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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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32.外典福音③

 

「おや、穏やかでは、ありませんねぇ」

 

 俺達が一斉に得物を抜き放つや、彫像のように微動だにしなかった黒衣の魔術師がフードから覗かせた顔をしかめた。

 見た目の上は壮年の男のように見えるその魔術師は、やけに芝居がかった口調で鷹揚なお辞儀をしてみせる。

 

「お初にお目にかかります……魔導院の魔術師、アシル・アドべリと申します。皇子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう……」

「ああ、これはどうも」

 

 ザラついた、淀んだ声で紡がれる上辺だけの挨拶を滑らかに受け流し、アーネストも会釈をする。

 しかし、彼が普段浮かべている悠然とした笑みは跡形もなく消えていた。

 当然だ。魔術師アシルの確保には月天騎士団の騎士が相当数向かったはずなのだ。そのアシルがここに居るということは、騎士達は既に。

 魔術師が不吉な推測を肯定するかのように口を開いた。

 

「しかし……困るんですよねぇ。この塔は皇帝陛下のお許しがなければ立ち入ることも禁じられているんですよ……殿下もご存知でしょう……しかも、騎士団などを引き連れて……困るんですよねぇ……」

 

 うわ言のように困る、困ると繰り返す。

 果てに、魔術師は言った。

 

「掃除が、面倒でしょう?」

 

 悪寒と共に耳に届いた、ぞっとするような呟きの意味を理解するよりも早く、俺は長剣を振るっていた。一呼吸で大上段に振りかぶって叩き下ろす。

 剣技(グラディオ・アルテ)で再現した九天の騎士、クリストファの技。瞬時に剣尖から生まれ出でた不可視の重圧が、十数メートル先の魔術師に向かって打ち下ろされる。

 

骨楯(ヴァニタス)

 

 魔術師は圧倒的な威力を誇る魔素(マナ)の戦槌を片手で受けた。

 より正確には、痩せこけた掌から生じさせた同心円状の人骨で。

 魔素(マナ)の圧力と衝突して木っ端微塵となった骨の盾が広間のあちこちに飛散し、その後には何のダメージもなく悠然と佇む黒衣の姿がある。

 

 隣でそれを見たサリッサが息を詰めた。

 俺に驚きはない。これくらいはやるだろう、とすら思う。あのアルビレオと同じ存在ならば。

 防がれるのを見越し、初撃の直後に剣技「衝角(ラム)」の刺突を放っている。が、黒衣の魔術師の手が閃き、驚くべきことに不可視の衝角を叩き払った。

 砕けた骨の破片を撒き散らす男が忌々しげに唇を歪める。

 

「第二皇子と配下の騎士は想定内ですが……お前は何者ですか、剣士よ」

 

 出が遅い。威力に欠く。

 内心で舌打ちしつつ、視線を左右に振る。

 俺の両サイドに居たアーネスト達とサリッサの姿は既にない。アーネストとエニエスは後ろへ下がり、サリッサとアニエスは得物を構えて横っ飛びに跳ねている。

 開幕の一瞬で行われた攻防を目の当たりにしてか、一同の顔には余裕がなかった。

 

「囲むわ! 畳み掛けて!」

 

 右方から回り込みつつあるサリッサの呼びかけに頷き、長剣を持ち上げる。

 対するアシルは三方を素早く確認するや、両の掌を静かに広げ、掲げた。何かしらの攻撃魔法を使用するつもりなのだろうが、そんな暇は与えない。

 いかなる理屈によってかは定かでないが、アシルは素手で剣技を防ぐ術を持っている。生半な飛び道具は通じまい。

 出し惜しみをしていては危険だ。

 再び権能を行使し、その場で身を捻って編み出したばかりの混合剣技「斬鉄衝角」を繰り出す。

 

「……ほう」

 

 黒の燐光を帯びる長剣を目にした魔術師が初めて声のトーンをやや上げた。

 両の腕で行っていた詠唱動作を瞬時に攻撃から防御へ切り替えると同時に、黒衣に覆われた背中から四本の『腕』を生やす。

 

 暗闇と空気を切り裂いて伸びる、薄ら透けた青い魔素の腕。

 

 やはり、外典福音(アポクリファ)

 確信と共に放った混合剣技の斬撃が、再度展開された蜘蛛の巣を思わせる白骨の盾と激突し、またも骨片を散らして爆ぜた。

 だが、状況は一度目の攻防よりも遥かに悪い。かつてアルビレオが行った霊体(アストラル)の腕による魔法の多重詠唱。それとまったく同様の動作を、アシルも展開しつつあるからだ。

