ぎる気もしますわね」

「それはまあ……でも、どこかで見切りをつけないと身動きが取れないのも事実だろう。明日はもう俺……ああ、五日前の俺のことな。俺とマリーとミラベルは出発しちまう。時間の猶予がない」

「えっと、たしか……明々後日の晩に竜種が現れるんだっけ」

 

 顎に指を当てたサリッサが、記憶を辿るように言った。

 

「ああ」

「じゃあ、先回りしてその竜種を退治するわけね」

「いや、それは避けたい」

「なんで?」

「前回そうならなかったからだ。竜種がアズルを襲わないと俺はランセリアに移動しないし、つまりサリッサにも会わない。アーネスト皇子とも会わないし、皇都に行くこともない。往還門を使うこともないってことになる。そいつはいかにも危ない。何か良くない事になるって気がしないか?」

「過去と矛盾しますものね」

「ああ。で、さっき言った線引きの話になる。今はちょっとややこしいだけで異常な現象が起きてるわけじゃない。恐らく、今のところはそういう矛盾がない……前と同じ流れの中にあるからだと思う。何が起きるか分からない以上、それは維持したい」

「なるほど」

 

 場所にそぐわない上品な動作で紅茶を飲みつつ、カタリナが頷いた。

 

「矛盾を避けるために、表面的な……起きる出来事自体はそのままにして、もたらされる結果だけを変えようということですわね」

「理解が早くて助かる」

 

 素直な賛辞に、カタリナは苦笑しつつ軽く肩をすくめてみせた。

 一方、首を捻ってばかりいるサリッサが面白くなさそうに呻いた。

 

「うー……何が言いたいのか全然分からないんだけど。もうちょっと具体的にお願いできないかしら」

 

 前置きをした「とっかかり」はここまでだ。

 ここまでは単なる基本方針に過ぎない。具体性のある計画などはまだ考え付いていない。が、いつまでも考えてばかりはいられないのだ。

 見切り発車をするしかない。

 

「アズルの住人を移動させる。事が起きる前に。誰にも気付かれないように」

 

 多分に苦渋が混じった俺の言葉を聞き、静かにカップを置いたカタリナの目が意味深げに細まり、口を半開きにしたサリッサの目が丸く見開かれた。

 彼女達が言いたい事はおおよそ分かっている。このプランは問題だらけだ。

 

「え……っと、言うのは簡単だけど……どうやって? あの街、結構広いでしょ?」

「結構どころの騒ぎじゃない。流通の要衝だ。この地方で一番デカい。数人で呼びかけて回ったところで、とてもじゃないがカバーしきれない」

 

 十人二十人がかりでも難しいのは「前回」で実証済だ。

 アズルの衛兵隊を総動員しても避難がままならなかった。

 

「人手もそうですが、街の人に避難を促す口実も必要ですわね。話を聞く限りは大規模な被害が出るようですし、それほどの人数を動かすような口実を用意するのはなかなかに困難です」

 

 それも、なかなかどころの困難では済むまい。

 年頃の異なる少女二人の視線を受け、俺は溜息を吐いた。お手上げだ。

 

「まあ……正直、俺ひとりじゃここいらが限界だ。助けてくれ」

 

 素直にそう告げると、ぷすっと吹き出したサリッサが黒髪を揺らして笑った。

 何となくイラッと来たので、サリッサが両手で持っていた林檎酒のジョッキを奪い返して一気に呷る。カタリナはそんな俺を、なぜか呆然とした表情で見ていた。

 

「……どうかしたのか?」

「あ……いえ。その……実は少し気になっていたのですが……」

 

 赤毛の少女はそこで言い澱み、咳払いをしたり眼鏡を直したりして間を置いた。


 あまりにも長い間だった。


 別口で注文しておいた蜂蜜酒が運ばれてきたり、遠くで踊り出した酔っ払いが転倒してちょっとした騒ぎが起きたりもした。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返していたサリッサが、またも勝手に俺の蜂蜜酒を口にしたとき、目を伏せて停止していたカタリナがようやく顔を上げて言った。

 

「あなたたち、何かありましたか?」

 

 ブフッ。

 霧吹きじみた飛沫が、俺の顔をべったりと濡らした。

 ごくごくゆっくりと首を動かして隣を見やれば、林檎ばりに顔を真っ赤にしたサリッサが口元を袖で拭っていた。

 俺は一瞬だけ天井を仰ぎ、それから蜂蜜酒でベトベトになった顔を羽織っていた浅葱色のマントで綺麗に拭き、そして引き攣る顔面の筋肉を頑張って抑えながら、一言だけを言った。

 

「なにも」

 

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