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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
72/321

29.飛行艦①

 振り切った長剣の切っ先が朝霧を切り裂く。

 足運びの少ない剣技を中心に、軽く身体の試運転を行うように長剣を振るう。魔力を通した刃が振るわれる度、大気が音を立てて揺れた。

 

 どうも転移街(ポート)ランセリアは霧が出やすい地域にあるらしい。雨後ということもあってか、今朝の視程は数メートル程度だ。

 これなら早朝ということもあって人目につくこともない。

 一連の事件や今後のことを踏まえて更なる修練の必要性を感じていた俺は、これを幸いとばかりに誰のものとも定かでない廃庭園で剣を振り回している。

 

 俺は通常の修練による技術向上が見込めない。剣の福音を得た代償だ。

 千年に届くほどのあいだ脳裏に巣食っている権能――剣技(グラディオ・アルテ)が、剣を握る俺の身体を遅滞なく動かしている限り、俺自身が剣の振るい方を学ぶことはない。なので、こうして剣を振り回して得られるものはさほど多くない。

 腕や足が支障なく動作するかどうか。体調はどうか。といった、ラジオ体操とさして変わらないレベルの確認ができるくらいだ。無論、そんな確認がしたいわけではない。

 

 大きく息を吸いって意識を研ぎ澄ます。突きの体勢から構えを変化させ、長剣を真っ直ぐに打ち下ろさんと振り上げる。そして、

 

 あ、いけるな。

 

 などという、あっさりとした確信と共に静かに刃を振り下ろした。

 まったく手入れのされていない芝生の上で剣先をピタリと静止させた瞬間、視界を覆っていた霧が縦に割れた。続けざまに剣を横に薙ぎ払うと今度は横に割れる。

 

 異様な光景だ。

 霧は、大気中に微細な水の粒が浮く現象である。

 普通、剣で斬りつけたところで切断できる類のものではない。

 切断とは要するに、物理的結合に対する分子レベルでの破壊だ。霧のように粒のひとつひとつに物理的結合が存在しない場合、刃はただ粒の間をすり抜けて空を切るばかりで、生まれる風圧を除けば粒に影響を与えることはない。

 

 だが、剣の福音が実現する現象攻撃はまったく異なる結果を生み出す。

 対象が何だろうが関係ない。誰の目にも明らかな「切断」という結果だけを対象に反映する。刃を通さない竜種の鱗だろうが、実体のない魔素の塊である霊体だろうが、おかまいなしに何でも真っ二つにする。

 「切断」された対象が、すぐにくっつくような性質を持っている場合もそれは変わらない。水のような流体でさえ、不可思議なことに数秒から数十秒程度は分かたれた状態を維持するのだ。

 

 霧の中を漂う十字の裂け目を見詰めていると、自分で行ったことながらも薄気味が悪くなる。剣技(グラディオ・アルテ)も大概だが、現象攻撃の異常さは更に頭抜けている。この世の理を完全に逸脱していると言えよう。

 異界(クリフォト)、つまりは現世の常識に照らし合わせれば魔法や剣技だって十分に物理法則を無視しているように見えるかもしれない。だが、それらには魔素(マナ)という力の源泉が存在し、これを以って様々な物理現象を引き起こすという確たる原理が存在している。

 

「切っ先から一メートル……と、ちょっとか」

 

 霧に刻まれた裂け目から、今現在の俺が可能な現象攻撃の射程を理解する。

 権能をフルに行使するために必要な遺物(アーティファクト)を手放しているためか、その効果範囲は千年前に比べると百分の一程度にまで狭まっている。

 全盛期とは比べるべくもないが、この権能の有無は大きい。確実に扱えるのであれば様々な場面で役に立つだろう。この先の戦いには不可欠だ。

 

「よし」

 

 確かな手ごたえを実感した俺は、誰に向けてでもなく一人頷き、手の中で回して逆手に持ち替えた長剣を勢いよく鞘に収めた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 第二皇子アーネスト率いる月天騎士団の錬度は高い。

