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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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6.霧中の兎①

 実に気まずい。

 

 左右に広がる麦畑以外は何もない街路をハリエット嬢と並んで歩く俺は、自分が全く社交性に欠けているという事実を噛み締めていた。

 鉄兜のおかげで思い切り表情を崩しても気取られないのだけが救いだ。

 気を利かせて何か話題を提供すべきなのだろうが、生憎と俺の脳内に女性向けの話題になりそうな知識は欠片も存在していない。加えてハリエットとは顔見知り程度の間柄で、ほぼ他人だ。ついこの間までは敵でさえあった。しかも魔術師という、俺にはあまり馴染みのない世界の住人である。何を話せというのか。

 俺の周囲の婦女子ときたら、妙に尊大な寸胴鍋だったり、ジェットエンジンか何かを積んでいるかのような槍使いだったり、たまに熱線を出す眼鏡だったりするのだが、彼女達と接するのは自覚していたよりも気楽だったらしい。言葉に詰まるという状況は稀だ。

 

「門番さんはこの事件をどう見ます?」

 

 居心地の悪い沈黙を破ったのはハリエットだった。

 どう見るも何も、情報が少な過ぎてまだ何も見えていない。

 が、話題を逃す手もない。

 

「やっぱ、どっかの皇族の刺客じゃないかな。普通は騎士団相手に闇討ちを仕掛けても得なんてない。よほどの理由がないことには」

 

 騎士という存在は畏怖の対象だ。現代的な喩えをするなら、戦車だとか戦闘機だとかのポジションに近い。街中を走っている戦車に理由もなく喧嘩を売る奴は居ないだろう。いや、理由があったって普通はやらない。ましてや編隊を組んでいるとなれば尚更だ。

 黒檀(エボニー)の杖を片手に歩くハリエットも同じ結論に達しているようだった。こくりと頷くと、遠くの芋畑の方を見やりながら呟いた。

 

「ミラベル様は最有力候補だったので……狙われやすいのかもです」

 

 当然だろう。当初のミラベルが保有していた戦力はどう考えても異常だ。

 各騎士団から選抜した最上位の騎士九名に、皇帝が往還者を模して作った外典福音。それに、小規模とはいえ騎士団が丸ごとひとつ加わる。

 もはやミラベル単独で東方三国のうちの一国の相手を受け持てる勢いだ。およそ個人が保有するような規模ではない。数多の皇族の中でも随一なのでは、と薄々考えてはいたのだが、どうやら事実だったようだ。

 

「出る杭は打たれるよなあ」

 

 皇帝の正体を知ったミラベルは、継承戦の実態についても早い段階から把握していたのだろう。そして、来るべき日に備えて戦力を揃えた。勝利するために。

 その道程は決して容易なものではなかったに違いない。人生の少なくない割合を費やしたに違いない。だというのに計画は滅茶苦茶になった挙句、命を狙われているわけだ。

 彼女の計画をぶち壊した俺には同情する資格などないのかも知れないが、やはり不憫でならなかった。

 

 とはいえ、ミラベルについても今後五日の間で命が脅かされるような危険はない。なにせ、俺はこの目で見てきたのだ。

 であれば、この襲撃事件の解決は優先順位を低く設定せざるを得ない。

 薄情なようだが、この事件で発生し得る被害は転移街(ポート)アズルを襲う災禍と比べるべくもない。もうすぐ何百単位で人が死ぬかも知れないというこの状況で、追っても捉えられるか分からない敵を探している余裕があるとは言えない。

 ジャンやハリエット――九天の騎士が動いているのであれば、尚のことだ。余計な真似をしない方が良いだろう。

 そう、たかをくくって平然と歩いているのを不思議に思ったのか、ハリエットが眉をひそめて言った。

 

「心配じゃないんです?」

「いやいや、心配に決まってるよ」

「とてもそうは見えないです」

 

 ハリエット嬢が俺とミラベルの関係をどのように認識しているかは定かでない。

 主観的に判断するなら友人か。いや、いささかしっくりこない。マリーに対してもそうだが、いまひとつ距離感が分からないのである。

 状況にそぐわない思考を堰き止め、俺は頭を振った。

 

「悩みの種が尽きなくてね。どうもそっちが頭から離れてくれない」

「お悩み……ですか」

 

