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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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22.アズル防衛戦③

 とても敏捷とは言えない動きで前進を開始した異形の肩部に飛び乗った俺は、足元の肉色が未だに表皮を再生しきっていないことを見止めた。健在であれば、竜種の分厚い皮や鉄を凌駕する硬度を誇る鱗はあらゆる刃を通さないが、下地となる肉はそこまでの強度を持たないということを経験から知っている。

 つまり、このドラゴンゾンビとでも呼ぶべき半端な復活を遂げつつある竜種に対して、剣はまったくの無力ではないということだ。

 あとはもう、単純な威力と規模の問題になる。数十メートルの生物に対するにしては、長剣一本は小さ過ぎる。通じないわけではないが、足らない。

 

 加えて、俺と同じように竜種の背に降り立ったアリエッタが容易な攻撃は許すまい。遺物(アーティファクト)慈悲の杖(マイトリカルナ)による現象攻撃「奪命(カーラ)」は、一度の直撃で俺の命を容易く奪うだろう。

 救いは、竜の上に居る限りは奪命の使用を制限できているという点だ。迂闊に俺に向けて現象攻撃を使用すれば、万が一外れた際に折角蘇らせつつある竜種を殺してしまうことになる。確実に当てられる状況では使ってくるだろうが、今のところアリエッタが杖を向けてくる様子は見受けられない。

 

 しかし、彼女の攻撃手段は慈悲の杖のみではない。

 

 白い袖を振って舞う白髪の女の周囲から、唐突に黒い霧が生じた。

 蝿の群れである。彼女の持つ福音は、羽虫程度の微細な生命なら無から創造することも可能だ。これを所詮は羽虫と侮ると痛い目を見ることになる。

 おぞましい羽音を重ねて飛来する蝿の群れが、塊を成したまま三叉に分かたれる。そのうちの一筋を刺突と飛ばす剣技で散らすが、膨大な数の蝿を打尽にするには至らない。どころか、仄かな魔素(マナ)を纏った蝿の群れは、数多潰れながらも、包む込むようにして魔素で編まれた刺突を飲み込んでしまった。

 残る二条の蝿の群れが伸び切り、まるで巨腕の如き動きで、長剣の刃を返そうとした俺の肩と腹を掬い上げるようにして打った。それ自体にさしたる破壊力はなくとも衝撃のみで俺を吹っ飛ばすには十分で、ひっくり返った俺は竜の肉に叩き付けられて叫ぶ。

 

「相変わらず気色の悪い真似しやがる!」

「なんとでも!」

 

 開かれたアリエッタの掌から、無造作に白い粒が放られる。

 何かしらの植物の種だ。

 

「くそっ」

 

 意図を察した俺は、慌てて身体を肉から引き起こして跳び下がる。

 散らばる種から逃れた俺の眼前で、ぶちまけられた種が一瞬で芽吹いた。たちまち二メートルほどの木立が生じる。避けなければ樹に飲み込まれて拘束されていただろう。

 

「手の内がバレているのも考え物だわ!」

「お互い様だろ!」

 

 下がりながらアリエッタに向けて刺突を飛ばすが結果は変わらない。彼女の周囲を旋回する蝿の群れを散らすだけで、本人には届かない。性質(たち)が悪い。剣技で容易に貫通できる魔法障壁の方がよほどマシだ。

 立て続けに刺突を飛ばして蝿の群れを散らす俺に、アリエッタは杖の先端を合わせようとするが狙いは定まらない。無理もない。互いに攻めあぐねる俺達の足元で、竜は両腕を使って這いずるように前へ進んでいる。足場が揺れるなんてものではなく、魔力による身体強化がなければとっくに振り落とされているだろう。それはアリエッタも同様だ。

 

 ――竜は前進している。

 

 となれば、アズルの街に向かっているに違いない。

 意図を感じる動きだ。マリーが制圧した傭兵達は転移門(ポータル)を占拠していた。よもや何の目的もなくそのようなことはすまい。住民を逃がさぬようにするだけならば一度目の攻撃でしたように破壊してしまえばいい。にも拘わらず占拠するのみに留めたのであれば、そこには必ず理由がある。

 

「この竜を皇都方面に突っ込ませる気か。転移門を使って」

「……あなたも相変わらず、戦いのことになると余計な知恵が回るわね」

 

 口にした推測に、アリエッタは片眉を上げて笑う。

 

「局地的な勝利を手にしたところでドーリアは戦争に勝てない……国力が疲弊し過ぎているもの……勝つには一気に首都を落とすくらいしなきゃ」

「よく言うぜ。竜種を掘り起こすのにドーリアを利用してるだけだろう」

「あら、手を借りてると言ってほしいわね」

 

 労力を拝借するだけなら他にいくらでも手がある。他にもドーリアに協力する理由があるのだろうが、今は詮索よりも先に竜を止めなくてはならない。

 這って進む竜は徐々に再生を続けているようだが、何せ下半身がない。単独で生命活動が維持できる状態ではないように見受けられる。アリエッタを引き離すか捕縛して意識を奪うかして蘇生を中断させれば、そのまま息絶える可能性が高い。

