35.外典福音①
たった五人の九天の騎士に引き裂かれた水星天騎士団の陣列に、俺を先頭とした四人は真正面から突入した。
乱戦となった今、騎士団の列は滅茶苦茶に入り混じっており、厄介だった魔術師や弓兵などの後衛も統率を失っている。
散発的に飛んでくる魔弾や矢、何事かを喚きながら斬りかかってくる騎士などを、サリッサの長槍と俺の長剣が淡々と処理していく。危なげのないその様子に、マリーが目を丸くしながら感嘆の声を上げた。
「騎士を……こうも簡単に倒すのか……」
彼女が俺とサリッサの戦っている姿を目の当たりするのは初めての事だ。背中合わせに各々の武器を構える俺とサリッサは、全くの同時にマリーの呆然とした顔を見てから、やはり同時に顔を見合わせて破顔した。
水星天騎士団の錬度が低いこともあるが、九大騎士団の中から抜擢されるレベルにあるサリッサ達、九天の騎士の実力は、平均的な騎士を遥かに上回る。並の騎士ではかすり傷ひとつ付ける事すらできない。
遠距離で厄介な魔法を詠唱する魔術師を、カタリナの弓が早々に潰してくれるのも大きい。彼女は目が悪いはずなのだが、一体いかなる技術を用いているのか、矢を外すことが全くない。矢を的確に魔術師の手に当て、詠唱動作を潰している。
混沌とした戦いの庭にあって、こんなに安心して戦えるのは久し振りだった。
「わたしも、少しは役に立たねばな」
抜き身の長剣を水平に構えたマリーは呟くなり、全身から金色の魔素を迸らせた。小さな身体と釣り合わない莫大な魔力が奔り、大地に巨大な魔法陣を描く。
魔法陣は徐々に広がっていき――その大きさに、俺とサリッサは驚愕した。デカ過ぎる。乱戦に陥った戦場の大半を飲み込み、戦う騎士達の殆どが足元で展開した黄金の術式に目を奪われた。
大魔法。
以前、マリーは高等学校程度の魔法が扱えると自己申告していたが、さすがに嘘だ。ただの学校がこんなものを教えているはずがない。
「地を揺るがすもの! 傅き、全てのものに頭を垂れよ! 貪食の足枷!」
鋭く命じ、金色の尾を引く剣の刃を大地に突き立てる。
地鳴りを轟かせ、巨大な魔法陣が魔素を散らして弾けた途端、戦場で戦っていた騎士達の動きが俄かに緩慢になった。一様に戸惑いと焦燥の表情を浮かべた彼らは、しかし、どうすることもできずにただ呻き声を上げて立ち竦むしかない。
拘束魔法の一種なのだろうか。魔法に疎い俺には全容が把握できなかったが、敵対者の身体能力を下げる効果を持つのかもしれない。
少し役に立つ、どころの話ではない。こんな芸当ができるのであれば、この一芸だけで彼女は騎士になれるだろう。本人の戦闘能力はともかくとしても、この支援能力は大規模な戦闘では勝敗を左右しかねない。
そんな俺の思考をよそに、マリーは続けざまに剣を振るった。再び魔素が奔り、まさかと戦慄する俺の眼前で、皇女の長い金の髪が激しくたなびいた。
「女神の宮殿!」
第二の大魔法が発動する。貪食の足枷という大魔法と全く同規模の魔法陣が再度広がり、今度の異変は俺達に現れた。
魔法陣から漂う魔素が俺やサリッサに収束し、連戦で消耗していた魔力が戻ってくる。黄金の光の中、眼鏡を押し上げながら侍女が口を開いた。
「貪食の足枷で敵方から魔力を吸収、吸収した魔力を女神の宮殿で味方に再分配する。前線で騎士を率いて戦う皇族のために作られた大魔法、皇統魔法の一部です」
「そんな凄い魔法を、なんでちびっ子が」
戦争用の大魔法。
俺は歯噛みしてマリーを見るが、彼女は金色の光を纏ったまま首を傾げるだけだ。
マリーがそんな魔法を習得しているということは、皇帝はあわよくば彼女も戦争に投入するつもりだった可能性が高い。継承戦の時期がもっと遅くなっていれば。
広範囲の攻撃と防御の魔術に長けているミラベルといい、マリーといい、次の身体の母体として用意した子供達も、他の用途にも使えるように育てていたに違いない。
「アキト、気持ちは分かります。ですが、今は」
矢を番えたカタリナが見据えた先に、揺らめく霊体の青白い光が集中していた。もはや生身の部分よりも遥かに増大した異形の腕と、それらが持つ数多の武具を従えて――剣の外典福音、アルビレオが揺れながら姿を現す。
欠け、崩れた少女の、光る瞳が俺の姿を捉えた。
削れた顔の、残りの部分が喜悦に染まる。
「門番……門番。見付けた、門番さん」
狂笑。