 街の中心、中央通りにさしかかる辺りで通行人の姿がどっと増えた。

 祭りなのだし、活気があるのはもちろん良い事なのだが、現状に限ってはそうと言い切れない面もある。こうも観光客が多いと犯人捜しも一苦労だろう。見ない顔を当たればよいというわけにもいかない。

 

「そうだな。まずは刺客のねぐらを探したらいいんじゃないか」

「え?」

「たぶん北部にある安宿だ。でなければ北の森辺りか。人に紛れてるか木に紛れてるかは半々ってところだが、後はもう行ってみないことには何とも言い難い。あたってみるといい」

 

 俺が乏しい想像力で捻り出した提言を、ハリエットはぽかんとした顔で聞いた。

 

「あれ……何かおかしな事言ってるか?」

「あ、いえ、そうじゃなくてですね……どうして教えてくれるのかなって」

「心外だな。こう見えても法の番人だよ、俺は」

 

 休職中だけど。と付け足してから道端で演奏をしている流れの楽団に目を向けた。

 文化的活動と無縁の俺には曲目までは分からない。

 バイオリンやバグパイプに似た楽器が奏でる音楽を聴きながら、甲冑で重くなった足を前へ運ぶ。やや遅れ、魔術師の少女は小走りで隣に並んだ。

 

「行ってみればなにか分かるものです?」

「勿論、ただ行くだけじゃ難しいだろうな。掛かりそうな時間帯……真夜中とかに張り込んでみるとか、工夫は必要だろう。それにしたって祭りの期間中は宿も人の出入りが激しいだろうから簡単じゃなさそうだが……」

「な、なるほど……です」

 

 困ったような表情を浮かべ、ハリエットは頷く。

 そのあまりにも頼りない様子に、俺はなんとなく納得していた。ジャンがこの事件の対応をハリエットに任せた理由がおぼろげに見えた気がする。

 いくらジャンが負傷のせいで戦えない身であるからといっても、簡単な捜査くらいは俺やハリエットよりもよほど巧くやれるに違いない。にも拘らず、敢えてハリエットを充てたのは、彼女に経験を積んで欲しいが故なのだろう。

 なんとまあ、随分と無茶な教育をするものだ。

 俺は他人事のように考え――実際、完全に他人事なのだが――鉄兜のスリットの向こうに見える若き探偵の健闘を祈った。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 探偵ハリエット嬢に対するワトソン役であるところの美青年、ウィルフレッドの姿が、詰め所に辿り着くよりも先に見えたのはある意味で幸運だったかもしれない。

 日の傾きからして午後二時から三時の間といったところか。

 この日の「俺」は詰め所に帰り付くなり屋根裏部屋で昼寝をしている。他に詰め所に居るのは、マリーと、今朝から居座っている「サリッサ」とウィルフレッドだ。

 彼女らはマリーの護衛である。

 先の戦いから暫定的な協力関係にある九天の騎士は、カタリナの依頼もあり、マリーとミラベルの護衛を務めることがままある。

 皇女本人達は無用としているのだが、常に俺ひとりで皇女達を護衛するのはどう考えても不可能であるし非効率的なので、実に妥当な措置と言えよう。よって、サリッサとウィルフレッドが詰め所に居るのは何らおかしな事ではない。

 

 ないのだが、俺とハリエットは詰め所の裏手にある庭園を覗き見て言葉を失った。

 庭園でサリッサと向かい合ったウィルフレッドが、懐から取り出した小箱をやたらと仰々しい歌劇のような所作で差し出していたのだ。片膝までついて。

 声までは聞こえない。ウィルフレッドは何やら真剣な面持ちで何事かを告げているようだが、話の内容までは判然としない。

 いや、しかし、聞こえなくとも大体の状況は分かる。

 ぱかっと開いた小箱の中身が、銀色に輝く指輪だったからだ。

 俺は頭を抱えようとして――篭手(ガントレット)と鉄兜がぶつかって金属音が反響した。忌々しい甲冑だ。訳の分からない苛立ちに眉を寄せながら、俺は呟く。

 

「ウィルフレッド……せめてもっとマシな場所選べよ……!」

 

 構図の是非はともかく、さすがに声を掛けていい雰囲気ではなさそうだ。

 がしゃりと首を傾けて隣のハリエットを見ると、彼女は真っ青な顔をして固まっていた。無理もない。

 

「ああ……ええと、大丈夫か?」

 

 返事はなかった。

 少女はただ静かに、携えた黒檀の杖を持ち上げた。

 

