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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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18.求め①

 火焔の残滓が舞い散っていくのを、マリアージュは込み上げる感情を押し殺しながら見上げていた。

 夜空を裂いて伸びた真紅の光は、アズルの街を穿つ事なく防がれた。それはマリアージュという少女がよく知る少年と姉の功績である。

 二人が中天を駆け上がり、古代の魔獣が放った火焔の前に躍り出た時、マリアージュは息を詰まらせ、我を失っていた自分を恥じた。

 尊敬するあの二人は、街を守る為にすぐさま行動に移り、見事成し遂げてみせた。だというのに自分は砦の見張り台で――安全な場所でただ膝をつき、彼らを見上げている。

 その現実は、届かない高みに手を伸ばし続けていたこの皇女の胸に、どうしようもないほどに大きな穴隙を生み出した。

 

 彼女は、ただひたすらに少年の背を目指せばいつかは届くと思っていた。

 並び立てると本気で信じていたわけではないにせよ。せめて、指先が肩に届く距離には近付けるのではないかと、それくらいは求めても良いのではないかと、考えていた。

 

 それは甘い考えだった。

 分不相応な願いだった。

 

 要塞を吹き飛ばすほどの魔素(マナ)の奔流。それを長剣一本で切り裂くなどと、一体誰が真似できるだろうか。

 得体の知れない力を操り、皇国の全てを統べる、父――ウッドランド帝にさえ不可能だ。帝が従える中で最も剣に長けるという剣聖にだって真似はできないだろう。

 少年がやってみせた芸当は、それほどまでにマリアージュの世界から隔絶している。

 

 隔絶を目の当たりにした少女は初めて理解した。

 憧れたあの背中に、自分が到達する事は永遠にないのだと。

 

 熱風が吹き荒んで髪が乱されるのにも気付かず、マリアージュは見開いた碧眼で空と燃える街との中間を見た。

 火を吹いた遠い街並みのあちこちから、声が聞こえる。

 苦悶の声。断末魔の悲鳴。助けを求める声。距離的には届かないはずの見張り台まで、マリアージュの耳まで、それらは届く。

 

 彼女には聞こえる。

 誰もそれと気付かない。本人でさえも自覚していない。

 セントレアの火事で。脱走兵と出会った古砦で。マリアージュは他者の内なる声を聞く。声は仔細を語ることはないが、強い苦しみだけは明確に聞き取れる。

 ならばこそと、助けを求める声には助けの手を差し伸べてきた。なぜならば、それが正しいからだ。

 

 正しい事から目を背けてはならない。

 それこそが、七年前、見知らぬ門番に諭された彼女が学んだ、唯一の真実だった。

 

 彼女は欺瞞で構築された世界で育った。

 いくつかの実験を兼ねて誕生したスルーブレイスの三姉妹のうち、後発で比較的無事に育ったマリアージュには、非常に恵まれた環境が用意された。幼年であったにも拘わらず、城も、召使も、騎士さえも与えられていた。

 

 そんな、思い通りにならないことの方が珍しいほどの生活をしていた彼女が、不必要なまでに高潔たらんとした原因も門番の少年にある。

 彼と出会うまでは、マリアージュは周囲に大切にこそされてはいても、誰も誤りを指摘してはくれなかった。背後の皇帝を怖れ、愛想笑いを浮かべる人間しか居なかったのである。ゆえに彼女は、門番に叱られるまで「自分が間違っている」という可能性については検討すらしない、或いは、できない子供だった。

 だからこそ、少年の言葉はマリアージュの中に強く刻まれた。少年自身はさして重く考えていないだろうことを理解していても。

 

 自分も彼のようになりたい。

 

 その一心で、常に正しくあれと、自分を律するべく努めた。

 絶えず聞こえる苦しみの声にも、夜毎苛まれる不気味な夢にも、理不尽な現実にもめげることなく。

 ただひたすらに少年の背を目指せばいつかは届くと思っていた。実現の可否など、考えた事もなかった。

 実際に少年と剣を交えるまでは。

 その時、届かないかもしれないと気付いてしまった。

 そして今、届かないと確信してしまった。

 

 どうすれば彼と同じ場所に立てるのか。

 自問の答えを、マリアージュはおぼろげに悟っている。

 その手段は、周囲の者達から望まれていないだろうことも。

 しかし、たとえ禁忌とされる手段だとしても、希望があるのなら絶望の必要はない。そうと決めた途端、立ち上がる力が戻ってくる。

 

「今は、できることをせねば」

 

