19.求め②
フェオドールは平民の出だ。
両親はエルラクという小さな村で農家を営んでいる。兄弟はなく、何事もなければ家業はフェオドールが継ぐ筈だった。
この平凡な少年が兵士となったのは、くじ引きという全くの偶然の結果であった。皇国においては各自治体から一定数の兵士を出すよう、法で定められている。
小さな農村であるエルラクでは、若者は貴重な労働力である。どの家庭も子を兵役に出すのを渋るので、毎年の春先にくじ引きを行って兵士となる若者を決めるのだ。
運悪く、先端が藍色の染料で色付けされた撚り糸を引いたとき、フェオドールは空を仰いで嘆いた。若者の中には悔しがる者も居たが、フェオドールは兵隊というものに何の憧れも持っていなかったのだ。
自分が戦争をする、という事実を考えると、ただ気分が悪くなった。
村で漠然と生きてきたこの少年は、実のところ平和な農村を愛していたのだった。
三年間我慢すれば帰れる。
それだけを胸に軍での生活に耐えたフェオドールは、いつしか兵士になっていた。
進んで口外したことはないが、敵の兵を斬ったこともある。しかも一人ではなく、両手の指で数えるには余るほどだ。だから、十人隊長を任された。
常勝のウッドランド皇国軍では手柄の奪い合いが苛烈を極める。その中で、何の取り得もなさそうな農家の少年が頭角を現すのは、ある意味で異常なことだ。
幸か不幸か、フェオドールは兵士に向いていたのだ。
それは、暴力に長けていたという意味ではない。
戦場において人間的な感情が介在する余地はない、という真実を本能で知っていたのである。
命じられるまま、何も考えず人を殺す。
槍で突き、剣で斬りつけ、罠に嵌めて、ただ殺す。
自分は誰かの手によって回される糸車であり、器械は思考する必要などない。
粛々と戦うだけのこと。
しかし当然ながら、人間的な感情をすべて捨て去れるわけもなく。
同僚と酒を酌み交わす際には愚痴を溢すことも多かった。主に騎士や、貴族に対する愚痴だ。軍で威張り散らしている上流階級には辟易していたのだ。
平民であるフェオドールの理解が及ぶ範囲は、そこまでである。
ただ、一度だけ。
糸車を回している連中は果たして、どんな顔をしているのだろうかと考えてみたことがあった。肥沃な土地を求める大貴族達。そして、皇国そのものの舵を取る皇族達。
一兵士でしかないフェオドールには拝謁の機会さえない紡ぎ手達は、一体どんな顔をしてこの糸車を回しているのだろうかと。
「ウッドランド皇国、第十八皇女マリアージュ・マリア・スルーブレイスである! アルテリア傭兵騎士団の騎士達に告げる! 直ちに剣を捨て、降伏せよ!」
ゆえに、燦然と輝く金髪碧眼の少女が叫んだ瞬間、フェオドールは凄まじい衝撃を受けた。対峙する傭兵達も唖然とし、未だに地に伏せたままの衛兵達もやはり同様である。
ウッドランドの皇子の人数がいくら二十を超えるとはいえ、その尽くが軍や議会の要職に就いている重要人物だ。こんなところに供の騎士もなく居る筈がない。
では騙りかというと、それも有り得ない。
皇家に連なるという少女が身に付けている白銀の胸甲、手甲には皇族のみに許される紋章が確かに刻まれているからだ。彼女が皇族であるには間違いがなく、それが確かであれば皇女を騙る理由がどこにもない。
正真正銘、本物の姫なのだ。
「……状況分かってんのか、お姫様。騎士はお前一人だけだ。勝てるとでも?」
槍や剣を構える三人の傭兵騎士達は、皇女の勧告を当然ながら意に介さない。
しかし山吹色の魔力を纏う皇女も、どこか超然とした態度を崩さず、長剣を石畳に突き立てたまま言い放った。
「いいや、貴殿らこそ分かっておらん。騎士であろうがなかろうが、剣の重さに違いなどない。あろうはずがない。人を人たらしめるものは、生まれもった力の有無などではないのだから」
暴論である。傭兵達は失笑するばかりだ。
この言葉の意味を真に理解できたのは、足元で展開した魔法陣から魔力を受け取ったフェオドールのみであった。魔素を操る素養のない彼は、生まれて初めて経験する感覚に困惑していた。
まったく信じがたいことに、馴染みのない力が四肢に漲っている。ともすれば暴発するのではないかと危ぶまれるほどに。
魔力の均衡を保っているのはフェオドール自身ではない。素養のない彼にはどのようにそれを行えばいいのかも分かっていない。繊細な魔力の調整を行っているのは、輝く魔法陣の中心に居る皇女マリアージュであった。
フェオドールは戦慄と共に悟る。
この皇女は、騎士でない者を騎士にする。
長剣で傭兵騎士達を指す皇女の瞳には、敵の姿は映っていない。
その後方で、無力に打ちひしがれるように地に伏せていた衛兵達に向いている。
「戦う力はここにある! 己が誇りを、己が住処を守らんとするならば、武器を取って立ち上がれ! ドーリアの騎士を打倒せよ!」
フェオドールの耳朶を打った号令は、彼にも向けられたものだ。
言われずとも戦うつもりであった。条件が対等ならば、剣士だろうが術師だろうが負けるつもりは全くない。
