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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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21.アズル防衛戦②

 山麓に屹立する竜の巨躯は、間近に迫った今も骨格と最低限の筋肉のみという姿を保っていた。どのようにして立っているのかは分からない。腹部のあたりから下がそもそも存在しないというのに、発掘坑らしき竪穴から身をもたげた竜はバランスを完全に保っており、まるで微動だにしない。

 不完全極まるその状態ですら、身の丈は三十メートルを超えている。名のある竜だったろうかと記憶を探るが、なにせ千年も昔の話だ。思い当たる名はない。

 

 竜の前で、蘇りつつある骸を見上げる女が居た。

 数百年ぶりに再会した時とまったく同じ姿勢で佇むその女は、抜剣して背後に立った俺の方を、僅かに振り返る。

 来意を計りかねるということもあるまいが、慈悲の杖を手にした女はそれを向けてくることもなく、ゆったりと踵を返して俺を向いた。

 

「はあ……おめおめと逃げ帰っておきながら、今度は向かってくるのね。昔から分かんない奴だとは思っていたけれど……」

 

 皮肉げに歪んだ顔で鬱々と呟く白髪の女に、ある種の不思議な感慨を覚える。

 マリーを人質に取られた瞬間に抱いたあの悪感情は、もはや俺の胸のどこにも存在しなかった。アズルを、そしてロスペールを襲った災厄の元凶を前にして、それは正しい心の持ちようだろうか。百や千の単位で命を奪った者に対して、まったく憤らずにいられるのは、正しいことだろうか。

 当然、違うだろう。

 

「お互い様だろ。俺もお前の事は分からないよ」

 

 けれど俺はやはり、かつての仲間に呼びかける気安さを捨てなかった。

 果ての無い倦怠の中に居る女は、呆れたように頭を振る。

 

「変ね……私達は、こんなおかしな世界にやってきた、たった九人の同胞だったはずなのに……どうしてこうまで違うのかしら……」

「違う?」

「だってそうでしょう……あなたはまだ、この世界の側に立っているもの……私とは違う……私にはもう、この世界の人類種に守るべき価値があるとは思えない」

 

 白髪の女は――アリエッタは、滔々と語る。

 

「……見なさい、この世界を……いつまで経っても原始的な争いばかりをしているこの世界を……魔法だなんていう奇跡すら持っているにも拘わらず……力を持てば他の生命を傷付けることばかりをして、築き上げるのは屍の山ばかり。まるで無益だわ」

 

 三白眼を細めたアリエッタは、大仰な手振りを交えて断じる。

 

「だから竜種を蘇らせるってのか。俺達があれだけ苦労して終わらせた地獄を、また再現したいのか」

「あら、アキトは後悔していたじゃない……やっぱり竜種を滅ぼすべきじゃなかった、だなんて主張していたのはあなただけだったわよね……あの博愛主義のマリアでさえそんな戯言は言わなかったのに」

 

 事実だ。

 後悔を初めて口にした時のことは、今でも覚えている。

 

「だから戻してあげるわ。この世界を、正しくあるべきだった姿に修正してあげる。そうすれば人類種同士で争う余裕なんてなくなる。平和でしょう。ある意味」

 

 傲慢極まりない持論を展開するアリエッタだが、俺は、心のどこかでそれも間違ってはいないかもしれないと思ってしまう。

 そもそも往還者による介入が無ければ、現界には今でも竜種が君臨していたはずで、アリエッタの言う通り人類種同士の無益な戦争などは無かっただろう。倍する悲劇があったとしても、それがあるべき姿だという事実に変わりはない。

 この世界に対して余計な手出しをしてしまったという後悔は、やはり今も俺の中に残り続けて枷となっている。

 

 けれどその枷は、もう鎖に繋がれてなどいない。

 決して終わることのない停滞の中に居た俺は、あの金髪の皇女に出会ってからの日々の中で――無数ある答えのひとつに辿り着いている。

 

「それは俺やお前が決める事じゃない」

 

 穏やかに反駁する俺に、アリエッタは怪訝な眼差しを向ける。

 

「俺達だって所詮ただの人間だ。どんな力を持とうが、どれだけ長く生きようが変わらない。人の運命を左右するような選択ができるほど賢くも無ければ、正しくも無い」

「……何が言いたいわけ?」

「いい加減消えるべきなんだよ。俺も、お前も、皇帝(カレル)も。この世界の事はこの世界の人々が決めていけばいい。不相応な力を持った俺達は、さっさとそうするべきだったんだ」

「あなた……後悔をこじらせ過ぎているわね」

 

 アリエッタは不快そうな面持ちで俺を睨め付ける。

 無論、彼女が素直に頷くとは最初から思っていない。この結論は俺だけのもので、アリエッタは違う答えに辿り着いているはずなのだ。

 そしてその答えも、きっとある意味では正しく、ある意味では間違っている。

 

