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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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34.時の福音①

 先行したアーネスト達が無事に脱出できたのかどうか、今更ながらに疑問だった。

 彼らが俺なんかより余程まともな訓練と実戦を経験した軍人なのだとしても、この状況では何の安心材料にもならない。

 言い知れない、異質な空気が漂っていた。

 階段を一足飛びに駆け下りるサリッサも、明確な言葉にはせずとも表情が険しい。

 ひとつ階層を降りるごとに息苦しさが増していく。

 先ほど退けた外典福音(アポクリファ)とは比べ物にならない、圧倒的な存在感を放つ何者かへ近付きつつある。

 

「サリッサ」

 

 呼び止めると、踊り場へ軽やかに着地したサリッサが振り返った。

 

「なに?」

「歩きながらでいいから聞いてくれ」

 

 堅い表情で首肯して横に並ぶサリッサに、俺は歩を進めながら言葉を連ねる。

 

「この先は戦おうなんて絶対に考えるな」

「……ってことは、下に居るのが皇帝なのね」

「ああ。昔はこんな……ここまで人間離れした奴じゃなかったと思うんだが、千年近く経ってるし、こうなってても別に不思議じゃない」

「千年って……アンタ、いったい何歳なのよ」

「そこはまあ、なんと言うか、解釈の分かれるところではある。とにかく、お前は手を出さないでくれ。奴の力は危険だ」

「力?」

「時間を操る」

「……なんですって?」

「時間を操るんだよ。自由に止めたり、進めたりする」

 

 かつ、とブーツの踵を合わせて立ち止まったサリッサが、何とも言えない顔でこちらを見てくる。

 

「なによそれ……勝算はあるの?」

「可能な限り交戦は避けたいところだ」

「つまり、勝ち目なんてないってわけね」

 

 時の福音の生存を知ったあの日から、奴と戦うことを考えなかった日はない。

 考える時間だけはあった。あったのだが、あれこれと頭を捻った挙句、結局のところ名案というほどの名案は思いつかなかった。

 こう考えるのは即物的かもしれないが、権能の威力に差があり過ぎる。剣を操り物を切るだけの俺の福音では、時間を操るなどという一種の究極を相手にして勝ち目があるはずもない。

 

「アーネスト達はうまく逃げられたといいんだが」

 

 階段を下り、スキンファクシが接岸していた階層に辿り着き、白い回廊を進む。

 終着点が近付いた頃、先を歩いていたサリッサが歩調を緩めて隣に並んだ。

 

「あたし、月天騎士団出身なのよ」

「そうだったのか。道理でアーネスト達と顔馴染みなわけだ」

「そ。まあ、すぐ九天に選出されちゃったから、半年も一緒じゃなかったけどね」

 

 サリッサはいつものようにさっぱりと言った。

 今は間違いなく、そんな話をしている場合ではない。

 しかし俺は敢えてからかうような口調で彼女に応じた。

 

「素直に友達だって言えよ」

 

 こう言えば反発するに違いない、と踏んでのことだ。

 だがサリッサは、予想に反した静謐な声音で呟いた。

 

「……そうだったのかもね」

 

 彼女は分かっていたのだろう。

 月天騎士団が陣取っていた広間の、わずか十数メートル手前の回廊で立ち止まったサリッサは、力なく部屋の入り口を見やってゆっくり首を振る。

 分っている。

 己の存在を隠そうともせずに佇む気配がひとつ。

 広間にある気配はそのひとつだけで、魔力源も他にはない。

 

 俺達が徒歩で皇都から逃げおおせる見込みはゼロに近い。

 ここは皇国の中枢だ。よしんばこの塔を脱出したとしても、上層から脱出することもままならずに捕まるのがオチだろう。

 生き延びるにはスキンファクシに辿り着く必要がある。あの飛行艦がまだそこにあって、尚且つ航行できる状態であればの話だが、可能性はある。

 

 俺はしばしの思案の後、沈黙して顔を伏せるサリッサに告げた。

 

「押し通る。後からついて来てくれ」

 

 長剣を腰下で斜めに構え、ぐっと力と魔力とを溜めてから床を蹴る。

 加速する最中、様々な雑念が頭を過ぎった。知り合ったばかりの皇子の薄い笑みや、よく知る姉妹に重なる騎士の少女達の顔が、一瞬だけ脳裏をちらついた。

 

 感情は剣を鈍らせるのみ、とばかりに想念を踏み越えた先、

 やはり全てが白い広間に突入した俺は、瞬間、長い生を過ごすうちにいつしか絶対となっていたその心得を、完全に忘れた。

 

 

 こちらに背を向けた男が立っていた。

 老爺というには無理があるほど、立ち姿に芯が通っている。礼服の背中は伸びきっており、一本に束ねた長い白の髪にも異様な艶がある。老いなど微塵も感じさせない。

 男は細い左の腕で、何かを持ち上げていた。

 しげしげと観察するように、魔力灯にかざしている。

 

