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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
70/321

27.第二皇子①

 騎士だって人の子であって、生活の実態は一般人と大差ない――という事実は、九天の騎士たちが酒場で飲み会をやっていた時点でも想像に難くなかった。

 知り合った彼ら、特にサリッサとは接点も多かった。彼女を見る限り、やはり同じ人間であるという感想しか抱けない。主命や大義を重んじるという根本的な価値観の差こそあれど、それだって個人差があるようだし、別に違和感がある程の差異ではない。

 むしろ、勤め人ってものはそんなもんなんだろうな、とおぼろげに納得できる。それだって別に騎士だからこそ、という話でもない。

 

 街路に連なる梢が途切れ、宵闇の中に目当ての建物が浮かび上がってくる。民間の宿のような化粧の施された外観とは程遠い、無骨というべきか質素というべきか、ごくシンプルな館である。

 簡素な窓から漏れる明かりが落ちることは、恐らく朝までない。昼間、市庁の役人にそれとなく聞きだしていたのだが、ランセリアに数箇所存在する官舎のうち、この洋館が最も未使用の部屋が多いらしい。

 皇都からやってきた月天騎士団と所属の分からない魔術師達。彼らも当然、人間だ。不眠不休で夜通し働くなどということはない。どこかに宿が用意されているはずだ。

 彼らがランセリアに滞在するとすればここだろう。

 と、おおよその目星をつけたはいいが、確信する材料は当然ない。月天騎士団の動向を探るのも必須目的ではない。空振りであればそれもよし。今日のところは宿に戻って寝てしまおうと考えていた。

 

「さて」

 

 一定以上の技量を持つ騎士や魔術師は、周囲一帯の気配や魔力を読むことができる。騎士や魔術師がわんさと居るかもしれない建物に対し、何の備えもない自然体で近寄れば察知される危険がある。

 こういった状況では、気配と魔力を殺す、隠形という技術が役に立つ。任意の対象を透明化する魔法も存在はするのだが、俺にはそんな上等な魔法は使えない。

 隠形をかけながら夜闇に隠れる、というのが現在の俺が持っている唯一の潜入手段なのである。

 

 忍び足で館に寄り、造園の茂みから影になる壁に手を当てて魔力の感知を試みる。期待に反し、内部にはいくらかの反応がある。付呪(エンチャント)された生活用の器具では有り得ない。反応が強過ぎるし、数も多い。何より、そのうちのいくつかは動いている(・・・・・)

 残念ながらビンゴらしい。

 夕食には程よい時間帯だ。まだ誰も寝てもいないだろうし、仮に夜更けだったとしても、騎士団ともなれば歩哨の数も一人や二人で済むか怪しい。どのみち安全に探るのは不可能だろう。

 少しだけ思案してから、腰の長剣を静かに抜く。廊下に面しているらしい、鎧戸のついた窓を覗き込み、人影も気配も遠いことを確認してから窓枠に剣の切っ先を差し込む。

 この格子窓にはモノンクル錠という、少々原始的ながらも頑丈な作りをした鍵がかかっているのを既に確認している。内側にあるノブを回すと、窓枠に掛かっている鉄棒が上下にスライドして施錠する仕組みだ。

 まともに破るとすればガラスを割るしかないが、当然すさまじい音がする。論外である。なので、格子と窓枠のごく僅かな隙間から鉄棒を斬る。隙間の幅はミリもなく、刀身など通らないだろうが、魔力――すっかり多用するようになった刺突を飛ばす剣技などは、そもそも厚みという概念がない。

 

「……ふっ!」

 

 少々の気合を込め、その場で数センチほど切っ先を突き込む。編み上げた魔素による不可視の刺突は、狙いと寸分違わない軌跡で隙間に滑り込み、窓の向こうで鉄棒が斬れる小さな金属音だけを残して霧散した。

 これが武具に使われる鋼鉄などであれば、こうも容易くはいかない。

 開いた窓からそそくさと館の中へ身を滑り込ませ、窓を閉じる。静謐そのものといった館の空気からは、館内にいるらしい騎士団に気取られた感はない。しかし、錠が破壊されていることは、注意深く見ればすぐに分かってしまうだろう。