「なら勝手に往還門で還ればいいでしょう……わざわざ私の邪魔をする理由は何?」

「半分は仲間のよしみだ」

 

 即答し、長剣を構える。

 

「もう半分は、単にやり方が気に入らないからだ」

「くどくどと下らないことを言っておきながら、結局それね」

 

 溜息と共に慈悲の杖を持ち上げるアリエッタに、俺は口角を上げて笑ってみせる。

 

「お前だって同じだろ。何だかんだ言っても、結局お前は人間が嫌いなんだ。だから人類種を滅ぼそうとしてるだけだろう」

「嫌いにもなろうというものよ」

「事情は知ってるが、家族の復讐は終わってるじゃないか。相手が違う。大体、復讐にしたって何の益も無いことだ」

「……益が無い」

 

 抗弁する俺を細まった極低温の瞳で見据えたアリエッタは、低く呟く。

 

「本当に私達は分かり合えないわね……別に私は、あの街の住人が憎かったわけじゃないのよ……だって私は死なない(・・・・)し、夫だって、生き返らせようと思えばいつだって出来たもの」

 

 思わず息を呑む。

 言われてみれば、確かにそうだ。彼女が引き起こした街の壊滅という結果にばかりとらわれてしまっていたが、生き死にを自在に操るアリエッタが家族と死別するなんてことはそもそも有り得ないはずなのだ。

 

「じゃあ、なんでお前は……」

 

 アリエッタが俺の錯誤を正す理由はどこにもない。

 しかし彼女は、無感情に核心を口にした。

 本当に何でもないことかのように。

 

「街の住人を手引きして扇動したのは、夫だったのよ」

 

 俺は一瞬、彼女の言葉の意味を理解できなかった。

 

「二十年連れ添って、どういう心境の変化があったのかは知らないけど……まあ、歳をとらない女が気味悪くなったんじゃないかしらね。理由を問い質すために、物の弾みで住人に殺された夫を、何度か蘇生して殺したような気がするけど、正直よく覚えてないわ。昔の話だもの」

 

 誰かを伴侶にしたことなどない、この先もないだろう俺には、アリエッタの気持ちを欠片たりとも理解できない。してやれない。

 伴侶とするほど愛した人間に裏切られて殺される気持ちなど、想像のしようもない。

 その絶望を推し量る術を、薄っぺらな俺は持っていない。

 

「あら……なんて顔してるの、アキト」

 

 状況を忘れて剣尖を下げる俺を、アリエッタは声色だけで嘲笑う。

 そう口にする彼女自身の顔を見詰め、俺はもう、アリエッタがどうしようもないほどに壊れてしまっていることを悟る。

 

「……お前ほどじゃないよ」

「ふふ、なんの話だか分からないわ」

 

 常の鬱々とした声音が嘘のような明るい声を出すアリエッタの顔は――まるで、泣きじゃくる童女のように崩れてしまっている。

 きっと、事実もそう遠くはないだろう。往還者は肉体のみならず精神も停滞する。それはアリエッタも例外ではなく、永い時を生き続けながらも、彼女は肉体年齢通りの少女でしかないのだから。

 行き場の無い憤りが、剣を握る俺の手をきつく握らせる。

 

 どうしてこうなる。

 不条理が不条理を生んで、終わりなんて見えやしない。

 しかし、それでも。

 

 いつの間にか、虚空から大部分の肉を取り戻した竜の骸が、長い両腕を大地に向けて突き出した。轟音と共に落着した腕は、鉤爪で地を引き裂いて前傾の姿勢をとる。

 粉塵と風が舞う中を、長いスカートを靡かせて立つアリエッタが杖を構えた。かつて人間に絶望した白髪の少女は、崩れた表情のままで俺に問うた。

 

「さあ、アキト。あくまで人の側に立つのであれば、殺すわ。今なら仲間のよしみ(・・・・・・)で見逃してあげるけど、どうする?」

 

 答えは決まりきっている。

 たとえ不条理がより大きな不条理を生むのだとしても、剣の福音が俺の願い――全ての不条理を払うためのものだとすれば、眼前の不条理を切り払えないで何とするのか。

 

「お断りだ! そのデカブツも今からぶった切ってやるから覚悟しろ!」

「吼えたわね、遺物(アーティファクト)もなしで! なら抗ってみなさい! 剣の福音!」

 

 竜の巨躯が傾き、頭蓋のみであった頭部が顎門を開くや、遠雷の如き咆哮を放つ。見やれば空だったはずの眼窩には紅の目玉が生じており、明確な意思を持ってぎょろりと蠢いた。

 竦みそうになる威圧感を前に、竜の頭目掛け、地を蹴って跳ぶ。

 追い縋るように浮遊したアリエッタの杖と俺の長剣が激突し、火花を散らした。

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