30.飛行艦②
日没と共に転移街ランセリアを飛び立ったスキンファクシは、真っ直ぐに皇都トラスダンへ向けて針路を取った。
俺はといえば、安定飛行に移ったスキンファクシの狭い展望室から、窓の外に広がる星空を呆然と眺めている。
「マジで飛んでら」
高度や速度は果たしてどの程度なのだろうか。
見下ろす地上は夜の闇に沈んでいるので判然としない。
建造されてから五十年。いくら保存状態が良いとはいえ、冷静に考えてみれば本当に飛ぶのか疑わしい代物だ。時折、船内に軋んだ音が響く度に変な汗が浮いてくる。
潜水艦に似た外見から内部構造を想像していた通り、スキンファクシの船内はかなり狭かった。通路は人が一人通れるかどうかといった幅しかなく、今居る展望室とやらもよく分からない構造の配管だらけで、三人ほど入ると一杯になる程度の空間しかない。
そんな非常に息苦しい部屋で、サリッサが分厚い硝子窓に噛り付いて夜空を見詰めている。
「……鉄の船が空を飛ぶとか、ホント信じられないわ。あたしらが生まれる前にこんなものが作られてたなんて……どうして使われなくなっちゃったのかしら」
「どうも燃費が悪いらしいぜ。こいつを一隻飛ばすには魔術師が二十人くらい必要なんだとさ。造ったはいいが転移門に比べると費用対効果が低いってんで、結局二隻止まりでお蔵入りしたらしい」
「燃費?」
「ああ……魔力の消費が激しいって意味だよ」
離陸前にエニエス女史から聞かされた情報をそのまま披露する。
ランセリアで見かけた魔術師達は、このスキンファクシを飛ばすための動力要員だったらしい。
「ふうん。たしかに、言われてみれば転移魔法の方が便利かもね」
「魔力消費の問題さえクリアすれば活用方法は色々とあるはずなんだけどな。転移門は設置にコストがかかり過ぎるし」
物理的な門の設置が必要な以上、移動先がころころ変わるような、例えば、前線に補給物資を送るといった用途には使いにくい。
その点、この艦なら自由自在だ。
今回の俺達のように敵地を直接強襲することだって可能になる。
などといったことは思考だけに留めて口には出さない。
いくら現界に魔法が存在するからといって、文明レベルそのものは中近世程度である以上、航空兵器などが存在してしまっては様々なバランスが破綻してしまう。飛行艦の計画が頓挫したのは幸いと言える。
俺の見立てでは、スキンファクシは概念実証の域を出ていない。大雑把に艦内を見た限りも武装の類は積んでいないようだし、内部空間の狭さを見るに可搬重量にもさほど余裕はないだろう。
現時点でスキンファクシが攻撃能力を持つ可能性は低いように思える。
それはそれで困った問題が浮上してくるのだが――
「火葬、だっけ」
沈黙をサリッサの呟きが裂いた。
ミラベルが伝声術で語った、魔導院の奥深くで完成しつつある破壊魔法の名だ。
あまりにも不穏な名の響きと破壊魔法であるという事以外は何も判明していない。
しかし、現皇帝は即位した当時から――実に半世紀近くもの間、この破壊魔法の完成に執心しているのだという。
かつてミラベルは俺に言った。
皇帝は世界すら焼き尽くしてしまえるのだと。
もし、あの言葉が意味するところが本当に文字通りのそれだったとしたら。
荒唐無稽も甚だしい想像、いや、妄想に過ぎないとしても確かめなくてはならない。
「よく分かってないんだけど……それってやっぱり止めないと不味いのよね……?」
「ああ」
口に出した声は、我ながら信じられないほど乾いていた。
「そう」
サリッサは星空が広がる硝子窓に手を這わせ、唇を固く結ぶ。
この状況は俺ですら理解が追いついているとは言い難い。彼女にしてみれば思ってもみなかったことだろう。
元々、九天の騎士達はミラベルの話に対して半信半疑だった。サリッサも例外ではないだろう。継承戦についてはともかくとしても、根拠も突拍子もない、皇帝が世界を滅ぼすだの何だのという話を全面的に信じていたはずもない。
