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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
53/321

10.焼肉

「明日、軍に出頭するよ」

 

 唐突にそう切り出したフェオドールに、俺は目を丸くするしかない。

 ここは宿である洋館のレストランに併設された石造りのテラス席だ。卓は一つしかなく、他の宿泊客に話が聞かれる心配はない。

 この高級宿の客層を考えればややどころではなく浮いている俺は、夕食に際してほぼ独立しているこの席を確保してもらっていた。他の宿泊客に配慮したとかでは決してなく、単にマナーやらドレスコードやらを気にする事なく食事がしたかったためだ。

 この点に関しては同様だろうフェオドールだけを誘った。皇女姉妹とコレットは中で優雅に食事をしていることだろう。

 

 テラス席からは街明かりが並ぶ広大なアズルの夜景が一望できる。

 さすがは高級宿といったところで、もし男二人で顔を突き合わせてなんぞいなければ、それなりに雰囲気も出ただろうに。

 

 テーブルの向こうで俺を見る少年の心情は、何となくだが察することができる。

 口では安全地帯に逃げる為だとは言ってはいたが、彼がロスペールからこの地方まで逃げてきたのはコレットの為に他ならない。結局、彼女に付き添い続けたフェオドールの行動を見れば自明だ。

 そのコレットが快方に向かいつつある今となっては、脱走兵であるフェオドールの存在は重荷にしかならない。少なくとも、彼自身はそう考えているに違いない。

 脱走は重罪だ。極刑を食らう可能性が高い。

 

「あんたにもちゃんと礼を言わないとな……ありがとう。世話になった」

「俺は何もしてないよ。治したのはアリエッタだろ」

「でも、あんたがいなきゃアリエッタさんにだって会えなかっただろうし、コレットも治してもらえなかったかもしれねえ。本当に感謝してるんだ」

「おいおい……急に殊勝になるなよ。気持ち悪い」

 

 わざと茶化すように言ってみるが、フェオドールは力なく笑うのみだ。

 

「何もできなかったのは俺の方だ。コレットの親父さんにも合わせる顔がない」

「お前がいなきゃ彼女はロスペールで死んでただろう。そう自分を卑下するもんじゃない。お前はよくやったよ」

 

 言い切り、食後の茶を一口飲む。

 ミラベルに二度ほどご馳走になった紅茶よりも心なしか味が落ちるような気がする。紅茶の良し悪しなど分からなかった俺だが、知らずのうちに舌が鍛えられつつあるのかも知れない。

 フェオドールは自分のティーカップに視線を落としたまま、黙して語らない。

 あまり気は進まないが言うしかあるまい。俺は溜息を吐き、目頭の辺りを指で揉みながら口を開いた。

 

「それで、コレットのことはどうするつもりなんだ」

「どうって……」

「お前、あの子が一人で生きていけるとでも思ってるのか」

 

 ダークブラウンの瞳をいっぱいに見開いた少年は、自らの浅慮に愕然としたような表情で俺の顔を見た。

 見る限りコレットは十代前半――マリーと近い年頃だろう。それでも健康であれば働き口がないこともないだろうが、あの少女は喋ることができなくなってしまっている。どこかに雇ってもらうのは容易でないに違いない。

 

「お前が面倒を見れないなら誰かに預けるしかないが、アテはあるのか」

「……いや」

「そうか。言ってなかったが、俺達の旅にも少なからず危険が伴ってる。だから俺達もコレットを一緒には連れていけない」

 

 断言する俺に、フェオドールは口を引き結ぶ。

 

「だが、もしお前にあの子の面倒を見る気があるなら、お前に働き口を紹介してもいい。ちょっと辺鄙な街になるが、まあ問題ないだろ」

「な……なに? でも俺、軍に追われて……」

「お前は真面目に考え過ぎてるんだよ、フェオドール。皇国軍だって暇じゃない。脱走兵一人を地の果てまで追っかけるなんてことはしない。偽名でも名乗って、ほとぼりが冷めるのを待てばいいだけだ。どうとでもなるんだよ、そんなもん」

 

 自分が口走っている言葉が、何かしら皇国の法に触れるだろうとは重々承知だ。

 善悪で言えば悪だ。惑う少年を唆していると言われれば否定できない。するつもりもない。

 その上で、俺は言葉を重ねた。

 

「軍に戻って処罰を受けるか、コレットと一緒に行くか。あとはお前が決めればいい」

 