 前線で戦い続けていた彼、ないしは彼女らの技量はアズルで交戦した傭兵騎士団の頭目と比べても何ら劣るものがないと感じられる。

 アーネストの傍付きである女騎士エニエスもまた、文官だという身分とは裏腹に細剣(レイピア)短剣(マンゴーシュ)の熟練した使い手である。

 怜悧な言葉と共に俺の素性と実力に疑問符を叩き付けた彼女は、理知的な印象とはまったく逆の手段での証明を俺に求めた。

 

 手合わせだ。

 どうにも騎士という人種のコミュニケーション手段は俺の常識とは異なるらしい。

 

 昼下がりの館の庭園。結果として、両手に得物を携えて肩で息をするエニエスと、彼女と対峙したまま気まずさに頬を掻く俺、そして俺達を遠巻きに見学するサリッサとアーネストという、なんとも微妙な状況が生まれてしまった。

 俺としてはエニエス女史に恥をかかせるつもりなど毛頭なかったのだが、手を抜くのもおかしな話だし目的とも合致しない。俺は合図と同時にエニエスが仕掛けてきた苛烈な攻勢を捌き続けた。そろそろ二十分が経過しようしている。

 マリーの相手をした時のように武器を取り上げる、または破壊するという勝ち方も検討はしたのだが、前者を行うほどの隙は見当たらず、後者は彼女の持つ高そうな細剣を弁償できそうな持ち合わせがないので控えた。

 

 全力の戦闘による魔力、体力の消耗は馬鹿にならない。

 そろそろ限界だろうと見た丁度その時、エニエスはようやく細剣を下ろした。

 

「……なるほど、合点がいきました。試すような真似をして申し訳ありません。非礼をお許しください」

「気にしないでください。我ながら弱そうですからね」

「食えない人ですね」

 

 息も上がりきった様子のエニエスは強引に呼吸を整えるや否や、姿勢を正して恭しく礼をする。その挙動を見る限り、まだ余裕を残していたらしい。タフな人だ。

 そこへ、剣戟を見守っていたアーネストの拍手が響いた。

 

「いやはや、凄いな。彼女は今の月天騎士団(うち)で一番の使い手なんだが」

「タカナシならこれくらいやるわよ。九天の騎士(あたしたち)も誰一人あいつに勝てなかったんだから」

「九天の騎士が……信じ難い話だ」

「あらためて考えると癪だけど、たしかよ」

 

 腕組みをして言うサリッサの表情は、いつもと変わらない澄まし顔に戻っている。

 昨夜宿に戻ってからも今朝も特別変わった様子はなかった。心の内はどうか分からないにしても、少なくとも表面的には怒ったりはしていないように見える。

 昨日の件は俺に非がある。折を見て、きちんと謝らなければならないだろう。

 

 細剣を鞘にしまい込むエニエスが驚嘆の面持ちで口を開いた。

 

「ルース卿らでも勝てないのであれば、尚のことです。私などでは相手にならないのも当然でしょう」

「それが本当ならタカナシ君に比肩する騎士は皇帝陛下の下にもいない。ミラベルも心強い味方を得たものだ」

 

 アーネストは笑顔で述べる。

 確かに、今のところジャンほどの実力を持った騎士には遭遇していない。

 他の九天の騎士や水星天騎士団、アニエスとエニエスといった月天騎士団の騎士達を見る限り、彼がウッドランド皇国で最高レベルの実力者だったのは間違いないだろう。

 

「あのオッサンには勝てたと言い難いですけどね。それに、九天の連中とだってもう一度戦えばどうなるか分からないですよ。そこまで差はありません」

「謙遜ね。今じゃ誰も、一対一であんたに勝てるなんて考えてないわ」

 

 サリッサはかぶりを振りながらそう言うが、戦いは互いの技量だけで決まるものでもない。状況や運に大きく左右される。

 仮に皇帝の配下に九天の騎士以上の使い手がいなかったとしても、楽観はできない。

 そこで、館の中から駆けてきた騎士団員に耳打ちされたアーネストが、不意に笑みを消して正面に向き直り、声を張った。

 