しかし、サリッサは俺達を追ってセントレアを出た。
今も、皇国への明確な反逆行為になると分かっていてこの船に乗り込んでいる。
しかも。
「じゃ、さっさと終わらせないとね」
などと。
振り返り、片目を閉じて、さっぱりとした口調で、微笑みすら浮かべて言うのだ。
本当に訳が分からない。
「なによ?」
一転していつもの不機嫌そうな顔になるあたりも分からない。
俺はそんなに物問いたげな顔をしていただろうか。
それとも俺の無理解をよそに、彼女は俺の内心など見透かしているのか。
「いや、戦う予定はないとはいっても危ないには違いない。ランセリアに残ってもよかったのに、どうしてお前は……」
少しの逡巡を経てからどうにか訊ねる。
やや尻すぼみになった俺の問いを、黒髪の少女は目を逸らしながら一蹴した。
「ど、どうせアンタのことだから一人でもパパッと解決しちゃうんでしょうが。それもなんか癪だし、また除け者にされるのも御免だもの」
除け者って何のことだ。と、思わず疑問を口にしようとして思い止まる。
皇都行きから外された事だろう。あれを主導したのはミラベルであって俺ではないのだが、サリッサからしてみれば関係あるまい。
自己解決して頭を掻く。
「そんな簡単な話じゃないんだ。お前もミラベルから聞いただろ。皇帝は千年前に異界から……」
「異界から来た人間って話よね。ちゃんと聞いたわよ。聞いた聞いた」
あーはいはい、とばかりに手を払う仕草をするサリッサ。
心外である。俺としては本気で聞いて欲しい場面だったのだが、彼女は笑みを浮かべたまま両目を細めるばかりだ。
「まったく」
彼女の軽い調子に、なんだか呆れたような安堵したような気分になっていた俺は、
次の瞬間、思いもよらない言葉を聞いた。
「でも、それってタカナシもでしょ?」
まるで何でもないことかのように放たれたサリッサの問いに耳を疑う。
有り得ない。
彼女がそれに気付く要素はどこにもない。いや、ないと信じ込んでいた俺は、唖然としてサリッサの澄まし顔を見詰めるしかなかった。
俺の様子が余程おかしかったのか、彼女は前髪を揺らして笑う。
「え、うそ。まさか本当に隠してたつもりなの?」
「い、いやだってお前……誰が喋ったんだ」
「誰もなにもアンタが自分で言ったんじゃないの。アンタは遠いところから来て、そこから来た人はアンタみたい強くなるんだって。それ、皇帝の話とそっくりよね」
言われてみれば、確かにそんな話をサリッサにした記憶がある。
よくよく思い返せば――サリッサの態度は変化していた。最初の頃は俺の素性を聞きたがっていたのに、今ではそういった類の質問は一切しなくなっている。
「さっきだって皇帝とは知り合いみたいな口ぶりだったし。気付くわよ、普通」
「でもお前……俺には隠し事が多いって言って……」
「ああ、そのこと? あたしが言ってる隠し事ってのはそんなことじゃないわ」
「そんなこと!?」
激甚な衝撃を受けて固まる俺に、サリッサはいつもの調子で言う。
「そんなこと、よ。別にアンタが何者だろうが驚かないし関係ないもの。なに、あたしが今更その程度のことで怖がったりするとでも思ってたの?」
「……いや」
そう言われてしまうと「思ってました」とは言い難い。
とはいえ、それも見透かされてしまっているのだろうか。
不意にサリッサの顔から不機嫌さが消え、いかなる感情によるものか分からない、穏やかな、囁くような呟きだけが残った。
「……ばかじゃないの」
■
現界における最大国家であるウッドランド皇国の首都、皇都トラスダンは、この世界における都市の常識からもおよそかけ離れた構造をしている。
一言で表現するなら、建築途中の塔だ。
ただし、直径が約二十キロメートルという途方もないスケールの、だが。
