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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
42/321

ex.日陰の木蓮

 喧騒の中、両の掌で木製ジョッキを抱えた少女が愛想笑いを浮かべていた。

 

 小柄で痩せぎすの体を黒いケープで覆い、自信のない造形の顔は目深に被ったつば付きの帽子(エナン)で隠している。そんな、引っ込み思案な少女だ。

 しかし、彼女は騎士である。ウッドランド皇国に名高い九大騎士団である木星天騎士団の中で最優を認められた、国内最高位の騎士の一人なのであった。

 

 彼女の名はハリエット・ランセリア。異名は木蓮(マグノリア)

 皇国でも有数の影響力を持つ貴族の家に生まれたこの少女は、家督を継ぐ兄と異なる自由な人生を送るために皇都の魔術学校に進学した過去を持つ。四年前のこの時、彼女は十歳であった。

 瞬く間に魔術師としての才能を開花させたハリエットは、入学から僅か二年で特例で魔術学校を卒業。皇国史に残る天才とまで呼ばれた彼女は、卒業後、国内で最も進んだ魔術研究機関である《魔導院》で働き始める、はずだった。

 

 しかし、ランセリア領主――つまりはハリエットの父の妨害により、彼女は魔導院での籍を失ってしまった。有力貴族を敵に回してまで彼女を獲得しようという動きは皇都の何処にもなく、遂には宿無しにまで身をやつした。

 そんなハリエットを救ったのは、木星天騎士団に所属する女騎士だった。

 貧民街で付呪師の真似事をして食い繋いでいた彼女の才能を見出し、従者に取り立ててくれたのだ。ハリエットは荒事には向かない性格ではあったが、女騎士への恩返しのつもりで仕事に励んだ。

 元々才能に溢れた彼女が騎士として認められるまで、そう長くはかからなかった。

 

 大恩ある騎士団に尽くすことを望んでいたハリエットだったが、その願いは叶わなかった。ハリエットを拾った女騎士が病没したのだ。

 《九天の騎士》であった彼女が亡くなったことにより空位となった称号と役職は、木星天騎士団の総意によりハリエットが推挙された。

 当初は盟主の下での独立した仕事が多いこの役職に就くことを渋ったハリエットだったが、騎士団の仲間達の勧めや、自分が女騎士の意思を継がねばという使命感が芽生えた事もあり、受ける決心を固めたのだった。

 

 思えば、あの決断は誤りではなかったか。

 

 ハリエットは飲めない酒に視線を落とし、大きな溜息を吐いた。

 手の中のジョッキになみなみと注がれた麦酒は、同僚――つまりは皇国でも最高峰の騎士である、同じ九天の騎士アウロラが勝手に押し付けたものだ。

 アウロラは二十代半ばの、お姉さんっぽい女性だ。切れ長の瞳に、ブラウンの髪はボブカット。見た目だけで言えば大人しい部類に入る。文官が似合いそうだ、とハリエットは常々思っていた。

 だが、そのアウロラの実態は、かなりの脳筋である。戦いになれば全身鎧を身に纏い、巨大な突撃槍を騎乗もせずに振り回す。魔力による膂力の強化に秀でているのである。

 

「うはははは! 飲め、ハゲ! 飲め!」

「ぬわぁっ、やめんか!」

「あ!? あたしの酒が飲めねえってのか!? あ!?」

 

 そんな女傑が向かいの席で、おおよそ女性が発してはいけないような笑い声を上げつつスキンヘッドの大男に絡んでいる。かなり酔っ払っているのだろう。アウロラのジョッキを顔に押し付けられて困惑する筋骨隆々の大男が、助けを求めるかのような視線をハリエットに向けた。

 

(どうしろというのです)

 

 視線を注がれたハリエットも、困り果てて顔を伏せる。

 少女の頭に載っている、先が折れた帽子(エナン)も傾いた。

 

 

