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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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40.往還門

 往還門による一瞬の世界間移動によって、湿った空気と錆びの臭いが充満する地下室に戻ってきた時、俺は形容し難い違和感に襲われていた。

 往還門が設置されている詰め所の地下室――より正確に言えば、往還門の周囲に頑丈な金庫が作られ、長い年月のうちに地下室になってしまったのだが――は、通常は物置として使っている。

 外見上は古びた鉄扉でしかない往還門と、使わなくなった古道具や収集品を放り込んだ木箱が三つ。いつだったか暇潰しで挑戦した日曜大工の産物である木机と椅子。置いてあるものはその程度だ。

 それらを注意深く観察してみても、違和感を覚えるような変化はない。

 

「ここ、たまには掃除すべきなんじゃない?」

 

 白槍を担いだサリッサがしかめ面で言った。往還門による往復は初めてのはずだが、彼女に変わった様子はない。適応力が高いらしい。

 俺は「善処しておく」とだけ答えて、チノパンの上に雑に巻いている剣帯に長剣を差した。上衣も現代的なカットソーなのでミスマッチ感が凄まじい。

 カタリナと往復した時は服装をそれぞれの世界に合わせて着替えていたが、今回は俺もサリッサも異界(クリフォト)の衣服を着用している。

 理由は単純明快で、着替えが無いからだ。

 皇都への旅の中で革コートは焼けたし、ランセリアで買った新しいクロークは吹き飛んだ。一張羅のジャケットもシャツも修繕不可能なレベルまで損傷している。サリッサもエプロンドレスのサイズが合わなくなってしまった。

 普段であれば世界間の服飾の差異には気を使っているのだが、今回は止むを得ない。

 それに、俺達が皇都に行っている間にセントレアの収穫祭は終了している。平時のこの田舎街の人口密度であれば、多少は奇抜な服装をしていたとしても問題はないだろう。

 堂々と道を歩いていても、農家のおっちゃんくらいとしかすれ違わないはずだ。

 

「じゃあ、あたしはお店に戻るわね。これからどうするにしても、ミラベル達がアズルから帰ってこないとどうしようもないわけだし」

「そうだな……あ、いや待て。俺も行くよ。カタリナと相談したいこともあるし、サリッサもその姿じゃ誰だか分かってもらえないかもしれない」

「あ、それもそうね」

 

 あっけらかんと頷くサリッサ。

 本人はさして気にしていない風だが、知人がいきなり子供になったら普通は驚くし、信じないだろう。カタリナや九天の連中が仰天する顔が目に浮かぶようだ。

 などと考えて一歩踏み出そうとした時、俺は上階――詰め所のリビングにある人の気配に気付いて足を止めた。

 

「サリッサ」

「……ええ、たぶん騎士ね。二人……かしら」

 

 声をひそめて確認し合う。

 俺とサリッサが往還門を通過する前には詰め所に誰も居なかったし、戸締りもした。現界(セフィロト)の経過時間は一分に満たない程度。この短時間で鍵を開けて詰め所の中に入り込んでいるとなれば、まともな客ではないに違いない。

 ほんの数ヶ月前であれば笑い飛ばすような話だが、今の俺は敵が増えに増えて心当たりがあり過ぎるほどだ。用心に越した事はない。

 

「先に行く」

 

 槍を両手で構えるサリッサへ端的に告げ、長剣の柄に手を掛けつつ階段を上る。

 分厚い床板を音を立てないように外して寝室へ上がり、気配を殺しながらリビングとのドアに張り付く。

 耳をそばだてると、床を踏む足音と、微かに縄が軋むような音が聞こえた。感知可能な魔力源は二つ。どちらもリビングにある。

 すぐ後ろをついて来ているサリッサにハンドサインで指示を送って寝室に待機させ、慎重にドアノブを回す。

 ラッチが動き、僅かに開けたドアの隙間から向こうを覗き込んだ俺は、朝日の逆光の中に揺れる人影を見た。

 どうやら誰かが縄で首を括られて梁から下げられているらしい。

 鉄製の軽鎧を着込んだ、騎士然としたその人物は、よく見知った金髪の青年だった。

 

「って、なんだよ、ウィルフレッドか。驚かせやがって」

 

 急に馬鹿馬鹿しくなってドアを思い切り開けてリビングへ出る。

 どういうわけだか知らないが、人様の家で首を括っている九天の騎士ウィルフレッドは、白目を剥いて失神していた。

 首縄の締め方が加減されているようので、何時間かそうして揺れていても死ぬ事はなさそうだった。

 

 何か死にたくなるほど辛いことでもあったのだろうか。

 だとしても、わざわざ詰め所でやらなくてもいいだろうに。

 

 そんな、暢気な事を思いながら、俺は首だけを動かして、

 テーブルに着いているもう一人の姿を、見た。

 

 

 

 

 ――赤と黒のエプロンドレスを着た、黒髪の少女の姿を。

 

