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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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33.外典福音④

 たしかにスケルトン単体は脅威というほどの存在ではないが、相当の数が揃うと話は大きく違ってくる。

 数え切れないほどの人骨の群れが、がらんどうの眼窩を一斉にこちらへ向け、錆色の剣や槌を突き上げながら次々に押し寄せてくる。

 

 陣列も何もない。

 ただひたすらに、砂糖に群がる蟻のように。

 

 眼前まで迫ったスケルトンへ向け、思い切り長剣を打ち下ろす。

 肩部から袈裟に刃を振り抜き、返す刃で別の個体の胴を薙ぐ。まとめて斬り伏せた数体から死霊術による擬似霊体が四散し、浮遊していた人骨が足から順に崩れて床に散らばった。

 

「こんなの、まともに相手してたらきりがないわ!」

 

 同じように骨の兵を蹴散らしながら、険しい表情でサリッサが叫ぶ。

 傍らに駆け寄ってきて周囲のスケルトンに槍を構える彼女に、俺も剣を上段に構えながら返した。

 

「同感だ」

 

 斬っても斬っても、広間の闇に蠢く骨の軍勢は一向に数を減じさせる気配がない。むしろ加速度的に数を増し続けている。アーネスト達も三人で固まって防戦に徹しているが、それもいつまでもつかは怪しい。

 いや、それ以前に。

 

「侵入が露見している以上、あいつに時間はかけられない」

「ああ。あまりモタモタしていると……本当にまずいものが来るかもしれないからね」

 

 愚直に突進してくる斧持ちの骸骨を薄ら笑いで蹴倒したアーネストも同調する。

 

「ですが、出口に陣取られています! この状況では退こうにも!」

「強行突破しますか!?」

 

 彼の背を守るエニエス、アニエスが口々に言うが、皇子は笑みのままで黙考する。

 階下に繋がる通路はスケルトンの群れに完全に抑えられてしまっている。柱に組み付いたアシルに動きはないにしても、こちらが突破の兆候を見せれば看過はすまい。

 アーネストも正面から抜けるのは不可能ではないにせよリスクが大き過ぎると考えているのだろう。それ以外に方策がないのだとしても。

 

 道がないのなら作ればいい。

 

 逆手に持ち替えた長剣を鍔元まで床に突き立て、コンパスで大きな円を描くように一周させる。厚みは一メートルもないだろうと目算していた通り、床は石臼を回したかのような雑音と共に円形に脱落した。

 全員が目を丸くする中、階下に繋がる穴から飛び退いた俺は、剣を手の中で回して順手に持ち替えてから言う。

 

「殿下、ここから下の階へ抜けてください。あの魔術師は俺が片付けます」

「なんだって?」

「奴を放っておけば追撃を受ける可能性がある。もしスキンファクシが潰されでもしたら帰れなくなります。俺を待たずに撤退してもらっても構いません」

 

 むしろ今すぐにでもそうするべきだ、という分を弁えない提言だけは飲み込んで、目を見張るアーネストを真っ直ぐに見据える。

 残された時間はそう多くない。

 言葉を失う面々に向け、ひときわ強く声を張る。

 

「あんなものを証人として連れ帰るわけにもいかないでしょうが!」

 

 目ざとくこちらの動きを見た魔術師の成れの果て、アシル・アドベリがその身に宿した霊体(アストラル)を伸ばしながら柱を滑り降りてくる。もはや人というよりは頭足類めいた動きを見せる彼に怖気を覚えたのか、アニエスが僅かに身震いをした。

 あれを連れ帰れるとも思えないし、よしんば連れ帰ったところで何をしようと何も喋らないだろう。であれば、物証――火葬(クレメイト)だけは絶対に確保しなければならない。

 継承戦を止め、マリーとミラベルを救うために。

 

「確かに……止むを得ないか。武運を祈っているよ、タカナシ君」

 

 数秒の逡巡の果てに呟いた皇子は、身を翻して穴に滑り込む。

 何事かを口にしようとしたエニエスも、俺とサリッサを交互に見てから階下へと身を躍らせる。

 残った盾の少女、アニエスだけはすぐに下りようとはしなかった。苦々しい顔でじっと俺を見詰め、やがて深い溜息をついて踵を返す。

 その小さな黒い軍服の背中が穴に消えてから、ようやく赤いインバネスコートの少女が首を回しながら口を開いた。

 

「アンタの考えなんて言わなくても分かってるわ。別に何も言わなくていいから」

 