 ここはセントレアという辺境の街にある酒場だ。

 街が収穫祭で沸く中、紆余曲折を経て全員がこの田舎に集合してしまった九天の騎士達は、今後の方針を話し合うべくこの酒場に集結していた。

 当初、彼らは真面目な話し合いを重ねていたのだが、話し合いに飽きたアウロラが酒を注文したあたりから流れが狂った。直前まで硬い表情を並べていた他の騎士達も、堰を切ったように酒盛りを始めてしまったのである。

 色々と鬱憤が溜まっていたのかもしれない。ハリエットは大人達の心労を察した。

 

 特に、ほぼ全身を包帯に巻かれ、折れた足に固定具をつけた男――通称、毒蛇の飲みっぷりが凄まじい。普段は冷血漢そのものといった男なのだが、赤ら顔でグラスを傾ける様子を見るに、意外とメンタルが弱いのかもしれない。

 聞くところによると、彼には妻子がいる。皇都に残してきている家族のことでも考えているのだろうか、と思い返すような家族を持たないハリエットは何となく考える。

 

(というか……傷に響かないのです?)

 

 先の戦いで重傷を負い、現在も入院中のはずである彼に一抹の不安を覚える。それは彼の隣に座る、前髪が垂れて顔が隠れている青年も同じだった。

 負傷した右腕を吊ったその青年の名は、クリストファ。とにかく喋らない男で、新参者であるハリエットは彼のことをあまり詳しくは知らない。

 こういった宴会の席であれば、少しは打ち解けられるのではと期待しないでもなかったハリエットだが、黙々と蒸留酒を呷る青年の姿を見ていると、望み薄と考えざるを得ない。時折ぼそぼそと隣の毒蛇と会話を交わしているようだが、観光客などで賑わう酒場の中では他の音に掻き消されてしまい、少女には聞こえなかった。

 

「ハリエット」

 

 低い声で呼ばれ、ハリエットは振り返る。

 髭を蓄えた、白髪交じりの男が立っていた。ぎょっとしたハリエットは、手の中の酒をこぼしそうになりながらも立ち上がる。彼は集まっている騎士達の中でも最も高い立場にある騎士であり、実質的な統率者であった。

 

「げっ、筆頭。なんれこっちに来るんすか」

 

 ろれつの怪しい舌で、アウロラが露骨に嫌そうな声を上げた。彼女の腕で首をがっちりとホールドされていた禿頭の男の表情が明るくなった。

 ジャン・ルース。ちょっと怖い上司である。緊張するハリエットだが、初老の騎士は日頃の厳格さとはかけ離れた、軽い調子で言った。

 

「酔っ払いの相手はつまらんだろう。ウィルフレッドのところに行くといい。ここは俺が引き受ける」

「……は、はいっ」

 

 蚊の鳴くような声で返事をしたハリエットは、そのまま回れ右をして離れた席で飲んでいる若い騎士の方へ向けて歩き出す。

 思いもよらない助け舟だ。面倒な酔っ払いから解放された彼女は安堵したが、その一方で、初老の騎士の言葉に些か以上の動揺を禁じえなかった。彼が名指しをした年若い騎士は、ハリエットにとって特別な存在であったからだ。

 その懸想を上司に気取られているのだとすると、これほど恥ずかしい話はない。ある意味では本人に知られるよりも辛いかもしれない。ハリエットは身を捩らせながらカウンター席に座る金髪の青年を見た。

 

 

 ウィルフレッド・ツヴァイヘンデル。

 どこぞの貴公子と言われても何ら違和感のない、爽やかな印象の美青年だ。

 彼も九天の騎士である。序列は最下位。新参のハリエットよりも下だ。しかし、それは彼の実力がハリエットに劣るという意味ではないことを、彼女は知っている。

 

 セントレア南平原で行われた水星天騎士団との戦いにおいて、ハリエットは囚われの身であった。先んじて行われた門番との戦いの後、ジャンやウィルフレッドとはぐれてしまった彼女は皇都に戻ってしまい、九天の騎士を切り捨てる事にした皇女ミラベルに捕まっていた。

