9.交渉③
交易商が使うような安宿は、一歩入ってみればどこも驚くほど質素な作りをしている。セントレアにある宿屋も概ねそういった類のものだ。
狭苦しい空間に押し込められたガタガタの木製ベッド。その上に薄い毛布があるだけ。
疲れが取れるとは到底思えないのだが、何かと時間に追われる彼らにとっては屋根と寝る場所だけあればいいのだろうか。
それですらあんまりな環境だというのに、
「白衣の女? ああ、コールマン先生ならこの時間は馬屋で寝てるはずだよ」
宿の主人は何でもないことかのようにそう言ったのだから、さすがに俺もサリッサも戸惑いを隠せなかった。
豪胆にも程がある。
吹きさらしの馬屋では野宿と変わらない。いくら平和な田舎町だとはいえ、女性にしては無用心に過ぎるのではないだろうか。
そんな俺の懸念は、煤や泥で汚れた白衣を身に纏った長身の女――先生とやらが干草の上で大の字になっていびきをかいているのを見た途端にどこかへ行ってしまった。
つんとしたアルコールの臭いに、サリッサが顔をしかめる。
「お酒くさ」
「すげえな。昼間から酒飲んで寝てやがる」
俺は足元に転がっている空の酒瓶を数えようとして、すぐに諦めた。どうやら先生は大層な酒豪らしい。
馬屋の中に乱雑に設置されたテーブルの上には、ぱっと見は何に使うのか想像もつきそうにない形状のフラスコや、小瓶に入ったカラフルな水薬、すり鉢などが置かれている。
まるっきり門外漢な俺でもすぐにピンと来るものがあった。
「この人、錬金術師か」
「いや、学者だよ。考古学者」
不意に目を覚ました先生はそう言うと、目を丸くする俺たちの前で大欠伸をしながら上体を起こした。
濃い隈が浮かんだ目をこすり、かったるそうな表情で俺とサリッサを交互に見る。
「んで、あんたらは誰」
「門番」
「パン屋よ」
学者先生は、何とも言えない苦い顔をした。
■
「なんだ、医者を探してたのか。あたしはドネット・コールマン。本業は考古学者」
「学者先生が、何でまたこんな辺境に」
「個人的な研究でね。この辺りの地下に埋まってるかもしれないもんを探しに来たのさ」
ボサボサの頭をバリバリ掻きながら先生――ドネットはフラスコを呷る。
中の液体が一体何なのか気になるが、あまり良い予感はしないので触れないでおくことに決めた。
「あんたら、翼竜って知ってる……わけないか」
「俺は知ってる」
「あたしも知ってるわよ」
「知ってるのかよ……門番とパン屋が?」
ドネットが訝るのも無理はない。翼竜が生息しているのはセントレアからずっと北の地方である上、個体数が驚くほど少ない。
普通は目にする機会自体がそもそもない、希少な生物である。
俺はとある事情から世界中を旅していた時期があり、北の地方にも行った。その際に何度か話を耳にしている。
サリッサは騎士としての仕事で知る機会があったのだろうか。俺は彼女の経歴について知っているわけではないが、十分に有り得る話だ。翼竜はたまに人里に現れて子供や老人をさらって食ったりするため、騎士団ではたびたび討伐遠征を行っているらしい。
とはいえ、そんな俺達の事情を口にしたところで有意義とは言えない。
「ま、そういうこともあるだろ」
「そうかい」
ドネットも深くは追及せず、少し間を置いてから喋り始めた。
「あたしはその翼竜を研究してる。翼竜というか、竜種と言った方が良いか」
「竜種? 何よそれ」
ドネットが白衣のポケットから取り出したのは、象牙に似た、やや黒っぽい棒状の物体だ。
「こいつは半年ほど前に、この地方の鉱山で発見されたものだ。発見当初は翼竜の骨だと推測されていたんだが、それにしてはどうも骨格の造りが違う。んで調査したところ、コイツは体長約百六十フィートに達する未知の翼竜であることが判ったのさ」
心なしか得意げに語るドネットの顔には、先程までと比べて生気が満ちてきている気がする。
百六十フィート。つまり、大体五十メートルくらいだろうか。
「さすがに計算違いじゃない? そんな大きな翼竜、その半分くらいのヤツだって聞いたことないわ」
「ところが間違いとは限らないのさ。古くからの伝承に登場する竜は翼竜よりも遥かに強く大きかったとされてる。もし伝承が真実を記しているなら、それくらい巨大な竜が存在していたとしてもおかしくはない」
淡々と語るドネットだが、心なしか眼が輝いている、ような気がする。
この女性はそんなに竜が大好きなのだろうか。
「あたしらはこの未知の竜を、伝承の呼び名から取って竜種と呼んでいる」
「おとぎ話を持ち出されてもね。仮に、もしそんなのが昔のウッドランドに実際に居たとしても、今どこにも居ないのはおかしいじゃない。生き物って、そんなあっさり影も形もなくなるものかしら」