 言いながらつかつかと、先ほど斬り壊した柱の残骸まで歩み寄って石を見繕うと、彼女はそれを魔力を纏わせた足で蹴飛ばした。アーネスト達が降りていった穴目掛けて。

 石片は、せっかく開けた穴に完全に嵌って蓋をしてしまった。

 どういう馬鹿力をしているのか。

 頭を抱える俺を、サリッサは首を傾げながら笑う。

 

「これであたしの答えも分かるでしょ? 無駄な問答が省けてよかったわね」

「……お前なあ」

 

 サリッサが素直に従わないのは予想していたことだとはいえ、ここまでの拒否反応を示すとは思わなかった。

 彼女の足元を現象攻撃で切り取って階下に落とす、という強引な手を取るべきかとも考えたものの、それよりも早く、黒髪の少女は決然と言い放った。

 

「ここでまたアンタがひとりで戦うって言い張るなら、今度はボコボコに殴ってでも止めるわ。外典福音(アポクリファ)はアンタひとりの手に負える相手じゃないでしょ」

「どうして言い切れる」

「勘」

 

 こめかみを押さえながら言うサリッサの赤い双眸は、やや不自然なほどの確信に満ちている。妙な迫力すらあった。

 

「二度目はないのよ、タカナシ。もう二度と……殺させやしないわ」

「サリッサ?」

 

 当然ながら、俺は殺されたことなどない。

 そんな経験があったらここにはいないだろう。

 彼女が何を言っているのか理解できない。

 

 俯けられたサリッサの顔に哀切の色が過ぎった矢先、右腕が、素早く閃いて長槍を操った。穂先が背後から接近しつつあったスケルトンの頭蓋を破砕し、くるりと回って元の位置に引き戻される。

 その時にはもう、サリッサは澄まし顔に戻っていた。彼女の平静そのものといった雰囲気に問いかけるのを断念する。

 

「ま、あの魔術師はアルビレオほどじゃないわね。五分で終わらせましょうか」

「五分? 頼もしい限りだが……どうやって?」

 

 見れば、遂に床にまで下りてきたアシルが霊体の触手で這い進んできていた。

 闇に浮かぶ上半身は、概ねでは人間の形を保ってはいるものの、こちらに近付くにつれて世にもおぞましき姿を露わにしていく。

 両腕が異様に伸び、掌は捩れた鉤爪のようになっている。

 骸骨を思わせる白い硬質の顔面には、三つの丸い孔が空いているのみだ。口だろうか、目だろうか、と一瞬考えてしまう。

 アシルに加え、広間に溢れんばかりに出現したスケルトンも数を百以上に膨れ上がらせている。まさか片端から切り倒していくわけにもいかないだろう。無尽蔵という可能性もある。

 しかし、サリッサは槍の石突で床をコツコツと叩きながら言った。

 

「どうやって斬ったのか知らないけど、床をぶち抜くって良いアイデアよね」

「……ああ、なるほど」

 

 彼女の言わんとするところを察した俺も頷き返し、剣を逆手に持ち替える。

 そこで、はたと気が付いた。

 

「でもそれ、俺の足じゃ五分以上かかるぞ」

「なに言ってんの? 五分も要らないわよ?」

 

 そう言うと、サリッサは空いた左手を差し出してきた。

 意図するところは分かるのだが、その手を取るのにはいくらかの覚悟を要した。

 槍使いとは思えないほど白く細い手に思うところがあったわけでもなければ、手を繋ぐことに胸をときめかせたわけでもない。

 予想に違わず、彼女の手を握った瞬間、まるで馬か何かに引っ張られたかのような急加速が襲ってきた。

 いや、明らかに馬より速い。俺の手を引くサリッサの健脚は、何らかの歩法によって馬のそれの数倍の速度へ達している。

 人を一人引いてこれなのだから、彼女の打ち込みが神速を誇るのも頷けようものだ。

 

「タカナシ! ぼさっとしないで斬りなさい!」

 

 慣性に負け、新体操のような体勢で揺れるばかりの俺に、速度による衝撃波と魔力障壁だけでスケルトンを蹴散らし進むサリッサが怒鳴った。

 そう言われても繋いだ左手が千切れそうなんです。などと言い返す余裕もないので、風に揺れながら、流れる床に右手の剣を突き立てる。

 切断の現象攻撃によって、何の手応えもなく、分厚い大理石の床にラインが引かれていく。先ほどの穴を開けた時と同じく下層の天井にまで達しているはずだ。

 

