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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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23.転移

 首を落とすしかない。

 

 這いずる竜の背でそう結論付けた俺は、長剣の切っ先を竜の首根に向け、意識を集中した。剣技(グラディオ・アルテ)の変則発動、混合(ミキシング)

 抵抗がないと言えば嘘になる。

 たとえこの竜が利用されるためだけに蘇ったのだとしても、だからといって殺めてよいという理由にはならない。ずっと後悔してきたことをまた行おうとしている自分に、無力感のようなものを覚えてしまうのは間違いない。

 

 しかし、逡巡は瞬きほどの僅かな間で過ぎ去った。這い進む竜が顎を開き、三度目の息吹(ブレス)の照準を合わせ始めた瞬間に消え去ったのだ。

 赤光の先には街並みがある。人が居る。そうと意識した瞬間、長剣の刀身(ブレード)から漆黒の濁流が迸った。

 視界に息吹の光とは別の赤がちらつき、街の方角に広がる黎明の空を覆う。剣技(グラディオ・アルテ)の反動が蓄積している。視界が明滅する中、構わずに右腕だけで剣を振るった。

 

 不気味な噪音を響かせる黒い魔素(マナ)の刃が、その闇を大樹の幹ほどはある竜の首半ばまで食い込ませた。途端、剥き出しの筋と骨を断たれた傷口から、まるで血飛沫のように赤い魔素が噴き出した。

 息吹として吐き出す寸前の魔素が漏れ出したのか――思い当たるよりも早く、一瞬で視界が紅蓮に染まった。服が燃えていると理解しつつ、強引に右腕を振り切る。頚部の大半を掻き切った黒い刃が霧散し、炎が爆裂した。

 

 目の眩むような閃光と黒煙が過ぎ去った後、竜の巨躯が大きく前傾し、地に潜り込むように突っ伏した。

 しかし、猛然と前進していた竜の勢いが簡単に止まるわけもなく、地面を抉るように滑っていく。その背で剣を肉に突き立てて慣性に耐えつつ、燃える外套を脱ぎ捨てた俺は、皮一枚で繋がりながらも前方に脱落しかけている竜の頭部を見た。

 

 脊椎までも断ち切っている。

 当然に絶命しているはずの赤竜の片目が、瞬いた。

 

 

 ――忌々しき、人ども。

 

 

 脳裏で、遠雷が如き憤怒の声が響き渡る。

 竜種(ドラゴン)の発声器官は人のそれとまるで異なる。人語を解する竜が人類種に語りかける際は、思念による意思表示を行う。

 蘇生を果たしたとは言えない状態でも、やはり自意識を取り戻していたのか。名も知らぬ赤竜の成れの果てに、俺は千年以上前の――旧い言語で声を張った。

 

「大人しく土に戻れ! お前の、俺達の時代はとうの昔に終わったんだ!」

 

 叫びは届かない。

 虚ろな眼球を俺に向けたまま、竜は鉤爪を備えた両腕を地面に突き立てる。

 ただそれだけで地が捲れ、揺れた。

 何度も、何度も、狂ったように両腕を平原に叩き付け、滅茶苦茶な動きで暴れる。

 

 

 ――忌々しき、人どもめら。人どもめらが。

 

 

 再度、強烈な思念が叩きつけられ、俺は顔をしかめる。

 狂気すら滲ませる思念の声は、遂には意味の通らない滅茶苦茶な叫びの羅列になって途切れた。開いた顎門から泡を吹き、何も見ていない眼球が蠢く。

 死の間際の痙攣にしては長過ぎる。異様を慄然と守っていた俺は、やがて前進を再開した竜の背で目を剥いた。

 

 あり得ない。

 首が殆ど切断されている状態で――脳と体が繋がっていないというのに、なぜ体を動かせるというのか。霊体(アストラル)を介して胴体を動かしているにしても、そもそもなぜ死なないのか。

 もはや俺の理解を超えている。《生命の福音》には俺の知らない権能が存在し、その力でもってこの竜を生かし続けているのだと考える他ない。抗ってみろというアリエッタの言葉を想起し、俺は歯噛みする。

 変則発動の行使は叶わない。

 閃いた俺の長剣が、三角の軌跡を描いて竜の肩を切り裂く。筋を断てば腕が止まるのではと期待してのことだったが、やはり長剣一本で与えられるダメージはたかが知れている。竜は止まらないどころか、更に勢いを増してアズルの街に迫る。

 

 不意に、街の方角で、明けの明星がごとき無数の輝きが生まれた。

 街の端に立つ尖塔の上、長杖を携えた人影を中心にして広がった銀の魔弾の数は、百か千か。夜明けを背に、およそ人のものとは思えない規模の攻撃魔法が放たれる。

 

 銀弓(アルギュロトクソス)

 

 横殴りに押し寄せる銀の雨が、千切れかけた竜の頭蓋に、腕に、背に激突して銀色の小爆発を起こした。竜種の強靭な霊体は、ただそこにあるだけで強力な魔力障壁を纏う。障壁で威力の殆どが殺がれるものの、数の暴威を振るう魔法の雨に、さすがの竜も進路を変える。

