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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
37/321

37.約束

 夏の暮れにはすっかり収穫が終わった麦畑には、今は所々に雑草が生えた土壌が広がっているだけだった。時期的にもう少し経てば、草むしりをしたり種籾を撒いたりといった作業が始まるのだろうが、農家ではない俺には縁のない話である。

 

 夜空の下をぎこちなく歩く俺と、そろりそろりと隣を歩くマリーは、やがて農道の先で座り込んだ背中を見付けて足を止めた。

 治癒術を使っていたのだろう。淡い銀光を放つ魔素(マナ)が無数に漂う中、農道の脇に生えたクローバーを指でつついていたその少女は、相変わらず表情に乏しい顔をゆっくりとこちらに向けた。

 

「この場所を、覚えていたのですね」

「ああ」

 

 頷く俺の傍らで、マリーが小さな吐息を漏らした。

 

「そうか……ここは、あの時の」

 

 七年前に、俺とマリーが初めて出会った麦畑。そして、俺とミラベルが初めて出会った場所でもある。

 マリーは何が楽しくて麦畑で走り回っていたのかをよく覚えていないようだが、その答えはごく単純だ。彼女は姉と鬼ごっこをしていたのである。

 なんてお転婆な姉妹だろうと呆れ返ったのを覚えている。たまたま通りかかった俺は、彼女達をやんごとない身分だと知った上で、順繰りに叱った。

 神妙な顔をして聞き入る金髪の子供に対し、やや年上と見えた銀髪の子の方は、そりゃあもう口答えが酷かった。逆にバカヤローだのと罵られて逆上した俺は、麦がいかに素晴らしい植物であるかを嘘八百を交えて力説し、およそ三十分かけて二人の心を折った。

 きっと後々、正しい知識を得て憤慨したに違いない。

 

 どうして俺がそんなことをしたのかは、よく覚えていない。

 別に彼女達の行為に対して何か苦情があったわけでもないはずだ。

 いや、あったような気もする。分からない。判然としない。

 あの場には他にも誰か居たのではなかったか。

 

 葉の閉じたクローバーを弄んでいた手を下げ、ふらりと立ち上がった皇女ミラベルは、血の気の失せた顔のままで笑みを作る。

 彼女ほどの司祭なら、長剣で刺された程度の傷は自分で塞げるだろう。本職とは言えないジャン・ルースでさえ、それ以上の重傷を独力で塞いでみせたのだから。

 何の代償も払わずに済むかは、別として。

 

「……アルビレオは……いえ、あなた達がここに居るということは、そういうことなのでしょうね。まさか外典福音を破るとは……さすがと言うべきでしょうか」

 

 どこかすっきりしたような声音で言うミラベルが手にした白い長杖を僅かに持ち上げて構え、マリーも無言で剣を抜いた。

 俺だけが長剣の柄に手を置くこともなく、静かに言葉を紡ぐ。

 

「もう手札はないはずだ。降参してくれ、ミラベル」

 

 切り札の外典福音を失い、水星天騎士団はもう戦える状態にない。

 もう彼女には、戦力らしい戦力は残っていない。

 しかし、銀髪の皇女は鋭く断じた。

 

「私はまだ負けていない。皇都に戻ればいくらでも巻き返しは可能です。あなた達をここで片付ければ、まだ……」

 

 その言葉も虚勢ではないのだろう。

 国教会の権威があれば、もしかすると別の騎士団を借り受けることも、或いは可能なのかもしれない。俺は政治的な事情に詳しくはないが、ウッドランド国教会の最高戦力だろう外典福音(アルビレオ)を個人で運用していたという事実からも、ミラベルが持っているコネクションの太さが窺える。

 

 しかし、俺はやはり剣を抜くことなく、傍らに立つマリーの頭に手を置いた。

 相棒の戸惑う視線を斜めに受けながら淡々と述べる。

 

「いいや、君の負けだ」

 

 ミラベルにマリーを殺す機会が一度もなかったわけではない。

 むしろ、何度もチャンスを逃していると言っていい。

 

 マリーと対峙した時、彼女はアルビレオに命じただけで自分ではマリーを攻撃しなかった。状況を考えればその方が確実だったにも拘わらず。

 九天の騎士を差し向けたことも不自然だ。正面から向き合いたがるマリーの性分を考えれば、ミラベル自身が出張った方が早々に片が付くことくらい、彼女は分かっていたはずだ。なのに騎士達に迂遠な命令を下すだけで、そうはしなかった。