しかし、奮い立つ。名も顔も知らなかった皇女の一声が、こんなにも足を前に踏み出す力になるとは、一度として考えたこともなかった。
「おおおおおッ!」
フェオドールは片手剣を構え、雄叫びを上げて走り出す。
衛兵二人も呼応するかのように立ち上がり、剣と槍を振りかぶって傭兵騎士達に殺到した。傭兵達は面食らいながらも応戦の構えを見せ、凍り付く。取るに足らないはずの、ただの一般兵達が纏う魔力に、今更ながらに気付いたのだ。
まず狼狽する傭兵騎士の一人が後方から突撃した衛兵二人に打ち倒され、槍の石突で滅多打ちにされた。常であれば魔力障壁によって防がれるはずの攻撃は、しかし、倒れた騎士の顔を強かに打ち据えた。
「くそ、どうなってんだこいつら!? まるで騎士じゃねえか!」
「一緒にすんじゃねえよ!」
フェオドールは残る傭兵の片割れに剣を振りかぶり、かつてない手応えと共にそれを打ち下ろした。純粋な剣の技量では騎士にも負けないと自負する刃が、受けに繰り出された傭兵騎士の鉄槍と噛み合い、火花を散らす。
視線が交錯し、得物を介した力比べに陥る。即席の騎士であるフェオドールよりも、真なる騎士である傭兵達の方が、さすがに膂力では上回る。失策だったかと後悔する間もなく、鋭く可憐な声がフェオドールに浴びせられた。
「フェオドール殿、頭を下げろ」
反射的に身をかがめたフェオドールの背を、金色が舞った。
白い外套と金の髪を翻し、少年の背を乗り越えるようにして勢いをつけた皇女が、まるで旋風の如く身体を捻っての一刀を繰り出したのだ。
絶技と言う外ない一撃。フェオドールと鍔迫り合いを演じていた傭兵の鉄槍が断ち切られ、放り出される。
「人を踏み台にしやがって」
フェオドールは不平を言いながらも、傭兵に生まれた隙を逃さなかった。得物を破壊されて硬直する傭兵の右肩口に剣を突き込み、穿つ。
血飛沫はない。水平に、骨を避けて差し込んだ刃は主要な血管を避け、筋だけを破壊した。そして、利き腕が死んだ傭兵からすぐさま距離をとる。
同時に、先の剣技の勢いのままに前進していた皇女が、最後の傭兵騎士と剣戟を交わした。若年小柄の身とはかけ離れた速度で打ち込まれる長剣に、肉厚の大剣で受けた傭兵が怨嗟の声をあげる。
「小娘ぇっ!!」
決して高位の騎士とは言えない傭兵の身ではある彼らだったが、実戦経験だけは大国であるウッドランドの騎士とは比べ物にならない。無数の戦場を渡り歩いてきた彼らは、並大抵の相手、尋常の局面であれば、常勝とはいかずとも五分に戦える。
だが違う。彼らが相対した皇女が作り出したこの状況は、尋常ではない。そして皇女自身も並大抵ではない。簡素な長剣を手にして躍る碧眼の少女は、魔力を含めた身体能力において傭兵を遥かに凌駕している。
ゆえに彼は、二択を迫られた。この場を退くか、皇女を斃すかである。
傭兵は後者を取った。
何らかの魔法によって衛兵達を強化しているだろうこの少女を排除できれば、形勢を覆すには十分だろう。勝ち目はある。
だがそれ以上に、騎士でもない者達に敗北して背を向けるなどと。
「認められるか! てめえらなんぞに!」
吼え、大剣を力任せに振るって皇女の長剣を打ち払う。
対する皇女マリアージュは、平静な、湖風のような穏やかな声音でもって返した。
「であれば、剣をもって示すがよかろう。己が剣が、彼方を目指すわたしに勝るというのなら。怒れる彼らに勝るというのなら」
「ほざくんじゃねえ!」
激昂と共に縦の斬撃を繰り出す傭兵の大剣を前に、マリアージュは碧の双眸を細める。視線の先に敵の刃はなく、追い求めている背中があるのみだった。
長剣を繰り、振り下ろされている最中の大剣の腹を強打する。鐘を突いたかのような重い金属音が響き渡り、刀身は逸れてマリアージュのすぐ傍らを抜けた。
半身を逸らした姿勢で金の髪を翻した皇女は、大剣の間合いを抜けて傭兵に肉薄した。眼前に迫った少女の姿に驚愕する傭兵の額へ目掛け、剣の腹を使って打撃を打ち込む。
強打の瞬間にも、マリアージュは平静な表情を崩さなかった。
「がっ……あ」
割れた額から血の花を咲かせながら、失神した傭兵が崩れ落ちる。
傭兵が取り落とした大剣が足元で跳ねるのも、残心する皇女の姿勢を崩すには至らなかった。
戦いは、そこで決着した。
自身が相手どっていた傭兵を早々に絞め落としていたフェオドールは、騎士を倒し、長剣を鞘へと収めんとする皇女の姿に目を奪われた。
肩を組んで喜ぶ衛兵達とは対照的に、皇女の横顔にはいささかの喜びも見出せなかったからだ。険しく結ばれた唇にも、伏せられた目にも。
おずおずと剣先を鞘に当てたマリアージュは、手をぴたりと止めて首を傾げた。
刀身が僅かに曲がってしまっている。
大剣を逸らした際の剣筋が甘かっただろうか。誰に教わったわけでもない結論を、不自然な経路で導き出した皇女は、やはり首を傾げながら静かに呟いた。
「……実戦は難しいものだな」