 有無を言わせず、最後までコレットの面倒を見るべきだと言うこともできる。だが、それはコレット自身が望むまい、という確信が俺にはある。

 僅かながらも彼女を間近で見ていた俺は、コレットがフェオドールに向けている感情が何なのかをおおよそは理解している。

 これ以上、口を挟むべきじゃない。彼自身が決めなくてはならない。

 

「お、俺は……」

 

 激しい葛藤の様子を見せる少年が何事かを言いかけた、まさにその時、

 

 

 俺の耳は、遠来する無数の風切り音を捉えた。

 

 

 瞬間、数多の事象が同時に訪れた。

 まず俺が蹴り上げた木製テーブルが宙を舞い、次に飛来した数多の矢が、反応できずに呆然としているフェオドールの真横で躍ったテーブルに突き刺さる。

 それだけに留まらず、テラス中に降り注いだ矢の雨が洋館の窓ガラスを割り、外壁に突き刺さり、石詰めの床で弾けて転がった。

 

 ――最低で七人。

 

 矢そのものではなく、鏃が当たる音から射手のおおよその人数を割り出した俺は、二射目が飛来する音を聞きながらも既に腰の長剣を抜き放っている。

 壁に突き立った矢の角度から距離の見当をつける。傾きから察するに射手までの距離は遠いが、打つ手のない距離ではない。

 

「フェオドール! 怪我は!?」

 

 我に返ったフェオドールは、盾になったテーブルと俺とを交互に見比べ、散乱する矢を見止めてから首を振る。

 

「え……だ、大丈夫だ!」

「なら宿の中に戻ってウィリデ達と合流しろ! 弓で狙われてる!」

「あ、あんたはどうするんだ!?」

 

 夜空を切り裂いて殺到する第二波の矢を長剣で斬り散らし、俺は叫ぶ。

 

「迎撃する!」

 

 石床を蹴り、テラス外縁の鉄の手すりに飛び乗って更に跳躍する。

 冷えた空気が頬を撫で、眼下の景色が流れる。洋館の三階相当の高さにあるテラスから飛び出した俺は、隣接する二階建ての建物の屋根に着地するや、足を止めずに走って再び跳んで更に隣の建物に飛び移る。

 第三波は訪れない。夜のアズルの街に散開するように散っていく強い魔素(マナ)の気配は、襲撃者達が統率の取れた騎士の集団である事を物語っている。

 

 逃がすかよ。

 内心で呟き、足に魔力を集中させる。

 

 

 この攻撃と撤退が陽動――例えば、宿にいる皇女二人から俺を引き剥がす作戦である可能性も検討する。が、俺はその可能性を即座に否定した。

 もし仮に相手が皇族の手の者で、この襲撃が皇族同士の継承戦に由来するものだとすれば、第一射でフェオドールが狙われたのが理屈に合わないのだ。

 攻撃手段が弓による狙撃である以上、単なる目撃者を消す意味も薄く、こんな宵の口から街中で堂々と襲ってくる相手が目撃者の多寡を気にするとも思えない。

 

 では、脱走兵であるフェオドールを追って皇国軍が襲ってきたのか。

 現時点ではその線も薄いと言わざるを得ない。単なる脱走兵である少年をいきなり街中で狙撃して処刑する理由など、皇国軍にはないだろう。わざわざ追っ手をかけるメリットすらもないと考えられる。

 

 襲撃者の正体と目的に見当がつかない。

 明らかにするためにも、何としてでも一人は捕らえる必要がある。

 

 

 屋根伝いに夜のアズルを疾駆する俺の遥か前方、散っていく気配の一つが反転して向かってくる空気を感じた。

 人影を視認して屋根瓦を蹴って跳ぶ俺に、人影は呼応するかのように長弓を捨てて剣を抜く。宵闇に紛れて判然としなかった影が街灯の光に照らされ、あまり見ない型式のリングメイルに身を包んだ中年の男の像を結ぶ。

 男は名乗らず、一息の間に降り立った俺に向かって剣を垂直に立てる。

 やはり騎士の類か。

 男の纏う魔力にそう確信するが、構えた剣や魔力の強さから測るに、強い部類の騎士ではない。かつて戦った九天は言わずもがな、水星天騎士団の一団員にも劣る。

 

「おああああ!」

 

