5.ツインテール①
ここは皇都から馬車で何日もかかる辺境の街、セントレアの南門番詰め所。
俺は皇女殿下の髪をツインテールにした。
「タカナシ殿」
「ああ、はい。何でしょうか皇女殿下」
「なんだ、この、この髪型……いったい、何なのだ。随分、前衛的というか奇抜というか……」
俺は少しだけ考えてから、透き通るようなプラチナブロンドに白リボンを結ぶ手を止めずに言った。
「TwinTail」
「え、今すごい流暢な発音で何か言わなかったか?」
「気のせいでしょう」
雨合羽を着て鏡の前に着席している、精巧なビスクドールを思わせる美貌の少女は、しかし、顔がひきつっている。
俺の手にはハサミ。
自慢じゃないが、俺は器用な方じゃない。だから皇女殿下に髪を切ってくれと頼まれた時は、ちょっとだけ途方に暮れた。
マリーが門番になってから、もう二ヶ月が過ぎている。
皇都とは違って専属の美容師など居ない生活をしていくうちに、彼女の髪の毛は伸びに伸びて腰に達した。いや、元々彼女の髪はかなり長かったので伸びが速いというわけでもないか。
ぱっつん前髪が目を覆い隠した辺りで、マリーはようやく自身の惨状に気付いたのだが、間の悪いことにセントレアで唯一の美容師の一家は旅行で店を休んでしまっていた。
元侍女のカタリナは殿下の御髪に手を触れただけで鼻から血を吹いて死んでしまうので使い物にならず。
この田舎街で、皇女殿下の髪を切るだなんて畏れ多い真似が出来るのは、結局、俺だけだった。
――この際、全部ばっさりいってしまって構わぬぞ! 長い髪などお役目には不要であるからな!
という、マリーの希望はともかく。
自分以外の人間の髪を切ったことなんてない俺に出来たのは、彼女のぱっつん前髪を眉にかかる程度まで後退させるくらいで。
ついでにツインテールにしてしまったのは、特に意味があってのことではない。断じて、ない。
「金髪ツインテールという属せ……いえ、髪型は、俺の故郷ではとてもオーソドックスで人気があるんです」
「ほう、そうなのか?」
「ええ。大人気です。殿下もよくお似合いですよ」
「……そうなのか」
嘘はついていない。俺は殿下に嘘をついたことなどない。めんどくさがって部分的に伏せたりするだけだ。
赤くなって小さくなる皇女殿下を見るに、ウッドランド人の美的感覚で言えば恥ずかしい髪形なのかもしれないが、忠義の人である俺からすれば些細な問題に過ぎない。俺はウッドランド人でもない。
俺は自分の思考がナチュラルに狂っているのを自覚しながら、殿下に巻いていた雨合羽を取り去った。
豪胆なんだか繊細なんだか分からない皇女殿下は早速もう髪型に慣れてしまったようで、セントレアの商店街を大股で歩いていくその姿は、羞恥心など微塵も感じさせない。
皇族って凄いな。などと的外れな感心をしてしまいながらも、俺は皇女殿下の隣をのそのそと付いていく。
「今日はいつもより人が多いな」
「休息日ですからね」
商店街といっても行商やら野菜売りやらが僅かに軒を連ねる程度の規模だが、休息日であるせいか人出だけは多い。
普段は農作業に精を出しているセントレア中の住人達が、ここの店でしか買えない必要物資を求めてやって来ているのだろう。
この田舎町は決して栄えているわけではないが、広さだけで言えばかなりのものだ。ぐるっと古代の城壁に囲まれた部分を全て街にカウントすると、恐らくは皇都の七割くらいはある。人口密度が全然違うのでなんの比較にもならないが、セントレアが見た目より人が多いのは確かだ。
「殿下、ようこそいらっしゃいました。ご壮健で何よりです」
「ありがとう。そちらも繁盛しているようで何よりだ」