 

 今だって同じだ。わざわざ俺達が近寄ってくるのを待たず、遠くから魔法を撃ってきてもおかしくはなかった。明らかに手負いの俺と、支援能力に特化した皇統魔法しか持たないマリーが相手なら、容易とまではいかずとも十分勝てただろう。

 俺だけが相手なら、彼女は容赦なく攻撃魔法で追い詰めてきた。それを考えれば、ミラベルが殺人そのものを忌避しているのでないことは分かる。

 だとすれば、これはもう、至極単純なところに帰結するしかない。

 

「君はマリーとは戦えない。自分自身の手では、妹を傷付けられないからだ」

 

 ひた隠しにしてきたつもりの本心を暴かれ、見開かれた翡翠の瞳が俺を見た。

 だから俺は長剣を抜かない。必要がない。

 この姉妹が戦えば、妹が勝つ。戦闘能力は何の関係もない。それ以前の問題だ。

 姉はあくまで戦うポーズをとりながらも、その実、遠回りな自殺をしようとしていただけだ。妹と同じように。

 

「どうして」

 

 俺の傍らから発せられた震える問いかけに、ミラベルは表情を繕うのも忘れて妹を向いた。強張り、或いは戦慄いた唇が、言葉にならない言葉を形にしようと動く。

 その努力が実を結ぶことはない。口では何とでも否定できるだろうが、実際、ミラベルは妹に魔法どころか杖を向けることさえできないでいる。何を言っても虚しく響くだけだろう。

 そんな己の矛盾に、本人も気付いている。

 

「なぜだと聞いているのだ! 姉上!」

 

 かつてないほどに激昂したマリーの叫びが、俺の耳朶を打った。

 聡いこの少女が、相手の気持ちを分からないはずもない。それでも問わずにはいられないのだろう。姉の主張を認め、その上で戦うと決めていたのに、当の姉にはそんな覚悟もなかったのだから。

 

「……理由なんてない」

 

 強く、長杖を縋り付くようにして両手で握り締めたミラベルが、掠れた声で静寂を揺らした。俯いたその表情は垂れた前髪に隠され、星明りと仄かな魔素の光では窺えない。

 しかし、次の瞬間に零れ落ちた感情は、少女の浮かべた表情を否応なしに想像させられるものだった。

 

「理由なんてあるわけないでしょうが!」

 

 絶叫し、両手を振るう。

 凄まじい勢いで投げ捨てられた長杖が、土に激突して鈍い金属音と共に跳ね返った。

 

「一体どこの世界に、可愛い妹を傷付けられる姉がいるというの!? 殺す!? はっ! 無理に決まってるじゃない、そんなの! バッカじゃないの!?」

 

 たおやかな仮面をかなぐり捨てた修道服の少女は、抑圧していた感情を発散するかのように叫びながら無茶苦茶に頭を掻き毟る。

 長く真っ直ぐな銀の髪が激しく揺れ、漂っていた魔素の塊が四散した。

 

「私だって好きでこんなことやってるんじゃないんだよ!? でも私がやらなきゃ、誰にもあの男は止められないじゃない! あの男はきっと、世界だって焼き尽くしてしまえるのに!」

 

 いつしか滂沱の涙を流しながら、少女は叫び続ける。

 

「どうして誰も助けてくれないの!? 大昔に世界が一度救われたのなら、もう一度くらい誰かが救ってくれてもいいじゃない! なんで私なの!? できるわけないよ! できるわけがない!」

 

 姉の悲嘆を目の当たりにしたマリーは、凍り付いたように彼女を見つめていた。

 マリーの中でのミラベルは正しく、強い人間だったのだろう。たとえ自分が殺されるのだとしても、姉の正当性を認めてすらいた。

 だが現実は違う。消去法で得たその正しさは、ミラベル自身にとっては受け入れ難いものだった。受け入れることも拒否することもできないまま、彼女は何もかもを抱え込んで、とうとう一人でこんなところまで来てしまった。

 

 誰もが正しく、強く在れるわけじゃない。

 一人では尚更だと、今は思う。

 

 だからこそ、俺は言わなければならない。

 たかが門番ごときが、言わなければならない。

 皇帝と同じ往還者である俺に、その責任がないなんてことは有り得ない。

 

 再び道を見失って呆然と立ち尽くす、小さな相棒のために。

 退く事も進む事もできず、ただ泣きじゃくる少女のために。

 

