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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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5.継承戦④

 騎士ヘッケルは教会の警備を行っていたという。

 何か痕跡が残っているかもしれないと考えて礼拝堂に戻ったものの、古い木床には血痕一つ残っていなかった。

 彼は夜のうちに行方不明となり、つい先程街外れの藪で見付かったらしい。教会で襲われてどこかへ連れ去られたと見るのが自然だが、それにしては教会に痕跡が残っていないのが道理に合わない。怪我の具合からすると結構な量の血が流れたはずだ。

 刺客が痕跡を消したという可能性もあるが、俺は本格的な捜査の技能は身に付けていないので、そうなるとお手上げだ。

 

 セントレアで門番をやっている間は血を見るような事件はほぼ起きないので必要もなかったし、それ以前、戦争に参加していた時期と竜種との戦いを行っていた時期も、ただひたすらに殺すのが役割だったのでやはり必要なかった。

 こうも度々困るようなら役立ちそうな魔法でも習得した方が良いのかも知れない。

 問題も多ければ課題も多いというわけだ。

 

 これ以上は徒労か。

 

 床を確認するために屈み込んでいた体を持ち上げた時、木床を踏む靴音が聞こえた。

 鉄靴ではなく革靴の音だ。水星天の騎士ではないだろう。怪訝に思いながら鉄兜のバイザーを向けると、スリットの向こうに小柄な人影が見えた。

 顔見知りだった。

 やたらと(ブリム)の大きな黒いとんがり帽子を被った少女。温かそうな、同じく黒のケープコートを着込んでいる。顔は、帽子の影でよく見えない。

 九天の騎士のひとり、ハリエットだ。

 まだ子供だが、自他共に認める精鋭である九天の騎士の一員である。多分に漏れず相当の実力者で、不意を突かれたとはいえ拘束系(バインド)の魔法で死に体に追い込まれたことがある。

 

「あ、あのう……」

 

 遠慮がちに、か細い声を掛けてくる。

 なぜここに居るのか、という疑問は飲み込み、可能な限り声色を変えて応じる。

 今の俺は名もなき騎士団員Aなのだ。

 

「はい、なんでしょうか」

 

 会心の演技だったが、ハリエットの先折れ帽子が傾いた。

 首を傾げたのだ。

 

「どうしてそんな格好をしてるんです……?」

「は?」

「も、門番さんですよね? 魔力の色で分かります……です」

 

 俺は鉄兜の中で絶句した。

 この子は何を言っているのだろうか。単純な強弱ならまだしも、魔力に色も何もない。可視化した魔素(マナ)ならともかく、纏っている魔力だけで個人が判別できるなんて話は聞いたことがない。

 が、実際にやってのけたのだから納得するしかないだろう。

 やはり侮れない。

 

「凄いな。よく分かるもんだ」

「やっぱり」

 

 ハリエットは心なしか得意げに言い、両手の指先を合わせた。

 実力と、いかにも魔術師といった風体さえ除けば、いたって普通の女の子だ。

 最近は大人しい女子に心当たりがない。貴重な存在である。

 

「ここに俺が居たってのは内密に頼むよ。ちょっと面倒な事になっててさ」

「面倒……水星天の人が襲われた件です?」

「いや、ちょっと込み入った事情があってね。君はその件でここに?」

「は、はい。私とウィルフレッドさんはちょうど手が空いていたので……筆頭に調査を頼まれました……です」

 

 人選は微妙にミスっている気がするが、さすがと言うべきか。耳も動きも早い。

 確かこの日の俺は、用事だけ済ませて夕方まで昼寝していたように記憶している。俺が暢気に過ごしている裏で、こんな事件が進行していたとは思いもしなかった。

 もっと周囲に気を配らなければ。

 

「えっと……まさか、門番さんが犯人です?」

「いやいやまさか。あんな戦いがあった後だから水星天騎士団とは良好な仲とは言い難いけど、俺には連中を襲う理由がないよ。一応、味方だし」

「そ、そうですか」

 

 安堵したかのように、ふーっと大きく息を吐くハリエット。

 どうも怖がられているらしい。無理もないことだが、少し傷付いた。気がする。

 口元を緩めかけたハリエットだが、すぐに引き締めて硬い声色で言った。

 