 男の上半身よりも二回りは小さい、何か。

 完全に脱力し、力尽きた、襤褸切れのような何か。

 それが何であるかを理解した瞬間、俺は、下げていた長剣を弓のように引き絞って突き出した。ほぼ無意識だった。

 ごく自然に、即座に、あの男を殺そうと思ったのだ。

 

 殺意が不可視の刺突となって剣尖から放たれた。

 奇しくもその行動は、考え付いたいくつかの勝ち筋のうちのひとつと合致していた。

 

 いかに強力な権能であろうと、使用者が人間であるという事実に変わりはない。

 すなわち、反射速度に限界がある。

 目の前の状況を認知し、妥当な判断を下し、能力を使用する。この過程には、どんなに反射神経を鍛えてもコンマ一秒程度を要する。こちらの攻撃がその反射速度を上回れば、奴に防ぐ手段はない。

 どんな超人でも、眼前から放たれた銃弾を避けることはできない。できるものか。それと同じなのだ。どんなに強力な権能でも、行使させなければ関係ない。

 

 だが、ここで男を殺めたところで何の解決にもならないのだとも俺は知っている。

 無為な玉座の奪い合いを続ける奴の血族のうち、誰かが子を成せばこの男は復活を果たす。誰かひとりでもだ。そんなもの防げるわけがない。

 何の意味もない。取り逃がすだけだ。

 

 だが、殺す。

 

 明瞭な意思と、乏しい知恵で絞った理屈が、刃の形そのままに男の後背を襲った。

 魔素で編んだ刺突が男の背を突き破る。そうと予測していた俺は、次の瞬間には己の甘さを知ることとなった。

 俺が放った剣技は礼服の老人に到達する前に爆散したのだ。

 光芒が弾け、緋色に輝く魔法円を象った図形が浮かび上がる。それが相当の防御力を有する障壁であることは明らかだ。

 背後からの攻撃に備えて、予め魔法の障壁を張っていたと考える他ない。状況からして攻撃が気取られていたとは思えない。ただ、不測に備えられていただけなのだろう。

 

 驚愕も戦慄もなく、自動的に思考を切り替える。

 

 初撃を防がれる可能性は考慮してあった。次の手をどうするかも決めてある。いちいち驚いたり怯んでいる暇はない。粛々と、可及的速やかに次の手を打つのみ。

 なにせ、相手はただの一手で勝負をひっくり返せる。

 

 直後、俺の体は急激に加速して男の背に迫っていた。

 剣技(グラディオ・アルテ)の変則発動、早送り(ファストフォワード)。再現する剣技も、速度を重視した名も知らぬ突き技だ。

 全身のバネを使って撃ち込んだ愛剣の刃が、金属質の轟音と黒い魔素を散らしながら直線の軌跡を描いた。

 初撃を防御されてから、ほんの一瞬。男はまだ振り返りもしていない。無防備な背中を守る緋色の障壁を、突き込んだ愛剣の先端が僅かに侵した。

 ピキリ、と硬質な音を立ててひび割れる。

 次いで、膨大な威力を秘めた剣技が障壁を粉微塵に砕いて魔素に還した。

 爆音と爆風が轟く中、勢いを僅かに殺しながらも剣尖は直進する。

 だが、俺の剣が男の命を食い破るより早く、それは起こった。

 

 世界が、一瞬途切れた。

 

 俺が『それ』を知覚できたわけではない。ただ、眼前まで迫り、剣を突き立てようとしていた男の背中が掻き消えただけだ。

 代わりに、剣の間合いからかなり離れた位置に奴は移動していた。こちらを向き、剣を繰り出した格好の俺と正対する形で、老人は静かに驚きの表情を浮かべている。

 

「余の予知を超えるか。相も変わらず面白い奴よな」

 

 そう口にすると、彼は感嘆に似た感情を含んだ吐息を漏らした。

 相対して初めて見る老人の顔は皺だらけで、俺の知る誰とも似つかない、底知れない存在感を有した見知らぬ老紳士であった。

 しかし、口ぶりから確信を得られる通りに、この老人は俺の知る人物に相違ない。

 

「どうした。まるで親の仇でも見付けたかのようだ。それが千年を経て再会した同胞(はらから)に向ける貌か、竜殺し(ドラゴンスレイヤー)

 

 かつては俺と同じく凡庸な少年であったはずの老人は、もはや欠片ほども俺の記憶と一致しない。一個人に抱く印象としては甚だ異端だが、まるで大樹のようだと感じた。

 いや、事実として、この男は千年を経た古の大樹なのだろう。

 不変を強いられ続けている俺やアリエッタとは根本的に異なる。生きては死に、幾度となくそれを繰り返して歳月を重ねた別系統の超越者。

 永遠に等しい時間とはかくも、人の魂を変えるものなのか。

 そんな、胸中で生まれた畏怖をも踏み越えて無視する。

 