 懊悩から顔を上げた少女は、自分でも信じられないほどに乾いた声で呟いた。

 正しきを行えと衝き動かされるままに歩き出し、炎に塗れた街に向かう。その途上で出くわした衛兵隊の長――名も知らぬ男が、悲鳴のような声で呼び掛けてきた。

 

「で、殿下! マリアージュ殿下! ミラベル殿下はどちらに!?」

「姉上は戦っておられる。用向きがあればわたしが伺おう」

「え……いや、しかし」

 

 衛兵長は不信感を隠さずに言葉を濁す。

 この街の領主、そして衛兵隊には実戦経験がない。そのため、国教会の異端審問で名を馳せたミラベルを頼っている。無名の皇女には何も期待していない。

 しかし、ミラベルは竜種の攻撃に備えている。それは彼女にしかできないことだ。

 

「いいから、話せ」

 

 マリアージュが鋭く命じる。

 短い言葉に込められた重圧を感じ取った衛兵長は、脂汗を浮かべて後退りをした。

 彼は思い出したのだ。

 目の前の少女は、皇国に君臨する、あの恐るべき皇帝の実子なのだと。

 

「……あの魔獣の攻撃で街の被害は甚大です。現在、衛兵隊総出で住人の救助と避難を進めております。ですが、破壊を免れた皇都方面の転移門(ポータル)を敵の騎士が封鎖しており……騎士が相手となると、我々ではとても歯が立ちません」

 

 恐らくはアルテリア傭兵騎士団と名乗る騎士達の一団だろう。

 皇都からの救援を断つ腹積もりに違いない。

 マリアージュは至って平静に考え、全くの平常心で判断を下した。

 

「承知した。衛兵隊は引き続き救助活動と避難誘導にあたれ。転移門にはわたしが行く。既に衛兵を行かせているなら、今すぐに引き上げさせろ」

「……は、はっ! 直ちに!」

 

 皇女の命に目を剥く衛兵長だったが、すぐに敬礼の姿勢をとって声を張る。

 マリアージュから発せられる可視化した山吹色の魔力に気圧されてのことだ。

 返答を聞くや否や、金色の尾を引いて駆け出す皇女の背を、彼は敬礼の姿勢のまま見送った。

 それから、見送るしかできない自分を恥じるように拳を握り締めた。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 皇都方面へ救援を要請する任を帯びていた二人の衛兵達は、転移門で待ち構えていたドーリアの騎士に襲撃され、役目を全うする事無く地に転がっていた。

 避難誘導に協力している最中に居合わせたフェオドールも、転移門の前の地面に組み伏せられ、無感動に自分たちを見下ろしている傭兵騎士を睨みつけている。

 抵抗らしい抵抗もできないまま制圧された彼らは、目の前で転移門の術式が解除され、機能を停止する様を黙ってみているしかなかった。

 

「よーし、これで敵の応援はねえな。あとはあのデカブツが来るのを待つだけだ」

 

 禿頭の傭兵騎士が得意げに言うのを、フェオドールは痛恨の思いで聞いた。

 このままではアズルも、あの巨大な魔獣の手によって焦土と化すだろう。

 瞬く間に瓦礫の山と化したロスペールのように。

 阻止しなければならない。しかし、その力はフェオドールにはない。唯一希望があるとすれば、皇都に居るだろう大勢の騎士達だけだ。

 だというのに、救援の芽は摘まれてしまった。

 傭兵騎士達の人数は四人。事前の情報に間違いがなければ、傭兵騎士団のおよそ半数がアズルの街に予め潜んでいたことになる。

 

「てめえら、転移門を押さえてどうするつもりだ! 皆殺しか!?」

「へっ、金にもならねえのに、わざわざそんな面倒なことするかよ」

 

 組み伏せたフェオドールの問いを一笑し、傭兵の一人が言う。

 戦斧を手に傍らに立った傭兵騎士は、フェオドールを見下ろしながら言い放つ。

 

「でもまあ、お前らは駄目だな、ガキ。さっさと逃げりゃ良かったもんを」

 

 フェオドールは振り上げられた戦斧が放つ鈍い輝きを見上げ、氷柱に貫かれたような感覚を味わった。それは絶対的な死の予感であり、ロスペールが滅びた夜から幾度となく経験した感覚であった。

 

 一体、なぜ、自分達には抗う力がないのか。

 

 強烈な疑問を抱かずにはいられない。フェオドール自身のみならず、剣士や術師の才を持って生まれた騎士に対して、そうでない人々はあまりに無力だ。

 軍でも、前線で騎士に遭遇した際にはまず逃げるというルールが徹底されていた。魔力を使えない人間が懸命に剣を振ってみせたところで、打ち合うこともままならずに倒されてしまい、被害が拡大するばかりだからだ。

