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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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15.献身②

 アズルに居を構える領主が寄越したのは、たった二人の騎士見習いだった。

 ミラベル皇女殿下からの報せを受けたアズルの衛兵隊は、速やかにアズルに居を構える領主へ指示を仰いだ。その結果が彼らというわけだ。要するに、人は貸すからどうにかしろという言外の意思表示なのだろう。

 

 石造りの粗末な砦の会議室で、ミラベルが頭を抱えている。

 

 衛兵隊の砦に集っているのは、一般の衛兵二十名、先述の領主の私兵である騎士二名。大都市の衛兵隊にしては人員が少ない。

 現在までに判明しているドーリア側の戦力は、傭兵騎士団が十名前後に加えて、どうやらドーリアの宮廷魔術師になっていたらしい往還者が一名。

 騎士と一般人では能力に大きな開きがあるため、人数ではともかく、実際の戦力上は拮抗すらできていない。

 領主は本当に事態を正しく認識しているのだろうか。敵国の騎士が二桁も街に入り込んでいるという事の意味が、果たして理解できているのだろうか。彼らがその気になれば、この街はいつでも血の海になるというのに。

 

「……最悪の状況ですね。まったく、どうしてこんなことに巻き込まれるのでしょう。私達はただ皇都に向かっていただけだというのに」

 

 タオルで髪をごしごしと拭く俺、そしてアズル衛兵隊の代表らしい中年の衛兵長の前で向き直ったミラベルは、溜め込んだストレスを隠しもせずにぼやく。

 口髭を綺麗に整えた衛兵長はそれを聞くや、慌てて敬礼しながら声を張る。

 

「姫殿下! 領主含め、辺境に住む我々には実戦の経験がありません! どうかご指示を仰ぎたく存じます!」

「えっと……指示と言われましても……陣頭指揮なんてできませんよ。私はただの司教ですから」

 

 どこの世界に騎士団を率いる「ただの司教」がいるというのか。

 苦い顔で銀の髪を弄るミラベルを嗜めようかとも考えるが、彼女の苦慮も理解できる。既に衛兵や領主に対して皇女の身分を明かしているミラベルだが、頼られたところで配下の騎士は置いてきてしまっている。いくら皇女でもできることは多くない。

 カリスマ性や戦闘能力はともかく、彼女の指揮能力は高くない。ミラベルが普段、九天の騎士や水星天騎士団を何の目的に用いているのかは知らないが、他国や魔族相手に戦っているという様子は見受けられない。一度戦ってみた限り、戦略家として素人の域を出ないと俺は見ている。

 当たり前だが、現在のアズルには本格的な指揮ができる人間がいないのだ。

 

 俺は頭も悪いし、何かあればすぐ自分で動くタイプの人間なのでそういった能力は皆無である。

 しかし、他に適任が居ないのであれば口を挟むしかない。

 

「戦うより、まずは住人全員を転移門(ポータル)で避難させるべきだ。アズルの衛兵隊にはそっちをやって貰った方がいい。それと、誰か伝令をやって皇都方面の城なり街なりに応援を寄越してもらわないと」

 

 卓の上に無造作に置かれていた林檎を勝手に齧りながら言う俺に、ミラベルと衛兵長の視線が集まる。

 中年の衛兵長の「そもそも誰なんだお前は」と言わんばかりの訝しげな表情に、咄嗟に愛想笑いを返してみるが、態度が軟化してくれるなんてことは残念ながらなかった。

 

「全員を避難させるだと? 今が何時だと思ってる。まさか住民を全員叩き起こして避難させろとでも?」

 

 まさにその通りなのだが、俺の口から状況の深刻さを説明したところで分かってもらえるかどうかは微妙だ。現代のウッドランド人は竜種の存在について殆ど何も知らない。脅威の記憶は、教会に残る文献など除き、千年の時を経て尽くが失われてしまった。

 ロスペール陥落の報も、どうやら一般市民には伏せられているという。一見すると完全に部外者の外国人であるところの俺では、衛兵長を説得するのは不可能だろう。

 と、そこでミラベル殿下の鶴の一声が発せられた。

 

「衛兵長さん。申し訳ありませんが、彼の言うとおりに計らっていただけますか」

「な、なんと……ですが……」

「必要とあれば、領主には私から話を通します。どうか」

 

 彼女の言葉は端的ながらも有無を言わせないものがあった。

 再度敬礼して去っていく衛兵長の背を見送り、俺は溜息を吐いた。

 

「……なんか、うまく乗せられた気がする」

「はて、何のことでしょう」

 

 どこか白々しい微笑みで返す皇女は、しかし、すぐに真顔になった。

 

「実際、今動ける中で最も実戦経験をお持ちなのはタカナシ様です。相手が往還者なのであれば尚のこと。主義には反するでしょうが、ここはひとつお願いします」

「と、言われてもな。打てる手はそう多くないぜ」

 