 

「俺が助けるよ」

 

 

 マリーがはっとした顔で俺を見上げ、ミラベルが涙に塗れた顔を上げる。

 二人の視線を受けながら、俺は繰り返し言った。

 

「二人とも守るし、皇帝も止める。誰も犠牲にしない方法で」

 

 具体的な計画があるわけではない。だが、勝算が全くないというわけでもない。

 俺の知る限り、少なくとも一度、皇帝は同じ往還者と戦って死亡している。つまり、時間を操るという恐るべき権能を有していながらも、決して無敵ではないということだ。

 本来の権能を半分失っている俺だけでは難しいかもしれないが、対抗できる可能性は十分にある。

 問題はむしろ、皇帝が持つという輪廻転生の特性にある。何かの弾みで奴が死んでしまえば、取り逃がしてしまうのと同義だ。

 逆に言えば、何らかの方法でそれさえ封じることができれば希望が見えてくる。

 

「タカナシ殿……貴殿は自分が何を言っているのか分かっているのか。実現するかどうかはともかく、父上に仇なすということは、この強大なウッドランド皇国の全てを敵に回すということなのだぞ」

 

 あまりの大言に、さすがのマリーも硬い表情で言った。

 

 騎士百人と戦うのとは訳が違う。それだって十分に狂気の沙汰だというのに、大国ウッドランドそのものを相手取ると宣言しているのだから、無理もない。

 ウッドランドには、水星天騎士団と同規模かそれ以上の騎士団が最低八つも控えているし、騎士団全体の数倍の人員を有する軍も存在する。到底かなう相手ではない。

 だがそれは、まともに相手をすればの話だ。別に戦争をするわけではないのだから、いくらでもやりようはある。

 

 それに、俺自身にも譲れない理由がある。

 

「相手が何にせよ、俺は門を守らなきゃいけない。俺も無関係じゃないんだ。皇帝がその門を狙ってる以上、遅かれ早かれ戦うことになる。だったら早い方がいい」

 

 小さな相棒は首を傾げる。

 いずれ、マリーにも往還門の話をしておかなければならないだろう。

 

 ミラベルからはどんな強硬な反論が来るのかと待ち構えていた俺だったが、彼女は目の端を赤くして俺を見つめるだけだった。何もないと逆に不安になってくるが、大見得を切った手前、もう引っ込みがつかない。

 ほぼノープランであることは伏せながらも、俺は二人を交互に見ながら言う。

 

「大口叩いといて何だけど、よかったら手を貸してくれないか。俺は一人じゃ大した事はできないから、まあ、その……二人が協力してくれると心強いんだが、どうかな」

 

 いまひとつ締まらない俺の言葉に、

 マリーは口の端を緩めて剣を鞘に収めながら、口を尖らせた。

 

「はぁ……よかったらも何もなかろう……わたしはタカナシ殿の相棒なのだから、協力しないわけがない。そもそも、わたし達の問題なのだし」

「ああ。そういえば、そうだったな」

 

 丁度いい高さにある頭をくしゃくしゃと撫でてから、俺はミラベルを見る。

 修道服の少女は袖でごしごしと顔を拭ってから、充血した翡翠の瞳を俺に向けた。

 

「妹を殺そうとして……タカナシ様にも大怪我を負わせた私が……今更、そんな都合のいい話に乗れるわけが……」

「姉上。わたしはこの期に及んで、姉上に全ての責があるとは思いません」

 

 暗い顔で言うミラベルの言葉が終わるのを待たず、向き直ったマリーが目を伏せながら言葉を返す。

 

「わたしは、姉上がどんな思いでいたのかにさえ気付けていなかった。ただ自分のことだけを考えてこの街にやってきたわたしにも、平等かそれ以上の責があります。姉上はわたしが追い詰めてしまったようなものです……どうかお許しください」

「……そんな」

 

 妹の謝罪に戸惑い、困ったようにこちらを見るミラベル。

 俺に振られてもどうしようもない。俺は軽く肩をすくめてみせ、踵を返した。

 

 

「私こそ……ごめんなさい、マリアージュ」

 

 

 あの二人なら和解は成るだろう。

 姉妹の会話を背後に聞きながら、重い体を引き摺って歩き出す。

 

 夜が明ける。

 遠くの地平に暁光が昇り始めるのを見て、その眩しさに、俺は目を細めた。

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