 

 こんなに不条理なことがあるだろうか。

 

 どれだけ手に血豆を作ろうが、届かない。及ばない。天性の差異。

 どこぞの門番だという、あの騎士級の力を持つ少年にも、フェオドールは嫉妬した。

 妬ましいと同時に怒りを覚えた。騎士の力さえあれば、自分なら、きっと、もっと戦えるに違いない。なのに、自分にはその力がない。ないのだ。

 こうして地べたに這い蹲り、無念のうちに死んでいくしかない。

 

「い、いやだ! 死にたくない!」

 

 同じように組み伏せられた若い衛兵の一人が、斧を振り下ろされんとするフェオドールを見て悲鳴を上げた。

 その悲鳴に、フェオドールは逆に冷静さを取り戻して身体に力を込める。

 

「そうだ……! まだ死ねない……!」

 

 コレット。

 心の中で名前を呼ぶ。こんな不条理から彼女を守らなければならない。

 しかし組み伏せる騎士の力は何倍も強く、どれだけ足掻こうと振り解けるものではなかった。それ以上は成す術もなく、振り上げられた斧頭を見る。

 

 

 刹那。

 強烈な黄金色の閃光が、戦火に赤く染まった空を奔った。

 フェオドールは、その光の中に人の姿を見た。マリアと名乗った、どうやら貴族らしい少女の姿を。彼女は簡素な鉄の長剣を手に、燃える家屋を背にして跳び上がっていた。

 建物を飛び越えてきたのだ。

 少女が空中で掌を開いた瞬間、山吹色の光が一直線に伸びた。何らかの魔法らしきその光に撃たれ、傭兵騎士の手にあった斧から斧頭が消えた。

 そして、あらぬ方向の地面に斧頭だけが突き立つ。

 

「くそっ! 騎士だ!」

 

 戦斧を失った傭兵騎士が腰の剣を抜くよりも圧倒的に速く、地面に落着した少女は金色の軌跡を描いて疾走するや、長剣を振るった。

 

 一撃。

 

 一瞬の交錯の後に残されたのは、腰の剣ごと腰椎を粉砕された傭兵騎士だけだ。少女は白目を剥いてくず折れる騎士を一顧だにせず、勢いのままに駆け抜けてフェオドールを組み敷いていた騎士を蹴り飛ばした。

 奇襲に面食らっていたその騎士もまた、動けぬままに蹴りを受けて宙を舞い、凄まじい勢いで地面を転がる。

 見目からは全く想像できないほどの膂力を発揮した可憐な少女は、荒く息を吐くとフェオドールの方を見やった。

 

「立て、フェオドール殿! まだ終わってはおらん!」

「え?」

 

 呆気にとられたフェオドールは、決死の表情で剣を構え直す少女の叱咤を聞いた。

 圧倒的な強さを見せた少女の顔には、まるで余裕がない。フェオドールも剣を手に立ち上がり、すぐにその理由を悟った。

 少女が初太刀で一蹴した傭兵は完全に昏倒しているが、蹴り飛ばした騎士の方はよろめきながらも立ち上がり、衛兵二人を抑えていた二人の傭兵達も各々の武器を手にこちらへ向かってくる。

 

「騎士三人の相手は、わたしだけでは無理だ。貴殿の助けが要る」

「助けって……でも俺は!」

「知っている。貴殿は騎士ではない。だが、共に戦って欲しい」

「そうしたくても、騎士でなきゃ太刀打ちできないんだよ! こいつらには!」

 

 得物を手に間合いを詰めてくる騎士達を前に、フェオドールは剣を握り締めた。

 それを肯定と受け取ったマリアは、しっかりと頷いて長剣を地面に突き立てる。

 

「戦う力はここにある」

 

 瞬間、眩い輝きと共に、巨大な金色の魔法陣が石畳の上を広がった。

 フェオドールは一瞬、状況を忘れた。

 眼下に描かれた山吹色の複雑な紋様を、ただ純粋に綺麗だと感じた。剣を手に魔法を行使する少女の、凄絶なまでの覚悟に満ちた横顔も。

 恐怖も憤りも、その輝きの中に呑み込まれてしまったかのような錯覚を覚える。

 狼狽する騎士達を前に、やがて、少女は高らかに魔法の名を口にした。

 

 

女神の神殿(ヴィーンゴールブ)!」

 

 


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