「ともあれ、アズルの衛兵隊屯所と伝声術が繋がったようだ」

 

 サリッサの話によれば、長距離用の伝声術は小型の転移門(ポータル)のようなものを使用するとのことだったが、アーネストが指を鳴らした瞬間に生じたのは見慣れた伝声術の光球であった。

 設備そのものは館の中にある。推測だが、その小型転移門の傍に伝声術の光球を浮かせて音を中継している、といった感じだろうか。

 

 

『――あー、あー、聞こえますか?』

 

 

 光球から響く、どことなく間延びした声は紛れもなくミラベルのものだ。

 その声を聞いた瞬間、俺は自分が思っていたよりも、彼女の身を深く案じていたことを自覚した。

 

「聞こえてるよ、ミラベル」

『タカナシ様……! ご無事で何よりです……!』

「ああ、そっちも」

 

 そのままお互いに口を閉じてしまう。

 続いた五秒ほど沈黙はサリッサの咳払いが遮った。

 

「やあ、ミラベル。久し振りだね」

『……アーネストお兄様。お久し振りです。ロスペールのことは残念でした』

「気遣い痛み入るよ」

 

 兄妹は硬い声で挨拶を交わす。

 とても心温まるようなシーンではない。

 

「さて、早速で悪いけど本題に入らせてもらう。副官から既に伝えている通り、私と月天騎士団は君達を支援する用意がある」

『ありがとうございます、お兄様』

「礼には及ばない。その代わり、事が済んだ暁にはロスペール奪還のために君達の力を貸してもらいたい」

『はい。承知しております』

 

 答えるミラベルの声色は平静そのものである。喜びの色はない。

 これは取引だ。善意や厚意で交わされる同盟では決してない。ミラベルもそのあたりをちゃんと理解しているのだろう。

 

「じゃ、合意も取れたことだし予定通りこのまま作戦会議といこうじゃないか」

『よしなに』

 

 一同から異論が出ないのを確認し、アーネストは指を振る。

 ミラベルと似た詠唱動作だ。彼の指先から奔った魔素が地図を空中に描く。

 俺はそれが皇都周辺の地図だと気付くのにたっぷり一分を要した。なぜなら、多くの衛星都市に囲まれた中心に存在する皇都トラスダンの大きさが、俺の記憶とまったく違っていたからだ。

 皇都に関する俺の記憶は百年以上前のものだ。その間に大きくなったのだろうが、にしたって大き過ぎる。周辺の衛星都市――ランセリアなどの街を全部合わせても半分にも満たないほどだ。

 

「我々がランセリアに来たのは例の魔物……竜種(ドラゴン)の調査だけではないんだ。転移街(ポート)アズルに対するドーリアの襲撃という事態を受けて、現在、このランセリアを含めた各都市郡と皇都には、九大騎士団ならびに皇国軍、魔導院の実働部隊が厳戒態勢を敷いている。その一環だ」

 

 幸いにも俺の動揺は誰にも見咎められることはなかった。

 アーネストが淡々とした状況説明を終えると、ミラベルが光球の向こうで呟いた。

 

『不味いですね』

 

 当初の予定では衛星都市間を移動して皇都に入るつもりでいた。

 しかし、現在の状況でそれを行うのは、それ自体が不可能でないにせよ。

 

「うん。通常の手段では、陛下に察知されずに皇都に入るのは無理だろうね。それはつまり、如何なる試みも無駄ということだ」

「無駄?」

 

 そこで初めて、サリッサの表情が曇った。

 今までの彼女の言動からしても彼女は知らないのだろう。そして、ミラベルやアーネストといった皇族達は理解している。

 

「陛下には謎が多いけど、確かに分かっていることがひとつだけある。老いと病に蝕まれてもなお、彼には誰も敵わない(・・・・)

「敵わないって……皇帝陛下ってそんなに強いの? 王様なのに?」

 

 アーネストの言葉を聞いたサリッサが困惑の表情で俺を見た。

 首を縦に振るしかない。その反応を見た彼女の顔が戦慄に凍りつく。

 皇族達がどのような経緯でそれを理解したのかは知らないが、間違った認識ではないだろう。現象攻撃を取り戻したとはいえ、俺が皇帝に勝てるかどうかは良くて五分かそれ以下。いや、それすら希望的観測に過ぎない。