 自らの迂闊さを深く呪ったハリエットだったが、ミラベルは意外にも彼女を丁重に扱った。捕まった先の野営地でも特に縛られるというわけでもなく、不自由がないよう個別の天幕――魔法障壁と監視付きではあったが――が用意されていたほどだ。

 人質として利用はされたが、実質的な危害は加えられていない。杖を取り上げられて軟禁されていただけなのである。あの銀髪の皇女は意外と甘い人物だった。

 とはいえ、自分が捕まっていては九天の騎士達が戦えない。ハリエットは脱走を試みたが、困難を極めた。ミラベルが設置した障壁は厚く、ハリエットの実力を以ってしても杖なしでは突破できるものではなかった。

 

 天幕の中で無力感に打ちひしがれる彼女を救ったのがウィルフレッドだ。

 水星天騎士団の主力が野営地から離れていたとはいえ、自分を助けるためだけに単身で突入してきた若き騎士の姿に、感極まったハリエットは思わず泣き出してしまった。

 

 転移魔術を使いこなし、たった一人で十人ほどの騎士を無傷であっさりと倒してしまった彼の実力は、明らかにハリエットのそれを上回っていた。

 条件次第とはいえ、真正面から同じ真似ができるのは、恐らく九天の騎士の中でも上位三人――ジャン、クリストファ、サリッサくらいなものだろう。

 これまでは腕前を隠していたのか、門番と戦った事で剣士として何らかの成長を遂げたのか。魔術師であるハリエットには分からない。ただ、彼女の中でウィルフレッドが特別な存在になったのだけは確かだった。

 

 

「……であるからして、君の剣は邪道なんじゃないかと僕は思うわけだよ! って、おい、聞いているのかい、門番!?」

「ああ、はいはい。聞いてるよ。口やかましい奴だな。お前は俺のおかんか何かか?」

「誰が母親だ!?」

 

 その特別な存在が、青筋を立てて黒髪の少年の襟首を掴んで揺さぶっていた。

 がくんがくんと首が揺れるその少年は、ウィルフレッドよりも少し年下だろうか。何とも言い難いのっぺりした顔に、寝惚けたような表情を貼り付けている。

 彼は九天の騎士ではない。むしろ、不倶戴天の敵と言ってもいいかもしれない。九天の騎士の間では、単純に《門番》と、あるいは《東洋人》などと呼ばれているこの少年は、どこかやつれたような見た目の印象とは裏腹に、恐るべき技量を持つ超一流の剣士だ。

 九天の騎士のほぼ全員はおろか、国教会が所有していた対軍兵器までもを破ったという、規格外の存在。「あれはもう魔族か何かなのでは?」とはアウロラの弁であったが、南平原での逸話を聞かされたハリエットも似た感想を抱いていた。

 

「邪道だったら何の問題がある」

「品がないじゃないか」

「それは問題なのか? 別に勝てりゃ何でもいいと思うが」

「いやいや、君も皇女殿下に仕える騎士を目指すのであれば、相応の品格を持った剣を身に付けるべきだよ。剣を合わせている最中に、蹴ったり殴ったりなんて粗野な真似はしちゃいけない」

「誤解があるな。そもそも俺は騎士なんて目指しちゃいない。ああ、そんなことより、お前にお客さんみたいだぞ、ウィルフレッド」

 

 門番の少年が立ち尽くすハリエットに気付き、意味ありげな笑みを浮かべた。言われて初めて彼女に気が付いたウィルフレッドも、端正な顔を向けてハリエットを見やる。

 

「あれ、ハリエットじゃないか。アウロラさん達の方はもういいの?」

「な、何だか酔っ払っちゃってみたいで……筆頭に追い払われちゃいましたです」

「あぁ……あの人、酒癖悪いよね。じゃあ、ここで飲みなよ。隣、空いてるからさ」

「は、はいっ」

 