フリフリのエプロンドレス姿のサリッサは、半信半疑の面持ちで竜の骨を見る。
「竜種が伝承通りの強大な存在だったんなら、そんな種族が影も形もなく消え失せるとは考えにくいね。他にも痕跡が残っているとあたしは考えてる」
「つまりコールマン先生はその竜種の痕跡を探しているわけか」
俺の言葉に、ドネットは首肯する。
「なにせ伝承も一千年近く前の代物だからね。古代語の解読もあまり進んでいない。現実的な手がかりといえばこの骨くらいさ。だからあたしはセントレアに滞在して地下の調査を行っているのさ。何でもいいから骨とか牙とか埋まってないか、ってね」
面白い話だ。竜種のことはどうだっていいのだが、手法については少し興味が沸いた。
俺はドネットに尋ねた。
「地下をどうやって調べてるんだ? まさか手当たり次第に掘り返してるわけじゃないよな」
「まさか。特殊な探知魔法を使うんだ。魔導院が開発した魔法なんだけど、弱い雷を地面に当てて反射を探知する、らしいよ。あたしは魔導師じゃないから詳しくは判らんがね。今回は竜種の骨の波長に合わせて調整してある」
「……へえ、すごいな」
言いながら、俺はその魔法の原理に強烈な違和感を覚えていた。
ウッドランドの科学的な技術水準については把握しているつもりだったが、俺の認識が誤っていたのか。
その魔法は、おそらく電磁波を使用したレーダーのようなものだと推測できる。
普通、地中の物体を探す魔法を作ろうとしても、雷という発想は出てこない。電子波と反射波を理解していないと無理だろう。
この、理屈を二段三段すっ飛ばして、まるで答えから手段を逆引きするかのようなやり方には何となく覚えがある。
魔導院という聞き慣れない単語を頭に入れながら、俺は当初の目的に話を戻すことにした。
「話を戻すけど医者の知り合いはいないか? よかったら誰か紹介してもらえると助かるんだが」
ドネットは腕組みをして黙考し、言う。
「居るには居るが、無理な注文だね。この街の規模から察するにかなり負担をかけることになるだろ。悪いけど、とても人に頼めた話じゃない」
「だよなあ」
そこまで期待をしていたわけではないが、残念には違いない。
どうしたものかと思案していると、腕組みをしたままのドネットが微笑んだ。
「ま、人には頼めないがね。あたしがやる分には問題ないよ」
「……なに?」
「こう見えてもあたしは医術も学んだ身でね。錬金術もそうだ。ふふ、万能の天才とはあたしのような人間を言うんだろうな」
節操がなさ過ぎるチョイスではないだろうか。しかも無駄に自信過剰だ。
患者側が昼間から一杯やって寝ているような女医に診てもらいたいかは些か疑問ではあるが。いや、何にせよありがたい。
などと感謝の言葉を口にしようとしたとき、ふんぞり返ったドネット女史は指を三本ほど立てて言った。
「ただ、引き受けるにあたっては条件が三つある」
まあ、そうだろう。
世の中そうそう旨い話は転がっていないものだ。
「聞こうか」
「まず期間はあたしがこの街に滞在している間だけ、というのは当然として……医者として働く分、研究の方に皺寄せが来るからな。その分、そちら側で労働力を提供してもらいたい。なに、難しい話じゃない。いずれ竜の骨らしき反応を見つけたら、その場所を掘り起こしてもらうだけだ」
「分かった。町長に掛け合ってみよう。残りは」
「契約金として金貨百枚でどうだろう」
「無理だ!」
俺は思わず間髪容れずに叫んだ。傍で聞いていたサリッサも目を丸くしている。
なにせ俺が門番として一ヶ月働いても、稼ぎは金貨一枚に満たない程度なのだ。その百倍以上の要求である。
暴挙だ。掛け合うまでもなく、セントレアの自治体にそんな金を出す余裕はない。
「なに? 思った以上に待遇が悪いな……貧しいのか、この街は」
ドネットは真顔で首を傾げる。
どうやら本気で言ってるらしい。
「いや、何かと研究の為に費用がかさんでいてね。酒場のツケも払わなきゃいけないんだ」
「あんたツケで飲んでるのかよ……まあ、酒場のツケくらいなら何とか俺の方でも……」
「さすがにぼったくり過ぎでしょう。せめて五十枚くらいにしなさいよ。それくらいなら何とかなるんじゃないの」
ならんわ。
サリッサもサリッサでおかしなことを言っているが、今は無視する。
実際のところ、俺もサリッサも交渉事には全然向いていない、身体を動かす方が得意な性質だ。
下手な腹芸などはしない方がいいだろう。思案しながら、俺は苦笑いを浮かべて口を開いた。
「悪いが金貨は無理だ、ドネット先生。なにか代わりの条件を頼むよ」
「ふむ……そう言われてもね。金以外となると……」
どうも雲行きが怪しい、ということを肌で感じながらも返事を待つ俺に、ドネットは臆面もなく言った。
「なら、あんたらにも竜の骨探しを手伝ってもらおうかな」