20.アズル防衛戦①
桁外れに巨大な竜種の半身を目指して水道沿いの道を走る俺は、竜が備えている頭蓋が相も変わらず首から千切れかけて背部に垂れ下がっているのを確認しながら、ひたすらに足を動かしていた。竜種の蘇生速度、或いは再生速度がどの程度のものなのか判然としないからだ。
だが、仮にこうして移動している間に赤竜が再生を果たしたとして、今の俺にできることは何も無い。一刻も早く竜種の元に到達し、アリエッタを捕縛するしかない。
『タカナシ殿』
風音だけが聞こえる中、不意に妙な響きを含んだマリーの声が響く。走りながら振り返ると、見覚えのある光球が追い掛けてきていた。結構な速度で走っているというのにぴったりと付いてくるそれは、伝声術の効果によるものだ。
「マリー? 伝声術が使えたのか」
『そのようだ。そちらは移動中のようだが』
どこか他人事のようなニュアンスを匂わせる肯定の言葉が気にかかるが、追及している時間はない。
「ああ。アリエッタをとっ捕まえに行く」
『そうか。加勢したいところだが、こちらも少々立て込んでいる。すまないが……』
「こっちは大丈夫だ。そのままミラベルと合流して街の救援にあたってくれ」
『分かった……気を付けるのだぞ』
光球が掻き消え、声が途切れる。
竜種の息吹を防いだ後、俺とミラベルが見張り台に降りた時、マリーの姿はどこにもなかった。俺達は血相を変えてマリーを探したのだが、衛兵長から聞いた話では皇都方面の転移門を占拠していた傭兵騎士団を一人で制圧してしまったらしい。そしてそのまま、衛兵達を率いて救助活動を始めたとのことだった。
マリーといいコレットといい、女の子というのは俺が思っているよりもずっと強いのかもしれない。いや、ことあるごとに悩んでばかりいる俺が軟弱なだけなのか。
再び月明かりに浮かぶ水道橋へ辿り着いた俺は、魔法灯の消えた歩道にいくつも組まれた篝火に、大いなる面倒事の予感を感じ取った。
予感は間もなく的中する。
火を背にして立つ、複数の人影が見て取れた。一様にリングメイルを纏い、弓や槍で武装した騎士達の姿が。
「アルテリア傭兵騎士団」
駆けながら呟く。
傭兵騎士団の半数は転移門でマリー達に敗北し、捕縛された。
残るはマードック含めて五名。見えている人影の数と一致する。つまり、この水道橋さえ突破すれば、その先での待ち伏せ等はないということだ。
「やっぱり来やがったな、小僧! ここは通さねえぞ!」
騎士達の中心で槍斧と剣を携えて立つ、傭兵騎士団の長、マードックが吼えた。
武器と鎧とを新たに、アリエッタの宣言通りに蘇生されていた男に走りながら叫ぶ。
「一度死んでも金が大事かよ!」
「応!」
傭兵はいっそ清々しいほどにはっきりと頷く。
付き合いきれない。足を止めないまま長剣を抜き放ち、剣技を行使する。マードックの背後に控える傭兵騎士達が弓に矢を番えるが、遅い。
両手で頭上に剣を構え、魔素を練り上げる。
俺が九天の騎士の剣技を多用するのは、単純に彼らの剣技が優れているからだ。
剣技は剣に関する全ての技を包括しているが、それを行使しているのが俺という「人間」である以上、思考能力には限界がある。
瞬時の判断が必要な戦闘中において、毎度、無限に近い数の剣技の中から最適解を選ぶのは不可能に近い。ある程度は使用する剣技を限定しておいた方が判断が早くなる。
その「お気に入り」とでも言うべき剣技は、必然的に使い勝手に優れたものになる。そして、九天の騎士達の剣技は非常に使い勝手がいい。
洗練されている、というべきだろうか。
彼らの剣技が、剣士達の間で連綿と受け継がれてきた技の中で「最新」であるのも無関係ではないかもしれない。
特に気に入っている剣技は、クリストファの剛剣である。
九天の騎士達の中でも、彼は一つの剣技だけを磨いている男らしい。俺は彼をよく知らないが、彼の技だけは理解できている。