 俺の知る限り、この高位魔法をここまで大規模に使用できる人間は一人だけだ。

 ミラベル。断続的に魔法を放ちながら、皇女は尖塔の上で銀の髪と修道服を靡かせる。目が良いのか、尖塔からはかなりの距離があるにも拘わらず、降り注ぐ魔弾が俺に当たることはない。

 

 街の西方から南東の転移門(ポータル)を目指し、街を横断するルートをとりつつあった竜が方向を変え、南から迂回する気配を見せた。

 尖塔から弧を描いて飛来する銀弓の雨を避けるような動きだ。このままいけばアズルの街への被害は避けられるかもしれない。僅かに安堵するが、それが問題の先送りに過ぎないことも承知している。

 竜が転移門に接触してしまうと、転移魔法によって皇都の衛星都市、転移街(ポート)ランセリアへ移動することになる。かの街の人口は、大都市とはいえ僻地に過ぎないアズルとは比べ物にならない。仮に竜がランセリアで暴れるようなことになれば、被害はアズルの比ではなくなるだろう。

 それどころか、この竜の不死身ぶりからするに、アリエッタの言葉通り皇都まで侵攻することすら十分にあり得る。

 

 阻止の手段を懸命に思案する俺は、再び傍らに生じた光の球を見止めた。

 伝声術。となれば、相手は一人しか居ない。

 

『無事か、タカナシ殿』

「マリー! ナイスタイミングだ!」

 

 ミラベル同様、どこかから状況を見ているのかもしれない。かといって、やはり問い質している時間はなく、俺は早口かつ端的に告げた。

 

「転移門を閉じてくれ! 今すぐに!」

『転移門を? なぜ?』

「アリエッタはこの竜を皇都にぶつけるつもりだ!」

 

 伝声術の向こうでマリーが息を飲む。

 

『……何ということを。そうか、ゆえにあやつらは皇都方面の転移門を押さえたのか。増援を防ぐためだけでなく、竜種が到着した際には転移門を開いておくために』

「ああ。だから……」

 

 言葉を重ねようとした俺を、マリーの細い声が遮る。

 

『転移門ほど複雑で巨大な術式となると、わたしには無理だ。専門の術師を探さねば』

「近くに居そうか!?」

『分からない』

 

 マリーの声には荒い息遣いが混じり始めていた。

 術師を探して走り出したのだろうが、この分では間に合わないだろう。

 考えるよりも先に口にした。

 

「最悪、転移門を壊すしかない」

 

 アズルに残された最後の転移門は――この地方の交通の要だ。破壊してしまうことによってどれだけの経済的被害が発生するか。

 しかし、それでも人が死ぬよりはとてもマシなことのように思える。

 思えていられる。

 

『……うむ。急ぎ、人を集めて転移門に向かう。破壊は任せてくれ』

「頼む。なるべく転移門に着くまでに何とかしたい。あくまで最後の手段だ」

 

 あてのない発言をしながら、竜の背に剣を打ち下ろす。

 大きく街を迂回して南東の転移門を目指す竜に、尖塔から放たれる銀弓と俺の剣が傷を付けていく。

 が、やはり竜の進行速度は変わらない。やがて尖塔が遠のき、ミラベルの魔法が届かなくなると、這い進む竜は更に速度を上げた。

 慣性に揺さぶられて体勢を崩した俺は、竜の背に掴まりながら間近に迫った転移門を見詰める。

 

 止むを得ない。

 無力を噛み締めながら伝声術の光球に声を張った。

 

「マリー!」

 

 転移門は内側に薄っすらと光る魔素の幕を張ったままだ。転移魔法は健在で、破壊も停止もされてはいない。

 光球からは悲痛な叫びが届く。

 

『だめだ、早過ぎる! 間に合わない!』

 

 まさに転移門に突入せんとする竜の背で、俺は逡巡した。

 背を降りるか、このまま竜と共に転移するか。

 一瞬の思考の末に竜の背にしがみつき続けたのは、やはり少しでも被害を食い止めたい――転移した先で暴れるだろう竜と戦わなければという、身の丈に合わない責任感からであった。

 

 計算違いがあったとすれば、転移門の大きさだった。

 巨大な石柱で組まれた転移門の開口は、竜種が通過するには――高さはともかく、幅が足りていなかったのだ。到達した竜は、通過というより、石柱に激突した。

 それでも、首から胴の大半と片腕を捻じ込んだ竜と、その背で剣を突き立てる俺は青白い魔素の渦に飲まれた。

 上下感覚を失って視界が白に染まる寸前、竜と激突した衝撃からか、轟音と共に転移門が割れる光景をはっきりと見た。

 

 

 その意味を理解するよりも早く、俺はアズルの街から消滅した。

 俺の名を呼ぶマリーの叫びが尾を引き、やがて、途切れた。

 

 

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