 男は鋭い気合の声と共に剣を突き込んで来るが、俺はその剣先を無造作に長剣で弾き返して男の首に後ろ回し蹴りの爪先を叩き込んだ。

 柔らかいものを潰す感触と共に、男の首が正面から横に九十度ほど曲がって鼻から血飛沫を撒き散らす。

 それでもなお剣を振り回すので、剣を持つ手を掴み、背負い投げの要領で乱暴に眼下の街路へ放った。結構な勢いで飛んだ男は錐揉み回転しながら向かいの二階建て家屋の白い漆喰の壁に激突し、それから、もんどりうって街路に叩き付けられた。

 追って、罅割れた漆喰がぱらぱらと男の上に落ちる。が、倒れた男はぴくりともしない。完全に気絶しているようだ。

 

「どうしたもんかな」

 

 残る――最低でも六人の騎士の気配は人気の多い商店区や広場、転移門の方面などにそれぞれ散って行ってしまい、もはや追跡は困難だ。

 追ったところで往来に紛れて見付けられず、何の成果もなく手ぶらで引き上げざるをえなくなるのがオチだろう。労力の無駄だ。

 可能であればもう一人くらいは捕まえておきたかった。

 そう考えて僅かに屋根の上からアズルの夜景を眺める俺だったが、いくら待てども妙案は浮かばなかったので、大人しく腰の鞘に長剣を収めたのだった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 街外れの廃屋。

 縄と天井の梁が擦れてきしきしと音を立てる中を、両手を縛られて吊るされた半裸の男が揺れていた。気を失ったままで、ボロ布で目隠しまでされている。

 そのすぐ下に、無表情で男を見据える銀髪の皇女ミラベルと、無表情で焜炉の中の木炭を弄る金髪の皇女マリーの姿がある。

 

「火加減はどうしますか、姉上」

「そうね……部屋が暖まるくらいかしらね」

 

 マリーはこくりと頷いて口の大きな焜炉に木炭を追加し、藁に似た干草を僅かに混ぜて火をつける。

 俺はといえば、彼女らの傍らで捕らえた男の身につけていた装備品などを調べていた。拾っておいた長弓、使用された矢などもだ。武具の専門家ではないので望み薄だが、何か得られる手がかりがあるかもしれない。

 フェオドールとコレットは、吊るされた男を固唾を呑んで見守っている。

 

 火鉢の木炭が煌々と燃え始めた頃合で、銀髪の皇女は手にした金属製の長杖で男の頬をつついた。

 何かしらの魔法をかけたのだろう。低いうめき声を上げた男は、辺りを見回すように首を動かすが、当然目隠しをされているので何も見えてはいまい。

 

「お目覚めですね? おはようございます」

 

 にこやかに声をかけるミラベル。だが、その翡翠の双眸は欠片も笑ってはいない。

 吊るされた男が身じろぎをし、何かを悟ったように息を呑む。

 

「大変申し訳ありません。首から下は麻痺の呪いを掛けさせて頂きました。暴れられても面倒ですし、あなたも痛いのは嫌ですよね。今からちょっと小突きますが、もし感覚があったら絶対に言ってくださいね。後で大変な事になりますからね」

 

 一方的に捲し立てると、銀髪の皇女は杖で男の足を僅かに押した。

 男は、脂汗の浮いた顔で揺れるのみだ。

 

「はい、大丈夫そうですね。それで、あのう……ないとは思いますけど、もしすぐにお話していただける事があれば、今のうちにお話していただけると穏便に済ませることも可能なのですが、いかがでしょうか」

 

 沈黙が落ちる。

 

「……状況はお分かりだと思うのですが、それでも何もお話していただけませんか?」

 

 段々と、喋るミラベルは声のトーンを落としていく。

 これから起きる事に、ただ想像を巡らせているのだろうか。男は荒い呼吸を繰り返すばかりで、言葉を発しようとはしない。

 だが断言できる。これから起きる事は、口を閉ざしている彼の想像を遥かに絶するだろう。俺は何の変哲もない長弓を眺めながら、ミラベルの致命的な台詞を聞いた。

 

 

 

「では、これからあなたの足を焼きますね」

 

 

 

 目隠しをされた男の顔から色が消える。

 追い打つかのように、火かき棒を持つマリーが乱暴に焜炉へ金網を乗せた。そのけたたましい金属音で、男はびくりと身を震わせる。

 

「あ、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。先程も言いましたが、首から下は感覚を殺していますので痛みはありませんし、足の裏からちょっとずつやりますので。ね?」