 鋭利な切り口を見せる鉄棒の断面を、元の形に合わせておく。いささか脱落してしまっているのでピッタリ合わせるのは無理だったが、遠目からでは判るまい。

 

 気休め的な工作を終え、廊下を進む。

 幸いなことに、床には厚い絨毯が敷かれているので足音があまり立たない。貴族の邸宅というわけでもないのに、これは珍しいことだ。この館が第二皇子に提供されているのも、この質の高い内装に理由があるのかもしれない

 すん、と空気を嗅ぐと、微かに肉料理の匂いがした。

 やはり夕食時なのだろう。外から見た館の大まかな構造は頭に入っているものの、食堂の位置までははっきりとしない。耳を澄まし、比較的音源が多い方向から遠ざかるように堂々と歩く。

 

 こういう場合、コソコソとしている方がかえって怪しまれるものだ。

 

 並行して魔力の探知も行う。

 ウッドランドの皇族は魔力量が異常だ。俺の知る姉妹、マリーとミラベルを見る限り、平均的な騎士を一とするなら、百や千といった値になるのではと思う。それほどの素養を持つ人間は滅多にいない。

 つまり、この館で強い魔力反応があれば、それが第二皇子である可能性が高い。

 彼が日頃から自身の魔力を抑制していなければの話ではある。が、意識的に魔力を断つという行為は、息を止めるのに似ている。恒常的に行えるようなものでもない。

 

 ご丁寧に一段一段が絨毯に覆われた階段を上がり、二階部分のフロアを進む。

 最も大きな魔力源に向かっているのだが、前方の角から接近する足音を聞き取った俺は、ゆったりと、それでいて迅速に手近な部屋のドアを開け、身を滑り込ませる。

 見回りか通りすがりか定かでない足音は、まったく歩調を乱すことなく部屋の前を通り過ぎていった。

 僅かに安堵し、潜り込んだ明かり一つない部屋を見回す。微かに聞こえる話し声に気付いたのはその時だ。使われていない書斎らしき現在の部屋ではなく、漆喰の壁――隣接の部屋から聞こえてくる。

 

「陛下にも困ったものだ。あの巨大な魔物が本当にドーリアの手によるものであれば、皇国の存亡に関わるやもしれんというのに、また塔にお篭りになられている」

 

 落ち着いた男性の声だ。

 このウッドランドにおいて陛下、と形容される人物は一人しかいない。

 皇帝。転生した往還者の一人。そして、マリーやミラベル……大勢の人間の運命を狂わせている元凶でもある。

 辺境に閉じ篭っていた俺は、現在の彼をこの目で直接見たことはない。どうやら死期が近いらしいという程度しか知らない。

 壁際に寄って耳をそばだてた俺は、続いて思慮深さを思わせる女性の声を聞いた。

 

「塔……ノーアトゥーンですか」

「高みの見物をしているとは思いたくない。が、継承戦のこともある。彼には何か他に優先するような事柄があるのだろう。我々には計り知れぬようなことが」

「この非常時に、国事に勝るような事柄とはいったい?」

「分からない。分からない事だらけさ。あの魔物についても、陛下についても」

 

 困惑そのものといった感の男性の声は、そこで深い溜息を吐いた。

 その後の言葉に、男性の素性についてある程度の推測を終えていた俺は耳を疑う羽目になった。

 

「やはり、彼は討たねばならないね」

 

 動揺は会話の相手らしき理知的な女性も同じだったららしい。

 

「まさか、ミラベル殿下のお話を真に受けたわけでは……」

「私は妹ほど浮世離れしてはいないよ。しかし、エニエス。舵取りに相応しくない王を戴き続けるには、我が国はそろそろ限界にさしかかっていると思わないか」

「それは……否めませんね。例のドーリアの魔物の件が決定的です。ミラベル殿下のお話を信じるかはともかく、最前線を知る我々としては、これ以上の戦争継続は合理的でないと主張せざるを得ません」

「だろう? で、あの戦争大好きな陛下(バケモノ)を排除するにしても、私達はあまりに非力だ。政治的には言わずもがな、月天騎士団を殆ど失ってしまった今となっては、実働戦力の上でも話にならない」