 再び蚊の鳴くような声で返事をしたハリエットは、天にも昇るような心持ちで青年の右隣に座った。手の中で温くなった麦酒を飲む気はさらさらなかったが、ウィルフレッドに付き合うのであれば口をつけるくらいはいいかもしれない。

 彼の左隣に座っている門番の少年は、我関せずといった顔でグラスを回している。ハリエットにとっては忌避すべき存在であり、今はお邪魔虫めいた彼だったが、当の本人はハリエットに微塵も興味を抱いていないようだった。

 

「門番のことなら気にしなくていいよ。彼はたまたま食事していただけだから」

「食事、です?」

 

 にこやかに言うウィルフレッド。門番の少年は変わらずグラスの中の琥珀色の液体を回していた。食事というよりは酒を嗜んでいるように見える。

 そんなハリエットの疑問に答えるように、門番がぼやく。

 

「飯食ってたらこいつに捕まって、酒に付き合わされてんだ。まさか九天の連中が酒場に飲みに来るなんて思いもしなかったよ。お前らって、もっとお堅いイメージだったんだが」

「僕らだって息抜きくらいはするさ。ね、ハリエット」

「は、はい」

 

 ウィルフレッドはジョッキを掲げてみせるが、ハリエットはぬるくなった麦酒に視線を落とすだけだった。彼女の中で酒という存在は、苦くて美味しくない上に気分が悪くなる液体、という以上の意味を持っていない。息抜きとはかけ離れた代物なのである。

 

「ちょうどいい機会だからこの不心得者に騎士道の何たるかを説いてあげようとね」

「……ばったり出くわした相手に説教するのが騎士の心得なのか?」

「もちろんさ。持ち得る知識を惜しみなく与えることも、騎士の責務だよ」

「そりゃ随分と高尚なことで」

 

 噛み合わない二人にハリエットは苦笑した。

 歳が近いせいもあるのか、若き騎士と門番の距離感はかなり親しい者同士のそれだ。セントレアで一対一の決闘を行ったと聞いていたが、遺恨は残っていないようだった。

 門番の少年が並外れた実力者であるのは間違いないものの、こうしてウィルフレッドと言葉を交わす様を見た限りでは、年相応の少年にしか見えない。

 

「ところでハリエット、サリッサがどこに行ったか知らないかい? さっきまでジャンさん達と飲んでたと思ったんだけど、姿が見えないんだ」

 

 門番のことをぼんやり観察していたハリエットは、不意にかけられた言葉に意識を引き戻されて固まった。サリッサという名前を聞いただけで、やや浮かれていた気分が急激に冷めていくのを彼女は自覚する。

 

 サリッサとは、序列三位の騎士のことだ。ウッドランドでは珍しい黒髪が特徴の少女で、ウィルフレッドとは同じ孤児院の出身だという。自分で名字を考えたというウィルフレッドとは違い、彼女に名字はない。

 ウィルフレッドとは幼馴染といった関係の少女なのだが、ウィルフレッドは彼女に恋慕しているのである。自ら公言しているので間違いはない。

 当のサリッサの方はウィルフレッドをそういった対象と見ていないらしく、何度か振っているという。が、いつまで経ってもウィルフレッドは諦める素振りを見せない。付き纏っているわけではなく、ことあるごとに好意を公言するのみではあるが。

 しつこいというよりは、しぶとい。そんな図太い青年を、以前はただ微笑ましく見守っていたハリエットだが、今では彼がサリッサの名を口にするだけで気落ちしてしまう始末だった。

 

「さ、さあ。見てないです」

 

 あまりにも回らない自分の舌を恨めしく思いながら、ハリエットは俯いた。落とした視線の先には美味しくない麦酒だけがあり、更に気分が落ち込む。

 この苦しさは自分の生来の気性に由来するものであり、自業自得なのである。と、分かってはいても落ち込むものは落ち込む。

 自分の気持ちを隠すだけの余裕は、ハリエットにはまだなかった。

 