「黙れ。その手を放せ」

 

 口にすることで目の前の現実を認めることになったとしても、口にせざるを得ない。

 憎悪を口にしなければ、頭がどうにかなりそうだった。

 老人は掴んでいる少女の亡骸を僅かに持ち上げる。

 

「なるほど。これ(・・)がよほど気に召していたと見える。お前が定命の者(モータル)ごときに拘るとは、随分と変わったものよな。どのような心境の変化だ」

「黙れ! 俺は放せと言ったぞ、カレル! 手首を落とされたいのか!」

 

 そう。亡骸なのだ。奴が手に持っていたのは、干からびて体の大半が塵と化した、軍服の少女の変わり果てた姿だった。

 同様の死に方をした騎士達の骸が、広間の至る所に転がっている。ミイラのようになっている者はまだ生易しい。跡形もなく塵の山と化し、金属製の装備だけが傍らに転がっているような状態の者も少なくない。

 

 風化(ウェザリング)

 対象の時間を加速。強制的に経年劣化させる、時の福音による現象攻撃のひとつ。

 

「何を怒る。こやつらが暇が欲しいと襲い掛かってきたので望みどおりに時間をくれてやっただけのことだ。少々与え過ぎたようだが、今は自由を謳歌して喜んでおろう。どれ、話を聞いてやるとよい」

 

 携えていた遺体に興味を失ったらしい。

 あろうことか、奴は片手で遺体を見当違いの方向へ放った。

 咄嗟に受け止めるべく走り出そうとした俺よりもずっと早く、弾丸のような速さで飛び出した赤い人影があった。

 止める間もなく、空中で少女の骸をしっかりと受け止めたサリッサは、床に降り立つや数歩進んで腕の中のものを改めた。

 

「……アニエス」

 

 呆然とした呟きが耳に届き、俺は自分の奥歯が軋む音を聞いた。

 思考が殺意で沸騰する。

 あれは人の死に方ではない。命に、あんな扱いが許されるはずがないのだ。

 

「カレル! 貴様、どこまで性根が腐った!」

「懐かしき我が同胞よ、お前はいくつか勘違いをしているようだな」

 

 老人は淡々と言いながら、口髭を蓄えた、老紳士然とした相貌を冷ややかな笑みで塗り替える。

 

「あれらはみな皇国の民だ。ならば、余の所有物と言ってよかろう。どのように処分しようと余の勝手だ。お前に口を出される謂れはない」

「そんな理屈が通るものかよ!」

「通るとも。そのように法で定まっておるのだから。皇国に存在する万物は余の物であるとな。勘違いをするな。ここは異界(クリフォト)ではない。あの醜い灰色の世界ではない」

 

 そして、と言葉を繋げ、

 

「余こそが法であり、余こそが皇国(ウッドランド)だ。道理を弁えろ」

 

 老人は――皇帝は、手の中に残された純白の懐中時計を弄びながら断じた。

 その苛烈なまでの傲慢の中にも、一片の真実は含まれている。

 確かに、ある意味では奴の言うとおりだ。

 ここは彼が築き上げた国であり、皇帝は降りかかった火の粉を払ったに過ぎない。対して、俺達は法を破ってその国の中枢に侵入している。奴からすれば、支配者である自分に仇なす不心得者など誅するのが当然だろう。

 

「……まさか、お前に道理を説かれるとは思わなかったよ!」

 

 お陰で頭が冷えた。

 当然、怒りはまだある。しかし、何になるというのか。怒りのままに勝ち目の薄い戦いを強行して、何になる。

 どういうわけか奴は全力でこちらを潰そうとはしていない。理由は分らないが、とにかくその隙を突き、裏をかいて切り抜けるしかない。

 思考がそこに至った時、空気が炸裂する音と共に、視界の端で赤が躍った。

 

「ウッドランドォ!!」

 

 槍を真っ直ぐに突き出した姿勢で、矢のように飛び出したサリッサの憎悪に満ちた顔が掻き消える。とても目では追えない、空恐ろしくなるような速度の踏み込み。

 

「よせ、サリッサ!」

 

 声を上げる他に、彼女を制止する猶予などなかった。やおら向き直った皇帝が無感動に指を鳴らすのも、俺にはどうすることもできない。

 迫り来るサリッサと皇帝との間に渦を巻く風が生まれた。

 時の福音の現象攻撃。

 だが、渦の中に飛び込んだサリッサは止まらない。纏った赤いコートが分解されて散る中、長槍が閃き、僅かに驚いたような表情を浮かべる皇帝の眼前へと突き出される。

 相討つのか。

 信じがたい光景を写す俺の視界で、槍を繰り出した姿勢のまま、黒髪の少女は音もなく闇に飲まれた。

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