その異様に騎士達が気圧され、戦場が十戒のように割れる中をアルビレオは進む。
「なあ、酷いじゃないか……僕の身体、治癒術じゃ治らないんだぞ……こんなにしてくれちゃって、どうしてくれるんだよ……酷いじゃないか」
少女はうわ言のように繰り返し、大きく裂けた胸の傷を穿る。
何もない。血が流れることもない。彼女は空っぽだった。
その凄惨な在りように、場の誰もが息を呑む。
ただ一人。新しい杖を携えて現れた銀髪の皇女だけが、冷静な表情で――それでいて、悼むような眼差しで、亡者の隣に立った。
「姉上!」
「マリアージュ」
遂に相見えた二人の皇女は、各々の手に武器を持って向かい合う。
「まさか九天の騎士が全員健在で……しかも、あなたが彼らをも味方につけるとは思わなかったわ。誤算もいいところね。褒めてあげましょう」
「彼らの力を借りるつもりはありません! 姉上を退けるのは、わたしでなければならない! 姉上、立ち合っていただきます!」
眩い黄金の輝きを纏ったまま、剣を構えるマリーが叫ぶ。
対するミラベルは、長杖を差し向けながら涼しい顔で命じる。
「あなたの幼稚なこだわりに付き合う筋合いはないわ。殺しなさい、アルビレオ」
アルビレオの無数の腕が、即座に命令を実行に移した。
反応すらできないマリーの身体を引き裂かんと殺到する霊体の腕を、カタリナの弓が、サリッサの槍が、そして、間に割り込んだ俺の長剣が弾き散らす。
外典福音が声を上げて笑った。
鋭い息を吐き、道中で拾った左手の剣にも魔力を通して二刀で斬りかかる。生身部分を著しく損傷しているアルビレオは、二刀を霊体の腕で携えた突撃槍と大刀で受けた。
激しい火花が散り、少女の崩れた顔をオレンジに照らし出す。
間近に見る彼女の顔は、やはり狂喜の笑みに彩られている。
肉体の崩壊に、精神の均衡を保てていない。
「こんな……哀れな骸を利用してまでやることなのか!」
銀髪の皇女は応えず、何かを押し殺すような表情で杖を振るう。生まれ出でた銀の光が迸り、俺に目掛けて放たれた。
それらを、瞬く間に躍り出たサリッサの長槍が尽く叩き落す。爆散する銀の輝きの中で赤黒のスカートと黒髪を翻した槍使いは、皮肉げに片目を細めてミラベルを睨んだ。
「お久しぶり、ミラベル。あたしも邪魔させてもらうわ」
「サリッサ……!」
「あたしとあんたの仲だもの。せめて加減してあげるわ。死なない程度にね」
長槍を低く構えるサリッサを前に、流石のミラベルも迂闊には動けない。彼女の魔力量がどれだけ多かろうと、既に距離が詰まっている今の状況では弾幕を張る隙がない。
一方、サリッサも踏み込めないでいる。アルビレオの霊体の腕を警戒しているからだ。攻撃に転じた隙を突かれ、自身やマリーが横から襲われる可能性が高いと踏んでいる。
その読みは正しい。現にアルビレオの視線は時折、マリーの方を向く。ミラベルの下した命令がまだ有効なのだ。
その一瞬の均衡を崩す矢が、カタリナの弓から立て続けに二射放たれた。魔力の込められた矢が、俺の二刀と競り合っていたアルビレオの霊体の腕を的確に射抜き、千切る。
吹き散った霊体の掌から得物が零れた瞬間、俺は女神の宮殿で補填された魔力を長剣に乗せ、アルビレオの胴を薙ぎ払った。
手応えはある。
だが、浅い。両断には至らない。
「あはっ」
胴に新たに刻まれた傷を曝しながらも、アルビレオはほぼ唯一と言っていい健在の部位――右手で細剣を操った。高速の連撃が俺の二刀とぶつかり合い、耐え切れずに折れた左の剣を迷わず捨て、右の剣で返し技を放つ。
激しく剣技を打ち合いながら、俺は目の前の亡者の顔を見た。視線が交錯する。
互角。
剣技の通常発動では、やはり押し切れない――たかが数十の騎士の集合体が、本当に全ての剣技を知るとでもいうのか。
「やっぱり僕の方が優れてる。優れてるんだ、僕は」
亡者の背から伸びる腕が、再び奔る。
また武器を振るうかと思われた十の腕が、予想に反して四方に伸び切るや否や、指先で空中に陣を描く。そして、青白い掌に生じた十の顔が、一斉に空の口腔を広げた。
悪寒が背を駆け抜ける。
地獄から響く怨嗟のような声が合唱する。
幾重にも折り重なって判別できないそれらは、全て同一の魔法を詠っていた。
大地が割れる。
蜘蛛の巣を思わせる模様を描いて、アルビレオを中心に亀裂が広がった。大地に描かれていた女神の宮殿の魔法陣が地割れに砕かれ、金色の魔素が飛沫の如く飛び散った。