内部は、皇族の居城などが存在する上層、貴族階級や騎士階級が住まう中層、市民階級が暮らす下層といった複数の階層に分かれており、各階層は地上に存在する最下層から伸びた無数の支塔が支えている。
到着前のブリーフィングで聞いていなければ、それが都市だとはとても信じられなかっただろう。俺の知る皇都の姿とはまるで異なるその威容は、上空に到達したスキンファクシからでも、眼下一面に広がる魔力灯の光という形で見て取れるほどだった。
周辺に点在する衛星都市郡を含めれば、いったいどれほどの人口なのかは想像もつかない。
これを目の当たりにしてしまうと、皇都に竜種をけしかけて陥落させようとしたアリエッタの目論みも、果たしてどこまで本気だったのか怪しくなってくる。
たかが竜、と言ってしまうには強大な存在である筈の彼らでさえ、一匹程度でこの巨大な皇都を落とせるとはとても思えないからだ。
辿り着くまでは、世界に二隻しかない飛行艦などで接近すれば容易に気付かれてしまうのではないか、と懸念していた俺だったが、この皇都に比べればスキンファクシなど米粒のようなものだ。
夜、しかも静粛性が高いらしいスキンファクシは何者にも気取られることなく、するりと夜空を滑って上層に無数ある白亜の塔のひとつに無事に接岸した。
聞くところによれば、この有り得ないほど広大な皇都のあらゆる場所に特殊な探知魔法が張り巡らされているらしいのだが、上空は死角になっているのだという。
つまり、一定の高度さえ取れば進入が察知されないというわけだ。航空機という概念がなく、皇都周辺には大型の飛行生物も生息していない。備えは必要ないということなのだろう。
現に、第二皇子アーネストと指揮下にある月天騎士団の騎士三十余名が接岸した塔の内部に上陸を果たしても、皇国の中枢を守っているはずの戦力が現れることはなかった。
月天騎士団が塔内に橋頭堡を構築しつつある中、塔の見取り図の前でアーネストがよく通る声を張った。
「我々の目的は火葬と呼ばれる特殊な破壊魔法の奪取、ならびに作成者と思われる魔導院最高幹部の一人、アシル・アドべリの確保だ」
塔内の情報とミラベルからの情報を照合した結果を踏まえた、簡単な作戦説明といったところだろうか。到着前のブリーフィングと内容に違いはない。
「両方とも所在は明らかだが、順に回っている時間はないため二手に分かれて実行する。火葬の確保にはこの五名。アシルの確保はその他の者で行ってもらう。何か質問はあるかい?」
五人とは、アーネスト本人、説明を聞いている俺とサリッサ、そしてアニエスとエニエスの姉妹騎士のことらしい。魔術師の確保は月天騎士団に任せるようだ。
無駄口ひとつ叩かずに塔内の制圧を行いつつある騎士達を見るに、役者不足といった感は全くない。
誰からも質問が出ないのを確認し、第二皇子は例の曖昧な笑みを浮かべる。
「結構。では、行動開始だ」
言うや否や、アーネストは柔和な見た目に反した軍人らしい機敏さで上階への階段へ向かった。その後を姉妹騎士が続く。
すれ違う瞬間、巨大なランタン・シールドを担いだ妹の方――アニエスに睨まれた。
どうにも目の敵にされているようだ。フェオドールといいアニエスといい、俺は子供に嫌われやすいのだろうか。
次いで、赤いインバネスコート姿のままで長槍を担いだサリッサと目が合う。
「ま、今のところは大丈夫だと思うけど、一応は気を付けて行きましょ」
緊張して然るべき局面なのだが、彼女に気負った様子はない。
さすが九天。などと内心で感心していると、サリッサは赤い瞳を階段の方へ向けつつ、左拳を軽く突き出してくる。それが意図するところを、俺は不思議と理解できた。
「ああ」
短く答え、軽く拳を握って突き合わせる。
俺の左拳はサリッサの華奢な手とは全く噛み合わなかったが、互いに打ち付けるタイミングだけはきっかり同時だった。
それから顔を見合わせて苦笑すると、階段へ向けて一歩を踏み出した。




