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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
86/321

ex.幕間の鏡像

2/23.5

 転移街(ポート)アズルにおける転移門の破壊。

 そして門番の少年の消失。

 決して勝利とは言い難い決着を迎えたその朝、マリアージュはやや歪んでしまった長剣を構え、異様な騎士と対峙していた。

 

 タカナシを援護するべく街路を疾走していたこの皇女は、アズル南東の転移門を目の前にして転移門の機能停止を断念し、己が持つ最も高威力の攻撃魔法である《衰滅の角笛(ギャラルホルン)》によって転移門の破壊を決断した。

 しかし、放たれた魔法が転移門に届くことは無かった。細い人影が街路樹の陰から躍り出るや、抜き打ちの一刀によってマリアージュの魔法を両断したのだ。

 そして、転移門に激突した竜種(ドラゴン)と共に門番の少年は行ってしまった。残されたのは崩れ落ちる転移門の残骸と、竜種の肉体の一部のみだった。

 

「何者だ。ドーリアの者か」

 

 朝日に照らされる女――目が覚めるような美しい金の髪を持つ仮面の騎士に、低い声で問う。華奢な体躯にマントを纏わせるその女騎士は、手にした青の長剣を定期的に手首で返して弄びながら応じた。

 

「打ち込んでは来ないのですか?」

 

 返答にならぬ返答だ。

 あまりに挑発的な物言いだったが、あらゆる意味でいまだ未熟である皇女は、ぎり、と歯噛みするしかない。仮面の騎士が形容し難い不気味な威圧感を纏っていたからだ。

 迂闊には踏み込めぬ、と経験の浅いマリアージュでさえ理解してしまうほどの不気味さ、不可解さ。すぐにそれと分かる実力の違い――魔力量の差や、身のこなしだけではない、目には見えない異常。

 それは、マリアージュが敬愛している門番の少年に酷似している。

 奇妙な青みを帯びた刀身(エッジ)を揺らめかせる騎士は、時折首を傾げて挑発的な仕草をしてみせた。だが、無貌の仮面に空く孔から覗く双眸は、マリアージュを静かに見定めている。返し技なり流し技なりで備えているのは明白である。

 飄然と構えたまま、白磁の仮面は平坦な声で告げた。

 

「しかし……それもよいでしょう。未熟を認めるのも、ときには必要なことです」

 

 暁光の中で浴びせられた声を、マリアージュは耳障りだと感じた。

 仮面の有無に拘わらず、このような知り合いはマリアージュにはいない。だというのに、まるで師か母のような口ぶりだ。どことなく口調や声が敬愛する姉や侍女に似ているのも癇に障る。

 一度そうと意識してしまうと、鮮やかな朝焼けに照らされる騎士の立ち姿が姉のミラベルと重なって見え、マリアージュは酷く困惑した。瞬く間に戦意が萎んでいった。

 仮面の騎士が右の手のひらの中で剣を回し、逆手に持ち替えて鞘に収めるのも、ただ悄然と眺めているしかない。

 

「領主の命で加勢に参りました、騎士見習いのリコリスと申します。以後お見知りおきを、マリアージュ皇女殿下」

 

 これほど分かり易い嘘もない。このリコリスのような凄腕の騎士が見習いレベルなのであれば、ドーリアの傭兵騎士が何人来ようが問題にはならない。

 だが、彼女は問い詰めたところで何も喋らないだろう。そんな予感がマリアージュにはあった。

 

「……あなたにとって加勢という言葉は、邪魔をするという意味なのか? あのような魔獣をランセリアに送ってしまえば、どんな被害が出るか……!」

 

 代わりに精一杯の抗議を口にした。そうしなければ彼女を許せそうにない。

 しかし、仮面の下から発せられた声色は何の痛痒も感じさせないものだった。

 

「この街の財産、ひいては皇国の財産たる転移門(ポータル)を守るのが領主の意思です。付け加えるなら、転移門を破壊して向こうの街……ランセリアを守ったとしても、その時はこの街が襲われていたでしょう。手放しには賛同しかねます」

「それは……そうだが……」

 