「こ……困ったときは魔法で解決……です」

 

 動揺で震える杖の先端に、ぼっ、と赤い火が灯った。

 杖を握る少女の目は据わっていた。

 

「……ちなみにどんな魔法で?」

「半径三百フィートを灰燼に帰すだけです。大丈夫です」

 

 ちっとも大丈夫じゃねえ。

 小脇に抱えていたカボチャを意外とエキセントリックな魔術師の手に被せて魔術を阻止する。ぼばっとカボチャが爆ぜて、赤い魔素が飛び散った。

 さよなら、ジャック・オー・ランタン。

 俺は僅かに瞑目してから、詰め所の影にハリエットを引っ張り込んだ。

 

「門番さん、どうして止めるんですか……!?」

「どうしても糞もない。止めなきゃ俺の住む場所がなくなっちまう。ついでに、ちょっと邪魔するのはやめてあげた方がいいっぽい感じだ。あれは」

「だったら余計に止めないと……!」

「そいつはさすがにウィルフレッドが可哀想だ。それに、ほっといても問題ないよ」

 

 ハリエットと共に、顔だけを出して庭園を覗く。

 すると想像通りというか何というか、ちょうどウィルフレッドが垂直に数メートルほど蹴り飛ばされているところだった。

 青年がぐるんぐるんと縦回転して顔から地面に落ちた頃には、サリッサは既に踵を返して立ち去っていた。

 

「ウィルフレッドさん!?」

 

 慌てて駆け寄ったハリエットに助け起こされた金髪の青年は、身を起こしながら土まみれになった頭を左右に振り、苦笑しながらどこか嬉しそうな口調で言った。

 

「いやあ……はは、また振られちゃったよ」

「前々から思ってたんだが、お前はマゾなのか? 殴られて喜ぶ変態なのか?」

「失敬な。僕はね、ただ自分の気持ちに正直に生きているだけなんだ。負けると分かっていても、そんなのは大した問題じゃない。何度でも当たって砕けろ、さ」

 

 やたらと含蓄があるようでなさそうなカッコいい台詞を吐きつつ、騎士ウィルフレッドは甲冑に付いた土を手で払った。

 そしてハリエットに笑顔を浮かべて礼を述べてから、俺の方を見やった。

 

「で、門番。君はどうしてそんな格好をしてるんだ。いつから騎士に宗旨替えを?」

「するかよ。ちょいと訳ありだ。後はお前らに任せた」

「何をだい」

「ハリエット嬢に聞いてくれ」

 

 当惑顔のウィルフレッドとハリエットを後目に、鬱陶しい浅葱色のマントを払って歩き出した俺は、顔を覆う兜によって狭窄気味になった視界で詰め所の全景を眺めた。

 とうに見慣れた、何の変哲もない民家である。見る限り変わった点はなく、ウィルフレッド達の様子から考えても、実際に何事もなかったのだろう。

 俺の知る五日前と同じように。

 

 やがてハリエットから経緯を聞いたウィルフレッドが彼女と連れ立って詰め所を後にしてからも、俺は詰め所を眺め続けていた。

 古い切り株に腰を据え、考え事の続きをしようと試みて挫折したり、遠い祭りの喧騒に耳を澄ませてみたりしながら。

 

 アズルの街でマリーと別れてから、俺の主観時間では一週間も経っていない。

 だというのに、彼女の顔をもう何年も見ていないかのような気さえした。

 だから、彼女を一目でも見ておきたかったのかもしれない。

 

 パラドクスを引き起こす可能性があるという意味では詰め所に近付くのも危険だし、俺と関わりの深いマリーと顔を合わせるのも論外だ。いくら顔を隠しているからといっても、避けるに越したことはない。危険を冒すほど重要な用件でもない。

 だというのに、俺の足は鉛のように重くなってしまっている。無論、ただ座っているだけでマリーが詰め所から出て来るわけもない。この行為には何の意味もない。

 

 今はこんなことをしている場合ではないのだ。

 こんな暇があったら、一刻も早く未来を変える方法を考えなくてはならない。

 そう、自分を叱咤して立ち上がる頃には日が暮れ始めていた。

 

「何やってんだかな、俺」

 

 呟いて詰め所に背を向けたとき、背後で扉が開く音がした。

 俺は振り返らず、街の中央へと向かって夕暮れの中を歩き出した。

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