「たとえ我が騎士団が健在だったとしても、無謀な試みです」

「うん。だからこそ、妹の話に乗る。あの子と力を合わせれば、多少は可能性も見えてくるだろうというものさ」

 

 これは、まったく意外にも――彼らは味方になってくれるのではないだろうか。

 早計かも知れなかったが、ここで何もせずに引き返すのも惜しいだろう。

 隣室に居る二名と穏当に接触した上で、話し合いを行うべきだ。

 

 と、思い立った俺が壁から身体を離そうとした瞬間、眼前に漆喰やら木材やらの破片がぶちまけられて飛び散った。

 ボゴォというくぐもった音と共に、急に壁が向こう側から爆ぜたのだ。そんなもの咄嗟に反応できるわけがない。石灰の粉が顔面に直撃し、思わず咽込んでしまう。

 鼻腔やら瞼やらに入り込んだ石灰に咽び泣く俺の前、ぶち破った壁の向こうから、ぬぅっと現れる巨大な影がある。

 

 馬鹿にデカい、盾だ。

 

 鋼か何かだろうか。金属の色をした、円形の盾。

 盾そのものは精巧な何かの紋章のレリーフがある以外、平凡そのものといった形状だが――寸法がおかしい。装着者が見えないほどだ。

 その上、篭手と一体になっているらしい盾の裏からは、やけに長い両刃の剣が突き出している。

 奇異な武器を目の当たりにして唖然とする俺は、レリーフの中心から零れる緋色の光にも呆けた。防具と武具、更に照明を兼ねた「ランタン・シールド」と呼ばれる盾があると聞いたことはあったが、実物を目の当たりにしたのは初めてだ。

 これがそうなのだろう。

 

曲者(くっせもの)がオラァ!」

 

 ドスの利いた細い声という、なかなか耳にする機会がなさそうな怒声が盾の向こうから響き渡ってくる。

 俺の隠形を見破ったのだとすれば、なかなかの使い手だ。妙にオラついているのはともかく、油断のならない相手だろう。

 曲者であるところの俺は腰の長剣に手をかけ、盾の持ち主を注視しようと目を凝らした。やがて盾が翻ると、その人物の姿が露わになる。

 背の低い女の子だ。

 黒い軍服じみたワンピースを纏っているあたり、軍属に近しい騎士なのだろう。状況からして月天騎士団の一人か。にしたって若過ぎる。年の頃は恐らくマリーとさして変わらないに違いない。

 

「なんだこのチンチクリンは」

 

 気勢を殺がれたので率直な感想を述べた俺は、直後に凄まじい勢いで振り回された盾に全身を強打されて吹っ飛んだ。

 文字通りに吹っ飛んだのだ。騎士がいくら超人的な膂力を発揮するからといって、同様の能力を持つ騎士同士の戦闘において、剣技でも用いなければ、片方が吹っ飛ばされるなどということは滅多にない。

 にもかかわらず無造作な一撃で吹っ飛ばされた俺は、部屋の反対側の壁に叩き付けられて瞠目する羽目になった。

 

「誰がチンチクリンだ! ぶっ殺すぞ!」

「おお、怖い怖い。だが、そういうのはぶっ殺す前に言うべきじゃないのか」

 

 可憐と評しても問題のない少女が激昂して罵声を浴びせかけてくるのを、俺は常の減らず口で返し、外套(クローク)を翻して愛用の長剣を抜く。

 この少女騎士を撃破するのが目的ではなく、身を守るためだ。先の一撃はインパクトの直前に後方に飛び下がって威力を殺したので、俺の身体にさしてダメージはない。しかし、丸腰で相対するには少々危険な相手であると認識させられるには十分な一撃だった。

 無傷の俺を見るや、盾を持つ少女は怒りの表情を消して身を低く構えた。

 篭手と一体の盾を装着した右腕は、低く落とした身体よりも上に。見たことのない独特な構えだが、周囲の空気が変わるのをはっきりと感じる。本気になったらしい。

 

 一合、打ち合うか。

 

 俺も応じる姿勢をとろうと構えた時、砕けた壁の向こうから別の人影が二つほど現れた。少女と同様、黒い軍服に身を包んだ背の高い男性と、細剣(レイピア)を手にした女騎士だ。

