6.ツインテール②
残りの九天はパン屋送りにした五人を除けば残り四人の筈だったが、つい今しがた三人になった。
深夜。南門前の平原に大きなクレーターを作り出すほど強力な剣技の使い手――剛剣のクリストファは、自らが作り出した穴の底で力無く横たわっていた。
「恐るべき相手だった」
剛剣のクリストファ。
俺はその名を生涯忘れないだろう。
彼に強い尊敬の念を抱きながら、長剣を鞘に納めて踵を返す。
振り返ると、唇を固く結んだ黒髪の少女――サリッサの姿があった。
「よお、久しぶりだなサリッサ。元気にしてたか」
「昼間会ったばかりでしょ」
軽口には付き合ってくれないらしい。
サリッサは静かに歩み寄り、クレーターの中で気絶している何とかの剛剣のク――クリ――騎士の姿を認めるや、青ざめた顔を俺に向けた。
その紅い瞳に宿るのは、なにか、得体の知れないものへの畏怖だった。
「あんた、本当に人間なの?」
剛剣の何某はサリッサにそこまで言わしめるほどの使い手だったらしい。
星空に溶け入るような震える呟きに、思わず破顔してしまう。
「お前には俺が何に見えてるんだ。俺は街門の番兵だよ」
随分と下らない質問をするものだ。
肩をすくめておどけてみせるが、しかし、サリッサは引き下がらない。
「あたし達は九天の騎士よ! この国で最高位の……言い換えれば、この大陸で最強の騎士と言ってもいいわ!」
「へえ、そうか。道理で強いわけだ」
「すっ呆(とぼ)けたこと言ってんじゃないわよ!」
ぶん、と振るわれるサリッサの平手を、俺は労せず身を捻って避ける。今のサリッサではこれが限界だ。
その余裕が余計に癇に障ったのだろうか。黒髪の少女の怒りは収まらない。
「かすり傷一つ負ってないくせに」
「勝ち負けが腕前の全てじゃないだろ」
勝敗が一瞬で決することも、本来の実力を発揮出来ずに敗れることも戦いの中では往々にしてあることだ。
ましてや、お互いに手の内を知らないのであれば尚更だろう。
珍しいことではない。
「それはそうね。でも、重ねて言うけど、九天の騎士は最強よ。そんなあたしたちを無傷で破るあんたが、人間である筈がない」
傲慢とも取れる物言いだ。しかし、サリッサのそれには驕りというよりも自負の意味合いが強く感じられる。
研鑽を重ね、練磨し、苦心の末に到達しただろう数々の技。決して軽いものではない。
その誇りとも言うべき技を打ち負かされる心境は、まあ、穏やかでは済まされないものがあるだろう。
騎士ならぬ俺には理解は出来ないまでも、分からないでもない。
分からないでもないのだが。
「と、言われてもな」
サリッサには申し訳ないことに、俺は彼女が納得しそうな答えは持ち合わせていないのである。
俺の境遇を彼女に説明したとして、何処まで信じてもらえるものか疑問だ。
少し考えてから、言った。
「実は俺、ここの生まれじゃないんだよ」
「は? そんなの見りゃ分かるわよ。東洋人なんだから東洋の国から来たんでしょ?」
「あー、違う違う。何というか。そう、東の海よりもっと遠い国の生まれでさ」
「もっと遠い国?」
「ああ。凄く遠い国だ。簡単に言うと、その国の人間がウッドランドに来ると……来てしまうと、俺みたいになるんだ」
「どういうこと? あんたの強さは民族特有の力ってこと? でも、そんな出鱈目な民族がいるなんて聞いたことないわよ」
サリッサは首を捻るばかりだ。
納得の有無に関わらず、俺はセントレアへ歩き出す。
「来たのは俺と……後は、ほんの少しばかりだけだったからな」
古い記憶があった。
痛みは伴わない。それほどまでに古い記憶。