果実商のおばちゃんと談笑する皇女殿下。
「おいてめえ! 東洋人! 殿下に怪我でもさせたら承知しねえからな! タマネギ買って行け!」
「うるせえ! させるか! 買わんわ!」
野菜売りのおっさんに罵倒される俺。
扱いが全然違うのは当然なのでどうでもいい。セントレアの住人達にとって、マリーは特別な存在だ。
それは、彼女が皇女だからという理由では全くない。
マリアージュ・マリア・スルーブレイスは第十八皇女である。
皇子の人数が二十人を超えるこのウッドランドで、彼女の名前を知っている国民は多くはないだろう。
勿論、学校などでは習うのだろうが、俺が日本の歴代総理大臣の名前を暗記していないのと同じように、マリーの名前を知っていた者は田舎町セントレアには殆ど居なかった。
そんなマイナー皇女様がいきなり門番になると言ってやってきたのだから、住人達は大いに困惑した。
何せ、セントレアはあまりにも平和過ぎた。経費削減と合理化の波に揉まれ、遂には街の寄り合い所レベルにまで形骸化していたセントレア番兵団になど、誰も関心を持っていなかったのだ。
門番? ああ、そういやそんなのも居たね。という程度の認識だ。
そんな閑職に皇女様がやってくる道理がない。
訝しく思う者、道楽だと白い目を向ける者、根も葉もない噂を流す者。そんな連中が少なからず現れたのも無理からぬことだ。
そんな折に火事が起きた。
火元は子供の使った魔法だ。
通常、子供の魔力程度では火事になるほどの火は起こせない。だが、その子には何の不幸か、それなり以上の非凡な才能が備わっていたらしい。まったくの無意識のうちに、高位の魔法を発動させてしまえるほどに。
身の丈に合わない魔法を暴発させたその幼い少女は、全身に火傷を負い、燃える家に取り残された。
住人達は諦めた。
彼らの諦めが特別良かったわけではなく、火の回りがあまりにも速過ぎたせいだ。誰もが子供は死んだと思っていた。
絶望する子供の両親の前で、番兵団の誰よりも速く駆けつけたマリアージュ・マリア・スルーブレイスは言ったらしい。
声が聞こえる、と。
彼女は本気でそう信じていたのだろう。或いは、彼女には本当に聞こえていたのかもしれない。
でもなければ水を被って火事場に突っ込むなんて無茶はしないだろう。
だが、やった。彼女はやった。マリーはそういう少女なのだ。
ぶっ倒れたマリーと子供を抱えて逃げ出した時、俺もこの皇女様の本質を知った。
その日を境に、マリーは敬意と好意をもって住民達に受け入れられた。
助け出した子供に、またぶっ倒れるまで治癒魔法をかけ続けている姿もよほど衝撃的だったのだろうか。
今ではもう、マリーを悪く言う住民は誰も居ない。
商店街の一番隅に真新しい看板の店がある。
ルース・ベーカリー。皇女殿下の元侍女であるカタリナ・ルースが開業したパン屋だ。
その軒先でしょぼくれた顔をして箒を動かしている巨漢の姿がある。
「よお、ヴォルフ」
タコみたいな頭をしたその大男は、俺の姿を見るなり更に深い絶望を味わったような顔をした。
「と、東洋人!」
「すっかり馴染んでるようで俺は嬉しいよ」
俺は筋骨隆々の男が纏っているフリフリのエプロンを見やりながら笑った。サイズが合っていないので、とても筆舌に尽くし難い悲劇に成り果てているが、それも愛嬌ということにして置いておく。
ヴォルフは反抗的、というより敵意丸出しの目で俺を睨みつける。が、すぐに鬼の形相を押し殺すように笑顔を浮かべ、何も言わずに掃き掃除に戻っていった。
眼が死んでいた。
「……なんなのだ、あの大男は」
彼の奇態を目の当たりにした皇女殿下が引きつった顔で呟いた。
「お腹でも痛いんでしょう」