 抗弁の余地はなかった。

 アズルの街を振り返り、マリアージュは己の浅慮を痛感する。

 リコリスの言うこともまったくの正論である。ふたつの街のどちらを守るか。それを単純に被害の大小で決めてしまうのは、完全な部外者の価値観だ。たったいま苦しんでいるこの街の住人からしてみればもってのほかだろう。

 

「とはいえ、結果として転移門も壊れてしまいましたから、私も偉そうなことは言えませんけどね……さて」

 

 言いながら、リコリスは懐から四角い赤色の缶を取り出すなり、蓋を開けて缶を逆さに振った。カラカラと音が鳴り、何やら得体の知れない粒が転がり出でる。

 そこで一瞬動きを止めた仮面の騎士だったが、すぐに手のひらの中の白い粒を口へ含んだ。

 

「んー……どうも白いのが出ると食べるか迷ってしまいますね。ハッカ味なのかリンゴ味なのか、いまいち結果が安定しなくて。まさにカオスです」

「あなたは……なにを言っているのだ……?」

「飴の話ですよ。いかがですか?」

「……いや、結構。このような非常時に飴などを舐めている暇はない。あなたも皇国の騎士であるなら救助活動に手を貸していただきたい」

 

 カロカロと口の中で飴を鳴らしながら缶を向けるリコリスを手で追い払い、憮然と告げる。しかし、女騎士は小首を傾げて言った。

 

「はて……救助活動とは、いったい何をすればよいのです?」

「何を馬鹿な! まずは火を消して、それから……」

 

 はた、と思い至り、マリアージュは絶句した。

 声が聞こえない。竜種に街が焼かれた時、あんなにもはっきりと聞こえてきた苦しみの声が何も聞こえていなかった。

 よくよく見やれば、街に上がっていた火の手も既に収まっている。街に残された破壊の爪痕は痛々しいが、傷つき、或いは逃げ惑う人々の姿などどこにもなかった。

 

「そんな……どうして……」

「とても不思議なことに、被害範囲内の住人はどこかに避難していたみたいですね。もちろん、それでも負傷者は大勢出てしまったようですが……もう教会などの避難先で手当てを受け始めているようです」

「避難していた……!? なぜ……!?」

 

 竜種のブレス攻撃による被害は、街をほぼ二つに両断するほどの範囲に及んでいる。不思議なこと、の一言では片付けられない話だった。

 

「さあ……聞くところによれば、どこかの騎士団があらかじめ避難誘導を行っていたらしいですが」

「アズルに騎士団は居ないと聞いている。いったい、どこの騎士団が……」

「私はどこかの、と言いました。見習いに過ぎない私には分かりかねるお話ですよ」

 

 肩をすくめるリコリス。

 彼女の弁を信じるなら「どこかの騎士団」は竜種の攻撃を予見し、少なくとも街の衛兵隊やミラベル、そして門番の少年やマリアージュよりもずっと早く行動していたということになる。

 マリアージュはそんなことが可能なのか、と疑う反面、被害が自分の想像していたような規模にはならなかったのだという事実に安堵していた。

 どのような勢力がどのような思惑で行ったにせよ、関係ない。苦しむ人々が減ったのであれば、それは手放しに喜ぶべきことだった。

 自然と涙が滲んだ。

 

「そうか……それは……よかった」

 

 マリアージュは膝から抜けそうになる力を苦労して留め、立ち続けた。それは、なんとなく気に入らない女騎士に虚勢を張りたかったわけではなく、ただ単に、自分の為すべき事はまだ終わっていないのだという、理由のない使命感からだった。

 

「しかし、治癒術師の手は足りておるまい。わたしは教会へ行く」

「まだ働かれるおつもりですか?」

「そうだ。できることがあるうちは休んでなどいられない」

 

 鈴のような声で力強く言い切り、マリアージュは傷付いた街へと歩き出す。

 仮面の騎士は煤で汚れた小さな背中を見送りながら、静かに金の髪をかき上げた。

 

「マリアージュ……あなたは、いったい何になりたいのでしょうね」

 

 白磁の仮面の下で発せられた囁くような問いは、やがて走り出した未熟な皇女の耳には届かない。

 ただ、仮面の騎士は曙光の中を駆けていく背中をいつまでもみつめていた。

 

 羨むように、いつまでも。

 

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