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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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28.第二皇子②

 色とりどりの本が満載の書架に囲まれた談話室で卓を囲んだのは、柔和な笑みを浮かべた第二皇子と、何食わぬ顔で給仕された茶を啜る俺、そして相変わらずへそを曲げているらしいサリッサのみだった。

 姉妹らしき二人の騎士、アニエスとエニエスの姿はない。しつこく護衛を買って出た二人に対し、アーネスト皇子はやんわりと、しかし明確に退席を命じた。

 彼女達に聞かせたくない話をするつもりなのだろうかと推量してみるものの、第二皇子の曖昧な表情からはやはり何も読み取れない。

 

「いや、派手に壁を壊してしまったからランセリア公に叱られてしまうかもしれない。この館は、今は行政府の宿舎として使っているようだけど、元々は公の別邸のひとつらしいからね。困ったよ」

「そいつは災難ですね。俺の持ち合わせで弁償できる額ならさせて貰いますよ」

「気持ちだけ受け取っておくとしよう。君とは良い関係を築いておきたいからね」

 

 今はもう帯剣すらしていないアーネストは、秀麗としか言いようのない眉目に穏やかな笑みを浮かべたままで言った。

 

「いや、君達(・・)と言うべきなのかな」

 

 年齢は二十代後半から三十代半ば、といったところだろうか。

 俺はこの皇子のことを殆ど知らない。短く整えられたくすんだアッシュブラウンの髪も、人の良さそうでいて、その実は何かを潜めていそうな相貌にもまったく覚えがない。

 それは要するに、悪感情を抱く要素などどこにもないということなのだが――彼の目が紅茶のカップを無意味に回しているサリッサの方を向いた時、俺は自分の胸に奇妙な感情が去来するのを感じていた。

 

 彼とサリッサは知り合い、なのだろう。

 

 なぜだか、その事実がすんなりと飲み込めない。

 九天の騎士達は伝え聞く限りでも、皇国で一、二を争うほどの高名な騎士だ。計らずも彼らと深く関わっている俺にはまったく実感がないが、それほどの有名人であれば皇族と知り合いであっても何ら不思議はない。

 そもそも、同じく皇女であるミラベルとサリッサは単なる主従以前に友人同士であったという。その事実も鑑みれば、やはりおかしなことはなにもないはずで。

 

 大体、俺は彼女について何を知っているというのだろうか。

 俺は――

 

「それ、妙な勘繰りじゃないわよね」

 

 一瞬、自分のことを言われたのかと思い、ぎくりとしてしまう。

 しかし、会話の流れからしても不自然だとすぐに思い直す。サリッサはあくまでアーネストに向けて言ったのであって、現に彼は思い出したかのように自分の紅茶を手にして乾いた笑いを浮かべているところだった。

 

「も、もちろん違うとも。君が無事だったということは九天の騎士達はみな無事なのだろう。そうであれば、君達が全滅したという報告は、きっとミラベルの仕業に違いない。門番の、ええと、タカナシ君だったかな。君もミラベルの関係者に違いない」

 

 偉い皇子様でもサリッサは怖いんだな、と至極どうでもいいことを考えながらも、俺は否定も肯定もせずに必要な言葉だけを発した。

 

「殿下もミラベルと手を組みたいと考えてるわけですね」

 

 単なる確認以上の意味はない発言だ。

 彼がこちらに害意がなく、更には皇帝に対して叛意を抱いていることは先の会話からも、今も丸腰で話し合いに応じていることからも明らかだろう。

 

「アーネストで構わないよ、タカナシ君」

 

 指を組みながら口許を綻ばせた皇子様は、俺の目を見ながらはっきりと言った。

 

「君には先程の会話を聞かれているものとして話をするが……その通りだ。私は、ウッドランド皇国軍において兵を預かる身として、そしてこの国の皇族の一人として、現皇帝には今すぐにでも退位して頂きたいと思っている」

 

 退位。

 盗み聞いた会話よりも、言葉が幾分かマイルドになっている。サリッサに配慮したのだろうか、と彼女に視線を向けるが、本人はそ知らぬ顔で髪を指に巻き付けていた。

 どうも先程からの彼女の態度を見ていると、仲立ちこそすれ、話し合いに対して積極的な関与を行う気はないらしい。

 ここは俺が主導していかなくてはならないだろう。奇しくも宿でサリッサに言われたとおりの展開になりつつある。やはり気は乗らなかったが、俺は重い口を開いた。

 

「ロスペールの件ですね」

 

 皇族達に対するミラベルの説得は、彼女の報告を聞いていた限り芳しい成果を挙げていないはずだ。第二皇子、ということは、少なくとも建前上の継承権も第二位である。それほどの有力者をミラベルが見落とすわけもない。

