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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
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36.外典福音②

「……姉上」

 

 背中から剣を生やして倒れる、銀髪の司祭。

 それを、焦点の合わない瞳で見る、金髪の皇女。

 

 亡者が唇の端を吊り上げて嗤う。彼女が差し向ける剣の群れを掻き分け、俺は走る。しかし、ミラベルの下へ辿り着く前に、放心状態のマリーへ向かって伸びる霊体の腕に足を止めさせられてしまう。

 アルビレオとマリーの間に立ち、次々に飛来する武器と放たれる剣技を捌きながら、俺は声を張った。

 

「マリー!」

 

 彼女を庇いながらでは戦えない。防戦一方では、いずれ押し負ける。

 巨大な突撃槍を長剣で叩き返しながら、倒れた姉の姿を捉えたまま硬直する少女に再び呼び掛ける。

 

「聞いてくれ、マリー!」

 

 右手の長剣も限界に達しつつあった。

 握る柄越しに、不気味な軋りが伝わってくる。剣に通した魔力が歪み、もう幾ばくの猶予もないことを俺に告げている。

 尚も無数の武器を躍らせるアルビレオの周囲から曲刀、長槍、大剣が連続で飛来した。弾き、流し、左手の裏拳で刃の腹を叩いて逸らす。骨が砕け、浅く裂かれた手から血が飛散した。

 己をも叱咤するように、叫ぶ。

 

「奴を倒す! 手を貸してくれ!」

「……タカナシ殿……」

 

 我に返り、息を呑む気配を背後に感じながら、なおも叫ぶ。

 

「俺一人じゃ届かない!」

 

 俺は、外典福音(アポクリファ)に及ばない。

 かつて得た権能の半分を自ら手放した俺では、恐らく往還者を凌駕するべくして造られた彼女には、届き得ない。

 

 俺はきっと、どこかで図に乗っていたのだ。

 ずっと、一人で門を守り続けてきたのだからと思い上がっていた。

 自分は超越者なのだと。他者とは線を引くべきなのだと。隔絶した存在なのだと。

 

 けれどその実態は、他人との関わりを放棄して小さな世界に閉じ篭っていただけだ。

 誰かと関わっても、その誰かは自分より先に去っていってしまう。

 それが、たまらなく恐ろしかったから。

 

 滅多に剣を取ることもなく、過ぎ去ったものにばかり目を向けていた。

 千年もそうしていたのだから、弱くなるのも当たり前だ。

 

 かつて誰かが、往還者の不老を「停滞」だと言った。

 今は分かる。その通りだと思う。

 人は前に進み、歳を重ね、老いて死ぬべきだ。

 積み重ねたものを無にするべきではない。そんな幼いやり方では何も守れない。

 

「……もちろんだとも。わたしは、相棒なのだからな!」

 

 振り返らないでも分かる。

 涙ぐみながら無い胸を張る皇女殿下の頼もしい声を聞き、俺は端的に告げた。

 

女神の宮殿(ヴィーンゴールブ)と攻撃魔法を」

「分かった」

 

 しっかりとした返事を聞くや否や、俺はアルビレオへ向かって猛然と駆け出す。

 僅かばかりの勝算。通常三分を要する発動動作と詠唱を短い時間でこなした上で、アルビレオの動きを止めなくてはならない。ハードルはあまりに高過ぎる。

 だが、選択肢は他にはない。

 アルビレオを葬らない限り、倒れた者達を助けることもできない。

 砕けた左手をぎこちなく動かして印を切りつつ、右手で長剣を振るって迫る武具の数々を退けながら、悠然と立つ礼服の亡者へ迫る。

 

「なぜミラベルを斬った!」

 

 俺は左手の動きの意図を悟られまいと、アルビレオに問うた。

 不意に、栗色の髪の少女の残骸が、くしゃりと表情を崩す。

 

「なぜ? なぜだって?」

 

 無数の霊体を触手のようにうねらせ、次々と放ちながら亡者は言う。

 

「門番さん……僕はね、皇帝陛下にこんな身体にされたのさ。だから知ってるんだ。あの男にとっては、僕達なんていつでも処分できる盤上の駒でしかない。ミラベルの叛意にだって、気付いているのに好きにさせているだけなんだよ。彼にとっては、わざわざ排除するにも値しない、取るに足らない些事に過ぎないんだ」

「些事だと!?」

「そうだよ。知ってるだろう? 時の福音……あれの前では、何人も無力だよ。ミラベルの健気な努力も、やがてはあの力の前に叩き潰されてしまう。継承戦に生き残って自刃する? ははっ。その前に殺されてしまうだろうさ。代わりはいくらでも居るんだから」

 

 狂笑の奥に、深い諦念があった。

 

「僕は長いものに巻かれ続けるよ。二度も死にたくはないからね。でも、ミラベルもやっぱりしぶとい女だな。ようやく隙を見せたと思ったのに、殺し損ねちゃったよ」

 

