4.継承戦③
カボチャを被った明らかな不審者が教会の中に身を滑り込ませても、誰も見咎めることはなかった。
足を踏み入れた礼拝堂は、綺麗にもぬけの殻だったからだ。
歩哨が居なくなったのは見えていたが、教会の中にもまったく人気がないのは意外だった。騎士達は全員天幕の方へ向かったらしい。
勝手に侵入している俺が言うのもなんだが、いささか警備態勢に問題があるんじゃないだろうか。
月天騎士団といい、ここの水星天騎士団といい、騎士という連中はどうにも油断が過ぎるきらいがある。魔力によって己の肉体を強化し、強力な魔法を扱う才能。その、非才の人間に対する絶対的な優位性が慢心を生むのかもしれない。
長い歴史の中で皇国が負け知らずだったのも無関係ではないだろう。ロスペールの件を考慮すると、その不敗神話も現況では危ぶまれる。この国は問題だらけだ。
執務室を覗いてみても、やはりミラベルの姿はなかった。
仕方がないので礼拝堂に戻り、騎士団の備品と思しき木箱を漁って板金鎧の一式を拝借する。
俺は、いわゆる防具の類を一切身に付けない。
魔力量が乏しいので、一般的な騎士のように魔素を通した金属鎧で全身を覆って戦う、などという真似はやり難いのも理由のひとつだが、最大の理由は「大して意味がないから」である。
たしかに鎧はあった方が防御力の面で比較的勝るのだろうが、一定以上の力量を持つ騎士の中には、剣の一振りで地面を割るような連中がいる。そういった手合いと戦うことを考えると、金属板一枚と運動能力をトレードオフするのは理に適っていない。
好みもあるだろうが、基本的には防御より回避を考えるべきだと俺は考えている。
現に九天などの一部の上位騎士は金属鎧を使用しない。初対面のサリッサなんかドレスを着ていたくらいだし、ヴォルフガングに至っては上半身が裸だった。
なので、別に鎧に実用性を期待しているわけではない。
板金鎧を全身に身に付け、カボチャを脱いで鉄兜を被り、バイザーを下げる。そして水星天騎士団のシンボルカラーらしい浅葱色のマントを纏えば、あら不思議。どこからどう見ても騎士団の一員だ。
ひとりでうんうんと頷き、カボチャを小脇に抱えたまま礼拝堂を後にする。
兜のスリットは視野が狭く、歩いていると全身のプレートががしゃがしゃ鳴って鬱陶しいが、背に腹は変えられない。
天幕の方へ向かうと、同じような装備をした騎士達が大勢いた。
慌しい様子で方々へ散っていく。何人かは街の中央、商店通りの方向へ向かうようだった。
何かが起きたのは明白だ。
騎士の気配が多い天幕へ堂々と入ると、中には五人ほどの騎士が居て一斉に俺を見た。が、すぐに視線は外された。疑われなかったようだ。
そ知らぬ顔で俺も混ざる。
「なにかあったんですか?」
「ああ……ヘッケルが見つかった」
俺と同じような鉄兜を被った騎士が深刻そうな声色で言った。
覚えのない固有名詞だ。人名かもしれない。と、考えたとき、五人の騎士たちが囲んでいたものが目に入ってきた。
床敷の上でうつ伏せに寝かされている男だった。
かなりの重傷を負っている。血に塗れた包帯で粗く縛られているが、肩から背中を抜けて脇腹に達するほどの傷であることは見て取れた。
何かしろの刃物による切創だろうか。
事故、という線はほぼない。
誤って自分の背をここまで傷付ける間抜けな騎士はいないだろうし、訓練の手合わせなどであれば背中を斬り付けるなんて真似は許されない。
「医者はまだか?」
「例の女医さんを呼びに向かわせたよ。あの人なら腕はたしかだ」
「あの人か……そうだな」
年配の騎士と鉄兜の騎士が頷き合う。
女医とはドネットのことだろう。この田舎街には他に医者など居ない。見たところヘッケル氏は虫の息だったが、ドネットの腕前なら安心だ。
南平原の戦いでヘッケル氏以上に重傷だった俺も、ドネットの手にかかって数分で戦闘に復帰したのだから間違いないだろう。
よくよく考えてみれば腕が良過ぎる気もするが、今はいい。
これは恐らく――
「姫殿下の命を狙う者の仕業かも知れん」
大柄な年配の騎士が呻くように言った。
騎士たちの間に動揺が走る。
継承戦だ。
俺は鉄兜の中で盛大に顔をしかめた。
こちらはそれどころじゃないというのに。本当にこの国は内患だらけで嫌になる。
「……ヘッケルの奴、昨日の晩は教会の警備だったもんな。姫殿下を狙う暗殺者と鉢合わせたのかも……殿下がまた教会を抜け出していなかったら、どうなっていたことか」
「姫殿下の放浪癖が幸いしたか。まあ、あの方なら大抵の刺客は一人で撃退してしまいそうだが……」
彼らの言う殿下、とはミラベルのことだろう。
なるほど、やはり水星天騎士団は苦労しているらしい。あのお姫様は大人しそうに見えて全然そうでもない。騎士たちの心労は察するに余りある。
「はやく姫殿下にお伝えせねば。姫殿下はいずこに?」
「いや、待て」
鉄兜の言葉に、年配の騎士が頭を振る。
「姫殿下には予定通り、皇都へ向かっていただこう」
「なんと!? ガルーザ卿、気は確かですか!?」
聞いた名だ。南平原で水星天騎士団と戦った時に刃を交えた気がする。
確か、副団長だったはずだ。
「門番が同行するなら姫殿下は心配ない。街に敵が入り込んでいるのであれば、むしろ離れていただく方が都合がいい。その間に我々が敵を処理するのだ」
「ガルーザ卿、姫殿下もですが……あの東洋人を信用し過ぎではありませんか。本当に奴が伝承に謳われる剣の福音だとでも?」
「信用ではない。彼奴は強い。それだけだ」
短く言い切り、ガルーザ卿は踵を返して天幕を去っていった。
他の騎士たちも同様に去っていき、昏睡して浅い呼吸を繰り返しているヘッケル氏と俺だけが取り残された。
副団長殿の判断はリスキーだが、結果を知る者としては正解だったと評する他ない。
まったく別の困難はあったものの、皇都行きの旅の中でミラベルが狙われることはなかったし、その未来は今回も変わらないように思える。
倒れ伏す騎士の背の傷を再び確認する。
他に外傷はない。襲撃者の得物が剣だと仮定すれば、ヘッケル氏がよほどの臆病者でない限りは背後から襲われたことになる。
一刀一撃で倒し、しかし命までは獲らなかった。そこに意味があるとすれば、それは。
これも梃子摺りそうだ。
俺は次々と襲い掛かる難題に辟易しながら天幕を後にした。