 蝿の盾を突破するには実体のある攻撃――体当たりや、剣での斬撃が有効だ。アリエッタを相手に近接距離(クロスレンジ)へ飛び込むのはリスキーだが、他に手はない。

 いちかばちかの勝負に出る覚悟を決め、一際強く長剣の柄を握り込む。対するアリエッタは空いた手をやおらスカートの中へ伸ばすと、ゆったりとした動作で刃物を引き抜いた。

 見たこともない形状の――短剣だろうか。鉤十字のような、凶悪極まる形状をした刃が月光を反射して煌く。

 

「なんだそりゃ!?」

 

 アリエッタがそんな得物を使っていたという記憶はない。

 数百年も経っていれば芸も増えるというものか。

 

「フンガムンガっていうらしいわよ……覚えておくといいわ」

 

 見知らぬ短剣は、形状も奇抜だが使用法も奇抜だった。

 短剣を持つ手の人差し指を振りながら律儀に答えたアリエッタは、その場で舞のように回転するや、短剣を水平に投じたのだ。

 もはや剣というよりはブーメランに近い。弓なりの軌道を描き、空中を滑るようにして襲い来る刃を長剣で弾き飛ばし、蝿の霧を体でぶち破って距離を詰める。が、剣の間合いに捉えたアリエッタは再び先程と同じ形状の短剣を引き摺る丈のスカートの中から取り出していた。

 気合と共に振り下ろした一刀を異形の短剣で受けつつ、アリエッタは慈悲の杖を差し向けてくる。外しようのない間合いであれば当然の行動であり、それゆえに読み通りでもある。杖を蹴り上げんとした一瞬、細い脚が阻むように伸びて俺の爪先を踏み付けた。

 驚きつつも長剣から離した左手で杖の先端を掴んであらぬ方向へ逸らす。互いに両手片足を組み合ったまま、俺とアリエッタは至近で視線を交錯させた。

 

「人の考えを読むなよ」

「お互い様でしょ」

 

 強度の差か、それともコレットのお陰なのか。

 僅かな膠着の後、力を込めた長剣が異形の刃を断ち切った。真っ二つに割れた短剣を放り捨てて下がるアリエッタの手から血が流れるが、それも一瞬のことだ。生命の福音の力によって瞬く間に傷は塞がり、すぐに両手で杖を構えて横薙ぎに振るった俺の長剣をがっちりと受け止める。

 

 そこで、足元が強烈に跳ねた。

 竜が水道橋のかかっている川に到達したのだ。竜の背に剣を突き立てて渡河の衝撃に耐える俺と同様に、アリエッタも三度手にした異形の短剣を剥き出しの背骨に引っ掛けて竜にしがみつく。

 水飛沫が頬を叩いていく。

 川まで来てしまえば、もう猶予は幾ばくもない。この竜の巨体では街に到達してしまった時点で甚大な被害が発生してしまう。その上、転移門に到達してしまえば更に事態は悪くなる。

 

 ここで俺は、アリエッタの捕縛を諦めた。

 彼女の格闘能力が想像以上に向上していたこと、そして捕縛を悠長に試みている時間がなくなってしまったことを加味すれば、後顧の憂いを残してしまうにせよ他に選択肢がない。

 平衡感覚を取り戻すや否や、剣を竜の背から引き抜いて大上段に振りかぶる。

 僅かに起き上がるのが遅れたアリエッタに向け、剣を振り下ろすと同時に言葉を投げかけた。

 

「またな」

 

 呟いた後、剣技(グラディオアルテ)を行使する。

 半秒の後に放たれた剛剣――不可視の魔素(マナ)の塊が、身を起こしかけた白髪の少女を頭上から圧し潰した。声もなく竜の背に叩き付けられて跳ねたアリエッタは、成す術もなく空中に取り残されて川に向かって落ちていく。

 奇しくも水道橋での対峙とは真逆の構図となったアリエッタの表情は、しかし、あの時と同じく忌々しげに歪んでいる。

 その唇が何がしかの言葉を紡いだが、風音に紛れて聞き取ることはできなかった。

 

 水面に落着したアリエッタを取り残し、竜は猛然と前へ進む。

 その巨躯は、依然として半身の再生すらも追いついていない。生命の福音の効果範囲外に出れば死ぬ筈だ。そう信じて竜の背に立ち続ける俺は、竜が渡河を終えて岸に辿り着いてもなお、まるでペースを変える事無く這い進んでいることに動揺する羽目になった。

 福音の効果範囲が俺の想定よりも広いのか。或いは、この竜は半身がなくとも生存可能なほど強い生命力に満ちているのか。

 いずれにせよ竜の前進を止めない限り、街への被害は避けられない。

 

 頭を上げた先、上下する視界に燃えるアズルの街と転移門の威容が見えてくる。

 健在の転移門は南東のひとつだけ。祈るような気持ちで視線を合わせたそれは、門の内側に青白い光を帯び、転移魔法が機能していることを物語っている。マリーに奪還された後、住民の避難に使用されていたのだとしたら当然のことだ。

 せめて機能停止してくれていれば。

 

 詰めていた息を吐き出す俺の視界の端、東の空に日の出の光が映った。

 夜が明けようとしている。

 

 街までは、あと数キロもない。

 

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