「うーん、料理でも受け取りに行ったのかなあ……ちょっと探してくるよ」

 

 止める間もなく、ウィルフレッドは酒場の調理場の方へ行ってしまう。

 並んで座っていた三人のうち、真ん中のウィルフレッドがいなくなってしまったので、残されたハリエットと門番の間に遮るものがなくなってしまった。

 おっかない相手と二人きりにされてしまった少女は、かといって麦酒を飲む気にもなれず、ジョッキを見つめて押し黙るしかない。

 

(……気まずいです)

 

 その様子を見た門番の少年が、頭を掻きながらぽつりと言った。

 

「麦酒、嫌いなんだな」

「うぇっ!?」

 

 突然話しかけられ、素っ頓狂な声を上げたハリエットの手から麦酒の雫が跳ねた。

 門番は苦い笑みを浮かべる。

 

「俺もどうも好きになれないんだよな。舌が子供らしい」

「……そう、なんです? そんなに強そうなお酒を飲んでるのに」

「いや、これは蜂蜜酒。全然強くないし、すごく甘い」

 

 蜂蜜酒の存在を知ってはいたハリエットだが、実物を見るのは初めてだった。琥珀色の酒は、度数の強い蒸留酒だとばかり思い込んでいたのである。

 要するに門番は酒飲みっぽい仕草をしていただけで、実はとても甘い酒をちびちびやっていただけだったのだ。

 

「格好だけはつくだろ?」

 

 へらっと笑う少年につられて、ハリエットは思わず口元に手を当てて笑った。

 門番はカウンターの向こうにいる店主らしき老人に、麦酒と蜂蜜酒を交換してくれるように頼んでくれた。慣れた様子の彼に、ハリエットは何となく疑問を口にする。

 

「あのう……酒場にはよく来られるんです……?」

「ああ。何ヶ月か前まではよく来てたかな。マリー……いや、皇女殿下が詰め所に来るまでは、自炊するのが面倒になった時はここで食べてたんだ。今はこんなに賑やかだけど、普段は全然人がいないんだぜ、この酒場」

 

 門番の発言は収穫祭を指したものだが、ハリエットは再び消沈した。アウロラの馬鹿笑いが今も背後から聞こえてきたからだ。ジャンでも抑え切れないらしい。

 門番もちらりと馬鹿騒ぎするアウロラの方を確認し、やや気の毒そうな表情をハリエットに向けた。紛れもなく同情である。

 

「君も大変だな」

「い、いえ。それほどでもないです」

 

 命のやり取りをしたことがある相手に同情されるというのも、妙な気分だった。

 ハリエットはケープの裾を指で弄りながら俯いた。

 

 

 門番、そして皇女達がこれから行おうとしている叛逆に関しては、九天の騎士達の間でも意見が割れている。

 それはウッドランド帝の正体が皇女達の口から告げられても変わらない。

 彼女達によれば、皇帝は千年も転生を繰り返して国を支配し続けている異界の人間であり、継承戦で皇族同士を殺し合わせているのも転生の為の下準備なのだという。

 

 そして、延々と戦争を続けた挙句に、最終的には世界を滅ぼすつもりなのだと。

 

 ハリエットにとっては信じがたい話だった。皇女達が嘘をついているとは思わないが、無条件で信じるにはあまりにも内容に現実味がない。

 

 九天の騎士を実質的に率いているジャンは、話の真偽はともかくしても皇帝を打倒するという目的には同調している。なぜかミラベルに忠義を尽くすヴォルフガング、理由は不明だがサリッサも皇女側につくという。

 だが、他の騎士達の意見は違う。アウロラと、彼女の相棒であるバルトーという男は、国と敵対するような道をとるべきではないと主張しているし、毒蛇はより現実的に、勝ち目が薄い勝負はすべきでないという意見だ。

