2.祖父の逆説②
年頃の女性の私室というものはもう少し色気があってもいいんじゃないだろうか。
そんな感想が出てくる程度には、カタリナの部屋は整然としていた。
ベッドにかかっているシーツも綺麗なものだし、窓枠に埃が積もっているということも全くなく、掃除が行き届いているのは分かる。
しかし、机とベッドとチェストだけというのはどういうことなのだろう。
「仮住まいなのか?」
「失礼なカボチャですわね。私物が少ないだけですわ」
いつもどおりのエプロンドレスに着替えたカタリナが口を尖らせるので、渋々ながら被っていたカボチャを床に置いた。
「タカナシだって人のこと言えないでしょ」
ベッドにダイブしたサリッサは、うつ伏せになってゴロゴロしている。
その様子を見るに、やはり精神的にも退行しているのではないかと疑ってしまう。
元々が大人とも言い難い年齢だったのもあるかもしれない。
パン屋の二階にあるカタリナの部屋に通された俺とサリッサは、現在までに至るおおよそ全ての経緯をカタリナに説明していた。
話を聞いている最中のカタリナの表情の変化ときたら、それはもう凄まじいものだった。特にサリッサを往還者にしてしまったくだりでは、胸倉を掴まれたほどだ。
俺がついていながら、と言われるとまったくそのとおりで、申し開きの言葉もない。
「ですが、ご無事で何よりです。ウッドランド帝と戦って生還した人間は、恐らくあなた達が初めてでしょう。いえ、無事とは言い切れないかもしれませんが……」
「あー、別に大丈夫だから」
うつ伏せのままでひらひらと手を振るサリッサに、カタリナは少しだけ笑ってみせた。どう考えたって大丈夫には見えないだろうが、本人がそう言うのであればカタリナとしてもそれ以上何かを言うつもりはないらしい。
「でも、よくあたしだって分かったわね。こんなになっちゃってるのに」
「それは……ええとですね」
カタリナはどこか言いにくそうに俺を見た。
なぜ俺を見るのだろうか。首を傾げると、彼女は観念したかのように目を閉じて、溜息混じりに言った。
「権能です」
目を開いたカタリナの瞳に、揺らめく光があった。
店で見たときは見間違いであって欲しいと思ったものだが、残念ながら見間違いではなかったらしい。覚えのある権能だった。
「ああ……《叡智の福音》か。懐かしいな」
カタリナは苦い表情で首肯する。
彼女が福音の獲得を伏せていた理由は、なんとなく理解できた。
叡智の福音は千年前に存在していた九つの福音のひとつだ。九人の往還者のうちのひとりが持っていた。
それがカタリナに宿っているということは――元々の持ち主が存命である可能性は低いだろう。同じ福音が複数の人間に同時に発現するのかどうかは分からないが、こんな力がふたつ同時に存在するとも思えない。
「気にしなくていい。千年も生きてる方が珍しいんだ」
記憶の中の仲間に別れを告げて、カタリナの肩を叩く。
目を伏せた彼女がその手を取って何事かを口にしようとしたとき、サリッサが過剰に上擦った声をあげた。
「そっ、その叡智の福音って何ができるの!?」
「えっ?」
問われたカタリナは、なぜか慌てた顔で俺とサリッサを交互に見た。
それから何かを思案するような仕草をしたあと、咳払いをひとつして真顔になる。
「表現が難しいですが……そうですね、端的に言うと《見ただけである程度の知識が得られる》とでも言いましょうか。たとえば……」
言いながら、淡く光る瞳を俺の腰に収まっている長剣に向けた。
「長さ四フィート、刃幅一インチ強。重さは五ポンドと少しといったところでしょうか。合ってますか?」
「初めて知ったよ。だいたい合ってるんじゃないかな」
俺は剣に無頓着なので計った事などはない。が、感覚的には正しいように思える。
カタリナも頷き、サリッサを見た。
「こんな具合です。パン生地を作るのにも計量の必要がないですね。物でも人でも、一目見れば大体のことが分かってしまうんですよ」