「でもあの傷……かなりの達人と見受けましたです。只者じゃないです」

「同感だ。いくら背中から襲い掛かったとしても、重装備の騎士を一撃で戦闘不能に追い込むなんて尋常じゃない」

 

 そこでハリエットが顔を上げ、帽子で隠れていた顔が露わになった。

 垂れ目がちな、随分と可愛らしい顔だった。

 なぜか呆けたような表情を浮かべて俺を見上げていた。

 

「ん?」

「い、いえ! なんでもないです!」

 

 何かを否定しつつ、ぶんぶんと首と掌を振るハリエット。

 おかしなことを言ってしまっただろうか。

 思い返してみても分からなかったので、気にせず言葉を続ける。

 

「敢えて急所を避けて殺さないよう加減しつつ、一撃で行動不能にする。言葉にすれば簡単だが、これはなかなか難しい」

「そ、そうなんです?」

「ああ。想像してみるといい。相手がこっちに背中を向けてるんだから、首にある鎧の隙間なりを狙って殺す方が早いだろ」

 

 言いながら、ハリエットには刺激の強い話かも知れないと心配したが、さすがに彼女を舐め過ぎていたかもしれない。やはり彼女も騎士なのだ。それも、高位の。

 表情ひとつ変えることなく、少女は頷いた。

 

「なるほど、たしかにです。では、最初から生け捕りにするつもりで……」

「十中八九そうだ。ヘッケル氏が何をどこまで喋ったかは分からないが、ある程度の情報は伝わってると見ていいだろう」

 

 情報。すなわち、セントレアには皇女がふたり居ること。

 恐らくは有力者であるミラベルはともかく、喧伝でもしなければ気付かれなさそうな無名の皇女、マリーの存在も伝わっているかもしれない。

 ヘッケルは話を聞き出せる状態ではなさそうなので確かめようもないが、こういう局面は常に最悪を想定するべきだ。

 

「ミラベルが何処にいるか分からないか?」

「す、すいません。分からないです。水星天の人達も把握していないみたいで」

「そうか。仕方ない、俺は詰め所に行くよ。マリーが心配だ」

 

 詰め所に戻る、ではなく、詰め所に行く。

 無意識に選んだ言葉に戸惑う。過去のセントレアは自分の居場所でないのだと、無自覚ながらに納得していたとでもいうのだろうか。

 詰め所には「俺」が居るはずで、この日には何も事件は起きなかったのだから心配などない。理屈ではそう分かっていても、こういう行動をとってしまう。

 

「では、私もご一緒しますです。ウィルフレッドさんを迎えに行きたいので」

 

 再び両手の指先を合わせ、ハリエットが意外なことを言った。

 完全に忘れていたが、詰め所では半死半生のウィルフレッド青年がぶら下がっている。昼寝の前にも見たような、見ていないような。記憶が定かでなかった。

 

「そうか。そういやアイツ、まだ吊るされてたっけ」

「……つ、吊るされ……え?」

「ジャンから聞いてないのか」

 

 詰め所への道すがら話して聞かせようかとも考えたが、すぐに考え直した。

 どうもむっつりっぽいウィルフレッドの名誉を守るためでは決してなく、彼に思いを寄せているらしいハリエットにショックを与えないためだ。

 もしかするとジャンも同じように考え、詳細を彼女に伝えなかったのかもしれない。そうであれば、あの男も決して木の股から生まれたわけではないということだ。

 いや、冷静に考えてみればカタリナの父親なのだから、彼は既婚者だ。少なくとも俺なんかよりはよほど恋愛――かどうかは分からないが、近しい経験があるのだろう。

 

 あるのか?

 まるで想像できない。

 

「門番さん?」

 

 硬直しかけた思考が、怪訝そうなハリエットの声に引き戻されて再開した。

 俺は頭を振り、雑念を振り払って言った。

 

「……ああ、いや。なんでもない。なんでもない」

 

 落ち着いた頃にでも機会があれば、カタリナに聞いてみよう。

 がしゃがしゃと甲冑を鳴らしながら、俺は歩き出した。

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