 先ほど衛兵隊に割り振った仕事だって、彼らのキャパシティを超えている。たった二十余名の兵でアズル全体の避難を実行するとなると、単純な面積の問題に直面する。広大なアズルの街をカバーし切るには全く人手が足りない。混乱も避けられないだろう。

 アズルに無数存在する転移門(ポータル)を使用したとしても、少なく見積もっても半日はかかる。深夜で寝静まっていることを考えれば、もっとかかるだろう。

 アリエッタが竜種を蘇生させるまでに間に合うとはとても思えない。

 

「こっちには相手の出方を窺う余裕はない。人手が足らんのに、水道橋の向こうを押さえるのと、アズル住民の安全確保を同時にやらなきゃならん。水道橋には傭兵騎士団が待ち構えてるだろうが、アズルの防衛戦力をそっちに割くと住民の避難が不可能になる。となると、水道橋には俺が行くしかない」

「どのみち、そのおつもりだったのでしょう」

「まあな。だから俺にも陣頭指揮は無理だ。君の思惑には乗れない」

 

 ミラベルの狙いは、この局面で俺に指揮を取らせることで、皇国の表舞台に俺を登場させることだ。ドーリアの急襲は彼女にとっても想定外だろうが、この事態を利用してなし崩し的に俺を抱き込むつもりだったのだろう。

 名実共に、自らの騎士として。

 今のところ俺はミラベルの味方であるし、それは本心からの行動だ。しかしその繋がりは、実際のところがどうあれ感情に基づくものである。確かなものとは言い難い。

 ここで俺を完全に囲い込むことができるのであれば、ミラベルにとっては安心材料になるに違いない。

 したたかな彼女は、日頃からそういった打算のもとで俺との距離を縮めようとしている。その魔手をかわすのは容易ではない。主に精神力的な意味で。

 

 これらはあくまで俺の推論だが、そこまで的を外れてもいないだろう。

 現に、ミラベルは少しだけ残念そうに呟いた。

 

「なかなかうまくはいきませんね。やっぱり色仕掛けの方が効果がありそうです」

「どういう発想だよ……そういうのは伴侶に見込んだ男にだけにするといい」

「そうと見込んでいるのですが」

 

 とんでもない返事は聞かなかった事にして、芯だけになった林檎を丸呑みする。

 丁度そこで、着替えを終えたマリーとフェオドール少年、それに何故か帳面とペンを携えたコレットがやってきた。

 

「さっき衛兵隊が何人か凄い顔して出てったぞ。本気で戦争をやるってのかよ」

「相手の都合に合わせると戦争より酷いかもな」

 

 言われ、少年の顔が強張るが、彼を気遣う余裕はやはりない。

 

「悪いがお前も協力してくれ。アズルの住民を逃がす」

「計画はあんのかよ?」

「あってないようなもんだ。最寄の転移門へ住人を誘導する。衛兵隊の指揮はミラベル、それから……」

 

 仏頂面で腕組みをする、金髪の皇女と目が合う。

 理由は不明だが、何か不機嫌になっているらしい。

 

「マリーも、避難誘導を頼む」

「……承知した」

 

 返事もむすっとした響きが多分に含まれていたが、問い質している暇はない。

 各人が散っていく中、特に仕事がない――というか、住人と一緒に避難して欲しいところのコレット嬢だけが取り残される。

 彼女は手早く帳面にペンを走らせると、紙面を俺に向けて提示した。

 

『私はどうすればいいでしょうか』

 

 成る程。

 声が出ないので筆談の為にペンを持ち歩いているのか、と納得する。

 

「君はフェオドールと一緒に行動して欲しい。危なくなったら二人で逃げるんだ」

 

 俺の言葉にコレットは目を白黒させる。

 それから、再びペンを走らせるや、勢いよく俺に突き付ける。

 

『私も何かやります』

 

 やる気を迸らせる少女に、今度は俺が戸惑う番だ。読書が似合いそうな見た目の印象から、恐らく大人しい少女なのだと勝手に思っていたが、どうやらコレット嬢はアクティブな子だったようだ。

 いや、単なる性格では片付けられないのかもしれない。相手がドーリアであるということは、フェオドールやコレットにとってはロスペールの仇討ちのような意味合い帯びてくる。

 

 逸る少女のヘーゼルの瞳には、確かに何かしらの感情が燃えている。

 義憤か、復讐心か。

 諌めるべきかとも思うものの、何か矛先を用意しなければ危険とも思える。

 

「たとえば何ができる?」

 

 逆に問う俺に、少し考えてペンを動かした少女は、端的な文面を見せた。

 

『研ぎます』

 

 

 

 ■

 

 

 