 四方の中空に広がった四つの掌に、苦悶の表情を浮かべる四つの顔が浮かび上がる。かのアルビレオの魔法は、文字通りに大地を割った。同等の魔法行使を許すわけにはいかない。

 俺の考えに呼応するかのようにサリッサが踏み込んだ。槍を半身に構えた姿勢のまま、尋常でない速度で魔術師へ肉薄する。たった一歩の踏み込みで。

 右方に向き直らんとした黒衣の眼前に至るや、精緻な檻を思わせる幾条の軌跡を描き、サリッサの長槍が閃いた。

 傍目には槍そのものが分裂したようにすら見える連撃が、棒立ちのアシルの全身を薙ぎ払う。

 首、肩、腹を槍が引き裂き、次いで繰り出された右脚の爪先が、弦月を描いて顎に突き刺さるまでが一瞬。次の瞬間にはズタズタに引き裂かれた黒衣が宙を舞い、サリッサは槍を手に宙返りしていた。

 サマーソルト。

 音すら置き去りにした槍使いは、リズミカルに着地して黒髪を翻す。

 

 打ち上げられた魔術師が空中で体勢を整え、肉体霊体を合わせた六本の腕を伸ばさんとした時、

 いつのまに跳び上がっていたのだろうか。

 上方から魔術師に向け、藤色の魔素(マナ)を帯びた円形の大盾が迫った。

 夥しい魔素の輝きを撒き散らし、多段式ロケットのように幾度も加速している。

 宙を縦に裂いて、真っ直ぐに。盾と右腕を接続した少女、アニエスが獰猛な肉食獣が如き貌で叫んだ。

 

盾の紋章(エスカッシャン)――垂直落とし(インペイルチャージ)ッ!」

 

 一振りの戦斧と化した大盾が、瞠目する魔術師の身体と交錯した直後、

 視界を埋め尽くさんとする勢いの藤色の爆発が生じ、凄まじい轟音が広間を反響した。

 俺の目にはもう、それが騎士の戦技なのか魔法なのかの判別ができない。

 ただただ、空中の闇を裂いた炎の花を口を開けて見上げるしかない。

 爆風が俺の頬を撫で、髪を揺らす。

 

 同時に、盾と少女が床に激突。勢いのままに数メートルの距離を滑って止まった。

 およそ生身の人間相手に使用する技とは思えないその威力は、空中で魔術師の身体を半ばから上下に両断していた。

 爆炎から煙の尾を引いて落ちる塊が二つ。

 大理石の床に、ぼとり、どさりと落下して暗がりに転がる。

 

「チッ……雑魚が! そのまま死に腐れ!」

 

 アニエスは吊り上げた目で死体を一瞥し、唾でも吐き捨てそうな勢いで言い放って踵を返す。

 

 だが、それは不味い。

 

「アニエス、まだだ!」

 

 彼女は理解していない。

 あれは元々死体なのだ。真っ二つにして吹き飛ばしたくらいでは滅ぼせない。

 アニエスは張り上げた俺の声にも怪訝な顔をするだけで、背後で何が起きているか理解していない。分かたれた死体のそれぞれから這い出る霊体の腕にも、気付かない。

 

 地を蹴って踏み込み、呆気に取られるアニエスの脇を抜ける。

 今まさに彼女を背中から襲いかかろうとしていた青白い腕のひとつを、長剣で薙ぎ払って四散させる。

 が、千切れた魔術師の上半身から生えた霊体の腕はもはや十を超えて二十へ迫りつつある。何の痛痒にもならないだろう。

 アルビレオがそうであったように、この外典福音も肉体の損傷度合いが進むほどに内に宿した霊体を解放していくのだろうか。

 

炎槍(フレイムランス)!」

 

 そこへ、後方のアーネストとエニエスの両名が放った火の破壊魔法が飛来した。しかし、炎で構成された短槍は霊体の腕とぶつかり合うや、容易く粉砕されてしまう。

 これもアルビレオと同じだ。

 

「属性魔法は効果が薄い! 剣技か無属性攻撃魔法を!」

 

 魔法理論にはいまいち自信がないものの、確かな事実だけを全員に告げる。

 高密度の魔素そのものである霊体には、属性を帯びて密度が薄まった魔素である属性魔法は効果が薄いらしい。

 

「……よくよくご存知であるようで」

 

 剣を振るって腕をまた一本薙ぎ払う俺と戦慄するアニエスの目の前で、上半身だけになったアシル・アドベリが宙に浮かび上がる。

 青白く透けた霊体の腕を四本、足代わりにして身を持ち上げたのだ。

 