 

「強いとか弱いとか、そういう次元の話じゃない。奴と直接対峙するような事態になったら、その時点で敗北すると考えていい。戦いになったら負けだ」

 

 俺がそう言うと、アーネストが意外そうな顔をした。が、それも一瞬のことだ。

 すぐに柔和で曖昧な笑みを戻した彼は、首を傾げながら言葉を続けた。

 

「だから私達が取れる方法は二つしかない。今は諦めて時期を窺うか――」

 

 普通に考えれば、厳戒態勢が解かれるのを待つべきだ。

 しかし、ドーリアとの戦いが先行き不透明になりつつある現状、解かれるのがいつになるのかは誰にも分からない。

 さすがに遅過ぎる。待っている間も継承戦は進行し、ロスペールはドーリアの占領下で蹂躙され続ける。犠牲は増える一方だ。

 

「――もしくは、陛下に察知されないよう秘密裏に皇都へ入る。その後、できる限り速やかに目的を達成して離脱する」

「そんな手段があるんですか?」

「あるとも。通用するのは恐らく一度きりだが」

 

 自信たっぷりに言い切るアーネスト。

 いささかの動揺を滲ませるミラベルの呟きが零れた。

 

『転移魔法の類は皇都の魔術監視網に引っ掛かります。残る手段は……スキンファクシですね。お兄様が持ち出していたのですか』

「スキンファクシ?」

 

 聞き覚えのない単語だ。

 何かしろの移動手段だろうとは予想できるものの、名前からでは何も分からない。

 

「後で説明させてもらうよ。今は、腹案があるとだけ理解してもらえれば結構だ」

 

 簡単に説明できるものではないらしい。

 ミラベルが反対しないあたり、不確実だったり危険だったりするものではないのだろう。であれば、俺が口を挟む事項でもない。

 

「重ねて言うが、この手が通用するのは一度きりなんだ。君達が継承戦を止めるために確証を求めているのは既に聞いている。困難だが、この一度で他の皇族や臣民を納得させる材料を確実に揃えなければならない」

 

 最初で最後。

 現状で戦力的に勝ち目がない以上、政治的な勝利を狙うしかない俺達にとっては、戦いこそ起きずともこれが事実上の決戦ということだ。

 

『失敗すれば二度とチャンスは訪れない……ですか。タカナシ様やお兄様に全てを託すのは不本意ですが、仕方ありません』

「あたしもいるんですけど?」

 

 不服そうなサリッサの言葉を無視し、ミラベルは言葉を続ける。

 

『私が知る限りの全てをお話しておきます。証人になりそうな魔術師の名前、そして、彼が創造していると思われる破壊魔法の所在を』

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 ウッドランド皇国海軍所属、高速飛行艦『スキンファクシ』。

 ランセリア外縁部の堡塁にタラップ状の移動式階段で接続されているその船体を見た時、俺は盛大に頭を抱えることとなった。

 

 ――よりによって、飛行艦ときたもんだ。

 

 全長百メートルはあろうかという、鮫を思わせる造形の灰色の船体。

 見て分かるような位置にはプロペラやエンジンといった動力源がない。ヒレのような構造物が胴体の半ばから一対ほど飛び出しているが、このサイズの物体が飛行するための揚力を得るには十分な長さではないように思う。

 だというのに、スキンファクシは地表から数メートル程度浮いているのだ。まるで悪い冗談のような絵面だ。どうやって浮いているのかは見当もつかない。

 

 レーダーのような理論を元に作られた探査魔法などから、ウッドランド皇国が一定の科学技術を得つつあるのでは、という推測はしていた。

 そもそも、異界(クリフォト)――現世の人間である皇帝がこの世界に持ち込んだのが、高度な冶金技術だけだとは限らない。

 なぜ千年も経った今になって、という疑問はあるにせよ、彼が科学知識も有していたと考えるのが妥当だろう。

 

