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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
二章 時の渦
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1.逆説の先触れ①

 まどろみから覚めると、目の前に顔があった。

 ぼんやりと像を結ぶ整った寝顔に、俺は数回ほど目を瞬かせてから熟考する。

 

 ここは辺境の街、セントレアの南門番詰め所。その屋根裏部屋だ。

 門番の仕事をクビになった――もとい、役職から解放されて普通に夜に寝るようになった俺だったが、目下の問題は詰め所の寝室とベッドはひとつだけという点にあった。

 同居する相棒のマリアージュ・マリア・スルーブレイス殿下は、少女である。少年であれば話は簡単だったのだが、厳然として少女なのである。

 まさか同衾するわけにはいかない。かといって、この簡素な詰め所の冷たい床板で寝るのも色々としんどい。

 

 なので、俺こと高梨明人は、屋根裏部屋に放り込んであった古いマットレスの上で寝ることにした。このマットレスは現世――こちらの世界で言うところの、異界(クリフォト)から持ち込んだものであり、この世界の水準を超えた技術で作られている。腐っても鯛ではないが、ボロくてもそこそこの寝心地だ。

 だからまあ、ついうっかり隣で皇女が寝ていても不思議ではないのだろう。それはいい。何もよくないが、いい。問題はそこじゃない。

 

「……なんで姉の方がここにいるんだ」

 

 同じ毛布に包まって寝ている少女は小さな相棒ではなく、姉のミラベル・ウィリデ・スルーブレイスだった。当然、皇女である。無論、皇女である。

 美辞麗句を並べる気はさらさらない。シンプルに魅力的な容姿の少女が目の前で寝てしまっているのであれば、さすがに平静とはいかない。女性との付き合いの経験が全くない俺としては、不整脈を起こして死んでしまう可能性まである。

 なにせ、マリーと違って子供扱いできない年齢だ。顔立ちにまだ幼さは残るにしても、様々な点で事情が異なる。密着などしようものなら、恐らく悶死する。

 

 倍速で回転する思考が最適な選択肢を導き出す。

 起こすか。逃げるか。

 起こしたところで何かしろの素直なアプローチを食らったら、俺の精神は粉々に破壊されて地獄(ヘル)へと落ちるに違いない。迅速かつ起こさないように逃げるしかない。

 蛇の脱皮の如き動きでするりと毛布を抜け出した俺は、思わず皇女の寝姿を直視してしまった。喉奥から掠れた息が漏れ、顔面の筋肉が収縮する。目にしただけで死に至る予感があった。

 咄嗟に顔を背ける寸前、微妙に口元を緩めて薄らと目を開けたミラベルの顔が見えた。

 

「……起きてるのかよ」

「ええ、ばっちり」

 

 腹立たしいので、くつくつ笑う子供の頭に枕を乗せた。

 銀髪の少女はなおも枕の下で肩を震わせていたが、一通り笑い終えて上体を起こすと、乱れた髪を手櫛で梳いた。

 

「はぁー、タカナシ様は意外と初心ですね」

「様付けはやめてくれ。あと、女の武器を振りかざすのもやめてくれ。死ぬから」

 

 この子はどうもグイグイ来るので対応に困る。

 階下ではマリーが寝ているのでさすがに本気だとは思わないが、心臓に悪いには違いない。そうこう考えている間も、枕を抱っこして上目遣いなんぞをしている。破壊力が高い。打算的だ。

 敢えて仕草には触れず、俺は努めて真面目な声色を整えた。

 

「で、君はなぜ俺の隣で寝てる」

「いやあ、覗いてみたらよくお眠りのようだったので、つい」

「つい、じゃなくてだな……仮にも一国の皇女が軽率な真似をするのはよくない。悪戯で済む場合と済まない場合ってのがある」

「……悪戯では済まないのですか?」

 

 可愛らしく小首を傾げて言う皇女を無視し、立ち上がる。

 埃っぽい屋根裏部屋にはマットレスと不用品を詰めた木箱くらいしかない。俺は木箱の上に投げていた臙脂色の革コートを着ると、つまらなさそうに口を尖らせているミラベルを見た。

 

「冗談はさておき、君が用事もないのに詰め所に来るとは思えない。良い用件だと嬉しいんだが」

「良い話も悪い話もあります」

「ああ……じゃあ、悪い話から頼む」

「昨夜、継承戦による皇族の死者が八名になりました」

 

 表情を変えず、淡々と少女は言った。

 この子は相変わらず本心を隠したがる。

 