 となれば、彼女の説得時には首を縦に振らなかったと考えるのが自然だ。彼の翻意はつい最近行われたに違いない。そこには必ず理由がある。

 

「知っているのであれば話は早い。私と私の騎士団が守っていた城塞都市ロスペールは、いまや皇国の喉元に突き付けられた剣だ。あそこを獲られていては、もうドーリア方面で戦いを続けるのは無理だろう」

 

 笑みを消した第二皇子がカップをソーサーに戻す。

 心なしか温度の下がった室内に、呟きが響いた。

 

「国境が……落ちたですって?」

 

 黒髪の毛先を弄んでいた仕草のままで固まったサリッサだ。その白い相貌は驚愕に彩られている。

 彼女の反応を意外に思ったのか、僅かに目を見開いたアーネストが俺に視線を送ってくる。国の一大事を皇国の騎士であるはずのサリッサが知らず、得体の知れない門番である俺が知っている、という不可解な状況に対して戸惑っているのだろう。

 ミラベルがサリッサにロスペールの件を説明していない理由は、残念ながら俺にも分からない。もしかすると九天の騎士全員に伝えていないのかもしれない。

 

「アーネスト! まさかあなた、騎士団ともども寝てましたとでも言うつもり!? ドーリアに遅れをとるなんて!」

 

 サリッサの憤慨も理解できる。

 戦争そのものの是非はともかく、ウッドランドとドーリアの戦力差を鑑みれば、普通に考えて負けるはずのない戦いだ。加えて、

 

「……街が敵の手に落ちるってことがどういうことなのか、分かんないわけじゃないでしょう!?」

 

 都市を守る以上、負けてはならない戦いだった。

 皇国は、殊更に負けてはならなかったのだ。

 戦争でその暴虐を尽くしてきたこの国の民は、その暴虐を自身に向けられたことがない。戦いに負けるということを本当の意味では理解していない。無知であることは何の免罪にもならないというのに。

 

「サリッサ」

 

 だが、今も苦渋を滲ませるアーネストに、果たして全ての責任があったのだろうか。

 俺には判断がつかない。ロスペールを襲った災禍がアリエッタの――往還者の手によるものである以上、裁定する資格もない。たった一言だけを言うしかない。

 呼び掛けに反応してこちらを向いたサリッサは、怒声に反し、沈痛な表情を浮かべていた。涙すら滲んでいた。躊躇いを覚えながらも、俺は言った。

 

「居なかったんだ。俺も、お前も、居なかったんだよ」

 

 居合わせれば何かが変わったはずだ、という意味ではない。

 ただ、俺達はその場に居なかった。

 当事者とそれ以外の者とを分けるものは、たったそれだけだ。

 そして、きっとそれが全てなのだろう。

 なおも口を開こうとしたサリッサは、しかし、込み上げる何かを堪えるように目を伏せて押し黙った。指を組んだまま瞑目したアーネストが、やがて重々しく言葉を発する。

 

「多くの騎士や民が犠牲となったというのにこうして私が生き恥を晒している以上、弁明の言葉もない。遠からず、ロスペール失陥の責任が問われる日も来る。私はどんな裁きも甘んじて受け入れるつもりでいるよ」

 

 失脚で済めば良いだろうが、罪に問われる可能性すらあるかもしれない。アーネストの危うい立場は、政治的なあれこれには全く無縁な俺にでも理解できる。

 

「しかしそれも、皇国がその時まで存続していればの話だ。私は皇都に戻るなり、陛下にロスペール奪還を進言したよ。我が国の総力を以てドーリアが投入した使役生物を駆逐すべきだ、とね」

「無茶をしますね」

 

 普通、そんなものは敗戦の将が要求できるような話ではないだろう。アーネストは俺の感想に苦笑するばかりだが、サリッサもアーネストの不可解な暴挙に困惑している。

 

「私はあの魔物をそれほどの脅威だと認識している。君にとっては違うのかな」

「いえ、正しい認識です」

 

 返答してから、すぐに心の中で補足、いや、訂正する。

 アーネストの認識ですらまだ甘い。

 

「魔物って? いったい何の話をしてるの?」

竜種(ドラゴン)だよ、サリッサ。ロスペールを襲ったのは竜種なんだ。この街の転移門を壊したのもな」

「……は?」

 

 呼び名を口にした瞬間、サリッサが、そしてアーネストまでもが目の色を変える。

 ドネットから聞いたサリッサはともかく、彼も竜種の存在を知っていたらしい。

 

竜種(ドラゴン)か。君はあの魔物が御伽噺の怪物だというのか」

「事実です」

 