 しかし、このスキンファクシは異界の科学力を駆使したとしても建造できる代物ではない。この世界の魔法だけでも不可能だ。

 長い間、現界(セフィロト)に科学技術が流入しないように往還門を見張ってきた身としては認め難いことだが、このスキンファクシは両界の技術を組み合わせた結果の産物と見て間違いないだろう。

 船体を外から見る限りは武装の類が見当たらないのがせめてもの救いだ。

 これで火砲やミサイルなんかを積んでいた日には、俺はショックで気を失ってしまっていたかもしれない。というか既に怪しい。意識が遠くなってきた。

 

「おい、田舎門番! そんなに飛行艦が珍しいのか!」

 

 スキンファクシの灰色の船体を唖然と見上げていた俺は、がなり声を聞いてようやく視線を動かした。いつからそこに居たのか。タラップの上で夕日をバックに仁王立ちしている軍服の少女が居る。

 姉妹騎士の妹の方、アニエスだ。妙に得意げな顔でこちらを見下ろしている。

 例のランタン・シールドは身に着けていないあたり、手合わせという名の喧嘩を売りに来たわけでもないらしい。

 なら無視してもいいな、と判断して視線をスキンファクシに戻す。船体表面に描かれた魔法陣と魔素の流れを読めば何か分かるかもしれない。

 

「無視してんじゃねーぞコルァ!」

 

 ぶん、と空気を裂いて飛来した礫を見ずにキャッチする。

 思ったよりも軽くてゴツゴツした感触だ。掌を開くと、胡桃(クルミ)だった。

 タラップの上で食べていたのだろうか。まるで小動物か何かのようだ。

 うんざりしつつ、再びアニエスの方を見る。

 

「なんなんだお前は。皇都では飛行艦なんて珍しくもないのか? 皇国軍は飛行艦を何隻持ってるんだ」

「…………二隻だよ」

 

 一瞬言葉に詰まったアニエスが、むっつりとした顔で答える。

 

「じゃあ無茶苦茶レアじゃないか」

 

 大陸の過半を占める皇国の面積を考慮すれば、二隻という数はあってないようなものだ。いくら俺が田舎者とはいえ、官憲の端くれだ。その俺が今日の今日まで知らなかったということは、飛行艦の存在は一般に喧伝されているものでもないだろう。

 とりあえず馬鹿にしたいだけなんだろうなあ、とアニエスの内心を想像して再びうんざりする。

 

「この船が作られたのは五十年も前。アーネスト殿下がロスペール奪還のためにモスボール処理されてたこいつをわざわざ引っ張り出してきたんだ……本当なら、お前らなんかのために使う船じゃない」

 

 悔しそうに呟くアニエス。

 アーネストの提案は、このスキンファクシを使用して皇都に侵入するというものだ。陸路が固められているのなら空路を使おうという発想である。

 当初の予定と比べると大仰な話になってきたが、他に手段はない。

 

「この借りが大きいってことは分かってるよ」

「……フン、分かってんならいいんだけどよ」

 

 アニエスは吐き捨てるように言い、黒い軍服のスカートを翻してタラップから飛び降りて去っていく。

 一瞬、その小さな後姿がマリーと重なって見えた。両目をきつく瞑り、再び開いた時には幻視は消えている。

 作戦会議の後でミラベルに聞いた限りマリーは無事で、フェオドールとコレットも元気にしているという。彼女達はアズルの街で混乱の収拾を手伝っているらしく、残念ながら話をすることはできなかった。

 心残りにならないと言えば嘘になった。しかし、無理にマリーを呼び出そうとしたミラベルを、俺はやんわりと引き止めた。

 彼女には彼女の戦いがある。そんな気がしたからだ。

 

 そして、今の俺の戦いは継承戦を止めて彼女達を守ることだ。

 証人と物証の確保を必ず成功させなければならない。成功させて、皆でセントレアに帰るのだ。だから、挨拶は必要ない。

 

 そうと決めて色々なものを振り切った俺は、まったく後ろを振り返ることなくタラップの階段を足早に上り始めた。

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