ただ少し、苦い。
「ちょっと! 東洋人! まだ話は終わってない!」
「いや、俺は疲れた。もう寝る。その剛剣の何とかって奴拾っといてくれ。ああ、あんまりセントレアから離れるな。爆発して死ぬぞ」
「はあ!? ちょっと待ちなさいよ!」
抗議の声をあげるサリッサを無視し、俺はさっさと詰め所に引き上げた。
■
ここは皇都から馬車で何日もかかる辺境の街、セントレアの南門番詰め所。
俺は皇女殿下の髪をツーサイドアップにしようとしている。
「タカナシ殿」
「ああ、はい。何でしょうか皇女殿下」
「わたしはな、幼い頃、この街に来たことがあるのだ」
俺は、リボンを取り落とした。
「そうなんですか」
鏡の前に着席しているマリーは、鏡越しに俺の顔をじっと見ている。
「何の公務であったか、今はもう思い出せん。母上や姉上と一緒であったとも思うし、そうでなかったような気もする。そんな曖昧な記憶にすぎん話なのだがな」
「はあ」
「当時のこの街も、今と変わらぬ良い街だったと覚えている。しかし、わたしも幼少の時分、この街をひどく退屈な場所に思ったのだろう。暇を持て余して、そこらの麦畑の中で走り回っていたのだ」
何が楽しかったのか。今は分からん、とマリーはくすくす笑い、やはり俺を見る。
「麦畑を荒らしても、誰も咎めはしなかった。わたしが皇女だからだろう。付き人も、畑の持ち主でさえも、誰も何も言わぬ。わたしはいい気になって、黄金色の麦畑を好き放題走り回った。思えばあれは、良くなかったなあ」
俺は床に落ちたリボンを拾い、埃を払う。
「子供のやることですから、多少は多めに見ても良いんじゃないですか」
「いやあ、駄目だよ。一本の麦を育むのに、一体どれだけの手間がかかることか。今のわたしは分かっている。あれは駄目だ。叶うことなら、昔のわたしに言って聞かせたいところだ」
そう言い切り、精巧なビスクドールを思わせる美貌の少女は笑った。
「でもな、タカナシ殿。そんなわたしをきちんと叱ってくれた誰かが、ちゃんと居たのだ」
マリーの述懐は、本題に近付いて熱を帯びる。
俺は彼女の髪を束ねてリボンを結んでいく。
「その者は門番だと聞いた気がする。顔までは思い出せん。だが、わたしは覚えている」
「へえ、どんな奴だったんですか」
「黒髪の少年」
息を呑む音が聞こえる。
マリーは、鏡越しに俺の顔をじっと見ている。
俺は。
「ところで、殿下には俺がいくつに見えてるんですか」
「えっ……えーと。十七、八、かな?」
「それで、殿下の言うその黒髪はいくつくらいだったんです」
「ええ、と……十七、八、くらい、かな……」
気まずそうに目を逸らしながら、皇女殿下は言った。
俺は笑う。
「年齢が合わないでしょう。それとも何ですか。俺が吸血鬼か何かで、歳を取らないとでも言うんですか」
「そ、そんなわけがなかろうが! 貴殿がニンニクを食べるところをちゃんと見ておる!」
本気でそんなこと疑ってたのかよ。俺は頭を抱えた。
「俺はセントレアの生まれではないので、親兄弟はここに居ません。なので俺の親父だとか兄弟だとかっていう線もない。殿下の思い違いですよ」
「そ、そう……なの、か?」
「そうなのです! ほら、出来ましたよ」
鏡に向き直った皇女殿下は、そこに映る自分の髪を見るなり不思議そうな顔をする。
「あれ、今日はツーサイ……何といったか。新しい髪形に挑戦するとか何とか言ってなかったか」
「ああ、あれは難しいんでやめにしました」
自慢じゃないが、俺は器用な方じゃない。
なので俺は、やっぱり皇女殿下の髪をツインテールにした。