 

 

 

 ちょうど、彼女はテーブルに並んでいる黒パンのスライスから俺へと視線を移したところだった。それから、きょとんとした顔で赤い瞳を数回瞬かせた後、親しき者へ向ける微笑を浮かべて口を開いた。

 

「あれ、タカナシ? さっきドネットの病院に行くって言ってなかったっけ?」

 

 心臓が、跳ねた。

 紡がれた声も、口調も、間違えようがない。

 サリッサだった。

 皇帝の退行(リグレス)によって小さくなる前の、見慣れた姿だった。

 

 

 俺は恐慌の一歩手前だった。

 

 

 今、テーブルにサリッサが居る。

 見間違えは有り得ない。

 

 なら、数秒前まで一緒に居た少女はいったい誰なのだ。

 ランセリアで会ってからずっと一緒に行動してきたあの少女は、いったい誰なのか。

 別人か。

 それともなにか、未知の手段で見せられた幻だったのか?

 

 違う。

 そんな筈はない。

 

 優しい声がまだ耳に残っている。

 どこか気恥ずかしい温もりも、まだ手のひらに残っている。

 それらが幻だとは、俺は思わない。

 

 

 強い確信と共に寝室へと視線だけを戻すと、大きく両目を見開いて顔を引き攣らせている小さなサリッサの姿があった。

 ぱくぱくと動く唇が、とても言葉にならないほどの混乱ぶりを物語っている。

 俺は二つの意味で安心した。

 まず、どうやら俺の頭だけがおかしくなって、居もしないサリッサの幻覚を見ているわけではなさそうだ、という安堵。次に、角度的にテーブルに居る大きなサリッサからは寝室の中までは見えていないっぽい、という安堵だ。

 それが幸いなのかどうかは分からなかったが、この二人を鉢合わせて起きるだろう混乱は、正直、俺の手に負えるものではないように思える。

 

「…………い、いや、ちょっと眠くてさ」

 

 二人のサリッサを目だけ動かして交互に見ながら、俺はようやく言葉を搾り出した。

 あからさまに怪しかったのだろう。

 大きな方のサリッサは両目を細めて、じーっと俺の顔を見る。

 そして、開いた寝室の扉を見た。

 

「……そっちに何かあるの?」

「なっ、何もないって! 誰もいないから! マジで!」

 

 咄嗟に返した声は、かなり上擦ってしまった。

 

「つまり……誰かいるのね」

 

 しかも下手を打ったようだ。

 大きなサリッサが席を立ってしまった。ジト目で俺を牽制しながら歩み寄ってくる。

 寝室にいる小さい方のサリッサはといえば半ば恐慌状態で、無言のジェスチャーやらハンドサインやらで何事かを俺に伝えようとしている。

 が、速過ぎて俺には読み取れない。

 

 止むを得ない。

 瞬時の判断で腰の長剣に手を掛ける。そして、ほんの数ミリだけ鯉口を切り、

 

 剣技(グラディオアルテ)を変則発動。

 早送り(ファストフォワード)で鈍化した時間の中、しかし、剣技は再生させない。加速する思考だけを回す。こんな使い方をしたのは初めてだったが、意図通りに周囲の動きだけが緩慢になって見えた。

 が、スローになったというのに、小さいサリッサのジェスチャーは阿波踊りじみているだけで、まるで意味不明だった。何を伝えたいのかが全然分からない。

 頭の上に両の手のひらを乗せて――耳? ウサギだろうか、と思ったところで動きが切り替わって唇の上、鼻のすぐ下に手のひらが移動して――ヒゲ?

 

 分かった、猫だ。

 

 ――だからなんだと言うのか。

 

「ああ、もう! くそっ!」

「あっ、こら! 待ちなさいよ!」

 

 迫り来る大きいサリッサから逃れて寝室に飛び込み、ドアを勢いよく閉じて鍵を掛ける。扉の向こうから怒声が響き――本気で怒っているわけではないようで少し胸が痛むが、構わずに寝室の隅で阿波踊りを続けている小さいサリッサを長槍ごと抱きかかえる。

 そして荷物のように担ぐと、窓から飛び出して一目散に詰め所から脱出した。

 

「な、なにあれ!? どういうこと!? あれ誰!?」

「俺が分かるわけないじゃないか!」

 

 バタバタ暴れる小さいサリッサを担ぎ直して、だだっ広い石畳の街路をひた走る。

 完全に誘拐犯か何かのような様相だったが、商店街の方向へ向かっていくうちにそんなことはどうでもよくなっていた。

 

 通行人が明らかに多いのだ。

 

 露店が立ち並び、街が活気に沸いている。

 そこかしこに観光客が居る。

 路上で巨大なパエリア鍋が仕込まれ、徐々に人だかりができつつある。

 その傍らを走り抜けながら、俺は愕然として喘いだ。

 

 

 

 

 

 収穫祭が、終わっていない。

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