 

 いったい何が大丈夫だというのか。

 思わず口を出しそうになりつつも、俺は調べ終えた長弓を放り出してリングメイルを手に取った。鉄製の鎖帷子はずしりと来る重さだが、超人的な膂力同士がぶつかる騎士の近接戦では、防具はそこまで過信できるものでもない。

 

「姉上、火の方はいつでも大丈夫です」

 

 焜炉を男の手前に移動させ、冷たい声音で報告する妹に、銀髪の皇女は大きく頷く。

 それからもう一度だけ男を見上げると、とても優しい声で尋ねた。

 

「さて……右足からがいいですか? それとも、左足からがいいですか?」

 

 世にも恐ろしい質問を繰り返す、綺麗なソプラノの声。

 全て分かっていても寒気がする。俺があの男の立場だったら、もう全部喋ってしまいそうだ。だというのに、吊るされた男は怯えこそ滲ませながらも、決然とした沈黙を崩さなかった。

 強情なことだ。感心半分、呆れ半分といった感の俺は、やはり何の手がかりもないリングメイルを放り出し、男が使っていた片手剣を手に取った。

 

「では、右からいきましょう」

 

 肉の焼けるジュウジュウという音にやや遅れ、野太い悲鳴が響き渡った。

 自由の利かない麻痺した身体を、じわじわ焼かれる。

 音や臭い、熱などが恐怖を助長する。視覚と痛覚が遮られているとはいえ――いや、だからこそ、その恐怖は筆舌に尽くし難いに違いない。

 

 といった、割とどうでもよいことを考えながら片手剣のグリップに巻かれた革をナイフで切断する。全て取り除くと、露わになった握りの芯の部分に紋章の刻印があった。

 見覚えがある形状の紋章に、俺は顎に手を当てて考えを巡らせる。

 たしか、これは――。

 

「なあマリー、この紋章なんだっけ」

「ぬ?」

 

 焜炉の前で、右手にトングを構える小さな相棒が、呼びかけに応えてくりっとした青い瞳をこちらに向けた。

 左手には金属トレイ。トレイの中身はさっき俺が買ってきた牛のステーキ肉だ。

 マリーは剣の紋章を覗き込み、トングを持つ手を顎に当てて考え込む。

 

「むむ、どこかで見た記憶が……ううむ。どこだったか……」

 

 呟きつつ、金網の上のステーキ肉をトングでひっくり返す。

 その瞬間、肉汁がこぼれて一際大きな肉の焼ける音が響き、吊るされた男がまた悲鳴を上げた。立ち上った煙に煽られる男の顔は、もう涙やら何やらでぐちゃぐちゃだ。

 男の足は当然無傷であるし、皇女達は男の前でステーキ肉を焼いているだけなのだが――彼の心が折れない限り、彼がそれを知ることはできない。

 無表情で揺れる男の右足を杖でつついていたミラベルも、刻印を見せると首を傾げた。喉元まで出掛かっている、と言わんばかりの微妙な表情をする。

 

「たしかに見覚えがあるような……あ、右足は十分焼けましたね。次は左足いきましょうか」

「はい」

 

 マリーの手によって二枚目のステーキ肉が金網に投入されると、ミラベルは男の左足をつついた。感覚が遮断されているため分かりにくいとはいえ、左足に何かされているという感触だけは伝わるのだろう。男が絶叫した。

 焼き上がったステーキ肉は取り皿に移され、無言の苦笑いを浮かべるコレットの手によって、げっそりとした顔でテーブルに着席しているフェオドール少年の前に運ばれる。

 俺達は先ほど夕食を済ませたばかりなのだが、小道具とはいえ食べ物を粗末にするわけにもいかない。

 

「早くお話してくれないと、左足までこんがり焼けてしまいますよ。その次は腕を焼かないといけなくなるのですが……さすがに腕は困っちゃいますよね?」

 

 こんな台詞と悲鳴、肉の焼ける音をBGMに肉が食えれば大したものだ。

 いや、フェオドールは育ち盛りっぽいから大丈夫だろう。きっと。

 

 

 結局、吊るされた男が自分の名を吐くまでにステーキが三枚焼けた。

 そのうちの二枚までは食べ切ったフェオドールは、

 「しばらく肉は食べたくない」などという遺言を残し、部屋の片隅で倒れて死んだ。


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