 言われて振り返れば、銀髪の皇女の姿が消えている。

 あの重傷で何処へ――思考を乱した俺の眼に、白い細剣の切っ先が映った。

 霊体の手での攻撃を凌ぎ続ける俺に、痺れを切らしたのか。崩れた身体で前のめりに駆けながら、アルビレオは削れた顔で吼えた。

 

「お前はそろそろ死ねよ! 剣の福音!」

 

 白い細剣が青白い魔素を纏う。同時に、荒れた大地に黄金の輝きが広がった。

 マリーの女神の宮殿(ヴィーンゴールブ)だ。

 送られてくる魔力を繋ぎ、長剣に流し込んで振りかざす。

 その輝きに亡者が目を剥いた刹那、俺が真っ直ぐ振り下ろした老鍛冶師の最後の夢は、白い細剣を断ち切っていた。

 澄んだ音を奏でて飛んだ刃が闇夜に消え、呆然とするアルビレオだけが残される。

 

「な、なんだ、今の剣技は……!?」

 

 これは剣技ではない。剣技と呼べるほど洗練された動きではない。

 ただの真っ直ぐな切り下ろし。

 朝焼けの中で、ひたすら同じ型の素振りをしていた少女の動きを再現した一撃。

 技巧に富んだ剣技であれば、数多の騎士の技と記憶を持つアルビレオにとって、返し技を以って切り返すのはそう難しいことではない。現に破軍は返された。

 しかし、この単純な一撃は、単純であるが故に正面から受けるしかない。だが、彼女の細い剣で受けるには、莫大な魔力を乗せたこの長剣は重過ぎる。

 受けずに避けるべきだった。しかし、剣の外典福音は、剣技に長けるが故に、受けの技術に絶対の自信を持ってしまっていた。

 

 得物を失ったアルビレオが、霊体の腕を動かす。

 その挙動より速く、手の中で長剣を回して逆手に持ち替えた俺の合図と、マリーの詠唱の声が重なった。

 

「やれ、マリー!」

「終焉を告げよ! 響き渡れ! 衰滅の角笛(ギャラルホルン)!」

 

 黄金の息吹が吹き荒れた。夜空を裂いて、真っ直ぐに伸びる。

 ごく単純な、魔力をぶつけるだけの攻撃魔法に見えるそれは、しかし、段違いの出力でアルビレオの霊体の腕をことごとく引き千切った。

 

「この、門番どもめがああぁッ!」

 

 怨嗟を叫び、苦悶に身を捩る栗毛の少女の足に、すかさず長剣を突き立てて地面に縫い止めた俺は、その額に左の掌を叩き付け、辛うじて構築し終えた外法の名を解き放った。

 

 

「……虜囚術式(コンプレヘンシオー)!」

 

 

 俺が習得している数少ない高位魔法のひとつである虜囚術式は、意識的に魔力を行使する一切の行為を禁じる効果を持つ。

 では、死霊術の産物――全身を魔術で動かしている死体である帰参者(レブナント)にこの術式を施すと、一体どうなるのか。

 

 結果はすぐに訪れた。

 

 無数の霊体の腕が、全て爆散して魔素に還っていく。それらが掴んでいた武具が降り注ぎ、岩肌だらけになった平原に落ちて突き刺さった。

 糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた外典福音は、一瞬、引き攣った顔で俺を見上げた。

 その唇が何かを告げようとして、止まり、緩やかに結ばれる。

 

 やがて薄い笑みを浮かべた少女の死体は、

 先程までの死闘が嘘のように静まり返った夜空の下で、澱んだ瞳を閉じた。

 

 

 

 長剣を引き抜いて鞘に収めた俺は、物言わぬ骸に脱いだコートをかけると、こちらに向かってくる金髪の少女に軽く手を振った。

 駆けてくる少女の向こうでは、カタリナやサリッサ、九天の騎士達がドネットに手当てされながらこちらを窺っていた。女医の仕事の早さに苦笑しつつ、俺は皇女殿下――もとい、相棒に向き直る。

 マリーは俺の前までやってくると、俺の背後に憂いを帯びた視線を送って呟いた。

 

「一体何だったのだ、あの者は」

 

 俺は何も言わず、丁度いい高さにあるマリーの頭を撫でた。

 外典福音を一体作り出すためだけに、どれだけの騎士が使われたのか。そんな残酷過ぎる話を聞かせるには、この相棒はまだ若過ぎるように思えた。

 それも傲慢なのかと思い直すが、やはり、俺は何も言わずに歩き出す。

 

「タカナシ殿?」

「まだ終わってないぞ、マリー。ミラベルを迎えに行こう」

「姉上の居場所が分かるのか!?」

「ああ」

 

 背にかかった問い掛けに応えながら、俺はある場所を想起していた。

 アルビレオの攻撃魔法で砕かれてガタガタになった平原を、ガタガタの身体を引き摺って歩く。

 

「……か、肩を貸そうか」

 

 難儀していると、すぐ隣を歩くマリーがそんなことを言った。

 首を傾けなければ頭しか見えない彼女に借りるとすれば、やはり頭になるだろうか。

 俺は鼻で笑い、その態度に憤激したマリーが真っ赤な顔で抗議の声を上げる。

 

 

 長い夜が終わろうとしていた。

 

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