「なるほど……だからあたしが分かったのね。いいなあ、便利そう」
カタリナは地味な紹介で済ませたが、叡智の福音の本領は、決して「視覚情報からの解析」などという生易しいものではない。特に現象攻撃が非常に強力なのだが、カタリナはまだ把握していないのか。或いは、敢えて説明を避けているのかもしれない。
「えっと、タカナシは《剣の福音》だから《色んな剣技が使える》んだっけ」
「ああ。少しだけ補足すると、福音の権能ってのは大別すると二種類あってな」
俺は言葉を切り、指を一本立てる。
「まずひとつめ。内向きの力。これはさっきカタリナがやってみせたように、自分の内側に効果がある。たとえば……知らない剣技を扱ったり、不死身になったりする」
「不死身って」
サリッサが呆れた表情をするが、別に冗談でも何でもない。
「で、ふたつめ。外向きの力。これは自分の外側に向けて働きかける権能のことだ。相手を脈絡なく即死させたり、周囲の時間を止めたり、だな」
「時間……王様の《時の福音》ね」
「そうだ。俺達はこの外向きの力を現象攻撃と呼んでいた。これはどの福音にも備わってるもので、たとえば俺の福音だと何でも真っ二つにできる。それだけと言えば、それだけなんだけどな」
改めて考えると、現状の《剣の福音》は現象攻撃を含めてもまだ力不足だ。
いずれ対応策を取らなければならないだろう。
「あとは各々の遺物の有無でも変わってきたり、慣れで使い方が分かってきたりするもんだから、習うより慣れろって感じかな」
強引に話を終わらせ、窓の外を見る。店先の行列はまだまだ続いているようだった。
俺の下手な説明に聞き入っていたカタリナとサリッサだが、質問が飛んでこないところを見るに、二人ともある程度は既に把握しているらしい。
サリッサが福音を獲得しているかどうかは分からなかったが、本人が話さないということはまだ話す時期ではないのだろう。
ぐったりと窓辺に寄りかかり、俺は本題を切り出した。
「俺とサリッサが過去に移動したのは時の福音の影響かもしれない」
「さっきの現象攻撃ってやつね」
今に至るまで考え続けていた推測を口にすると、うつ伏せのままのサリッサが苦虫を噛み潰したような顔をした。俺は頷き、どうにも凝り気味の首と肩を回しながら続けた。
「サリッサが受けた退行って攻撃は、時間を逆向きに働かせる効果がある。その効果が残った状態で往還門を通ったもんだから、何かが狂った……と考えるのが妥当だろうな。往還門は得体が知れないから、本当のところがどうなのかはちょっと分からないが……」
「うーん……あ、叡智の福音で往還門を見れば何か分かるんじゃない?」
「残念ですが、あれについては権能を使っても何も見えないんです。わたくしがまだ福音に慣れていないせいなのかもしれません」
カタリナは申し訳なさそうに言うが、叡智の福音の前任者も往還門については何も分からないと言っていた気がする。望み薄だろう。
こめかみを押さえて難しい顔をしたカタリナが、やや間を置いてから言った。
「他に考えられる原因がなければ、その前提で行動した方がよさそうですわね」
「っていうと?」
「まず、往還門はしばらく使わない方がよいでしょうね」
やはり、そういう結論になるか。俺は大きく息を吐いた。
たしかに、俺とサリッサは異界に移動できなくともさして困らない。元々あちらの世界にはあまり帰っていないし、必要もない。
しかし、カタリナは別だ。
「……平気か?」
最低限の言葉で確認する。
カタリナは体質的な問題で、異界での静養が必要になる場合がある。
もちろん本人も心得ている。
「平気です。少なくとも、今のところは。魔法を使わなければ当分は大丈夫ですわ」
微笑んでそう語るカタリナに、俺はそれ以上の言葉を持たなかった。
ベッドの上のサリッサが微かに溜息を吐いたような気がした。




