2.逆説の先触れ②
収穫祭に沸くセントレアを、皇女殿下が仏頂面でずんずんと歩いている。
俺は首を回しながらその後をついて歩く。昼前だというのに眠気が抜けない。
長年続けた生活リズムは、なかなか元には戻らないものである。
「せっかくの祭りだというのに、ゆっくり楽しむ暇もないとは。遊んでいられる状況ではないのは分かっているつもりだが、休息というものも必要であろう。大体、タカナシ殿が皇都に行くのであれば、相棒であるわたしも行くのが筋だろう」
皇都行きの話以来、何やら憤慨しているマリーが言った。
俺もマリーも失職しているので、相棒という表現が妥当なのかは疑わしいのだが。
一応、相棒云々とは関係なくマリーを連れて行く案も検討はした。近くに居てくれなければ守るものも守れない。
しかし、この街が安全なのも確かだ。全員が味方とは言い切れないとはいえ九天の騎士の実力は折り紙付きだし、カタリナもいる。皇族という敵がうようよ居る皇都に連れて行くよりは、この辺鄙な田舎町の方が遥かにいい。
「君はここにいた方がいい」
「むう。タカナシ殿までそのようなことを」
「俺もミラベルも意地悪で言ってるわけじゃない。変装するだけで皇族や皇帝の目を完全に誤魔化せるとは考え難い。戦いになる可能性も十分ある」
「であれば、なおのこと! 先の戦いにおいても、わたしは役に立てたはずだ!」
マリーは不意にカッと目を見開き、拳を握って天へ向けて高く突き出す。
皇女殿下の勝利のポーズだ。
「確かに」
「そうであろう。これから先もわたしの力が必要になるに違いない」
気を良くしたのか、無い胸を張るマリー。
彼女の習得している皇統魔法――貪食の足枷、女神の宮殿、そして、衰滅の角笛。
これらの効果は、通常の魔法のそれとは一線を画する。
敵から魔力を吸い上げて味方に分配し、余剰分を攻撃に使用する。理屈はシンプルだが、規模が狂っている。大魔法を連発できるほどの魔力量を持つウッドランドの皇族ならではの力技である。
特に、魔力を分ける女神の宮殿の効果は、魔力量が少ない俺には非常に助かるものだ。彼女の言う通り、この魔法がなければあの恐るべき外典福音――アルビレオに勝利するのは困難を極めただろう。
しかし。
「それとこれとは話が別だ。まずは最低限、身を守る術を身に付けて貰わないと」
「む……わたしとて自分の身くらい守れるぞ」
「まともに敵と打ち合った事もないのに?」
「うぐっ……い、いや、防御魔法なら」
「基本的に防御魔法は魔法の撃ち合いに使うものだ。魔素を通した武具には簡単に割られてしまう。だから魔術師が戦士を相手にする場合は、発動の速い魔法で先手を取るのが定石だな」
「そ、そうなのか」
「逆に戦士が魔術師を相手にする場合は、いかに相手の魔法を防いで近寄るかが重要になる。相手の目の動きや魔素の流れから射線を呼んで、武器で弾いたり避けたりするわけだな。このあたりの技術は一朝一夕で身につくものじゃない」
「……むう」
神妙な顔で顎に手を当てて考え込むマリー。
この子は一度決めると頑なだが、思考を放棄する事はない。俺と違って、ちゃんと相手の話を聞いて、自分なりの再検討を行う柔軟さも持っている。見習うべき点だ。
「では、タカナシ殿に稽古をつけてもらえばよいのだな」
「俺は人に教えるのに向いてるとは言い難い。そもそも君には魔法の素質もあるから、俺じゃ教えられない事の方が多くなる。魔法戦士型の騎士が多い九天の連中に教えてもらった方がいい」
言葉を連ねた俺に、マリーはぷくーっと膨れ顔になってそっぽを向く。
事実、俺の戦い方は剣のみであり、その殆どは権能、剣技で引き出す技に依存している。真っ当な人類種であるマリーをいくら鍛えたとしても、同じ戦い方は出来ないし、する必要もない。
魔法が使えるならそれに越したことはないのだから。
商店街にさしかかったところで、巨大な平鍋でパエリアに似た米料理を作っている場面に出くわした。結構な人だかりが出来ていた。
これも収穫祭の催しのひとつだ。焚き火の上に置かれた平鍋に料理人が具材をばら撒いている。こちらの世界のそれは、日本でよく見たパエリアのような魚介類を使うものではなく、鶏肉や腸詰、野菜などがよく使われている。
もしかすると漁業の盛んな地方では具材が異なるのかもしれないが、残念ながらお目にかかったことはない。
「おお、なんと豪快な!」
マリーが米料理を眺めて感嘆の声を上げた。平鍋の周囲に設けられた柵まで寄って、食い入るように見つめている。
先ほど朝食を済ませたばかりだというのに、目が輝いていた。
何の気なしにマリーを眺めていた俺は、ふとマリーの隣で同じように鍋を見つめている見知らぬ少女に目が留まった。
歳と背丈はマリーと同じくらいだろうか。艶のある長い黒髪に赤いニット様のワンピース。黒いレギンス状のパンツを履いている。青いチュニックを着ている金髪の皇女殿下とは正反対の色彩だ。