 俺達が敢行している無茶を、アシル・アドベリという名の魔術師の成れの果ては、異形の貌を向けて観察するのみだった。

 いささか戸惑っているようにも見えたが、己の優位を揺らがせる行動ではないと見たのだろうか。着々とスケルトンの数を増やすばかりで邪魔をしてくる気配がない。

 奴は超越者を自負するだけあって、本当に無尽蔵に近い魔力を持っている。

 

 正面から戦えば、サリッサの言う通りに苦戦――敗北も有り得たかもしれない。

 

 縦横無尽に駆け巡ったサリッサと、彼女に引っ張られる俺が四度目のターンを終えた瞬間、唐突にそれは始まった。

 広間の床が、轟音を響かせて崩壊し始めたのだ。

 当然、フロアを埋め尽くさんばかりにひしめき始めていたスケルトンの群れも相当数が巻き込まれて下層に落下していく。

 脆弱なスケルトンでは、階下への落下には耐えられないだろう。

 事がそこに至ってようやく気が付いたのか、フロアの中央にまで這っていた外典福音は頭をもたげて俺達を睨んだ。

 顔面の孔から何かの人語らしきものが漏れている、ような気がする。

 距離が遠い上に、疾走するサリッサのおかげで、轟々とした風音にかき消されて何を言っているのか分からない。たぶん恨み言だろうと勝手に納得しておく。

 

 やがて塔全体を揺るがすかのごとき震動と轟音が生じ、遂に床の全てが崩れた。

 立ち並んでいた柱も、中央で触手を伸ばしていた外典福音も、スケルトンの軍勢も、全てを巻き込んで崩落していった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 壁に剣と槍とを突き立ててぶら下がった俺とサリッサは、全ての床が消えて奈落と化した闇を見ながら、冷や汗をかいていた。

 

「ちょっと……やり過ぎたわね」

「……そうだなあ」

 

 床石の全てが落着して静まり返ると、俺達はようやく安堵の溜息をついた。

 よくよく考えてみれば塔自体が崩壊する可能性も十分あったわけで、そうなれば俺もサリッサも無事では済まなかったに違いない。

 外典福音が落下の衝撃や落石程度で倒せたとも思えないが、無傷ということもないだろう。逃げ出すには十分な打撃を与えたと考えていい。

 

「で、どうやって降りよっか」

 

 槍に両手でぶら下がっていたサリッサは、言いながら逆上がりの要領でぐるっと体を回転させて槍に飛び乗った。

 剣の柄にしがみついている俺は同じようにはいかない。

 仮にこれが槍だったとしても、俺は彼女ほど身軽ではないので、やはり同じ真似はできないのだが。

 

「なんとでもなるさ」

 

 剣技(グラディオ・アルテ)過負荷(オーバーロード)を行使し、魔素(マナ)の足場を作り出して飛び乗る。少々の反動を食らって眩暈がするものの、行動に支障が出るほどではない。

 やはりこの歩法はちゃんと教えてもらおう、と堅く決意しつつサリッサの元へ足場を作って跳躍する。

 

「しかし、あまり考えなしに行動するのも問題だなあ」

「ま、結果良ければ全て良しってことで……」

 

 言いながらはにかんだサリッサが、不意に固まった。

 器用に槍の上でバランスを取りつつ静止している。

 

「どうした?」

「……あ、足場」

「ああ、これ同時に一個までなんだ。二人で使う余裕もないから、俺が下まで運ぶよ」

「嘘でしょ!?」

 

 悲鳴を上げ、まるでこの世の終わりみたいな顔をするサリッサ。

 意外と高いところが苦手なのだろうか。

 

「時間もないから我慢してくれ。落とさずにちゃんと運ぶから」

「そういう問題じゃないでしょ!? 心の準備とかがあるでしょうが!」

「後にしてくれ」

 

 何故か赤面するサリッサの両脇を持って強引に持ち上げ、高所の恐怖からか震えている彼女をどう運んだものかと一瞬考えてから、


 俺は、意外と軽い黒髪の少女を小脇に抱えることにした。

 

途端に呆然としたような、愕然としたような表情で凍り付いたサリッサはそれ以降、一言も声を発することはなかった。

 なので予想したような悪戦苦闘はなく、

 俺はサリッサを抱えて滑らかに奈落を降りていった。

 

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