 砦内にあるアズル衛兵隊の詰め所には、小規模な隊の割にはさすがは大都市というべきか、足踏み式の砥石もちゃんと配備してあった。日常的に剣を使うのであれば、手入れの道具は必須だ。

 セントレアの番兵団はそんなものすらも所有していない。どちらかと言うと、俺の第二の故郷とも呼ぶべきあの辺境の街が平和過ぎるのか。

 

 細い両手にブカブカの皮手袋を嵌めたコレットが、見た目を裏切るパワフルさで預けた鋼の長剣を鞘から抜いた。

 それから、露わになったブレードを目にして息を呑んだ。布で綺麗に拭いてからわざわざ一旦鞘に戻して、丁寧に椅子の上に置き、慌てたように帳面を引っ掴んでペンを走らせる。

 

『凄い剣ですね。こんなの初めて見ました』

「……そんなに良いのか?」

 

 コレットは呆れたような表情で書き込む。

 

『とても』

 

 さすがは金貨三枚といったところだろうか。

 老鍛冶師が情熱を注ぎ込んだこの長剣は、どうやら余程の出来らしい。俺にはよく分からないが、鍛冶屋の娘がそう言うのだから間違いはないだろう。

 

『でも手入れが最悪です』

 

 追って、耳の痛い文章がフリップのように提示された。

 素人目にも長剣のコンディションが悪いのは分かってはいたが、常に剣を使い潰しては交換してきた俺は、ろくな手入れの道具を持っていない。

 せいぜい、携行用の研ぎ棒くらいだ。本当に耳が痛い。

 

 コレットは着席するや否や、鬼気迫る顔で足踏み砥石の踏み板をガンガン踏み、回転するグラインダーに長剣のブレードを押し当てて研いでいく。

 その速度には目を見張るものがあった。普段は手入れを疎かにしがちな俺だが、研ぎの工程を目にしたのは初めてではない。しかし、コレットほど手早く研ぐ人間はお目にかかったことがない。これほどの腕前となると、そうはいないだろう。

 

「すげぇな」

 

 彼女はあっという間に長剣を油布で磨き上げると、輝きを取り戻した剣を丁寧に鞘に戻した。鮮やかな手並みに思わず拍手をしてしまう。

 悠長に剣を研いでいる時間はないのではとも思っていたのだが、五分もかかっていないとなればこれはもう、手放しに正解だったと言わざるを得ない。

 

 照れ笑いを浮かべるコレットの手から受け取った長剣は、心なしか重みを増しているような気がした。

 

『その剣、名前はあるんですか』

「名前? いや、ないけど」

 

 長剣を剣帯に戻しながら答えると、コレットは意外そうな顔をした。

 名剣と呼ばれる類の剣には、往々にして名前がついているものだ。コレットにはこの長剣がそういった剣のうちの一つに見えたのだろう。

 しかし、この長剣には老鍛冶師も銘を打たず、命名をしたと聞かされてもいない。

 

 セントレアに戻ったら聞いてみるのもいいかもしれない。

 そう考えつつコレットに向き直ると、彼女は砦の窓から外を向いて凍り付いていた。

 

「……どうした?」

 

 手で口元を覆うコレットが、震える指で窓を指す。

 

 

 薄い硝子の向こう。

 遠方に広がる稜線の手前。

 月明かりの下に、巨大なシルエットがある。

 

 

 アズルの街を囲う、巨大な転移門の影かと思ったがすぐに思い直す。

 首をもたげた影が僅かにその先端を揺らしたからだ。石で作られた転移門は、決して動いたりはしない。

 

「くそ、早過ぎる」

 

 水に曝したせいで硬くなった革コートを翻し、駆け出さんとする俺の袖を引く手があった。ヘーゼルの瞳を持つ少女が、恐慌から脱しきれぬままに袖を掴んでいた。

 

 フェオドールとコレットには敢えて竜種については伏せていた。この街がロスペールと同様の事態に陥る可能性があるなどとは、当の城塞都市から逃げ延びてきた二人に知らせるには衝撃が強過ぎると判断したためだ。

 その判断は半分正しかった。コレットは曖昧な影を見ただけで恐怖に震えている。

 やはり、ロスペールでの出来事は深刻な心的外傷になっている。

 

 だが、もう半分は誤りだったと認めざるを得ない。

 袖に力を込める少女は、決して恐慌だけを見せたわけではなかったからだ。この一瞬で俺の意図を悟ったコレットは、紙に書くまでもなく明らかなものを語っていた。

 

 気遣うような表情で唇を動かし、無事を祈る言葉を、音もなく紡ぐ。

 その様子には、我を見失うような危うさは見られない。フェオドールの傍にさえいれば問題ないだろう。

 

「大丈夫だ。何とかしてくるよ」

 

 俺は笑顔を作ってしっかり頷くと、

 ぐっと皮手袋を握り締める少女に一声だけをかけて、勢いよく部屋を飛び出した。

 

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