「残る皇族達には秘密裏に接触していますが、物証がないのが痛手ですね。真剣には取り合って貰えません。やはり、話だけでは継承戦を止めるのは不可能のようです」

「なるほど。九天の連中と似たり寄ったりの反応ってわけだ」

 

 表向きは皇位継承権を争って行われている皇族同士の殺し合い《継承戦》。

 しかし実態は、継承者を決めるのではなく次の皇帝の親を決める戦いなのだという。千年近く前から転生を繰り返している初代皇帝が、勝者の子として生まれてくるらしい。

 大半の皇族はそうと知らず、毎晩元気に殺し合いを続けている。

 

 転生を繰り返す事で事実上の不死を実現しているらしい皇帝を倒すには、二つほど解決しなくてはならない課題がある。

 まず、皇帝が持つ神の力――時間を操るという《時の福音》、そして死んでも転生するという特性に対してどう立ち向かうか。これは俺が模索中だ。

 次に、仮に皇帝を何とかできたとして、その後に起きるだろう政治的な混乱をどうやって最小限に収めるか。こちらはミラベルが担当している。

 ミラベルが皇族達に接触し、説得に動いているのもその一環だ。もし皇族達への説得が成功し殺し合いを押し止めることができれば、皇帝の転生計画は頓挫する上に、真実を知った皇族達を味方にもできる。打倒後の混乱も収拾しやすい。

 という目論見だったのだが、現実はそう簡単にはいかないようだ。

 突飛が過ぎる話である。無理もない。

 

「物証か。しかし、皇帝は中身だけ引き継いで体が生まれ変わるわけだろ? そんなもん、本人が自白でもしない限りは証拠なんてなくないか」

「仰るとおりです。私は国教会でこの国の歴史と伝承を調べていたので以前から疑念を抱いてはいたのですが、その私でも本人の会話を盗み聞いてようやく確信に至ったというところですから」

「それが証明できれば……話が早いんだろうけどなあ」

「ええ、無理です。私一人でしたから。ですが、ひとつだけ手がかりが」

「手がかり?」

「その時、皇帝と会話していた相手です。その者の素性が割れています」

「なら、そいつを何とかして吐かせればいくらかの証拠にはなるか。どこの誰だ」

 

 問う俺に、ミラベルは不意に表情を崩して悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 嫌な予感がする。

 

「と、ここで良い話に繋がってくるわけですが、お聞きになりますか?」

「聞かないわけにもいかないだろ」

 

 壁に立て掛けておいた長剣を腰の剣帯に差しながら、先を促す。

 満面の笑みで掌を合わせ、銀髪の少女は言った。

 

「タカナシ様、私と一緒に皇都へ行きましょう」

「……は?」

 

 

 

 ■

 

 

 

「魔導院って何?」

 

 なぜか目を糸のように細めたサリッサが紅茶のカップを片手に訊いた。

 テーブルを挟んで向かいに座るカタリナが、やはり似たような表情で溜息混じりに口を開く。

 

「サリッサ、皇国の騎士ともあろう者が魔導院を知らないのは問題ですよ」

「えっ、そうなの?」

「……魔導院とは、皇都にある魔術研究機関のことだ。ウッドランドで普及している魔法は、生活レベルのものから戦闘に用いる破壊魔法まで、大半が魔導院で創られたものだという。どこまで真実かは分からんがな」

 

 驚くサリッサに、傍らに立って腕組みをしていたジャンが渋い顔で解説する。

 面倒見のいいオッサンだ。

 

「ええと……つまり、その魔導院とかいうところで皇帝と話していたって奴をとっ捕まえてゲロさせればいいわけね。そんなの誰でもできるじゃない。なんでタカナシとミラベルが行く必要があるわけ?」

「年頃の女の子がゲロとか言うなよ」

 

 俺は遅めの朝食としてジャムを塗りたくった黒パンを齧りながら、サリッサに突っ込みを入れた。女の子、の部分でサリッサが微妙に表情を変えるが、気にしないでおく。

 どうも俺の周囲には色々と無頓着な少女が集まっている気がする。きちんと注意をしていかなければ。

 

「タカナシ殿と姉上の二人だけで皇都に向かうというのは……さすがに危険ではないかと……姉上とて狙われていることには違いないのだし……」

 

 珍しく歯切れの悪い調子で、マリーが呟いた。

 また何かの戯れなのか、ぴったりと俺にくっついて紅茶を嗜むミラベルが応じる。

 