「なん……だ……こいつ……アンデッドか……!?」

 

 サリッサとアニエスの大技を食らった彼の身体は、無傷の箇所を探すのが難しいほどに損傷している。襤褸切れのようになった黒衣の節々からは赤黒く変色した肌が覗き、或いは、切創のぽっかりとした黒い面を露わにしている。

 一切の生命活動を停止している帰参者(レブナント)の肉体には血流というものも存在しない。傷口から血を流すこともなければ、機能を低下させるということもない。

 それ故の余裕。

 狼狽するアニエスを虚ろな双眸で見下ろし、魔術師は言う。

 

「……アンデッドとは、ご挨拶ですねぇ……凡百の騎士如きが、人類種の限界を超越した私を脆弱なアンデッドと同一視するとは……」

 

 嘲弄の響きを多分に含んだ錆び声が紡いだ言葉に、俺は心底あきれ返った。

 

「超越、ね」

 

 死なない体。

 強大な力。

 よくもまあこんな趣味の悪い偽者を作ったものだと、いっそ感心するほどだ。

 ひどく歪んだ鏡を見せられているようで本当に気持ちが悪い。自らを嫌悪するのと同じくらいに、この外典福音という存在を俺は嫌悪する。

 

 本当に醜悪だ。俺達は。

 

 思惟を断ち切り、無言で踏み込んで長剣を一閃する。

 機械的な反射速度で俺の斬撃に反応し、骨楯(ヴァニタス)――編み込まれた白骨の障壁を展開したアシルの右腕が、何の抵抗もなく障壁ごと断ち割れた。

 剣の福音の現象攻撃。

 苦痛を知らぬ魔術師が、両の眼をいっぱいに見開いて後ずさり、舞い上がった。

 強固な魔法障壁を抜かれたのがよほど想定外だったのか、かなりの距離を後退し、立ち並ぶ石柱の一本に伸ばした霊体を巻きつけて張り付く。

 もはや軟体動物のようなシルエットに変貌しつつあるアシルは、高所に張り付いたまま警戒するかのような眼差しを向けてくるのみだった。魔法障壁頼みの接近戦を捨てた、と見るのが妥当だろう。

 つまりは、彼は慢心をも捨てた。ここからが本番だということなのだが――

 

「コラ」

 

 そこで、ごん、と鋼板でしたたかに打たれたような衝撃が俺の側頭部を襲った。

 振り返ればランタン・シールドを振り上げた格好のアニエスが憤怒の形相で俺を見上げていた。

 

「余計なことしてんじゃねえぞ、腐れ門番」

 

 ああ、なんという口の悪さだろう。

 自らを棚に上げて閉口する俺は、続いてアニエスが発した小声を聞いて仰天した。

 

「……ま、まあ、ちっとは感謝してやる……ありがとよ」

 

 むすっとした顔で言われても「お、おう」としか答えられない。

 もっと気の利いたことを言おうかと言葉を吟味したのだが、時既に遅し。身の丈を超える盾を下ろしたアニエスは外典福音を真顔で向いていた。

 

「おい、あいつ……なんか唱えてねえか」

 

 言われて耳を澄ますと、風に乗って呪詛のような声が響いていた。

 阻止しようにも柱のかなり上方、天井付近に張り付いたアシルとの距離は、俺達が持っている全ての攻撃手段の間合いを外れている。

 

「――虚栄の軍勢ヴァニタス・ヴァニタートゥム

 

 不気味な詠唱が響く中、異変は影の落ちる床に現れた。

 闇が沸き立ち、何かを生み出そうとしている。ひとつではない。視界の至るところでゆっくりと屹立した影が、ぼんやりとした輪郭を次第にはっきりとさせていく。

 人型にまとまった闇から、やがて骸骨が生まれた。全体の骨格こそ人間のそれながら、頭だけが異界(クリフォト)に生息する牛を思わせる頭蓋骨に挿げ代わっている。

 

 スケルトン生成。

 死霊術においてはさほど強力な術ではない。スケルトン自体も使い魔としての能力は高くなく、騎士でない人間でも相手ができる程度の戦闘能力しか持たない。

 

 ただ、今俺達の目の前に広がっているそれは、あまりにも数が膨大だった。

 見渡す限りの空間を埋め尽くさんとする勢いで頭蓋を持ち上げる異形の軍団が、およそ百を超えた段階で俺は数えるのをやめた。

 

 しかし、なおも闇と骨は膨れ上がっていく。際限なく。

 

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