俺は適当に言いながらパン屋の扉を開く。
すると、パンの焼ける香ばしい匂いと共に、やけに愛らしい少女の声が――
「いらっしゃいませ! ルース・ベーカリーへようこそニャ――」
――途中で止まった。
一時停止ボタンを押したように止まった。
長い黒髪の上から猫耳のヘッドバンドを被った少女が、ニャンニャン的な仕草、もとい、ポーズの最中で硬直している。
赤黒のゴシックロリータ調フリフリエプロンドレス姿。
あざとい笑顔で硬直したままの顔は見る見るうちに紅潮し、見開かれた赤い瞳にはじわりじわりと涙が溜まっていく。
「こいつぁひどい」
俺は思わず呟いた。どうしてこんなことになっているのだろう。
彼女の名前はサリッサ。思ったよりずいぶん落ちぶれてしまったようだが、こう見えてもつい最近まで騎士だった。
「にゃ、ニャ?」
ツインテール皇女殿下も面食らって呆けている。無理もない。
「いらっしゃいませ」
サリッサのメンタルにどのような変化があったかは分からないが、とにかく彼女は思い出したかのように立ち直った。
ただ、顔は赤いままで、笑顔もちょっとヒクついている。彼女の精神は危うい均衡を保っているのかもしれない。
何もなかったことにしてやろう。
「よお、久しぶりだなサリッサ。元気にしてたか」
「は? なに爽やか気取ってんの。この変態」
サリッサはやや上ずった声で吐き捨てるように言う。どうやら俺のささやかな心遣いは届かなかったようだ。
「いきなり何だよ。お前に変態扱いされる謂れはないぞ」
「何言ってんの? あんたに引き摺り回されたせいで、あたしのドレスは台無しよ!」
言われてみればそんなこともあったようななかったような。
最終的に彼女のドレスは、衣服というよりは襤褸布になったというか、まあ、そんな気がしないでもない。
「いや、でも俺がひん剥いたわけじゃないだろ。自動的にそうなっただけだ」
「ひん剥くとか言うな! この変態! ド変態!」
ガツンガツンと、パンを乗せるトレーで頭を殴打される。
今のサリッサ嬢には見た目通り、年頃の少女程度の力しかないのであまり痛くない。
「こほん。タカナシ殿、この娘は知り合いなのか」
ツインテール皇女殿下は何故だかご機嫌が斜めな様子で、俺のコートの袖をぐいぐいと引きながら口を尖らせている。
さて、何と説明したものか。少しだけ考えてから、やはり余計なことは言わないことにした。
「こいつはサリッサ。ルース・ベーカリーの新しい従業員です」
「なに? カタリナはまた人を雇ったのか。この短期間にもう五人だぞ。いささか過剰ではないか?」
マリーは呆れ半分、といった感で眉をひそめる。
「あのねえ、ちびっ子。あたしだって好きでこんなことやってんじゃないのよ」
「ちっ……ちびっ子だと!?」
「そうよ、ちびっ子。可愛い髪形してるじゃない、ちびっ子」
あ、やっぱり可愛いのか。
青い顔でプルプルしている皇女殿下には申し訳ないが、俺はウッドランド人の美的感覚が現代日本人とあまり乖離していない事実にただ安堵した。
「んで、何しに来たの? パン? パンを買いに来たのね? さっさと買っていけば?」
「まだ何も言ってないだろうが……カタリナはどうした」
「店長なら小麦の買い付けに出てるわよ。確か隣町まで行くって言ってたわ」
「何だって?」
なんだってわざわざ隣町まで行く必要があるんだ。頭のいい奴のやる事は時々分からない。
「なによ。店長に何か用事でもあったの?」
「用事というか、まぁ、ちょっとな。それじゃあ、バゲットを包んでくれないか」
「やっぱり買うんじゃない。最初からそう言いなさいよ」