「マリアージュ、他に人が居ないのだから仕方がないでしょう。九天の騎士は皇都では顔が知れ渡っているし、ルースさんはこの街でお仕事がある。あなたの護衛も必要だし、無闇に人は割けないわ」

「水星天騎士団を動かせばよいのでは?」

「騎士団を動かすのは目立ち過ぎるでしょう。それに、彼らには別命を与えてあります。今動かせる人員はありません」

「……百人以上もいるではないですか」

 

 ぴしゃりと言う姉に、妹がもごもごと抗議する。

 別命というのは、恐らく隣国のドーリア関連の諜報活動だろう。騎士団全員を要する仕事とは思えない。ジャンは無表情で黒パンを齧っているし、その隣に控えているウィルフレッドに至ってはそもそも話を聞いていないらしく、半分寝ている有様だ。

 

「護衛という意味でタカナシ様以上の適任はありませんし、対象への尋問には権威のある私の存在が不可欠です。必要最小限の人数で考えるとこれ以外に選択肢はありません」

「確かにアキトが護衛をするなら問題はないでしょうが……危険であるには変わりありませんね」

 

 当たり前だが、カタリナまで難色を示している。

 しかし、証拠集め以外の意味でもこの依頼は引き受けざるを得ない。

 俺はミラベルを援護すべく口を開いた。

 

「問題ない。対外的にはミラベルはセントレアに居るってことにすればいい」

 

 意味が分からない、といった顔をする一同の前で、含み笑いを浮かべたミラベルがカタリナを連れて寝室に移動した。バタン、と閉じられた扉の向こうからは、何やら話し声と布擦れの音が聞こえてくる。

 ややあってから出てきた二人は、服装だけをそっくり入れ替えていた。眼鏡を外して修道服の上から祭服を羽織ったカタリナと、眼鏡をかけてエプロンドレスを着たミラベル。この二人はちょうど背格好と髪の長さが同じなのだ。つまり、替え玉である。

 半ば眠りこけていたウィルフレッドも眠気が飛んだらしい。驚き半分、呆れ半分といった面持ちで二人を交互に見る。

 

「いやいや、さすがに雑過ぎませんか。髪の色も違うし……」

 

 騎士の青年の言葉に、ミラベルは唇に人差し指をトントンと当てると、そのままスッと真横に振った。瞬間、祭服を着たカタリナの髪色が明るめの赤毛から銀に変わる。

 幻術の類なのだろう。見事なものだ。指の発動動作だけで視覚情報を捻じ曲げるとは、さすがと言うべきか。恐らく脱走の常習犯なのだろう。

 

「これで問題はクリアですね」

 

 長い髪を三つ編みにしながら、ミラベルが楽しそうに言った。

 逆におさげを解きながら、口をへの字に曲げたカタリナが俺を見る。

 

「本当にこんな変装でうまく行くんでしょうか」

「大丈夫だよ。目を細めて見れば見分けがつかないくらいには似てるから」

「それ、本当に大丈夫だと思ってますか? ああ、もう……サイズも合いませんし」

 

 カタリナはもじもじと身を捩らせ、タイトな形状をしている修道服の胸元をずらす。

 思わず目を逸らし、俺は平静を装って問う。

 

「……小さいのか?」

「ええ。二インチは違いますね」

 

 気のせいか、双眸に光を宿らせてミラベルの方を向いたカタリナが小声で呟いた。

 おさげを作り終えた銀髪の皇女の口の端が僅かに釣り上がるが、気にしないでおく。

 

「となると、サリッサの方が適任かも知れない」

「なにが?」

 

 頭の上にハテナマークを浮かべていそうな顔でこちらを向くサリッサ。

 彼女とミラベルでは若干背丈が違うが、サリッサの方が貧相――スレンダーだ。

 冒涜的な修道服による体型問題はクリアできるかもしれない。

 

「ちょっとカタリナと服を交換してみろ」

「……いいけど、なんで?」

 

 きょとんとした顔で訊いてくるサリッサに言葉を選んでいると、目を輝かせたウィルフレッドが拳を握りながら言い放った。

 

「はは、決まってるじゃないか。カタリナさんよりサリッサの方がスリムだからだよ」

 

 爽やかに、言い放ったのだ。




 場が、凍りつく。

 

 

 

 ああ、美形でも何だかんだでちゃんと見るとこは見てるんだな。

 俺はそんな感想を抱いて、二枚目の黒パンスライスにジャムを塗る。

 

 ウィルフレッドは女性陣から殴る蹴るの暴行を受けた後、

 天井の梁から吊るされてぶらぶらと揺れていた。

 

 ただ、揺れていた。

 

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