 皇国の騎士が何百と集まったところで竜種を倒すのは難しい。千年前に比べれば人類種の力が増しているとはいえ、世界の旧支配者たる竜種には遥かに及ばない。

 アズルで蘇った個体は幸いにも不完全だったが、ロスペールに現れた個体も同様だと考えるのは楽観が過ぎる。

 

「突飛な話だが、退治した本人の言葉となればあながち冗談でもないのかな」

 

 アーネストはそこで言葉を切り、少しの間を置いて淡々と話を続けた。

 

「あの魔物が本当に竜種であるかはともかく……私の進言は何の説明もなしに陛下に一蹴されてしまってね。『国境奪還の必要なし、別命あるまで待機せよ』とのことだった」

 

 それはつまり、ドーリアの占領下にあるだろうロスペールを見捨てるということだ。

 生存者が居るかは不明だとしても、まさか都市を丸ごと切り捨てるとは。

 

「継承戦などというふざけた余興を言い出したのまでは、彼の正気を疑いこそすれ、大した問題ではなかった。それがなくとも玉座を欲しがる連中が競争を始めるのも時間の問題だったからね。しかし、民を見捨てて国を危機に陥れるのであれば……彼をこれ以上、帝位に置いておくわけにはいかない」

 

 翻意の理由を語る皇子の顔は、やはり曖昧な表情を浮かべている。

 言葉通りに決然と意思を表明しているようにも見えるし、他に手段がないのでやむを得ず主張しているようにも見える。

 どちらにせよ、この第二皇子はそもそも継承戦、ひいては皇帝自体に関心が薄いのだろう。だからこそ当初はミラベルの説得に応じなかった。皇族の内輪揉めなど、彼の中では優先順位の低い事柄だったのだ。

 さすがは軍属というべきか、国防を第一に考えているらしい。

 

「まずは然るべき者を帝位に据え、内憂を排した上でロスペールの奪還を目指したいと私は考えている。我々は協力の余地があると思うが……どうだろう、タカナシ君」

 

 断る理由のない申し出だ。

 神妙な顔つきで俺を見詰めるサリッサも特に異論はないように見受けられる。

 首肯した俺は、言葉を選んで言った。

 

「俺としてもアーネスト殿下のお力を拝借できればと思います。まずはミラベルと連絡をとらせてください。俺の一存で決められることじゃありませんからね」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 力とは、より具体的にはアズルとの連絡手段である。

 月天騎士団の駐屯地と化しているあの館では、現在、長距離伝声術用の設備が準備中らしい。アーネストはその設備の借用要請を快諾してくれた。

 暫定的な協力体制の下、代わりに竜種についての情報を月天騎士団へ供与することになったのだが、それ自体は交換条件にせずとも行うつもりだったので問題ない。

 お互いに最も安いカードを切ったといったところか。アーネストとしてはもっと直接的な支援を欲しがっているに違いないだろうが、こちらの手札が多くない以上、切るタイミングは慎重に見定める必要がある。

 

 設営完了は明日の昼過ぎを見込んでいるという。夜も更けたので宿に戻ることにした俺とサリッサは、アーネストの柔和な笑みと騎士姉妹の訝しげな視線に見送られつつ館を辞したのだが、

 

「やり過ぎ」

 

 宿への帰途の最中、俺のすぐ前を歩いていたサリッサが呟いた。

 すぐには反応できずに呆けてしまう。思考に耽っていた俺はすっかり忘れていたのだが、彼女の言わんとするところは明白だ。

 もしサリッサが館に来ていなかったら、どうなっていたか分からない。状況からして月天騎士団と事を構えるような事態にまではならなかっただろうが、話し合いが成立していたとも思えない。

 

「悪い。軽率だった」

 

 素直に頭を下げる。

 俺を振り返ったサリッサは眉を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「アーネストとは顔見知りだったから良かったけど、そうじゃなきゃ今頃は大変なことになってたわよ」

「面目ない」

 

 我ながらまったく誠意に欠けたことだが、俺は平謝りしながらも「顔見知り」というワードに落ち着かないものを感じていた。

 どういった知り合いなのかを尋ねたい。そういった、理屈に合わない妙な欲求を覚えるのだ。自己分析を試みても原因には見当もつかない。

 単なる好奇心だろうか。悪趣味なことだ。

 自己嫌悪と共に願望を握り潰して顔を上げると、サリッサが気まずそうに目を逸らしたところだった。

 

「……あたしも焚き付けちゃったのは悪かったわよ。ごめん。あんたがなんでも一人で背負い込む奴だってこと、忘れてた」

 

 やや掠れた声で告げて身を翻す黒髪の少女に、何かを言わなくてはならない気がした。

 しかし、鉛のように重くなった舌は、結局、思うように回らなかった。

 

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