練り上げた魔素を剣に纏わせ、さながら連接棍か戦槌のように打ち下ろすのである。
この技の特筆すべき点は、破壊力の割に非殺傷である点だ。つまり九天の騎士クリストファは、人を斬ることを放棄しているのである。
ゆえに、弓を構えていた傭兵達が、俺の放った剛剣によってリングメイルを木っ端微塵に四散させながら歩道に叩き付けられても、命に別状はない。
轟音と共に篝火が吹き飛び、火の粉を散らして川に落ちていく。その中を、部下をことごとく戦闘不能にされたマードックが駆ける。
彼は唯一人、前進することで剛剣の有効範囲から逃れていた。技を見切ったのだとすれば、やはり彼は九天の騎士に比肩し得る騎士なのだろう。
古傷にまみれた精悍な顔には、いささかの動揺も見受けられない。最初から部下達が俺に太刀打ちできると期待していなかったと見える。
距離が詰まり、もはや語る言葉もない俺とマードックの剣が交錯する。
傭兵の節くれ立った左手が握る片手剣が、吹き散った火の粉を反射して輝くと同時に、鋭く引かれた右の槍斧の先端が視界の端で踊った。
長柄と剣の変則的な二刀流。実戦の中で磨き上げられてきたスタイルなのだろう。
対する俺は、長剣一本。左右どちらかの得物を防御に回せる、攻守兼用のスタイルである二刀流に比すれば、総合力で劣る。
しかし、裂帛の気合と共に繰り出された槍斧の刺突を、俺は足の爪先で蹴り上げた。槍斧があらぬ方向へ突き出され、バランスを崩したマードックの剣に長剣を絡ませる。
そのまま、長剣の切っ先を彼の剣に這わせるように滑らせた。
本来は剣を持つ手を狙うテクニックだったが、今回は裏刃を使って傭兵の胴を引き斬った。アリエッタの現象攻撃で破砕され、新調したらしいマードックの胴鎧が滑らかに切断され、赤い飛沫を吹き出した。
傭兵は目を見開き、痛悔の面持ちで至近の俺を見る。
「……クソッタレ……一合も……打ち合えねえのかよ……!」
「悪い、急いでる」
端的に告げ、なおも最後の抵抗とばかりに槍斧を振るわんとするマードックの前で、外套を翻して体を旋回させる。
勢いと体重を乗せて、割れた傭兵の胴目掛けてブーツの踵を繰り出した。重い衝撃と共にマードックの体が宙を飛び、水道橋の欄干を越えて夜の闇へ消える。
やがて遥か下方から水音が響いた。
その頃には既に、俺は橋面の上を再び駆け出していた。
騎士は頑丈にできている。あの程度の傷では死なない。
しかし、この水道橋の下を流れる河川に落ちるとかなり流される羽目になる。
戦列に復帰するのは無理だろう。
いつまでもあの傭兵にかかずらってはいられない。それきりマードックの存在を頭から締め出し、三百メートルほどはありそうな水道橋の端を目指して走る。
途端、橋の半ばが爆ぜた。
ぐらりと視界が揺れ、思わずその場でよろめく。
断続的な爆発。長大な水道橋が中心から崩壊していく。
「……くそ、あの野郎!」
つい先ほど蹴落とした、忌々しい傭兵の顔を思い浮かべる。
蹴飛ばされる瞬間、恨み言のひとつも口にしなかった彼は、闇の中に消える寸前、微かに口元に笑みを浮かべていた。その意味が、これだ。
積まれた石が剥がれ落ちていく中を、憤怒の形相で駆け抜ける。仮に橋が崩落して川に落ちるとすると、やはり流されることになる。身をもって知っている。
そんな時間はない。
崩れていく橋の上を構わず走り、完全に崩落して途切れた部分を飛び越えんと跳躍する。が、届かない。空中でそれを悟った俺は、再び魔素を足場とする歩法を剣技の変則発動で引き出す。
相応の反動を受け、眩暈を覚える。甲斐はあり、足場を経由して橋の無事な向こう側に着地し、そのままひた走る。
どこかを流れているだろう傭兵のほくそ笑む顔を想像しながら、俺は九天の騎士の一人、毒刀使いの男に歩法を習うことを固く決意した。
彼が快く教えてくれるかは、別として。