ウッドランドで黒髪の人間は珍しい。少なくとも、この街には俺とサリッサ以外にはいない。その上、少女の服装はどこか現代的なセンスを感じさせるものだ。否応なく目が吸い寄せられてしまう。
気にかかり、マリーの隣まで歩み寄って平鍋を凝視する少女を観察していると、溜息をつきながら肩をすくめた少女が踵を返した。
目が合う。
赤い瞳。はっきりとした、勝気な眼差し。
その顔には見覚えがある。サリッサによく似ているのだ。
年齢だけが異なっているのかような、そんな印象を受ける。
親近感のようなものを覚えてしまう何かを持っているようにも思えた。
「……っ!」
女の子は俺を見るなり、驚いたような表情を浮かべて走り去ってしまう。
無理もない。これでは完全に不審者だ。
我に返った俺は、頭を掻きながらその背中を見送った。
「どうしたのだ?」
「いや……なんでもない」
今のセントレアには遠方からの観光客が集まっている。孤児だというサリッサの親類が混じっている可能性も、ゼロではないのかもしれない。奇跡のような確率だろうが、そうとしか思えないほど、先ほどの子供はサリッサに似過ぎていた。
サリッサに伝えるべきだろうか。彼女は自身のルーツを探している節がある。もし本当にあの女の子がサリッサの縁者ならば、伝えるべきなのかもしれない。
だが、ぬか喜びをさせてしまう可能性も高い。似ているからといって、証明する手段がなければ憶測に過ぎないし、そもそも、あの女の子がどこに滞在しているかも分からないのだ。
どうすべきか。
考えながら、ゆっくりと木べらで鍋を掻き混ぜる料理人をぼんやり眺めた。
■
「留守にするだと? なら、坊やが居ない間はあたしがあの遺跡を保全してやろう。何も心配するな。何ならもう帰ってこなくてもいいぞ」
「いや、一週間くらいだからな!? 帰ってくるからな!?」
小汚い白衣のポケットに手を突っ込んだまま、ドネットは開口一番に酷い事を言ってのけた。相変わらず街に雇われて医者を続けている彼女だが、収穫祭の期間に入ってからは本業である発掘作業をそっちのけで働いている。
カルテから目を離さず、女医はどうでもよさそうな声で言う。
「仕事もなくなったんだろう。いっそ皇都に永住したらどうだ。坊やほどの腕なら軍に仕官なり騎士団に入団するなり、いくらでも働き口はあるだろうさ」
「勘弁してくれ。俺は騎士になる気はないよ」
長期的に往還門から離れるつもりはない。
だが、確かに生活資金は必要だ。
ミラベルの要請を受けたのはその為でもある。今回は彼女から報酬が貰えるのだ。
なんと金貨三十枚である。これだけあれば南門が復旧するまでは凌げるだろう。
「それで釘を刺しに来たわけか。あの遺跡……往還門、だったか。安心しな。触りやしないよ。あの遺跡は魅力的だけど、坊やを敵に回すのは得策じゃないからね」
「……そうしてくれると助かる」
俺としてもドネットと争うのはご免である。
借りもある。個人的にも好感が持てる人物だ。
未だ底の見えない部分は確かにあるが、少なくとも悪人ではない。
「ただ、ひとつだけ聞かせてくれないか」
改まってそう切り出したドネットは、机の引き出しから珍しい紙巻の煙草を取り出した。弱火の魔法で火を点け、紫煙をくゆらせながら彼女は問うた。
「門、と呼ぶくらいだからあの遺跡はどこかに繋がってるんだろう。その先にあたしの探し物はあると思うか?」
「あんたの探し物……竜種の痕跡か」
「そうだ」
かつてないほど重い響きを伴った、肯定。
ある、と言えばどうなるのか。何となく想像はつく。
だが、往還門の向こうに彼女の望む物は存在しない。
「ないよ。あそこには、何も」
「そうかい」
さっぱりとした、どこか苦さを滲ませる相槌を打ち、女医は羽ペンを動かす。
彼女には彼女なりの事情があるのだろう。
話を終えて診察室を出る。
傍らの壁にもたれていたマリーが顔を上げた。
「遺跡とは、あの地下室のことか」
「ああ」
どちらともなく歩き出す。診療所の床に靴音だけが響く。
「君も地下室には立ち入らないようにしてくれ」
「カタリナにもそう言われたのだが、一体どういうことなのだ? あの部屋には何かあるのか?」
マリーの事だから無理に確かめようとはしないだろう。
そう思いながらも、俺は言った。
「危ないんだ。本当に」
彼女にもきちんと往還門の事を説明しておくべきなのだろうが、俺はその機会をずるずると引き延ばしていた。話せば今までのような関係ではなくなるかもしれないという、手前勝手な恐れからだ。
だが、潮時だろう。
一週間程度とはいえ、往還門から目を離してしまうのだ。すぐ上で暮らすマリーに何も知らせないというのは逆に危険性が高い。
明日はもう皇都に向けて発つ。
「……今夜、少し時間を貰っていいか」
「ああ」
俺がぎこちなく掛けた言葉に、マリーは頷いた。
唐突な申し出に戸惑っているのか、それとも何事かを思案しているのか。
どちらにせよ、マリーは詰め所に帰るまで終始無言だった。