 クリストファはいつも通り黙して語らない。ウィルフレッドは、片方に組すればもう片方に組した仲間と戦わなくてはならなくなるかもしれないという懸念から、結論を保留している。

 

 九天の騎士は間違いなくウッドランド国内で最高クラスの戦力だが、実態としては各騎士団の選抜者による寄合所帯に過ぎない。統一された思想のもとで団結して行動する、という動き方はなかなかできないのが実情であった。

 

 そも、皇女達の話に確たる証拠がないのが大きい。

 彼女達を支持しないという騎士達も、証拠があれば皇女達の味方をしただろう。もし皇帝が本当に世界を滅ぼすつもりなのであれば、抗わない道理はない。

 ハリエットもその一人だ。皇女達や門番と何のわだかまりもないと言えば嘘になるが、彼女達の言う話が事実であるのなら、世界という途方もないスケールの事は置いておくとしても、国や身近な人々を守るために戦うのはやぶさかではないと思っている。

 

 

 そんなハリエットの思索をよそに、門番の少年は塩とレモン汁をかけた小海老の揚げ物(フリッター)をつまんでいる。

 彼も緊迫した状況下にいる筈なのだが、呑気な様子だ。もっとも、アウロラや他の騎士達も似たようなものなので、悩んでいるハリエットの方が少数派なのかも知れない。

 

(……美味しそうです)

 

 思惟に雑念が混じり、頭を振るハリエットの前に門番が注文してくれた蜂蜜酒が置かれた。甘い酒だというので油断した彼女は、何の警戒心もなく一口含んで目を白黒させる羽目になった。

 蜂蜜酒は確かに強烈に甘かったが、飲んだ経験がある水割りの葡萄酒よりはよほど強い酒だったのだ。さすがに吹き出しはしなかったものの、あまり品がよいとは言えない表情で咳き込んでしまう。

 見れば、門番が苦笑していた。

 

「水か何かで割るといい」

「は、はやく言ってくださいです……!」

 

 ハリエットにはカウンターの向こうにいる店主に何かを注文する勇気がなかったので、口早に氷塊を精製する魔法を詠唱してグラスにゆっくり落とした。

 

「さすが魔術師。便利なもんだ」

 

 門番は笑みを浮かべたままで言うと、銅貨を何枚か置いて席を立つ。

 

「ちょうど用事もあったし、サリッサは連れ出しておく。ま、後は頑張ってくれ」

「……はい?」

 

 去り際に少年が言った言葉は、数分の後にハリエットを悩ませることになった。

 ウィルフレッドは一人で戻ってきた。サリッサは見付からなかったらしく、彼はしきりに首を捻っていたが、ハリエットは顔を赤くして硬直するのみだった。

 自分の気持ちは、殆ど接点のない門番の少年にすら一目で気付かれてしまうほど顔に出ているのだろうか。だとしても、なぜ彼が気を回してくれたのだろうか。意外といい人なのだろうか。彼に気付かれるのであればウィルフレッドにも気付かれているのでは。

 ぐるぐると渦を巻いた思考に飲まれたハリエットは、結局ウィルフレッドとはまともに話せず、ひたすら小海老の揚げ物(フリッター)を食べるのみだった。

 

 

 

「あーあ、もっとグイグイ行きゃいいのに」

 

 離れた席から帽子の少女を見守っていたアウロラは、彼女の相変わらずの弱腰な姿勢に肩をすくめる。

 少年少女の色恋沙汰は見ていて飽きないのだが、ハリエットのそれは見ている方がやきもきしてしまうのだ。

 

「あんなことやってられるのも今のうちかもしれないっれのに。ね、筆頭」

「……そうならんことを祈るのみだ」

 

 やはりろれつの怪しいアウロラの呼び掛けに、初老の騎士は端的に応え、静かにグラスを傾けた。

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