 

「アニエス、下がりたまえ」

 

 直に耳にすると更に落ち着いて聞こえる、よく通った声で男性は命じた。

 どこか見たような美貌を持つその男は、やはり強い魔力を纏っている。美醜で判断するというわけでもないが、恐らくはこの男が。

 

「なぜです、殿下! やれます!」

「いいや、君には無理だ、アニエス。黒髪黒目、中肉中背で、長剣を持った少年。間違いないだろう。今朝がたランセリアに現れた魔物を討伐したという人物は、彼だよ」

 

 アッシュグレーの瞳で俺を見やりながら淡々と告げる男性の言葉に、傍で控えた女騎士と盾を持つ少女が絶句する。

 

「であれば、たとえ我々が束になっても敵わないだろう。違うかな、東洋人の君」

「どうかな……そういうあんたは、第二皇子で間違いないか」

「いかにも。アーネスト・バッティ・ウッドランドだ」

 

 俺の問いに短く首肯した男、第二皇子アーネストは腰に下げたサーベルに手をかけもせずに腕組みをする。いったいどういう胆力をしているのだろうか。それとも、言葉と裏腹に自身の戦力によほど自信があるのか。

 とにかく、促すようなアーネストの仕草に乗り、俺は長剣を納めつつ口を開いた。

 

「俺はタカナシ。門番だ」

「……門番(ゲートキーパー)? この街(ランセリア)のかね? アズルのかね?」

「いや、別の街だ」

 

 セントレアの名は出さず、端的に説明する。

 皇子はそれを黙して聞くや否や、顎に手を当てて僅かに思案するように視線を宙に這わせた。そのぼんやりとした表情からは、何を考えているのか見通すことはできない。

 

「出任せに決まってる! お前のような門番がいるか!」

「控えろ、アニエス! それはお前が判断する事柄ではない!」

 

 どうやらアニエスというらしい、かしましい盾の少女に何か言っておこうかと思ったのだが、皇子の隣に立つ妙齢の女騎士がぴしゃりと窘めた途端、彼女は口を尖らせながらも押し黙った。

 先の会話からするに、この女騎士はエニエスというらしい。似た名前なので姉妹なのだろうか、と考えた矢先、軍服の襟を正した皇子が首を回しながら苦笑した。

 

「はは、私にも彼の素性についてまで判断はできないよ。私としては彼と建設的な話し合いをしたいところだけどね」

 

 顔こそ笑ってはいるが、アーネストは少々困っているらしい。

 アニエスはおろか、彼女の即断的な姿勢を咎めたはずのエニエスもこちらに疑惑の視線を向けているからだ。我ながら明らかに怪しいので弁明のしようもない。

 門番の身分証といえば詰め所にある任命書か、日ごろ身につけていた腕章くらいなものだが、どちらもここにはない。任命書は詰め所だし、腕章は竜種との戦いでコートと一緒に燃えてしまった。

 かといって具体的にセントレアの話をするには尚早と言える。目があるとはいっても、彼らはまだ味方と決まったわけではないからだ。

 

「じゃ、素性が確かならいいわけね」

 

 女性二人から視線を向けられて脂汗を浮かべる俺とアーネストは、不意に開いたドアの方を同時に向く。

 そして全くの同時に、その少女の名を口にした。

 

「サリッサ!?」

 

 名を呼んだ瞬間、女性陣も驚愕に目を剥いてドアの方を見た。

 少々の寝癖がついた黒髪の闖入者は、両手を腰に当てて、大層不機嫌そうな顔でその場の全員を睥睨する。

 それから、赤いインバネスの肩に垂れた黒髪をばさっと跳ね除けながら言い放った。

 

「証明できるわ。そいつ、本当に門番よ」

「てっきり死んだとばかり……」

「アーネスト、その話は後にしましょう。とりあえず、九天の騎士としてこの場を預かるわ。異論は認めないから」

 

 言いながらも、不機嫌そうに細くなった赤い瞳が主に俺に注がれているのは、きっと、気のせいじゃないだろう。俺は口角を笑みに近付けつつ、手を上げて挨拶するくらいしかない。

 

 感じる寒気がそれで弱まることは、決してなかったのだが。

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