せり上がる断層に騎士達が転がり、或いは、岩盤に激突して倒れて動かなくなる。
アルビレオの放った地属性の攻撃魔法は、敵味方の区別なく戦場を巻き込んでいく。
「味方が巻き込まれています! 魔法を止めなさい!」
「知ってるよ……知ってる……知ってるとも」
顔を強張らせて叫ぶミラベルを面倒くさそうに一瞥し、礼服の亡者は顔をしかめる。
その瞳が、せり上がった岩盤を蹴って迫る俺の姿を捉えた。激変する景観の中、上段から振り下ろす俺の長剣と迎え撃つアルビレオの純白の細剣が衝突する。
その瞬間、俺は伝声術の光球に向けて叫んだ。
「頼む!」
この隙を逃すわけにはいかない。
叫びに呼応するかのように、視界の端で紅い魔素が瞬く。
サリッサと事前に打ち合わせていた通り――空中に作り出した不可視の足場の上で黒衣を翻した毒刀使いが、掌から赤い魔法陣を生み出した。
「這い回れ、赤き舌、血と硫黄、黒の残火! 廻る炎の剣!」
紅蓮の炎が生じ、極大の火線が伸びる。
あの火力であれば、或いは。
しかし、俺の希望的な推測を砕くように、アルビレオに迫った火炎は蠢く霊体の腕の束に道半ばで吹き散らされた。濁流がごとく突出した腕が更に伸び、炎を放った毒刀使いに逆に襲い掛かる。
黒衣の男が足場の上で直刀を抜いた次の瞬間、成す術もなく濁流に飲み込まれて見えなくなった。
その衝撃的な結末は、俺の四肢を僅かに硬直させるに十分だった。
抉るような細剣の一撃が、集中を欠いた俺の右肩を引き裂く。咄嗟に身を捻ったものの、赤い飛沫が視界に激しく躍った。飛び下がりながら苦し紛れに刺突の剣技を放つが、アルビレオは見もせずに霊体の腕で弾き散らす。
自分でも気付かないうちに――俺の身体は力を失っていた。
連戦に次ぐ連戦、そして負傷。治療術は万能ではない。自覚していなかっただけで、身体のあらゆる箇所が悲鳴を上げている。女神の宮殿の補助も失った。
アルビレオの剣力が増したのではなく、俺が弱くなっていたのだ。
「……門番さん、もう限界みたいだね……限界だ……もう」
距離をとって対峙する俺を、アルビレオは削れた顔でつまらなさそうに見やった。
離れた場所でミラベルと戦うマリー達を確認し、俺は深く息を吐く。
俺が倒れれば、次は彼女達が狙われてしまう。何としてでもこの帰参者を倒さなくてはならない。
だが、もはや手段がない。高火力の魔法を習得している九天の騎士――毒刀使いはやられ、もう一人のハリエットという少女はここにはいない。マリーは何か攻撃魔法を習得しているようだが、彼女がミラベルと対決している現状では、あてにするのは難しい。
「複合」も今の魔力量では不発に終わる可能性が高い。そもそも反動が蓄積し過ぎている。剣技の変則発動は使えない。
残る手は。
俺に残された、手。
突如、ひとつの考えが雷鳴のように脳裏を駆け巡った。
実現は困難を極めるが、もう他に手がない。
「今度こそ、死ね……!」
アルビレオの、武器を持った全ての腕が動く。大半が俺へ目掛けて剣技を放ち、残りの全てがマリー達の方へ伸びる。
阻止できない。自身に襲い掛かってくる武器の群れを辛うじて長剣で捌き、或いはその刃を身に受けながら、俺は絶叫した。
「避けろ!」
マリーは外套を翻して迫る剣技の群れを見るが、彼女の腕では、それらを受け切ることは叶わない。
咄嗟に飛び出したサリッサとカタリナが長槍と弓で防がんとするが、青白い魔素を纏った剣に弾き飛ばされて宙を舞う。
残る刃が、マリーを襲う。その寸前、割り込んできた無言の騎士、クリストファが鋭い気合と共に刃を剣で受けた。
勢いに押されながらも踏み止まり、アルビレオの剣技を受け切る。しかし、続いて飛来した大剣と斧に剣ごと斬り裂かれ、彼はくず折れた。
その顔には、最後に笑みが刻まれていた。
「……騎士殿ッ!」
叫び、自分を守って倒れた三人に駆け寄るマリーの向こう。
全く同様に、銀髪の皇女が筋肉質の巨漢に守られて立ち尽くしていた。
アルビレオの攻撃は、ミラベルにまで及んでいたのだ。彼女を守り切った大男、ヴォルフガングは、自らの胸に突き立った槍を太い腕で叩き落しながら、その場に膝をつく。
「ヴォルフガング」
「ご、ご無事で……何よりで……」
瞠目し、困惑するミラベルの前で、大男が倒れ伏す。
思わず彼に手を伸ばしたミラベルの細い背に、
最後に飛来した長剣が、静かに突き刺さった。