腕組みをしながら言うサリッサ。店員にしてはどうにもこうにも偉そうでよくない。教育を見直した方がいいのではないだろうか。
「揚げパン揚げたてでございまーす。ご一緒にいかがでしょうかー……げぇっ東洋人!」
トレーいっぱいに揚げパンを載せて奥の工房から出てきたのは、いつぞやの毒刀使いの男だ。どうやら元気そうだ。
間抜けに硬直した男の様子を横目で見やりながら、サリッサは深い溜息をついた。
「はぁ……揃いも揃って、九天の騎士も落ちたもんよね……ほんと」
「落ちるような名誉があるのか?」
「あるわよ!?」
「そう言われてもあまりピンと来ないな……」
暗殺稼業に手を染めた騎士に名誉。名誉とはなんだろうか。
名誉の有無はともかく、今の彼女達はただのパン屋の店員である。
当初、九天の騎士達は敗死を覚悟していたようだったが、俺からしてみれば何をそんなに思いつめているのか不思議だった。
俺はあくまで門番であって、敵国の騎士などではない。彼らの命を奪う理由がないのである。
あくまで街の門番として規則違反を指摘したのに、なぜか連中が無視したからやむを得ず戦っただけで、それ以上でもそれ以下でもない。
毒刀使いの男は住人の許可なく家屋の屋根に上っていた。住居不法侵入である。
ヴォルフガングは真夜中の往来で大声を出して暴れた。騒音規制の取り決めに抵触する。
サリッサは鞘のない大鎌を抜き身で街に持ち込もうとしていた。これは、危険物持込の禁止に違反している。
彼らより前にも、街灯を壊したり門を壊したりする奴が二人ほど来ていた。これは言うまでもなく器物破損だ。
どれもこれも街の規則や法に引っかかっている。しかも番兵である俺の警告を無視している。
犯罪だ。犯罪だが、死に値するほどじゃない。
こういう場合は禁固とかの罰が科せられる決まりになっているのだが、困ったことに四箇所あるセントレア番兵団の詰め所は予算削減によって例外なくボロい民家が割り当てられてしまっているので、この町には牢屋という設備がない。
この平和なセントレアでは無用の長物なのでそんなもんだろう。
かといって無罪放免にも出来ないので、仕方なく、本当に仕方なく、俺は彼らに特殊な術式を施した。
その術は虜囚術式という。
元々は奴隷や戦争捕虜などの脱走防止用に使われていた、古い魔術だ。
この術式は魔法というより呪いのイメージに近く、これを身体に受けた人間は肉体と霊体にある種の縛りを受ける。
まず、定められた範囲……今回の場合はセントレアから出ることができない。
加えて、魔法だけでなく肉体の強化も含め、魔素を恣意的に扱う行動の一切が出来なくなる。
これらの制約を破ると、術式に霊体が八つ裂きにされて死ぬ。えげつない術式だ。
この術式によって一般市民と同等にまで力を失った騎士達の処遇は、面倒なので事情を伏せた上でカタリナに一任した。
彼らはセントレアの近くで行き倒れていた山賊、ということになっている。
とはいえ術式の縛りは完全ではない。
その気になれば真実を語り、外部に助けを求めることも出来なくはない。
ただ、敗死も止む無しとまで覚悟を決めていた彼らが、そんな安易で屈辱的な手段を取りはしないだろうとも見越してはいた。
こうして彼らは街のパン屋になった。
そしてサリッサを最後に、今のところは次なる九天の騎士がやってくることもなく、夜のセントレアは平和を取り戻している。
「ふん、図に乗っていられるのも今のうちよ東洋人。これからあんたはウッドランド最高戦力の一角である九天の騎士の本当の恐ろしさを知ることになるわ……!」
「あー、いいから早くパンくれよ」
「ちびっ子……ちびっ子……」
ツインテール皇女殿下はまだプルプルしていた。